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第十四話 彼女がいない日々

 ルーナという娘は、アシェンの穏やかな日常をかき乱していった。毎日彼の前に現れては大声で「愛しています!」と叫ぶ。


 身分と容姿だけを目的として、彼は何度か女達からすり寄られたことがある。そういった類のものだろうと、その言葉に感情を動かされることもなく、ただ淡々とあしらっていた。


 しかし、ルーナは懲りずに毎日毎日、彼の前に現れ続ける。冷たく接しても、彼女は常に明るく、そして諦めない。いつもの女達とは何かが違う。そう思ったアシェンは、次第にルーナのことを気にし始めるようになった。


 ある日、ルーナが脚立から落ちそうになったのを咄嗟に支えた時。アシェンは彼女の折れてしまいそうな細い身体に驚いた。彼女はいつも笑っていて、底なしに明るい。そんな彼女が、こんなに頼りない身体をしていることに、無性に焦りと動揺を感じたのだ。




 ルーナが見知らぬ男と寄り添う姿を目撃した時、アシェンの思考は完全に停止した。彼女が自分以外の誰かとあれほど親密に接している姿を見て、彼の心にはこれまで感じたことのない強い嫉妬と怒りが沸き起こったのだ。


 この時にはもう、ルーナという存在が、アシェンにとってかけがえのないものになっていたのだろう。


 訓練場で彼女の姿を目にした時、その場から離れようとしていたのが見えたので、反射的に彼女を追いかけていた。呼び止めた時の彼女の蒼白な顔色と言葉は、今でも忘れられない。


 このようなことはもう二度としない。そう言われて、アシェンはとにかく焦った。思わず彼女の華奢な腕を強く掴み、どういうことかと問いかけた。彼女が何を考えているのかは分からなかったが、毎日のように聞いていた彼女の声が聞けなくなると思うと、問わずにはいられなかった。


 そして、ルーナが彼女の想いを吐露した時。


 その想いの深さと涙に、アシェンの心は完全に打ち砕かれた。


 ルーナが自分から逃れようともがいていたが、アシェンは初めて、彼女を逃したくないと感じた。彼女の顔色は悪く、腕も骨に皮がくっついているとしか思えないほど細い。もっと食事の量を増やすべきだろう、と関係のないことを考えていた時、あの若い男がやってきて、ルーナを連れて去っていった。


 あの男とルーナは、どういった関係なのか。


 ……いや。そもそも、アシェンはルーナという娘のことを、詳しく知らない。知っていることといえば、毎日明るい笑顔を浮かべていること、毎日アシェンに告白してくること、そして仕事熱心で、時折諦めたようなはかない微笑を浮かべること。


 もっと、彼女について知りたい。そして自分のことも、知ってもらうべきだ。


 アシェンはすぐにルーナに手紙を書いた。どうやら最近、彼に婚約者ができたという噂が流れているらしく、彼女もその噂に騙されている可能性がある。だからあんな、変なことを言い出したのだ。彼女にだけは勘違いされたくない。そう思うと、無意識のうちに手は動いていた。




 星降りの夜会で、美しく着飾ったルーナを見た時。アシェンは彼女への愛を、はっきりと自覚した。


 彼女をダンスに誘い、その細い身体を腕に抱いた時。彼の心は、溢れ出そうな幸福感で満たされた。


 そして、ルーナから全てを忘れて欲しいと言われた時。怒りと動揺で、彼女の全てを奪い去ってしまいたくなった。


 決して、彼女を失いたくない。決して、彼女を逃したくない。そう思い、指輪を贈った。その時の幸せそうなルーナの顔は、一生アシェンの心に刻まれている。



 ——しかし、その直後。ルーナは意識を失った。その時初めて、彼女の命が危機に瀕していることを知ったのだ。





「ルーナ、ルーナ!」


 腕の中で脱力するルーナの身体は、急速に冷たくなっていく。その息はか細く、今にも途絶えてしまいそうだった。


「ルーナ様!」


 その時、別の男の声が聞こえてきた。ルーナと一緒にいた、あの男だ。彼はアシェンが抱きしめるルーナの傍に膝をついて、彼女の顔を覗き込む。そして、彼の顔色がさっと青くなった。


「これは……」

「どういうことだ。ルーナは、どうなるんだ!」


 冷静でいることができなかったアシェンは、その男に噛みつくように問いかける。すると、男は顔を上げて、酷く悲しそうな表情でアシェンを見た。


「ルーナ様の命の灯火が、消えようとしています」

「は……」

「ずっと、危ない状態が続いていました。それでも、今日までルーナ様の命の灯火は、燃え続けた。それはきっと、貴方様への想いのお陰なのでしょう。ルーナ様は……本当に、貴方様を愛しておられましたから」


 やめろ。なぜ、ルーナの想いが過去であったかのように話している。


「ふざけたことを言うんじゃない! そもそもお前は、何者なんだ」

「……申し遅れました。私、ルーナ様の専属医師であるエリオットと申します」


 そう言って、男は懐から一枚のカードを取り出した。医師であることを証明するものだ。ルーナと彼が思っていたような関係でなかった、という安堵は全くない。それのせいで、ルーナが本当に、死の淵にいることが事実であると思い知らされたような気がした。


「ルーナは、もう救えないのか」

「……『生命の灯火病』は、治療薬が見つかっていない病です。これ以上、私には手の施しようがありません」


 その言葉に、アシェンの心は絶望に落とされそうになった。


(……私は、ルーナについて何も知らなかった。いや、知ろうとしてこなかった)


 彼女はどのような思いでアシェンと向き合っていたのだろう。時折諦めたような笑みを浮かべていたのは、始めから彼からの見返りなど、何も求めていなかったからなのだろうか。


 ルーナが告げてくれた愛の言葉、アシェンの言葉に涙した彼女の顔、そして彼女の指にはめられた指輪。


 失いたくない。失うわけにはいかない。


「……私に、一つ考えがある」


 諦めるわけにはいかない。ルーナを失うなど、考えられないことだった。





 無事にルーナに魔術をかけ終えてからが、本当の闘いの始まりだった。


 アシェンは公務の合間を縫って、『生命の灯火病』の治療法がないかを探し続けた。国内の腕のいい医者や治療師の元を訪ね歩き、そして遠方の国にも使者を送り、情報を集めた。


 彼の心は常に焦燥で満たされていた。何かの拍子に魔術が解けて、ルーナが命を失ってしまったら。最悪の考えが何度も頭をよぎり、弱気になるなと己を叱咤した。


「ルーナ……お願いだ。もう少し、頑張ってくれ」


 暇があれば、彼女が眠る姿を見に行く。エリオットに過去の彼女の容態を尋ねると、彼女が自分のことを愛してくれていたから、命の灯火が燃え続けていたのだと何度も聞かされた。そのたびに、アシェンの胸には後悔が広がる。


(どうして私は……ルーナがあんなにもまっすぐに愛を伝えてくれていたのに、返そうとしなかったのだろう)


 どうせ身分狙いだろうと相手にしようとせず、冷たくあしらっていた自分を何度も悔やむ。

 貰った愛の分、いやそれよりも倍以上、愛を返したい。



 アシェンの表情からはただでさえ少なかった笑顔が消え、以前にも増して氷のような冷たさを纏うようになった。彼は決して弱さを他者に見せず、ただルーナを救う方法がないか、三年以上もの間探し続けた。


 何度も絶望に襲われる。本当に治療法は見つかるのか、自分の選択は正しかったのか。


 しかし、何度も聞いてきた彼女の愛の言葉と眠り続ける彼女の指にはめられた指輪、そして彼が最後に見たルーナの笑顔が、彼を支え続けた。



 そして、ついにその日が来た。出せる限りの投資を行い開発を進めていた、『生命の灯火病』に抵抗するための薬が完成したという報せが届いたのだ。


 アシェンはすぐさまそれを取り寄せ、自らその薬をルーナに飲ませた。


 ルーナが目を開けた時。ルーナの瞳に再びアシェンが映った時。


 これまで感じたことのないほどの、幸福と愛情が溢れ出してきた。


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