海の守り神 その6
ダムザが落雷攻撃ができるのを知っていたのは、この場にいる中では蓮だけだった。しかも、その威力も、蓮が一瞬マヒして動けなくなるほどの威力だ。スキュレーもまともに食らえば、相当のダメージなるのは明白だった。
おまけに、スキュレー自身を含め、この周囲はまき散らされた粘液で濡れに濡れている。全身粘液まみれのスキュレーには、全身くまなく電撃が通っただろう。
心配だったのは、粘液まみれなのは自分たちもそうだったからだ。落雷がスキュレーを通り、自分たちまで感電の巻き添えを食らう可能性があった。だから、事前にエターナルに雷防御の補助をかけさせたのだ。作戦は、どうやらうまくいったらしい。
ほかの者たちも、恐る恐る顔を上げていた。
「な、何が起こったんだ……!?」
兵たちは口々に驚き、そして、焼け焦げている触手を見てさらに驚いた。
そんな彼らを無視して、蓮はスキュレー本体の方へと向かう。
「れ、蓮。何が起こったんだ?」
アイシャとエターナルが近づいてきた。軍隊の連中もついてきているが、触手たちはもう、ほとんど動く気配がない。動こうとする触手も、動く力が出ないようだった。
背中部分の前には、ダムザが立っていた。蓮としばし見つめあい、自分の頭を小さく動かす。「これを見ろ」ということらしい。
背中にあった黒い肉は、マヒの影響か醜くたるんでいた。そして、その奥に、大きな何かがある。肉の壁で守られていたものだろう。
それは女の顔であった。その顔は、蓮達には見覚えのある顔だ。
「スキュレー……!」
顔の主、スキュレーは、完全に気絶していた。鼻水とよだれを垂らし、白目を剥いている。
復讐に取り憑かれ、最後は自らの身体と心すら憎しみに明け渡した、女の末路がこれだ。
険しい表情で、睨むように失神する彼女の顔に、イチ島で初めて会った時の彼女の面影は、みじんも感じられない。
あるいはこの顔が、彼女の本当の顔なのか。いずれにせよ、ひどい姿だ。
「……アイシャ」
「わかってる。……これが、勇者の使命だからな」
アイシャは聖剣をかざすと、光り輝く聖剣を彼女のだらけた眉間に突き立てた。
スキュレーの体中から黒い靄が噴き出し、ひび割れていく。やがて、彼女のキョダイに膨れ上がった肉塊は、すべて靄として消え去った。
そこに残っていたのは、やせ細った、下半身がタコの魚人の女が一人。本当の彼女は、紫色のタコだったようだ。そちらの方が、黒い方よりもきれいだった。
もっとも、気絶しているその顔は、しわとやつれにより、随分と醜くなってしまっていたが。
アイシャは聖剣を鞘に戻し、叫んだ。
「ルーブルを脅威に陥れた「災い」の化身は、この勇者、アイシャ・レヴンヘイムが討ち取った!」
ルーブルの軍隊たちが、勝鬨の咆哮を上げる。エターナルはへなへなと座り込み、蓮もその場に座り込んだ。アイシャだけは、勇者の威厳か立ちっぱなしである。
「……ずるいぞ。私だって、本当は座りたいんだぞ」
周囲に聞こえないようにアイシャが蓮にぼそりとつぶやく。蓮は気が抜けたのか、盛大にあくびをした。
そういえば、朝早くに無理やり起こされたのを、今思い出したのだ。
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再びルーブル王城に戻ってきた蓮たちは、風呂に入っていた。王族の使う浴室だそうで、かなり豪華なつくりになっている。入っているのは蓮だけだ。女性陣は既に入った後である。
「あああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー……」
湯船で足を伸ばし、だらしない声を上げる。足を伸ばして家のお風呂に入れていたのも、今は昔の話だ。今では狭くなってしまって、ほとんどシャワーばかりである。温泉なんかも早々いかないので、こんな広い風呂自体が相当久しぶりだった。
風呂の広さはともかく、粘液まみれの身体がさっぱりしたのが心地よかった。正直、城に戻るまでも大変だった。つるつる滑るのだ。よく戦闘中にこけなかったと自分をほめてやりたい。
それに、ダムザの件も、なんとかなって、蓮は完全にだらけていた。
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スキュレーを倒したはいいものの、港に残っていた問題は目の前にいる大海魔だった。ダムザもすっかり疲れたらしく、その場に座り込んでしまっている。
「……そ、それで、この怪物は敵なのか……!?」
スキュレーを倒した安心感も抜けたころ、兵たちが武器を構え始めたのだ。
「あ、いや、こいつは……」
蓮は口を開きかけたが、どうにもうまく説明できる自信がない。メローラ曰く、ダムザも人間に理解してもらうつもりで来たわけではないそうだ。ただ、自分をこんな目に合わせたスキュレーを逃がすつもりはなかっただけ、らしい。
「……ところで、こいつは元に戻せないのか?」
いくらなんでも、この姿で地上には出られないだろう。それに、ネプティエに戻る、というわけにもいくまい。元々追放された身だ。そもそも、本人にもネプティエに戻る気はない。
メローラから聞いたダムザの答えは、意外なものだった。
「……このままでいいって。この姿なら、誰も自分がのんびり過ごすのを邪魔したりできないだろうからって」
どうやら、「邪進化」した時のカーリーの憎悪は、すっかり消え去っているらしい。彼自身の意思で行動でき、面倒ごとを起こす気はないそうだ。
とはいえ、こいつの迫力に兵たちは完全にビビっている。恐れのあまり攻撃しかねない。どうしたものか、と首をひねる蓮だったが、アイシャが助け舟を出した。
「……この生き物は、この海の守り神です!」
一同はざわめいた。蓮とエターナルもアイシャの方を見たが、アイシャはしれっとした顔をしている。
「私自身、彼には助けられました。私の仲間が海で遭難し、探しに行ったときにも助けてくれました。そもそも、彼は海の治安を守るものとして、魔の海域に君臨していたのです」
アイシャの言っていることは、あながち間違いではなかった。彼が人間の姿で、海賊のお頭として君臨していたという事実を除けば、だが。
「彼は魔の海域から、このルーブル近海の平和を守ってくれていたのです。……そして、彼女は、この守り神の巫女です」
アイシャは、海に戻っていたメローラを手で指し示す。ネプティエ人としてのメローラの姿は、蓮が助けに言った時点で、軍の人にもばっちり見られてしまっていた。
「み、巫女……?」
提督が、呆けた声を上げる。
「巫女様。何か一言を」
アイシャはそう言いながら、蓮の脇を小突いた。そして、小声で蓮に話しかける。
「なんか言ってもらえ」
「ええ?」
「なんでもいいから。長いの」
蓮がその旨をメローラに小声で伝えると、彼女は困惑しながらも口を開いた。
「え、えー、地上の皆さん、これは私の父の昔の話になるのですが……」
メローラが話したのは、父であるポシェイドの過保護エピソードだった。どうやらこれが彼女にとってはとっさに話せる長い話らしい。言葉のわかる蓮はおろか、ダムザでさえため息をつくほどくだらない内容だった。
だが、アイシャは彼女の話す内容を真摯に聞いている。そして一通り聞いた後、提督たちに向かって話し始めた。
「巫女様曰く、この方は、何百年にもわたりこの海を守護してきました。この海での豊漁は、すべてこの守り神により、海の生態系を維持していたためです」
全く違う内容である。つまり、なんかうまい感じに通訳している風にしたかったのだ。そもそも、ネプティエの言葉で話しているので、彼らに彼女の言葉は通じない。無論、アイシャもそうなのだが、まるで本当にそう言っているかと思うくらい、アイシャの口から出まかせは理路整然としており、説得力のあるものだった。
「……というわけで。我々は彼に感謝して、この海で共に生きていかなけなければならない。と、彼女は申しております」
こうして、通訳という名のアイシャの演説は終わった。終わるころには、ダムザを怪物呼ばわりする者は誰もいなかった。
「……ありがとうございます!守り神様!」
口々に叫び、祈り始めた。この様子なら、帰る時にいきなり襲われる、ということはなさそうだ。
「守り神様の像を作り、祀らねば!」
提督まですっかり信じ切っている、アイシャの演説の才能が恐ろしい。提督はこちらに向き直り、問いかけてきた。
「守り神様は、なんというお名前なのですか!?」
「え、名前?」
えーーと、とアイシャは考え込んでしまった。蓮はダムザの方をちらりと見る。盛り上がっている人々に呆れて、「好きにしろ」という風だった。
そうだよな、と蓮は肩をすくめた。
だったら、こっちで呼びやすい方にして構わないだろう。
「――――ダムザだよ。こいつの名前はダムザ」
蓮はそう答えた。その答えで、ダムザの方も別に構わないらしい。
海賊として、地上で生きた者の名だ。ネプティエを捨てるのなら、こちらの名前で呼んでやった方がいいだろう。
「海の守り神、ダムザ様!」
「ダムザ様!」
ダムザ様、ダムザ様と名前を連呼されて気恥ずかしいのか、彼は海へのそりと入っていった。そのままゆっくりと、沖へ向かって泳ぎ始める。
「ダムザ様、ありがとうございましたあ!」
「さようなら、ダムザ様!」
ルーブルの軍隊は、しきりに両手を振っている。その間に、蓮はスキュレーをメローラに引き渡した。スキュレー自身、生きてはいるが、どうも精魂尽き果てたようで、まるで反応がない状態になってしまってはいるので、メローラだけでも運ぶのは大丈夫そうだ。
「……今度こそ、本当にお別れ、かしら?」
蓮は埠頭に腰かけた。思えば、彼女を山で拾ったことが、今回の騒動の始まりだった。
「短いようで長かったなあ。こんな風に、普通に会話するなんて想像してなかったぞ」
「そうよねえ。蓮が私の通訳、やってくれたんだもんね」
海を眺めていると、泳いでいるダムザの動きが止まった。
「……お前のこと、待ってるみたいだな」
「さあ?スキュレーかもよ、彼……が待ってるの」
メローラの言葉に、蓮はため息をつく。
「お前なあ。もういいだろ。あいつは、ダムザだよ」
「え?」
「おまえ、あいつの呼び方決まってなかったろ?」
メローラはダムザのことを、ずっと「彼」と呼び、名前で呼んでいなかったのだ。ネプティエの幼馴染ダムジャルクか、それとも地上での海賊ダムザか。どちらで呼べばよいのか。彼女はそれがわからず、曖昧な呼び方になってしまっていた。
だが、彼の名前は、蓮がさっき決めた。本人が「好きにしろ」というのだから、それでいいのだ。
「あいつは、海の守り神で、名前はダムザ。それが、今のあいつだ」
「……そんな、いいの?私たちは、彼に……」
「んなもん、俺だって知らねえよ。本人に聞け本人に。言葉わかるんだから」
蓮が面倒そうに頭を掻くと、メローラは笑った。
「……あなた、雑ねえ!女の子にそんなアドバイス、センスないわよ?」
「……うっせえよ」
「私、結婚が嫌で、恋がしたくて地上に来たけど、あなたに恋しないでよかったわ」
「ああ、そうかい」
海の向こうでダムザが吠える。そろそろ本格的にお別れの時間だ。
「ありがとう。あなたとの冒険、楽しかった」
「こっちは振り回されて大変だったわ。おかげで退屈しなかった」
互いに顔を見合わせてから、メローラはスキュレーを連れて海へと泳ぎだした。
「待ってよお、―――――――――ダムザ!」
そう叫びながら潜る人魚姫の姿を見届けて、蓮は立ち上がった。
体中、べとべとでぬるぬるだ。早く風呂でも入って、さっぱりしたかった。




