「魔女」の企み その4
島の守たちに攻め込む準備をすすめさせている間に、キュレーは港から反対方向の海岸へと来ていた。
最高のショーが、いよいよ始まろうとしている。彼女の口から笑みと、よだれが止まらない。
彼女はおもむろに、自分ののどをさする。いやはや、本当にいい拾い物をした。まさか、たまたま手に入れた「これ」に、とんでもない力が眠っていたものだ。
キュレーは口布を外し、大きく息を吸った。そして、高らかに叫ぶ。
それは、美しい声色で、まるで歌うような高音だった。
ひとしきり叫ぶと、すぐに海面に変化が訪れる。
島近海にいるはずのない、巨大な海洋生物が現れた。現れたのは顔だけだが、それがウツボだということは、海に生きる者であればすぐに気づくだろう。
キュレーはウツボの前に立つと、ウツボは鼻先を彼女へと向けた。その上に、ためらいなく足を置く。そして、彼女はウツボの上に乗ると、ウツボは海岸を離れ始めた。
「案内、よろしくね?」
キュレーが言うと、ウツボは答えるように喉を鳴らした。彼女が向かうのは、魔の海域だ。
勇者という嵐が過ぎ去り、海賊の根城は一時の凪を迎えていた。朝早くから襲来して、やはりお頭が何とかその場を収めて追い出したそうだ。やはりお頭は頼りになると、海賊たちは壊れた部分を直しながら話していた。
「船とかを壊されなかったのは、僥倖だったなあ。商品にも手を付けずにいたみたいだし」
「俺は勇者とか言うからよお、奴隷の女たちを解放しに来たのかと思ったぜ」
とはいえ、人員的なダメージは大きい。かなりの人数が彼女一人に負傷を負わされてしまった。しかも、幹部はほとんどが重傷だ。これでは仕事にならない。
「しっかし強かったなあ。あの女。お頭と闘ったら、どっちが強えんだろうな」
「ばっか。お頭に決まってんだろ!あの対格差はさすがに勝てねえだろう」
そのうち、どっちが勝つか、という賭けまで始まる。その場にいる連中が、「お頭に金貨一枚!」「じゃあ俺二枚!」「あたしはお頭に勇者が肉薄して負けるのに、金貨十枚!」「お前そんな金ねえだろ!」などと騒ぎ出す。じっさいこの対戦カードは実現しないし、そんな金もないが、言うだけなら自由だ。彼らは自由に生きることこそ幸福なのである。
「面白いお話ね。勇者と海賊の頭領、どちらが強いのかしら?」
「あん?」
海賊の一人が振り返ると、そこには見知らぬ女がいた。どうやってきたのかもわからないが、かなりの上玉だ。魅惑的な身体に、男は思わず息を呑む。
「な、何だお前?」
「海賊のお頭、ねえ……勇者相手だと、ちょっとだけ厳しいかもしれないけど……」
女は少し考えるそぶりをして、にやりと笑った。
実際に笑ったものをみた者はいない。大きな口布が、彼女の顔の下半分を覆っていたからだ。だが、間違いなくほほえみを浮かべてはいただろう。
「……本気の本気で挑めば、すごいことになるかもしれないわね?」
彼女の背中から、黒い触手がぬるりと姿を現した。
ダムザが異変を感じたのは、私室で武器のだんびらを手入れしていた時だ。
人間となった彼の鼻腔に、異様なまでの磯の香りが刺さる。いくらここが四方を海に囲まれた島だと言っても、地上でここまで濃い香りは到底あり得ない。
嫌でも思い出されるのは、思い出したくもない故郷の風景だ。
部屋の扉を開けると、海賊の一人が部屋の前に立っていた。
「オカシラ……オキャクサマデス……」
そういう部下の様子は、明らかにおかしい。目も虚ろで、言葉を紡ぐのも精一杯という様子だ。なにより、いくら自分がデカいとはいえ目を合わせないのはおかしい。
「お客様……?」
「ええ、お客様」
海賊の後ろから声がする。海賊の背後にいたらしい。スッポリ隠れてしまっていたので、姿は見えなかった。だが、異臭の元がこいつなのは間違いない。
女は後ろから姿を見せる。見覚えはなかった女だった。
「久しぶりね。十年くらいかしら?」
十年。この単語で、彼はすぐに彼女の正体を察した。メローラを除く女で、十年もあっていないとなると、該当するのは一人だけだ。
「……スキュレー……!」
「元気そうね。地上ではお仲間に囲まれて、なかなかいい暮らししてるみたいね」
スキュレーはそう言うと指を鳴らす。彼女を連れてきた海賊がふらり、と去っていく。
「てめえ、あいつに何しやがった……!」
「別にい。軽くね?」
はぐらかして、彼女は部屋の椅子に座った。
「……勇者が来たみたいね?ここに」
「ああ?」
「ここの海賊さんたちが言ってたわよ?大暴れしたって」
「てめえには関係ねえだろ」
「それが、あるのよねえ」
スキュレーは立ち上がり、ダムザの腰に手を回す。
「……何の真似だ」
「ねえ?あなたと私、似ているって話をしたの、覚えてる?」
十年前、傷ついたダムザを助けた時のことだ。
お互い、ネプティエ王家から追放された者どうしだ。そんな話を、ダムジャルクは確かにしていた。
「それで、あなたはあの海と決別する形で、私と「契約」を交わしたわよね?」
「ああ。……契約違反なんてしてねえぞ?」
「ちょっと都合が変わったのよ」
そして、彼女はダムザの着ている衣を剥がし始めた。むき出しになった彼の肌に、スキュレーは唇を当てる。
「ねえ?ダムジャルク。私とあの海に戻ってきてほしいのよ」
ダムザはスキュレーの頭を掴むと、無造作に放り投げた。彼女は、ダムザのベッドに放り込まれ、倒れこむ。スキュレーはそれでも笑っていた。
「乱暴ね?」
「おまえ、自分でさせた契約を破らせようってのか?」
「私が提示した契約よ?どうとでもなるわ」
そして、彼女は再びダムザの身体にすり寄る。
「帰らねえよ。「契約」なんぞなくたって、あそこへは二度と行かねえ」
「……そうよね。あなたは、そう言って逃げたのよね」
ダムザの表情がゆがむ。言葉に動揺したのではない。
何か、おかしい。
先ほどからしていた磯の香りは、すっかり消え去っていた。
その代わりに、何か甘い香りがしている。スキュレーが香水でもしていたのか?
それだけではない。彼女が肌を撫でるたびに、得体のしれない感覚が全身を襲う。特に、彼女が唇を押し当てるたび、それは強くなる。
「ねえ、ダムジャルク?」
スキュレーは彼の顔へ手を伸ばした。逆らうことができずに、頭を彼女の高さへと下ろしていく。
「私ね?つい最近、とってもいいことをしたの。困っている女の子を助けてあげた。その見返りで、素晴らしいものを手に入れたのよ?」
彼女の唇の動きが、やけに蠱惑的に感じる。彼女が訪れ、心があらぶっているはずなのに、どこか安らいでしまう。
その感覚とともに頭に浮かぶのは、サンゴの木の枝の上に座る少女の姿だ。
「メ、ロー、ラ……!?」
絞り出した声は、何ともか細くなっている。嵌められた、と気づいた時には、すでに遅かった。
「やっぱり。彼女、ここへ来てたのね。……てことは、あの子たちネプティエへ向かったわけね?連れて行ったのは、あのクジラさんかしらね」
ぼんやりする意識の中で、ダムザは考えを必死に巡らせていた。
そもそも、メローラを人間にして地上へと送り出したのは、このスキュレーではないか。
自分の時と異なり、スキュレーが彼女にした「契約」は……。
「その、声。メローラ、の……?」
「あら正解。私の声に混ぜているの、気づいたのあなただけよ?本人も気づかなかったのに」
スキュレーはそう言いながら、彼をベッドへと引きずり込む。もはやダムザに、抵抗する力は残っていなかった。
ダムザに押し倒される形で、スキュレーはにやりと笑った。
「いいことを教えてあげるわ?あの子の声ね、海で生きる者を魅了する力があるのよ。この海で生きる者には、効果てきめんみたいね?」
さっき彼女を連れてきた海賊の様子を、ダムザは思い出した。この声に魅了されたということか。
「すごいわよお。人間でも、大陸から離れていれば効くんだから。だからね、四つの島の頭目さんも、私の声の虜なの」
「島の、頭目……?」
もはや言葉しか、彼に抵抗するすべはない。導かれるように、スキュレーの身体へと視線が移る。動悸が激しく、息が荒くなる。
「島の頭目なんか操って、何になる……?」
彼女は、人間なんかに興味はないはずだ。追放され、憎むとすれば海のかなたのネプティエだろう。
「……すぐにわかるわ。あなたも、私と同じになるの」
スキュレーの背中から、黒い触手が飛び出す。それは思いのほか優しく、彼の背中彼女の肢体へと導いていく。
「あなたの「契約」を解かないとね?せっかく久々の再会だし」
とどめとばかりに、スキュレーは彼の耳元でささやいた。
「それに私、あなたの事、ずっと好きだったのよ?」
もはや抗う力は、完全に消え失せた。
ダムザの意識から離れた肉体は、スキュレーの身体を貪り始める。
スキュレーの身体におぼれていくダムザの巨躯は、黒い触手に呑まれて、見えなくなっていった。




