「災い」の調査へ その4
結局、その後も調査行きを止められるようなことはできず、夕方になり出発することとなった。
王都の門の前には、調査用の馬車に、お見送りで町の人たちが集まっている。
蓮たちが着くと、ヴェロナとミネルバの姿があった。
「いよいよだねえ。頑張っておくれよ」
ヴェロナはエターナルの腰をバシバシと叩く。ミネルバは蓮に近づくと、そっと耳打ちしてきた。
「仲直り、できた?」
蓮は首を横に振る。
「焦っちゃだめよ。女の子の扱いは難しいんだから」
「……うす」
もはや娼婦というより、女性の扱いの先生みたいな感じになっている。
そんな蓮を見ているアイシャの視線に、彼は気づかなかった。
馬車は2人、3人の二組に分かれて乗ることになった。
蓮はとりあえず近くの馬車に乗り込む。馬車の中は少し狭い。2人乗りの方に乗ったのだろう。
(なら、あの女神が乗るんだろうな)
そう思っていたのだが、馬車に乗り込んできたのは、違う人物だった。
「……空いているか?」
馬車に乗ってきたのはアイシャだった。蓮が驚いて口を開いた時、エターナルの念話が頭に入ってくる。
『なんか、アイシャさんがそっちに乗るって聞かなくって……』
よく見ると、アイシャの後ろから小さくエターナルが首を横に振っている。
「……あ、ああ」
「すまない」
アイシャは蓮の隣に座った。そのまま運転手に声をかけると、馬車がゆっくりと動き出した。
平原には、着くころには日も暮れ、夜になっている。なので、現地でいったんキャンプをしてから、翌日本格的な調査となる。
平原までの道のりはずいぶんゆっくりしたものだった。これが一応「災い」の調査だということを忘れかけるほどだ。
蓮とアイシャが乗る馬車は、出発から数十分たってもお互い口を開かなかった。蓮は餞別の干し肉をかじり、アイシャは剣を磨いている。
先に口を開いたのはアイシャだった。
蓮たちが到着する前。アイシャは王都正門の前で馬車のチェックを行っていた。会議が終わり、城にいるのも居心地が悪かったので、先に先にと準備を行っていたのだ。
一通り点検を済ませ、自分の装備や持ちものもある程度改めてしまった。ため息が出る。
(結局、最初の宿が一番居心地がよかったな)
宿に泊まっているときは、期待に胸を膨らませていた。
勇者のとしての力に覚醒したのは、十日前だった。自分の領地から王都までたどり着き、王に話を通したときは、なんと「神」からの信託があったというのだ。これを運命といわずしてなんと言うのか。彼女は喜びに打ち震えた。
だが、自分一人でできるのか、という不安もあった。そんな時、勇者を名乗る者たちが集まっていると聞いた。大臣たちは「金目当ての連中だ」と煙たがっていたが、アイシャは彼らを仲間にしようと、心の底から思った。
勇者を名乗るということは、世界を救いたいに違いないのだ。何より勇者である自分が選んだのだから、間違いなく「真の仲間」となれる。
三〇〇年前の勇者も「真の仲間」がいたという。それなら、自分にも仲間がきっとできる。
そう思っていたのに。せっかくできた仲間を、蓮という男は追い出した。
勇者である私が認めた男を、「不要」と決めつけたのだ。
彼だって、私と一緒に「災厄」に立ち向かいたかったに違いないのに。
昨日のことを思い出すと腹が立って仕方ない。
それに今朝もだ。「災い」のために会議をするというのに、寄り道するとはどういう了見だ。遅れていないからいいだろうなどと、自分勝手にもほどがある。
それに国王や大臣もだ。世界が大変な時に、外交の話などしたくはない。もちろん協力の要請や連携は大事だろうが、それにしてもそっちの話ばかりになって気が滅入る。そんなことばかり気にしてもたもたするくらいなら、すべて自分が仕切った方がよい。
そう思ったからこそ、自分でも強引だと思ったが「災い」の調査を無理やり進めることとしたのだ。
とはいえ、思い返してみると、自分にも至らないところがあったと感じてはいた。勇者だからとはいえ、少し威嚇が過ぎただろうか。これで、ほかの面々とはうまくやっていけるのだろうか。悩みは尽きない。
考えていたらお腹が鳴りだした。そういえば起きてから何も食べていなかった。空腹を感じる余裕もなかったが、ひと段落したので追いついたらしい。
「……空腹くらいは、何一つ言わずに着いてきてくれるな」
周りを見ると、自分の周りには人が集まっている。だが、近づいてくる人はいない。「勇者」である者は孤独ということか。
ともかく、出発前に軽食くらいはゆっくり取りたい。
基本的に田舎者であるアイシャは、王都の豪勢な料亭などはあまり好んでいなかった。辺境の貴族の食事は、庶民の食事とほとんど変わらなかった。
(やはり、質より量だな、私は)
王都に来てから一度行ったことのある、あの宿屋で食事だけ摂ろうと思ったが、ふと足が止まる。
(いや、待て。あそこは確か、蓮たちの泊まっている場所だったな)
店の前まで来てからそのことを思い出したとなると、そう簡単には入れない。こんな状態で鉢合わせるなど、まっぴらごめんだった。
店の横の小窓からこっそりのぞくと、大量の食糧をかっ込んでいる赤い髪の男の後ろ姿が見える。町人じみた格好をした男の隣で、一般的な回復術師のような格好の桃色の髪の女性もいる。とがった耳を見る限り、エルフに近い血だろうか。
あの二人は一緒にいるようだが、どれくらい一緒なのだろうか。
ひょっとして、そういう関係なのだろうか…………
「あの、勇者様……?」
「ぴゃあっ!?」
思わず変な声が出た。後ろからいきなり話しかけられて、アイシャは振り向いた。
後ろに立っていたのは女性だった。褐色の肌に黒い髪。給仕の格好をしているので、この店の従業員だろう。
だが、それ以外にもアイシャは彼女に見覚えがあった。
「あ、あなたは、ここの、娼婦の……」
「あら、覚えていてくれましたの?光栄ですわ」
給仕、もとい娼婦は、にっこりとほほ笑んだ。
「はい、どうぞ」
あの店で働いていた娼婦―――ミネルバは、アイシャと一緒に店の裏でお弁当を広げていた。休憩中で少し早く戻ってきたのだが、従業員用の入り口にとんでもない有名人がいるので驚いてしまった。しかも、その有名人は、執拗に窓から中を覗き込んでいる。気にならないわけがなかった。
「それで、なんで中を覗いて?気になる人でも?」
「あ、いや……」
アイシャが言いかけた時、宿の入り口が開いた。様子を伺うと、例の二人組が出て行くのが見える。王城の方へ向かうようだった。
「……入ります?」
「……お願いします」
ミネルバが笑いながら促すと、アイシャは従業員用の入り口から宿に入った。
アイシャの要望で、ミネルバたち従業員用のスペースでこっそり昼食をとることとなった。自分が食堂で食べたら、きっと大騒ぎになる。
「すみません、無理を言って」
「構やしないよ。全く気にしないお仲間さんもいるけどねえ」
娼館兼宿のオーナー、ヴェロナが豪快に笑った。
しかし、とアイシャはちらりと周りを見る。
娼館も兼ねているということもあり、この宿は女性の従業員ばかりだ。給仕はもちろん、厨房に立っているのも女性だった。
「あの、ここは男性はいないんですか?」
「ああ、そうだねえ。ここは女性だけだねえ、従業員」
「しかし、娼館というと、物騒な客もいそうですが」
自分を娼婦と勘違いしてとびかかってきた巨漢を思い出す。あの時は難なく投げ飛ばしたが、勇者である自分と一般の娼婦は違うだろう。
「まあ、そうなんだけどねえ。……ここだけの話、女の子の大半は昔、ひどい目に遭った子なんだよねえ」
ひどい目。そう聞いてアイシャの顔がこわばる。
この世界での女性のひどい目というのは、大概は「ゴブリンやごろつきに無理やり侵された」というものだ。もちろん人間の場合、そういう連中は一定の割合しかいないということわかっているが、そういう連中とゴブリンはほとんど変わらない。下半身で生きているような連中だ。
「しかし、娼館というのは、なんというか、厳しくないですか?彼女たちにとっては」
「まあ、だからと言ってそういう子が社会復帰するのに、教会だとなかなか厳しくてね。女の子たちも、何も男性不信でいたいわけじゃないんだよ。だから、一晩話をするとかで少しずつ慣らしていくんだね」
つまりここは、ゴブリン等被害者のリハビリも兼ねているということか。
「勇者様は、「災い」について、どう思ってるんだい?」
「え?」
訪ねてきたのはヴェロナだった。
「「災い」の予言があって、何年か経ったろう?それで、危機意識が薄れたり、もう助からないってやけっぱちになったり……そういう連中が少しずつ増えてきている。やけになった奴が乱暴したりってね。それで家に来たり、っていう子も少なからずいるんだよ」
アイシャの顔はさらにこわばった。「災い」が実際に及ぼす被害はわからない。だが、「災い」の存在そのものが人々の心に陰を落としていることは間違いない。
「……必ず、「災い」を食い止めて見せます」
根絶やしにしなければならない。見えない恐怖に苦しむ人々を救うことこそが、勇者としての使命なのだ。アイシャの決意は新たに固いものとなった。
「ところで、蓮とはどうなったのですか?」
ミネルバの言葉に、アイシャは食べていた食事を思い切り噴き出した。
「な、なん、何を言っているのでしょうか……?」
「昨日ね、蓮が私に相談してきたんですよ。夜に」
ミネルバの言葉だが、アイシャが一番気になったのは「夜」というワードだった。
「………夜?」
「ええ。一晩お相手を。ほら、あなたと一緒に来た時、名刺渡してたから」
「で、ですが、彼にはエターナルという女性が……・」
「彼曰く「まったくもってそんなのではない」って」
「……なんと」
女性と旅していて、自分と喧嘩した夜に娼婦と一晩過ごしたというのか。あの男。
「ふ、不潔なっ!」勇者の顔は真っ赤っかだった。
「あらあら。……でも、相談されたんですよ。仲直りするにはどうしたらいいかって」
「仲直り?」
「あなたと喧嘩したこと、どうにも気にしてたみたいよ?」
そうだったろうか。朝会った時には、そんな素振りは見せていなかったと思うのだが。会議には遅れてくるし。
あの後会議がすぐに始まり、私が怒り……各自行動として、解散してしまった。
「そういえば、そもそも会話をしていない気がする……」
「だとすると、彼としても、話しかけにくいのかもね。相当怒らせたって言ってたわよ」
「わ、私だって、ちゃんと謝ってくれるのであれば、それなりに大人の対応をする、と、思います……たぶん」
「一応確認するけど、あなたから謝るっていうのは?」
「私の仲間を侮辱したのだから、絶対にない」
即答したアイシャの顔を見て、ミネルバはやれやれと首を振った。
「それじゃ、確実に謝らせるいい方法教えてあげる」
それはね、とミネルバはアイシャに耳打ちした。