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くちづけ

「ごはッ!」


 喉に詰まった血液を吐き出し、全身が砕かれる痛みとともに貴也は目覚めた。

 だが起き上がることが出来ない。

 小鳥の囀(さえず)り、走り去るバイクの駆動音。

 貴也の耳に飛び込んでくるあまりにも日常な音の数々が、いっそ憎らしいほどに思える。


(痛っでぇぇぇッ!)


 自分の体がどうなっているのか見ることも出来ず、同時に見ることが怖い。

 叫び声をあげることすらままならない状況に絶望する。


(ヤバイ……このまま死ぬかも……)


 今の自分を治癒する者はいない。

 ルーインは……。


 そこまで思い出し、体の痛みすら忘れて声にならない声をあげる貴也。

 彼が覚えている最後の景色。

 それはパックリと開いた腹に、ルーインを押しこめる化け物の姿だった。

 実際はその後、もう少しの間貴也の魂はあちらに留まっていた筈なのだが、まったく記憶にはない。

 他の仲間達はあのまま戦ったのか? 自分の体はどうなったのか? それすらも把握出来ていなかった。

『逃げたに決まってるでしょ』

 不意にリュシアナの声がする。


(逃げた? ルーインは? ルーインはどうなったッ!?)


 しかし答えは沈黙。

 今は忙しいという声を最後に、リュシアナの声はぱったりと聞こえなくなった。


 ルーインがどうなったかだと?

 今の自分を見れば一目瞭然ではないか。

 あの優しい少女が、こんな状態の自分を治癒せずにおくわけがないのだから。


 貴也はギュッと、固く目を閉じる。

 まともに動かせる唯一といえる瞼で、怒りと悔しさを発露させるように。


「たかちゃん?」


 唐突に聞こえた声に、薄く目を開けて答える貴也。

 詩乃が心配そうにそこに立っていた。


「……もしかして動けない?」


 みるみる彼女の表情が曇っていく。


「ごめん、捲るよ?」


 覚悟を決めて、詩乃は貴也の布団をそっとめくる。

 ヒッと息を飲み込む音が聞こえた。

 布団を持つ手をわなわなと震わせ、だがパニックにならないようにと詩乃はそのまま布団を全て捲り終える。


「なんでよ……」


 冷静に冷静にと、詩乃は自分に言い聞かせるが、そんなことは無理だと分かっている。

 見ただけで、その怪我が尋常ではないことくらい詩乃にだって分かるのだから。

 擦り傷切り傷という軽いものから、複雑骨折、そして恐らく内臓損傷。

 いくら向こうの世界で負った怪我とはいえ、このまま放置すれば命が失われてもおかしくない。


「たかちゃんごめん。

 救急車呼ぶね?」


 貴也は嫌がるだろうと、あとで怒鳴られ嫌われるかもしれないと、そう思うが仕方ないじゃないと詩乃は駆け出した。

 ご両親への説明、医者への説明は思いつかないが、とにかく貴也の命を繋ぎ止めたいとその一心で。


「いったいなにが」とパニックになる母親とともに、詩乃も救急車に同行させてもらう。

 そのころの貴也は、すでに気絶と覚醒を繰り返すほどに症状が悪化しており、救急隊員の焦る声が聞こえていた。

「大丈夫ですから落ち着いて下さい!」と言う声は、母にも詩乃にも届かない。

 詩乃は頭の中で、昨日までの貴也の姿を思い出していた。


 危険はないと言っていた。

 今は見知ったお城に挨拶に行くだけだからと。

 それに自分も強くなったし、心強い仲間も増えたんだなどと、まるで子供のようにはしゃいでもいた気がする。


「嘘つき……」


 悲しみを超えて、怒りを超えて、ふつふつと憎悪が湧き上がる。

 無論貴也へではない。無力な自分にでもない。

 本人の意思に関係なく連れ去り、貴也をこんな目に合わせている異世界そのものに対してだ。


 痛いほどに拳を握り、苦悶の表情を浮かべて体を捩る貴也を見つめ続ける。

 そうして、貴也達を乗せた救急車は朝の静寂を切り裂いて、病院へと走り去っていったのだった。



 ********************************************************



 異世界でゆっくりと目を覚ました貴也。

 普段とは違い長く眠っていた感覚があるのは、恐らく病院で全身麻酔をかけられた影響だろうと思い至る。

 また痛みに苛まされるのではと、恐る恐る確かめるように手先足先と末端から動かして、痛みがないことに安堵した。

 その気配を察知したエンカが貴也の側までやってくる。


「おはよう貴也」


 その声でエンカの無事を確認し、現状を把握するためにゆっくりと体を起こす貴也。

 見慣れない景色だが、どうやらどこかの家の中だと気付く。


「ここは?」


 貴也が尋ねると、エンカはベッド脇に置いてあった水を差し出す。


「飲む前に口を濯(ゆす)いだほうがいいわ。

 口内に血が残っているでしょうから」


 言われて血の味に気づき、言われた通りにくちゅくちゅと口を濯(ゆす)ぐ。

 それをバケツにペッと吐き出すのを見てから、エンカが現状の説明を始めた。


「ここはコポ村よ。

 民家を借りて休ませて貰っているわ」


「他のみんなは無事なのか?」


 今部屋の中には貴也とエンカしかいない。

 まずは仲間の無事を確認したいと貴也が問う。


「なんとかね。

 アラニス……いえ、もう化け物ね。

 あれの動きが大人しくなった隙をみて、ここまで逃げてきたの」


 だが目を逸らしながら『ただ……』と付け加える。


「ルーインは……」


「置いて……助けなかったのかッ!?」


 思わず声が荒くなり、エンカに掴みかかる貴也。

 記憶の最後は胎内に捕らわれるルーインの姿だったが、今貴也の怪我は回復している。

 現実世界で詩乃が救急車を呼び、その後緊急手術が行われたのは想像に難くないが、ここまで迅速な回復は魔法以外にはありえない。

 だから貴也は、ルーインを救助してその後で自分を回復したのではないかと、そのように思った――思っていた――思うようにしていた。

 それなのに……。


「助けようとはしたわ。

 サハテオも老婆も、もちろん私も。

 でも無理だった。貴也も見たでしょ、あの異形の化け物を。

 あんなもの私達の力だけではどうしようも――」


 後悔の入り混じったエンカの懺悔は、しかし貴也の慟哭によって遮られる。

 エンカの胸元を千切れんばかりに掴みかかっていた貴也は、そのままエンカを引き寄せ彼女の胸の上で叫んでいたのだ。

 涙とともにルーインの名を。


 貴也にも分かっていた。

 あの状況でルーインを助ける術などないことなど。

 だが考えたくなかった。だから誤魔化し、都合の良いように解釈し、現実から目を逸らし続けていたのだ。

 それが突きつけられた今、もはや彼に出来ることは叫ぶ以外になかった。


「どうしたッ!?」


 声を聞きつけたサハテオが、蹴破る勢いで扉を開けた。

 後ろには心配そうなノゥと、付き添う老婆の姿もある。

 それを振り返り、『今は……』とエンカが目配せをして、彼等は静かに扉を閉じた。


 呼吸が出来ぬほどエンカの胸に顔を埋め、呼吸を忘れるほどに慟哭の叫びを響き渡らせてから、スッと貴也は立ち上がった。

 思わずエンカがたじろぐほどの、それでいて酷く脆い殺気を瞳に込めて。


「――助けに行く」


「無理よ」


「ルーインが待ってる」


「聞いて」


 短いやり取りは、しかし本当に『やり取り』なのかと思うほどに虚無で、貴也は取るものも取り合わず部屋を出ようとする。

 慌ててエンカが追いすがり、それを阻止しようとするが貴也は止まらない。


「聞きなさいッ!!」


 声を荒げるが、言葉が貴也に届かないのだと思い知らされ、一瞬の逡巡を経て。


「――ッ!!」


 エンカは貴也と唇を重ねた。


「お願い貴也。落ち着いて」


 ほんの数瞬とも永遠とも思える口付けを交わし、静かにエンカが乞い願う。

 貴也は突如唇から広がった暖かさに、だが確実に届いたその気持ちに、ようやくまともにエンカの顔を見た。

 初めて唇を捧げたとは思えぬほどに、悲痛に彩られたその顔を。


 今すぐルーインを助けに行きたい、その気持ちに変わりはない。

 しかし同時に、目の前の女性にそこまでさせてしまった後悔が貴也の胸を締め付ける。

 自分は何をやっているのかと、自分自身を殴りつけたい衝動に駆られながら。


「ごめ――」


「謝らないで」


 謝罪は受け入れないエンカ。

 謝られることなどされていないのだからと、強く貴也を見返す。

 そして貴也の手を取った。


「行きましょう」


「どこへ?」


 突然歩き出すエンカに驚き、戸惑いながら横顔を覗き見るが『見ないで』と顔を背けられる。

 部屋の扉をあけ、ずんずんと進んだ先には広めの部屋が用意されており、その扉の前で一度立ち止まった。


「決まっているわ。

 あの化け物を倒し、ルーインを助け出す作戦会議よ」


 扉の向こうで、仲間達と、彼等が待っていた。



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