迷いの森への道中
目が覚めると、貴也はまず布団を確認する。
というのも、コポ村での戦いの後、現実世界での目覚めは詩乃の絶叫だったからだ。
『た、たかちゃん!血が!血が!!』
そう連呼しながら、詩乃は激しく貴也の肩を揺さぶり起こした。
一部掛け布団が捲れており、そこから血で赤黒く染まった貴也のパジャマが目に飛び込んだためだった。
『お?うわっ、鼻血か?』
と誤魔化し、腕や足を捲くって外傷がないことを見せてようやく安心させた。
もちろん貴也は、その出血の痕が戦いで受けた怪我のせいであることに気付いていたし、それはすぐに治癒されたことも知っていた。
だが付着した血痕までは消すことが出来ず、なんらかの対策が必要だとは思いつつ今日に至る。
今回は向こうで怪我を負ったわけではないが、念のためなにか影響がないかと毎朝確認することにしているのである。
とくに不審な点は見当たらず、落ち着いて詩乃が階段を駆け上がってくるのを待つ。
向こうでは貴也の目覚める時間を見計らって出発することだろう。
今夜眠れば、恐らく馬車の中で目を覚ますはずだ。
そして人語を解するインプを探し、必要であれば…いや、ほぼ確実に戦闘になるだろう。
戦いの予感を胸に、今夜寝る時は予め包帯でも巻いて寝るかと考える貴也であった。
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異世界で貴也が目覚めた時、そこは彼の予想通り馬車の中だった。
ただでさえ広いとは言えない馬車内は、貴也が横たわっている分さらに窮屈な空間になっている。
背中から伝わる振動は小さく、痛みも少ないことから、ラングドルまで乗ってきた馬車よりは上等なものであるようだが。
「おはようございます」
いつものように、ルーインが真っ先に目覚めに気付いた。
声の出所は直上。そこで初めて、貴也は膝枕されていることに気付く。
「おわっ」
慌てて起き上がり馬車の天井に頭をぶつけてしまう。
小さな馬車内にゴツンと音が響いた。
「だ、大丈夫ですか?」
すぐさまルーインは患部に手をあて、軽い治癒魔法を施す。
なにをしてるんだかと言わんばかりのエンカの視線が痛い。
「すいません、驚かせてしまって。
あまり広い馬車ではなかったので、はしたないとは思ったのですが頭を膝に乗せさせていただいてました。
お嫌…でしたよね…」
慌てて飛び起きたことを拒絶と受け取ったのだろうか。
ルーインは申し訳なさそうにうつむく。
「いやいや!そうじゃないんだ。ごめん、ちょっとビックリして。
嫌なんてことあるわけないだろ」
「それならいいのですけど…」
微笑んでは見せてくれたものの影は残る。
『貴也さんは優しいから気を遣ってそう言ってくれた』と、そのように考えているのかもしれない。
自己評価が低く、臆病な彼女であればきっとそうだろう。
言葉では伝わりきらないので、貴也はいつものように頭を撫でて気持ちを伝えることにした。
それでようやくルーインの表情から不安が消える。
それを見届けてから、貴也は現状を確認することにした。
「今は迷いの森に向ってるってことでいいんだよな?」
「ええ。
ちなみに馬車はもう一台並走していて、あちらにはコーゼオ元帥が乗っているわ。
周りには護衛の騎馬隊が30人ほど。
敵はインプだし、他に多少の戦力がいたとしても問題ないでしょうね」
エンカが的確に、聞きたかったことを説明してくれる。
その隣にノゥがいるが、窓からの景色に夢中でこちらを振り返りもしない。
「街を出発してから1時間半ほど経っているから、あと30分ほどで着く計算ね」
「貴也さんが起きられる予定時間から逆算して、少し余裕をもって出発したんです」
貴也自身も自分が寝てる間に出発してくれていることを望んでいた。
到着してからインプを捜索し、そして恐らく戦闘になる。
あまり長くこちらの世界に留まれない貴也としては、少しでもその時間を有効に活用しなければならない。
ようやくインプを見つけて倒して、いざトドメという時に肝心の貴也が眠ってしまっていては元も子もないのだから。
もっともその場合は、ドルオスが言っていたように捕らえて連れ帰るという手もあるが。
しかし、今起きたばかりの貴也とは違い、すでに1時間半もの間馬車に揺られていた三人には少し疲れが見えた。
そこで貴也は一度休憩してはどうかと提案し、コーゼオからも同意が得られたので、ほどなく休憩することとなった。
「いやぁおはようございます勇者どの!
事情は存じておりましたが、えぇえぇ、それはもうぐっすりとおやすみでしたねぇ!」
迷いの森まであと20分ほどという地点で馬を休ませる。
そうして馬車から降り、身体を伸ばしてほぐしているところにコーゼオがやって来た。
現実世界と異世界の往復は熟睡感というものを感じさせないため、寝起きの気だるさがないことが幸いした。
通常の寝起きでこのテンションを中てられてはたまったものではない。
「おはようございます、コーゼオ元帥。
お見苦しいところを見せてしまったようで申し訳ないです」
『いえいえいえ』とコーゼオは手を振る。
いちいち仕草が大仰で、見ているだけで疲れてくる気がした。
「もう間もなく迷いの森に到着するわけですがぁ、それまでの間で結構ですので是非是非に、こちらの馬車でお話などさせていただけませんかねぇ?
実はワタクシ、以前から勇者どのに大変大いに興味がございまして。
えぇえぇ、なんと言っても魂降ろし!それはつまりあなたがこの世界の人ではないということなのでしょう!?
尽きませんねぇ、興味!好奇心!探究心!!」
輝かせた瞳が貴也の眼前まで近づく。
顔を仰け反らせながら、なんとか断る口実はないかと探してみる。
「そうそう、そういえば!
実際に魂降ろしの術を行ったのは、そちらのお嬢さんとか!
実に興味深いですねぇ!ワタクシ魔法や魔術に関してはあまり見識が深くないのですが。
というのも魔法の素養がワタクシにはありませんで。
ですので、勇者どのがあまりあちらの世界について話せないということでしたら、代わりにそちらのお嬢さんとお話をさせていただきたいものですねぇ」
話の矛先がルーインに向くと、すでにルーインは涙目になっている。
(そんなに嫌か……)
女の子を守るのも勇者の務めと自分を鼓舞し、それでも嫌々な表情を隠しきれないまま貴也はコーゼオの馬車に乗り込むこととなってしまった。
馬車が再び迷いの森に向けて走り出す。
人語を話すインプは、果たして本当に加護を持ち、そして魔物を統率する能力を有しているのか?
そんな疑念と、そして戦う覚悟を胸に、万全の準備をする……筈の時間である。本来ならば。
「勇者どのがお住まいのあちらの世界というのは、どんなところなのでしょうかねぇ!?
文化は?文明は?魔法は?戦争は?法律は?広さは?えぇえぇ、聞きたいことでワタクシの胸は溢れているのですよぉ!」
矢継ぎ早の質問責めに、辟易する暇すら与えてもらえない。
どこまで答えていいのかも分からず、また何を答えても実証する手立てがないのだがどうしたものかと考える。
そんな間にも質問は積み重ねられていくし、顔も近づいてくる。
貴也は観念し、自分の知る限りで一つ一つ答えていくことにした。
といっても所詮は平凡な高校生。授業で習う程度の知識しかないわけだが。
それでもコーゼオの知的好奇心は少なからず満たされていくようで、熱心に耳を傾けている。
思えば貴也自身の出自、現実の世界にここまで興味をもった者は初めてかもしれない。
今の勇者の身体には、魂降ろしで別世界の人間の魂が入っている。
その事実を知る人間は、あまりいないとはいえ確実に存在している。
たとえばフォルスボア軍のロイツがそうであったし、ボードレイドの王やポラも当然そうだ。
目の前にいるコーゼオの父、ドルオス皇帝も知っている。
だが、その魂がどういう世界から来たどういう人間かということに興味を示したものはいない。
ただ勇者の身体を動かして、加護持ちを滅する装置程度にしか考えていないのだ。
もちろん仲間達はそうではない、そうではないと信じている。
それでも何も聞いてこないのは、ルーインであれば遠慮。
エンカはあちらの世界に興味がない。ノゥは……よく分からないが。
とにもかくにも、あちらの世界に強い興味と関心をもつこと。
それは貴也の存在に興味をもつと同義であり、語り聞かせながら、知らず貴也はつい嬉しくなってしまった。
「魔法はないです。
あちらの世界には、魔法の存在自体がありません」
その言葉にコーゼオは最も関心を示した。
いや、想定していたのだ。魔法がない世界だと。
「やはりそうですか!
実は気になっていたのですよ、昨日のあなたの態度が」
「昨日?」
「えぇえぇ。それは街に到着してすぐだったと思いますが、あなたのお仲間さん達は我が国の機械技術に大変な感銘を受けていらっしゃったでしょう?
ですがあなたは違った。
それどころか、がっかりされているようでしたよねぇ?」
たしかに貴也は『機械帝国』という名から、もっと高度なものを想像していた。
それが現実の世界の文明と比べると、300年は遅れていようかという程度のものだったのだから無理もない。
「察するに、あなたの世界ではもっともっと機械技術や文明が進んでおられるのではないでしょうか?」
「えぇ、一概には言えないところもあるかもしれませんが、その通りです」
「それはなぜか!
いや、なぜこの世界の機械技術は進歩が遅いのか!
分かりますか?簡単です。
それは機械など作るより、もっと便利で簡単なものがあるから。
そう、魔法です」
逆説的に、機械などの文明が進歩しているであろう貴也の世界には、魔法がないと考えられる。
そうコーゼオは言う。
「それでは、なぜ我がラングドルは機械技術の研究を推し進めているのか?
分かりますか?」
「――魔法を使える人がいない?」
「はぁい!大正解!!さすがは勇者どのですねぇ!!」
実に嬉しそうにはしゃいでみせる。
「魔法がある世界といえど、全員が魔法を使えるわけではありません。
特に、強力な魔法であればあるほど使える人材もまた限られてくるのですよ。
そして、そういった人材を世界中から集めている国があります。フォルスボアです」
魔導王国。
その名に恥じぬよう、あの国には優秀な魔導軍人が数多くいる。
しかしそれが、世界中から人を集めて作られているというのは初耳である。
コーゼオは打って変わって声を潜める。
それが、続くコーゼオの言葉に否が応でも真実味を持たせた。
「人と魔物の戦いは、魔王の死によって節目を迎えました。
今は残党狩りに過ぎません。
そしてそれが終わったあと、次に来るのは……人と人との争いなのですよ」




