防衛戦
「良かった!エンカさん無事だったんですね!」
村内を走り回って漸くエンカは公会堂まで辿り着いた。
出迎えたルーインは駆け寄るとすぐに治癒魔法を施す。
周りには錆びた槍や鉈、農具などで武装した男達が公会堂へ至る唯一の道を固めていた。
すでにここでも戦闘は起きていたらしく、外には魔物の死骸、中には負傷者も数多くいるようである。
このような装備で守りきれているのは偏に地の利を生かせているからに他ならない。
「いい場所ね。
やるじゃないルーイン」
「ありがとうございます。
……でも、それもいつまでもつか」
それには答えずエンカは隣を流れる川に頭から突っ込む。
汚れを落とすのと水分を補給することを同時に行うためである。
「ぷはっ」と髪を振り上げ水面から顔を引き上げると今来た道を睨む。
「厳しいわね」
視線の先、建物の角から、屋根の上から、井戸の中から、次々と視認できる魔物の数が増えていく。
「でもやるしかないでしょ」
治癒魔法と水分補給で、万全には程遠いものの戦えるだけの力は回復している。
ギュッと拳を握り、エンカは防衛線より一歩前に進み出る。
「なるべく食い止めるけど、打ち漏らしたら頼むわよ」
背後で男達がうなずく気配を感じる。
彼らもまた守るべきもののために必死なのだ。
先んじてゴブリンの1匹が棍棒を振りかざし、エンカ目掛けて襲い掛かった。
それを左腕で勢いよく払うことで体勢を崩させ、すかさず右の正拳で腹部を貫く。
「さぁかかってきなさい!クォルツの名にかけてここは通さない!」
絶望的な防衛戦の第二幕が切って落とされた。
日暮れ。
戦闘は相応の激しさでもって継続している。
あたりの地面は魔物と人と、その両方の血で塗りたくられ死骸がところ狭しと転がっている。
公会堂内にも、深手を負って運び込まれたがそのまま命を落とした者がいる。
槍は折れ、鉈は欠け、今や使えるものはなんでも使うという有様。
それでも心だけは折れずに踏ん張れているのは、最前線で武を振るうエンカ・クォルツの存在が大きい。
すでに日は沈みきったが、なおも空は明るい。
村を焼く炎が燻り続け、それが光源となっているのだ。
夜目の効かない人間側にとってはありがたいが、しかしそれも自分の村を焼く炎だと思えば複雑である。
とにもかくにも戦闘開始から6時間。
ルーインの計算では救援到着の予定時間まで、最短でもようやく折り返し地点。
このペースでいけばギリギリ間に合うのではないかと思えなくもない。
だがエンカはぬぐいきれない違和感を戦場で感じ取っていた。
「おかしいわね。
散発的すぎるわ」
当初攻め込んできた魔物の数はざっと400体以上。
これまでの戦闘で大分数を減らしたといっても、まだ半分以上は残っている。
それが一斉に公会堂を襲われていたのなら、エンカやルーインを含めてとっくに全滅していてもおかしくはない大群なのだ。
だがここ数時間は散発的な攻撃こそあるものの、押し寄せるというほどではない。
「予想以上の抵抗で攻めあぐねているのでしょうな!」
背後で防衛線を構築している一人が言った。
「そうね。
みんなよくやっているわ」
オーッと沸き立つ男達。
だがエンカは、実のところそうは思っていなかった。
今のは村人達の士気を高めるためのリップサービスのようなもの。
実際の魔物達の動向とは関係がない。
「なにか……待っているのでしょうか?」
隣に来たルーインが小声で自分の意見を述べる。
彼女の魔力はすでに尽きていて治癒魔法には頼れないが、それでも賢明に前線で治療を行っている。
しかし『待っている』とは。
確かに魔物達は遠巻きにこちらを窺いながら、適度に休む間を与えぬように攻撃をしかけてくる。
それは時間稼ぎのようにも取れなくはない。
(だが所詮魔物の考えること。考えて分かるハズもない)
思考を放棄するのは簡単だ。
だがそれが後の窮地を作り出すことがあることをエンカは学んだのだ。
だから考える。
魔物がなにを考えているのかを。
そもそもおかしいのだ。
魔物がこんな団体行動を取り、しかも統率まで取れているということが。
そんなことは稀で、よっぽどの大物、それこそ魔王や幹部級の魔物が指揮をとっている時くらいだ。
なぜなら大抵の魔物は知能的な行動をあまりとらず、本能で動くから。
逆説的に考えと、この魔物達の行動は魔王か幹部級の大物が統率している可能性が高いということ。
総毛立つ。
それは無理だ。勝ち目などない。
魔王はすでにこの世にいないが、その側近をしていたような幹部級の大物は並び立つ強さと狡猾さだという。
エンカが万全の状態であったとしても万に一つも勝ち目などないのだ。
ポツリ。
不意に額に冷たいものが降ってきた。雨である。
それはやがてどしゃ降りになり、激しい雨音が辺りを包んだ。
幸い村人のほとんどは公会堂の中で凌ぐことは出来るが、防衛線に立つ者達にとっては厳しい環境となる。
と同時に、停電したかのように辺りの光量が急速に失われていく。
村を焼いていた炎が鎮火していっているのだ。
「ぐわぁぁッ!!」
突然背後で絶叫が木霊す。
闇の訪れとともに襲撃されたのだ。
「これか!待っていたのは!」
即座に臨戦態勢を取るが__見えない。
明るさに目が慣れすぎていた。
「ハッ!」
襲い掛かってくる気配だけで応戦する。
手ごたえはあったが浅い。致命傷にはほど遠い。
そうこうしている間にも魔物の気配は増加し、前後左右、上からも攻撃される。
「きゃあッ!」
すぐ隣でルーインの叫びも聞こえたが見えない、余裕もない。
「ぐッ!」
予期せず下方から硬いものが腹部に飛んできて悶絶。
体がくの字に折れると同時に背中を大きな拳で殴られ地面に叩きつけられる。
「に……げろッ!」
振り絞ったつもりだが声になったのかも分からないし、どちらにしろ雨音で掻き消される。
立ち上がろうと膝に力を込めた。
同時、頬をなにかが掠め、暖かいものが伝う。
自分達にはなにも見えていない。
だが本来闇に住む魔物達には全て見えているのだろう。
正確に矢を射られた現実が気丈に保ってきたエンカの心までも折り砕く。
(さすがにこれでは――)
すぐ目の前で炎の球が浮き上がる。
これが最後の光景と、エンカは諦観することしか出来ない。
拳大だったそれはすぐさま巨大に膨れ上がり、そして弾けた。
__魔物達に向って。
「ふぇっふぇ。ほれもうひとつ」
続けざまに巨大な炎が弾け、その破片のひとつひとつが矢となって魔物達に突き刺さっていく。
「ちと暗いのぉ。ノゥ」
「ん」
今度は無数の光の球が空中に浮かび、静止した。
そうして光量を取り戻した世界には、男と老婆と幼女が立っていた。
「ごめん。待たせた」
脆弱な体で魔物の攻撃に晒され、意識を手放しかけていたルーインが男の背中を視認した。
それは記憶の中の小さく頼りない背中ではなく、大きく逞しく見える。
でも確かにあれは謝りたかった背中。
伸ばしても届かず、見失ってしまった背中。
だからルーインは叫ぶ。
「貴也さんッ!」
アラニスではない。
呼ばれた名前はまごうことなき自分の名。
聞いた瞬間心に宿った灯火は激しく燃え上がった。
「あとは任せろッ!」
そこでルーインの意識は途絶えた。