表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/68

勇者の在り方

「そうじゃったか。

 しかし魂降ろしの術とはのぉ……」


 この年になって人前でワンワン泣くとは思わなかった。

 だが一頻り泣くと幾ばくか心は軽くなり、そうしてぽつりぽつりと貴也は語り始めた。


 突然こちらに魂だけを召還されたこと。

 勇者の身体に定着させられたこと。

 初めは夢だと思っていたこと。

 勇者の役目を引き継ぐことになったこと。

 旅に出て早々に死に掛けたこと。

 これが夢ではないと気づいたこと。

 そして逃げ出してきたこと。


 自分の甘さ、身勝手さ、そういった醜悪な部分を話すことに抵抗はなかった。

 恥ずかしいところなら、もう存分に見られた後でもあるし。

 その間老婆は静かに、時折相槌を打ちつつ黙って聞いていた。

 先ほどまでのような軽口は叩かない。

 その隣でノゥも静かに聞いている。

 ウトウト舟をこぎ始めているようではあるが、それでも頑張って最後まで聞こうという意志が垣間見える。

 老婆にもたれ掛かりながら袖をギュと握っている様は、まるで眠りに落ちることに抗っているようだと貴也は思った。


 話が一段落すると、入れなおした暖かいお茶を渡される。

 話し疲れた喉に潤いが戻り、涙で失った水分がスーッと体中に染み渡る気がした。

 ズズッと音を立てて老婆もお茶を啜る。

 そして


「小僧はどうしたいんじゃな?」


 話始めてから、初めて口を開いた。


 自分はどうしたいのか?

 決まっている。出来るならば戻りたい。

 そしてこの世界には二度と戻らないようにしたい。

 それが出来ないならば、せめて命の危険に冒されないよう静かに暮らしたい。

 心の中のドス黒いモヤモヤは晴れたが、その考えに変わりはなかった。


「それでもええんじゃないか?

 なんならここで一緒に暮らすかぇ?ふぇっふぇ」


 貴也は驚きを隠せなかった。

 自分の考えを肯定されるなどと夢にも思わなかったから。

 だって自分が戦いから逃げてしまったら、この世界の人々はどうなるというのだろう。

 決して倒せない魔物がいる。

 それは不治の病と同じだ。

 進行速度は分からないが、病魔は確実に身体を蝕んでいきやがて死に至る。

 その未来が、この世界の行く末が、貴也が投げ出した瞬間に決定するのだ。

 それでいいのか?

 縁もゆかりもない世界とはいえ、自分の選択で助かる人間救われる人間が大勢いるかもしれないのに?

 かといって脆弱な自分には重責すぎる。とても支えきれる自信はない。


 貴也の瞳が苦悩に揺れるのを見て取り、老婆はにっこりと微笑む。


「お主は本当の意味で勇者なのかもしれんのぉ」


 言っている意味が分からなかった。

 今まさに全てを投げ出しかけている自分にふさわしい称号だとは思えない。

 だが老婆は続ける。


「お主はまだ完全に投げ出してはいないじゃろ。

 自分の弱さを知り、自分の命を尊く思い、それでもなお苦悩しておるではないか。

 それは何故じゃ?

 それこそ、その心こそが定義された勇者ではなく本当の意味での勇者。

 勇気ある者だとワシは思うがのぅ」


 老婆の手が優しくノゥの頭を撫でる。

 もう完全に瞼を閉じていたノゥは、それでもまだ眠ってはいないのかくすぐったそうにはにかむ。


「この子が生まれた村は魔物に襲われてな。

 ワシが通りかかった時には全滅しておった。瓦礫の中で泣き声をあげるこの子以外はの。

 まだほんの幼子じゃったが、恐らく母親じゃろう。この子に覆いかぶさって必死に守ったんじゃろうな」


 言葉が出ない。

 仮に今、貴也が勇者の役目を放棄すれば同じようなことが世界中で起こってしまう。

 だが老婆は首を振る。


「日常じゃよ。この世界でそんなことはのぉ。

 例え小僧が勇者の役目を負っていても、西と東を同時に助けることなんぞできはせんじゃろ?

 この世界は誰が決めたのか、そういう理不尽な摂理のもとにあるんじゃ。

 じゃからな、お主が全て背負おうなどと思うな。

 人は自分の届く範囲、伸ばしたい手だけ伸ばしておればえぇ。

 所詮人の出来ることなどそれくらいなんじゃから」


 とうとう完全に寝入ったのか。

 老婆はノゥを抱き上げるとベッドに寝かせ布団をかける。


「それにワシならとっくに逃げ出しておるわ。

 わき目もふらずにのぉ。ふぇっふぇ」


 声色が普段の調子に戻った。

 きっと伝えたいことは伝えきったのだろう。

 そして貴也も受け取るべきものは受け取った気がした。

 冷え切っていた心の芯に、今はかすかに熱を感じるから。


 すやすやと寝息をたてるノゥを見る。

 その安らいだ表情を見ていると、急激に貴也も眠気に襲われ――。


 ********************************************


 目が覚めた。

 時計を確認すると朝の7時20分。

 いつもであれば、そろそろ詩乃がけたたましく階段を駆け上がってくる頃である。


 だが来ない。

 昨日心配をかけたこと。追い返したような格好になってしまったことを謝るつもりだったのに肝心の詩乃がやってこない。

 そこで初めて貴也は気づいた。


「今日日曜日だ」


 仕方なく起き上がり詩乃に電話をする。

 幼馴染である詩乃の家までは歩いて1分とかからないのだが、この年になってくるとなかなか訪れ辛いものがある。

 本人達が意識していなくとも、まわりの目というのは意識しないことを許してはくれないらしい。

 ゆえに貴也は連絡を取り、外で会うという回りくどい方法をとることにしたのだ。


「んー?たかちゃん?おはよー」


 規則正しく寝起きしている貴也とは違い、彼女はオンオフを切り替えるタイプである。

 完全に寝起き。というよりまだ半分寝ているような声だ。


「おはよう、詩乃。

 突然で悪いんだけど今日会えないか?」


「ん?え?えぇ!?」


「いやそんなに驚くことか?」


「た、たかちゃんだよね?おはよー!」


「それはさっき聞いた」


「あ、そうだね。そう、うん。

 今日?今日これから?」


「あー、そうだな。

 まだ頭が起きてないみたいだし、10時くらいにいつもの公園でいいか?」


「10時ね!分かった!すぐ行く!」


「いや10時だって」


 妙に慌てた詩乃との電話を切る。

 一瞬そのまま昨日のことを謝ってしまおうかとも思ったが、それは止めておいた。

 それは貴也にとって、直接会って謝らなければならない大事なことだと思ったから。

 なにより、なぜだが無性に詩乃の顔を見たいと思っていたから。






「おはよー!たかちゃん!」


「それ今日3回目。

 あと、なんでそんなに早いんだよ」


 公園に着くと、すでに詩乃が待っていた。

 謝るという目的から先についておきたいと10分前には到着したのだが出鼻を挫かれてしまう。


「今日は天気がいいからね!なんとなく早く出ちゃったよ!」


 元気いっぱいに曇り空を指して言うこの娘は大丈夫なのだろうかと、割りと本気で心配し始めてしまう。


「それよりたかちゃん大丈夫?」


 大丈夫じゃないのはお前だ。

 異世界で鍛えられたツッコミスキルが発揮されそうになるが、なんとか押しとどめる。

『大丈夫?』とは当然昨日の自分の様子のことだろう。

 答える代わりに勢いよく腰を曲げて頭を下げる。


「昨日はごめん!

 心配してくれたのに無碍に追い返すような言い方をしてしまって」


「え?い、いいよたかちゃん。

 アタシは全然気にしてないし。

 それより本当に大丈夫なの?

 昨日は学校も休んだみたいだし、おばさんも心配してたよ?」


 突然の謝罪にやや困惑する詩乃は、それを誤魔化すかのように捲くし立てた。


「あぁ、大丈夫……とは言い難いけど、峠は越えた?ってところだ」


「峠って……」


「あんまり詳しくは言えないんだ。ごめん。

 思春期特有のセンチメンタルな悩みだとでも思ってくれ」


「余計気になるんですけどー?」


 詳しく話しても信じてもらうことは出来ないだろう。

 いや、詩乃ならばあるいは全面的に信じてくれるような気もする。

 だからといって話す気にはなれない。

『夢だと思ったら現実で、死に掛けてたことにゾッとしました。

 そして今後も死に掛けると思います。というか死ぬかもしれません』

 こんなことを言われたら心配するなというほうが無理なのだから。


 ぶぅぶぅとぶうたれる詩乃を半ば強引にベンチへと促す。

 自販機で二人分の飲み物を買い、それを手渡して自分も隣に腰を落ち着ける。

 そうして改めてまじまじと詩乃を見る。


 詩乃らしい透明感のあるブルーのフレアスカートに白を基調にしたタートルネック。

 傍らに置いた安物のハンドバックは一昨年自分がプレゼントしたものだ。

 いつ以来だろうか。詩乃の私服を見るのは。

 気づかなかったが随分と大人になった気がする。


「あ、あんまりジロジロ見るのはよくないと思います!」


 声を聞いて安心する。

 一瞬遠くへ行ってしまった詩乃がまた近くに感じたから。


 その後はなんとなくそのまま取り留めのない話をする。

 再来週に迫ったテストの話。

 同じクラスの誰々に彼氏が出来たなんてゴシップ。

 部活に入部した後輩が可愛いとかなんとか。

 ほぼ毎朝顔を合わせているのに話は尽きない。

 犬の散歩で通りかかった主婦らしき女性が横目でチラチラと通り過ぎるのに気恥ずかしさなんかも感じたり。


「そういえば昔犬に襲われて泣いてたなお前」


「そういえばじゃないよ!トラウマ級の恐怖だったから今でもはっきり覚えてるもん」


 まだ小学校に入学したかどうかという頃だったと思う。

 公園で遊んでいると、リードを離れた大型犬がやってきた。

 その姿に固まっていると、恐怖に耐え切れなくなったのか詩乃は走り出してしまったのだ。

 逃げるものがいると追いかけてしまうのが動物の本能というもの。

 すぐ後ろまで迫る大型犬に驚き、詩乃は転んでしまった。

 今思えば犬のほうはじゃれていただけな気もするが、小さな子供にそんなこと分かるハズもなくついに泣き出してしまう。


『しーちゃんをいじめるな!』


 不意に、鮮明に記憶が蘇った。

 そう、あの時自分は詩乃を庇うように犬の前に立ちはだかったのだ。


「あの時のたかちゃん格好良かったなー」


「そうか?足ガックガクだっだぞ」


「それでもさ。

 アタシを守る為に敵わないだろう相手に立ちはだかるたかちゃんの背中はさ、凄く格好良かったんだよ」


 在りし日を思い出し、熱に浮かされたように宙を見つめる詩乃。

(きっとあの時からアタシは__)

 秘めた思いの原点を思い出す。


「きっとああいうのなんだろうね。王子さまとか勇者さまとかってさ」


「__勇者」


 こちらでは聞くことのないと思っていた思わぬ単語に一瞬固まってしまう。

 自分の発言が告白とも受け取られかねないと思い至り、詩乃は慌てて


「あー!ごめん!なんでもないなんでもない!

 あはは。なに言ってるんだろうねアタシ。

 あ、もうお昼過ぎちゃってる!

 これからお母さんと出かけなきゃいけないから帰るねアタシ。また明日!」


 と強引に切り上げそそくさと公園から走り去る。

 だが貴也は動けないでいた。

『勇者』という言葉を脳が反芻する。


 不意に、ストンと言葉が胸の中に納まった気がした。

 守りたいと思うものを守るために立ち向かう。

 世界なんて大きすぎて分からないけれど、自分の手の届く範囲でいいから。

 あの世界で自分が守りたいものはなにかあるだろうか?

 頭の中にルーインの泣き顔が浮かんだ。

 それだけで十分なのかもしれない。

 貴也は立ち上がる。

 胸の奥には確かに火が灯っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ