意味の無い文字の羅列
己の髪をブラシで梳かしながら、彼女はため息を吐いた。
病的とも云える程に白い肌は、この大嵐の夜に明かり一つ灯さない部屋の中で、百合の花のような不気味な青白さを放っていた。
厚くもたついたカーテンの向こうでは、雷鳴轟き、一瞬だけ室内を白く照らした。
その一瞬で、彼女は鏡の中に映った、髪の長い女を見た。
それは紛れも無く彼女自身だったのだが、夜の鏡に映る自分は酷く生々しく、人間のように思われた。
身に纏う白いネグリジェは、まるでウェディングドレスのようで、彼女はそれを滅茶苦茶に引き裂いてしまいたくなった。
人生というレールは、自分の意思とは全く無関係に進み引き返す事はおろか、分岐点すらない。
ただ、この闇の中のように真っ暗で、匂いも光も音もない道を、自分は歩まされているのだ。
いつからか、彼女は自身の人生などと云う物について、そんな後ろ向き仄暗い考えをする様になっていた。
彼女の人生は、彼女の意図しない瞬間に終わり、意図しない瞬間に分岐する。
本来脳みそにある筈の、自分のコントローラーは、他者の手の中にある。
それがどんな事なのか、彼女は今頃になって分かった。
それは最近、無い心が揺れ動く瞬間があった為でもあれば、最近よりも前に無い運命の歯車が回り始めた所為でもあった。
窓の向こうではきっと、新たな厚い雲が稲妻を引き連れて来ているのだろう。
雨音は徐々に、機械じかけの脳みそを揺さぶる。
彼女は知らない。
この感情の意味を。
自分の感情を。
ふと、天鵞絨のカーテンに手を伸ばした。
窓の外が恋しいと思えたのかもしれない。
しかし、彼女は自分でそれを開ける事が出来ないのだ。
夜間は決して外出しない事。
夜間は窓もカーテンも閉め切り、決して開けない事。
他にも細やかな活動制限が加えられ、彼女は昼間は学校で人間のフリをする。
それら全ての活動制限は、彼女が人間らしくある為のものだ。
人間に出来ない事をやる為に造られた筈なのに、と、彼女は眉間に皺を寄せて怒る真似をしてみた。
そういえば、彼女は今日、それの中の幾つかを破った。
一般人以外の人間と関わった。
その人間と空を飛んだ。
その人間と踏み入れてはいけない世界に行った。
そして……
自身の死を夢んだ。
スクラップ刑ものの、規律違反。
だが、彼女にとって絶対的だった一万カ条以上に及ぶそれらの規律は、一つ破った瞬間に無意味な文字の羅列と化した。
そして、彼女は一つの可能性に気が付いた。
それは彼女という存在を最強の兵器にする事も、人間により近い存在になる事をも可能にし得る、とんでもない発見だ。
だから、彼女はif と思うだけで、口には決して出さない。
規律は文字の羅列に過ぎないが、また増えたら読むのが面倒だ。
そんな風に思うと、彼女の口元には僅かに笑みが零れた。