77.普通の魔獣
各自、簡易結界の中で別の方角を見て、思い思いの姿勢で警戒する。
ガサリ。
一斉に、音の方を見る。木立の間を埋める闇で、双眸が輝いている。
「兎です」
ムグラーの声で、ナイヴィスの膝から力が抜けた。その膝を抱えて座り、顎を乗せて自分の持ち場の方向を見詰める。
何事もないまま、時が過ぎる。
遠くで梟が鳴く声を聞きながら、交代で夕食を摂った。
いつ、魔獣が襲ってくるのか。ナイヴィスは気が気でなく、携行食の味もよくわからない。水で流して、無理矢理、飲み下した。
〈そんな怖がらなくても、大丈夫よ〉
……そうでしょうか?
〈三界の魔物より、ずっと楽よ〉
……どうしてです?
〈三界の魔物は、私たちでないとトドメを刺せないけど、普通の魔物や魔獣なら、他の人でも倒せるもの〉
ナイヴィス一人に重責が掛かるのとは、訳が違う。他の四人は、普通の魔獣が相手なら、実戦の経験を積んでいる。
〈あなただって、ついこの間、農具小屋の魔獣と戦ったばかりでしょ〉
あの時の情けない自分を思い出し、ナイヴィスは小さく溜め息をついた。
……せめて、足を引っ張らないように、自力で結界に逃げるくらいはしよう。
気合いを入れ直し、闇に目を凝らす。
「来ました」
月が高く昇る頃、ムグラーが警戒の声を発した。
「何体だ?」
「二体です」
隊長の問いに剣で方向を示し、短く答える。
「一度に二体も……」
「手間が省けていいじゃない」
〈早く帰れるんだから、頑張りなさい〉
震え上がるナイヴィスに、ワレンティナと魔剣ポリリーザ・リンデニーが同時に言った。
柄に手を触れると、平素よりはっきりと、手を繋ぐ感触があった。いや、手を掴まれたと言うべきか。
間もなく始まる戦闘に、魔剣の戦意が高揚している。反対にナイヴィスの心は、恐怖に萎縮していた。
「ナイヴィス、ムグラー、【白銀の網】で右の奴を抑えろ」
「はいッ!」
ムグラーが素早く歩み寄る。ナイヴィスは震える膝に力を入れ、何とか立ち上がった。
「ナイヴィスさんは、結界の中でじっとしてて下さい。【網】は俺が広げます」
「だっ、大丈夫かい?」
「任せて下さい」
余裕のある笑顔に、ナイヴィスは頷き返し、年下の先輩と声を合わせて、呪文を唱えた。
「白銀の蜘蛛の糸編み網と成し 妖かしを絡める綾に現世の物は掛からじ 魔を捕る網よ」
震えてはいるが、とちることなく、詠唱できた。
ムグラーが、合わせていた掌を離すと【白銀の網】が発動する。すり足でじわじわ、ナイヴィスから距離をとる。
「天地の間隔てる風含む 仮初めの不可視の壁よ、触れるまで 滾つ真水に姿似て ここに建つ壁」
隊長が【真水の壁】を建て、左の守りを固めた。トルストローグとワレンティナは、抜き身の剣を構え、左右に展開する。
ナイヴィスの目にはまだ、魔獣の姿は見えない。
幽かに、葉擦れの音が聞こえた。




