Scene 熱が這い寄る
東京都庁。地下防災センター。
千葉沖での核爆発を受けて、都民の屋内退避と支援が急務となった。都知事を筆頭に多数の職員が、対策本部を立ち上げるために招集されていた。
元より東京都庁という建物は、激甚な災害で先頭に立つために建造された。
電磁パルスを遮断する分厚い防壁を備え、高度な空気システムは放射性物質すら除去する。自家発電と数週間分の備蓄まで備えた、文字通りの地下要塞である。
人っ子一人いない地上とは裏腹に、防災センターは殺気立つほどの熱気に包まれていた。固定電話の甲高い電子音が、四方八方からひっきりなしに鳴り響く。数百人もの職員がキーボードを叩き、怒号じみた指示や悲痛な報告が重なり合う。
だが強力な防護壁で固めようと、内側で働く人間は何も変わらない。冷めきった紙コップのコーヒーと、汗の酸っぱい匂いが混ざり合っていた。
次なる核爆発が目前に迫り、タイムリミットは刻一刻と削られていく。誰も決定的な打開策を見いだせないまま、無意味な熱量だけが空回りしていた。
陣頭指揮を執る都知事を筆頭に、昨日の核テロから誰一人として眠っていない。エナジードリンクの空き缶と、あふれ返った紙コップが過酷さを物語る。不眠不休で働いている代償として、彼らの精神はすでに限界点を突破していた。
「おい、誰でもいいから灰皿持ってこい!」
防災部長の男性が、苛立った様子で怒鳴り散らす。
「部長、ここは禁煙です!」
「うるせえ! いいから持ってこい!」
部下の女性が悲鳴のような声で咎めるが、部長は充血した目で睨み返した。気密された閉鎖空間で火を使うなど、防災管理の観点から論外である。だがそんな初歩すら忘れるほど、恐怖とストレスによって秩序が崩壊しかけていた。平時であれば誰かが仲裁に入りそうだが、もはや気にかける余裕を持つ者などひとりもいない。
正面の壁に設置された巨大なメインモニターには、死んだように動かない幹線道路が映し出されていた。観測班の職員が駆け回って、都内の放射線量を報告する。SNSの狂乱はリアルタイムで更新されて、ほとんど読めないペースで流れていた。
『死にたくない』
『助けて』
『政府は嘘つき』
一瞬で押し流される文字だが、その向こう側には血の通った人間がいる。自分たちがこの職務を投げ出せば、救いを待っている同胞が死んでしまう。命を預かる重苦しい使命感だけが、糸が切れそうな職員たちを支えていた。
だがもちろん彼らの胸中にあるのは、高潔な職業倫理ばかりではない。自宅に残してきた家族の安否や、目前に迫った核爆発の恐怖におびえていた。まぶたの裏にちらつく熱核の閃光が、いつ自分たちに襲い掛かるかもわからない。
激甚な死の重力を振り払うために、誰もが一心不乱に仕事に打ち込んでいる。手足を止めて思考の隙間を作ったら、その瞬間に理性など砕け散ってしまうからだ。
「ひぃっ、あ、あぁっ!」
張り詰めた空気を切り裂くように、突如として甲高い悲鳴が上がった。センターに満ちていた喧騒が、潮が引くように静まり返る。
監視モニターを担当していた男性職員が、椅子ごと後方へひっくり返っていた。男性は腰が抜けたように無様に這いずり回り、青ざめた顔で卓上のモニターを指差している。恐怖のあまり喉が痙攣し、まともな単語すら発声できていない。
「あ、あっ! い、いる、やつが……っ!」
「どうした、何事だ! 持ち場を離れるな!」
怒声を上げて駆け寄った防災部長に対して、へたり込んだ職員は喉笛を絞り出すように絶叫した。
「い、一階! 正面玄関ロビー、エントランスの監視カメラっ!」
命を削るような訴えを聞いて、数百人の視線がサブモニターへと向く。オペレーターの誰かが操作したのか、該当の映像がメインモニターに大写しになる。
第一本庁舎の一階ロビーは、人通りが途絶えて静まり返っていた。肩で風を切るように颯爽と、誰かがオブジェの横を歩いている。オウムのような原色のスーツを身にまとい、顔面を白く塗りたくった長身の男である。
「かっ、壊人鳥……!?」
「なんで奴がここにいるんだ!?」
壊人鳥は位置を把握しているらしく、監視カメラの真下で足を止める。まるで舞台袖から現れた役者のように、大仰に胸に手を当てて優雅に一礼する。耳まで引き裂いたような赤い唇が、視聴者を嘲弄するように歪んでいた。
太平洋を沸騰させた核のスイッチを握り、日本中を恐怖とパニックに叩き込んだ男である。警備網すらすり抜けて、都庁の喉元へ単身で歩調を刻んでいる。
テロリスト本人が白昼堂々と、防災本部である都庁に乗り込んで来た。それほどの狂気のシナリオなど、防災マニュアルには一行たりとも書かれていない。
知事が真っ青な顔色で、椅子を蹴立てるように立ち上がった。ずり落ちたメガネのフレームも直さずに、モニターを指差しながら絶叫する。
「絶対に入れさせるな! エレベーターを全基停止させろ! エントランスの防災隔壁と、防犯シャッターを即座に下ろせ! 警備班、急行して捕縛しろ!」
防災システムの管理者が、即座に操作用タブレットをつかみ取った。小太りの背中を汗でびっしょりにして、震える指先をごまかすようにガラスの画面を叩く。
まず呼び出したのは、非常用インターロックの設定画面だ。全系統に渡るエレベーターの緊急停止スイッチと、すべての防護シャッターを降ろそうとした。
画面は確かに『実行中』の表示に切り替わるが、いくら待ってもセンサーからの完了通知が返ってこない。戸惑いながらも同じコマンドを連打し、三回目でも何も変わらない。明らかに不可解な挙動に、全身を暴力的なまでの寒気が駆け抜けた。
「ま、ま、ま、ま……」
「ま?」
「ま、まずいかも、しれません……」
すぐさまタブレットを放り出して、ラックマウント型のデバック用コンソールに飛びついた。無機質な英文字だけが表示された、黒いターミナル画面を呼び出す。
すさまじい勢いでキーストロークを叩きこむと、吐き出された診断ログが現実を突きつけた。システムツリーの全アイコンが灰色に染まり、あらゆる入力を拒絶するハングアップの状態に陥っていた。
「だ、ダメです! 操作を受け付けません!」
「何だと! ちゃんと説明しろ!」
「システムが応答しません! 外部からルート権限を完全に奪われています! 制御不能です! シャッターが下りない! エレベーターも止まりません!」
「そんな馬鹿なことがあるか!」
「僕だってわかりませんよ! ここのシステム、エアギャップですよ!?」
役人の矜持を粉々に粉砕するような、悲鳴と怒号が飛び交っていた。正面の巨大スクリーンには、エレベーターホールに到達した壊人鳥が大写しになっている。
鼻歌交じりに呼び出しスイッチを押すと、機械は逆らうこともなく恭順のチャイムを鳴らした。厳重な認証を要求するはずの専用シャフトが、最上級の賓客を迎え入れるように解放される。
壊人鳥は天井の監視カメラを見上げると、青ざめている役人たちへ投げキッスを飛ばす。陽気なステップを踏みながら、悠然と銀色の箱へと乗り込んでいった。
「何とかしろ!」
「だ、だれか! 誰かっ!」
もはや命令の体を成しておらず、現場には悲鳴しかない。壊人鳥が観光に来ているはずもなく、どう考えてもこの地下センターに直行してくる。
システム管理者は舐めるように顔を近づけ、コンソールのモニターにかじりついていた。手元すら見ずに猛烈な勢いでキーボードを叩き、奪われたシステム権限を取り戻そうと悪戦苦闘を続けている。
強制終了を命じるターミナルや、プロセスの監視ウィンドウを立ち上げる。しかし開いたそばから、無機質なエラーダイアログに握り潰される。
特権コマンドが全滅していると見るや、即座に解析用デバッガを起動する。最深部のメモリ空間へ、直接バイナリパッチを当てて権限の奪還さえ試みた。
だがすべて弾かれる。
この頃にはもう泣きそうな顔で、キーを叩く指先まで血の気が引いていた。
「だ、だめだ……。どうにもならない……」
「どういう意味だ!」
「管理者権限が完全に奪われてます! ネットのどこかに繋がってます!」
「素人にもわかりやすく説明しろ! 俺はコンピューターはわからんのだ!」
「え、えっと……!」
背後から詰め寄った防災部長が、力任せに管理者の肩を揺さぶる。管理者は一瞬だけ口ごもると、喉を引き裂くような声で叫び返した。
「都庁は何者かに乗っ取られました! この部屋にあるコンピューターは、ただ画面が光るだけの粗大ゴミです!」
「壊人鳥の仕業か!?」
「わかりません! 侵入のパケットすら見えないんですよ!? ……いや待て、外部からのアタックじゃない? システムバスの直下から割り込まれてる!?」
「何とかならんのか!?」
「直接サーバー室に行けば、解決できるか……」
最後まで言わせてもらえず怒鳴られた。
「馬鹿野郎! 壊人鳥の前を通らなきゃ行けねえだろ!」
「ひぃ!」
管理者の男性が試みたのは、一握りの人材しか扱えない超絶技巧である。だが凄さを理解できる人物がいないため、失敗の結果だけで無能に分類されてしまう。
もしこの場から生きて帰れたら、即日で辞表を出そうと固く決意した。
人間たちの喚き声など意に介する様子もなく、エレベーターのフロア表示が無機質に数字を切り替えていく。
一階から音もなく『B1』へ変わり、処刑台へのカウントダウンを刻む。外界の脅威から守ってくれるはずのシェルターは、いまや獲物を消化するだけの胃袋に変わり果てていた。逃げ場のない密閉空間で全員が固唾をのみ、死の道化が降りてくる様を見つめることしかできない。
「おい、警備班! 地下のエレベーターホールで待ち伏せしろ! 扉が開いた瞬間に全員で取り押さえろ、何としても拘束するんだ!」
我に返った都知事がマイクをひったくり、唾を飛ばしながら指示を出す。緊張感から力加減すらできずに、マイクを握った指先は鬱血して白くなっていた。
だが頭上のスピーカーから応答はなく、耳障りなホワイトノイズが砂嵐のようにザラついて返るばかりだ。
「おい、どうした!? 警備室、聞こえないのか!?」
血相を変えて警備本部へ回線を切り替えたが、そちらからも同じ不気味なノイズしか戻ってこない。都庁の出入り口に展開していた警備員どころか、防犯カメラを統括している本部まで沈黙していた。
無線回線は常時接続されていたため、異常があれば怒号のひとつくらいは聞こえるはずだ。だが最初から誰も存在しなかったかのように、庁舎を守る警備員が残らず蒸発していた。見えないカミソリで首筋をなでられたように、猛烈な死の気配が間近に迫っていた。
「く、来るぞっ! 何か武器はないのか! 迎撃しろ!」
「迎撃って……何を言ってるんですか!」
叫び返した女性職員の声は、恐怖のあまり上擦っていた。
爆風くらいなら耐えられる地下シェルターといえど、ここは災害対策と行政連絡を行うための施設である。小銃を持った兵士がいるわけでもなく、詰めている役人たちは無力な非戦闘員だ。
まともに使える武器など、壁にかかった防犯用のサスマタしかない。軽合金の頼りない棒を構えたところで、核兵器を使う化け物に何ができるというのだ。
まともに抵抗する手段など、都庁に侵入された時点で皆無なのだ。誰もが呼吸すら忘れ、ホールへと通じる防護扉を凝視している。血を吹きそうなほど張りつめた空気を、澄んだ電子チャイムが無残に切り裂いた。
エレベーターが到着した合図は、高級ホテルのラウンジのように軽やかだ。だが耳に心地よいはずの音色は、首元にギロチンが落ちてくる合図そのものである。




