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グリムリーパー・パレード  作者: 水銀
Phase.02 プレイ・デッド・ウェイク

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10/10

Scene 聖なる布と凍れる魔術師

 鷲明館中等部の駐車場へ、一台のハーレーダビッドソンが減速しながら滑り込んできた。運転席にまたがる中年の男は、年季の入ったライダースジャケットを着込んでいる。深い色みのサングラスをかけた風貌は、数学教師ではなくアウトローだ。

「……くそダリぃ」

 天気予報によると今日は晴れだが、学年主任を務める彼の心は曇っていた。突如として決定した日程により、貴重な日曜日を返上しての早朝出勤である。ロレックスの文字盤を確認すれば、短針はまだ朝の八時を示していた。外出の先約を反故にされた妻が、家を出るときに向けた冷淡な視線が厳しい。

 校長の下した命令によれば、校内の設備点検が急遽実施される運びになった。立会人が必要であるとの理由から、学年責任者である彼に白羽の矢が立った。


 ベルトの環に装着された大量のキーホルダーが、歩くたびに静まり返った校庭に音を鳴らしている。

「あん? 誰だあれ?」

 鍵束を手に校舎に足を進めると、正面玄関に作業服を着たひとりの男がいた。登校してきた教師の存在を認めると、人好きのする笑顔で駆け寄ってくる。

「おはようございます! 本日はよろしくお願いします!」

 迷いのない挨拶と共に、男は深い角度で一礼した。

「鷲明館の方ですか?」

「あ、ああ……」

 教師は勢いに気圧されながらも、短く言葉を返す。

「本日の現場監督を務めさせていただきます」

 四十歳ほどに見受けられる監督は、洗練された動作で名刺を差し出した。


『Black Iron Facilities』

「ブラックアイアン・ファシリティーズです。今回から点検業者が変わりまして、弊社で担当させていただきます」


 驚くことに教師が登校するよりも早くに、現地入りして待機していたのだ。

 ブラックアイアンの社名は、門外漢の教師でも知っていた。アジアの重工業メーカーであり、直近ではエイハブの開発で世間を震撼させている。

「確かおたく、結構な大企業でしたよね?」

「本社は大きいですがね。現場はただの雑用係ですよ」

「そういうものですかね」

「こちら本日の作業内容と、入校許可証になります」

 提示されたバインダーには、書類が折り目正しく挟まれていた。

 大まかに中身を確かめたが、契約書から仕様書、作業員の名簿に至るまで、不備と呼べる箇所はない。印鑑も正しい位置に押され、学校長の署名も入っている。

「……確かに」

 爽やかな笑顔を浮かべる監督に、教師は毒気を抜かれたように頷く。提出された書類が正当であるのなら、この場で作業を拒否する理由は何もない。

 監督がスマホで指示を出すと、すぐに車道から大型トラックが現れた。前回までの業者が使っていた、軽ワゴン車とは比較にならない威圧感である。しかもその後方からは黒塗りのセダンが何台も、縦列を組んで駐車場へと進入してきた。

「ずいぶん大掛かりなんですね」

「ええ、セキュリティシステムの、全面刷新を含みますので。本格的な工事は後日ですが、今日の基礎も夕方までには仕上げますよ」


 監督が号令を下すと、屈強な男たちがトラックの荷台を開ける。

「よし、搬入開始!」

 教師は何気なく光景を眺めていたが、トラックから降ろされた台車に目を疑う。大型の専用台車に積んであったのは、設備点検から連想する無機質な機材ではない。

 白熊のぬいぐるみである。

 つぶらな瞳で愛くるしく、鷲明館のブレザーに似た制服を着ていた。玩具店の在庫移動を彷彿とさせる光景の中、山盛りの白熊が校舎内へと牽引されていく。

「……あの、あれは何ですか?」

 教師が思わず指を指すと、監督官は淀みなく回答した。

「ああ、あれですか? 新型の監視用センサーのカバーですよ。威圧感を与えないように、生徒さんに配慮したデザインになっております」

「はあ……なるほど?」

 検分用として一個を手渡されたら、見た目に反してずっしりと重い。一キロ強くらいの重量はあるようで、柔らかい綿の奥に硬質な密度感があった。

 現代のセキュリティ技術は、ずいぶんとポップな進化を遂げたらしい。教師はわずかな違和感を覚えたものの、大手なら間違いはないだろうと思考を放棄した。

 こうして。

 あくびを嚙み殺す教師の眼前で、三百体もの兵器が学校に搬入される。


     §


 東京の深夜二時――。

 幾多の電子が律動する巨大都市も、この時刻ばかりは眠りについていた。無機質な月光が路上を照らす中、漆黒の車体が滑るように現れる。

 1964年型リンカーン・コンチネンタル。

 信号機の灯る街角を曲がると、レンガ壁のトンネルで停車した。重厚な観音開きのドアが、夜の帳を引き裂くように開かれる。

 冷たい焼きへと踏み出したのは、無数のベルトが付いた黒革のブーツだ。闇そのものを練り上げたようなロングコートが、重力に従って優雅に流れ落ちる。


 年頃は二十代の中盤、非常に美しい日本人の青年だ。

 前髪はアシンメトリーに片目を隠して、吸血鬼のような白い肌に流れている。太陽光など一切ない深夜だというのに、漆黒のサングラスで視線を遮断していた。


 陽織の意思を尊重して、これよりこの男を『魔術師』と呼称する。


 靴音を響かせてトンネルを抜けると、道なりに見えてきた建物を見上げた。

 鷲明館大学附属中学校。

 魔術師がこの世界に介入する目的は、凡人には決して理解できないだろう。救世主になるのも一興ではあるが、目下のところ遥かに優先するべきことがある。コンクリートの要塞を突破して、最奥に鎮座する不可侵の聖域を目指す。

 すなわち女子更衣室。

 魔術師が目指しているのは、自由をつかみ取ることではない。囚われた仲間を開放することでも、驚異的な敵から拠点を守ることでもない。

 ただ思春期の繊細な体を包み込む、色とりどりの聖なる布地が欲しかった。

 つまりは少女のパンツ。

 洗練を極めた優男ではあるが、魔術師に救世主の魂など存在しない。ただ救いようのない歪んだ性癖で、学校への不法侵入を繰り返している男だった。


 魔術師が闇夜を歩く際に、手足から乳白色の霧がたなびいていた。コートを循環する液体窒素が、大気中の水分を冷やしているのだ。急速に冷却された水分が霧に変わって、手足にまとわりつくように流れている。

 このコートは防寒具ではなく、魔術師が自作した氷結外套(フローズンコート)という特殊装備だ。


 歩道を歩いている魔術師が、走り出すように前重心になった。サングラスに内蔵したパルスシンカーが、思考を読み取って脚部に命令を下す。人工筋肉が一瞬で収縮すると、動作を補助して爪先を蹴り出した。

 万有引力をあざ笑うような、浮遊と呼んでいいほどの跳躍だった。傍らにそびえる学校の外壁を、体操の鞍馬をこなすように悠々と飛び越す。手を付いて逆立ちの姿勢を見せると、一切の余韻を残さず校内へと滑り落ちた。

 衝撃は人工筋肉が吸収するため、三メートル近い落下なのに振動すらない。両足を優雅に開脚させて着地を決めると、魔術師は鷲明館の敷地へと侵入を果たした。


「なんだ? ……匂いが違う」

 中等部の敷地を一瞥しただけで、魔術師は違和感に気づいた。昇降口の常夜灯だけが点灯して、奥にある校庭は闇夜に沈んでいる。

 一見すると前回と変わらないが、魔術師の鋭敏な嗅覚が異変をかぎ取る。

 以前にこの学校に侵入したときは、まるで処女地のように無防備だった。ゆえに味を占めて再訪したのだが、今は剃刀で肌を裂くような緊張感が満ちている。

「サーチ」

 短い命令に反応して、サングラスの現実拡張(AR)システムが起動した。

 いま魔術師が見ている視界が、ネットワークからサーバーへと転送される。自作した解析プログラムを通して、前回の記録映像と比較しているのだ。コンマ数秒でフィードバックされ、魔術師の視界に変化が表示された。

 校舎には無数の監視カメラが、まるで毒蜘蛛の巣のように増設されていた。死角という死角を抹消するように、赤外線センサーが冷酷な光を放っている。

「……面白い。俺への挑戦か」

 どうやら学校側も愚かではなかったらしい。

 以前に略奪されたことを教訓として、警備体制を強化したようだ。しかし魔術師が誇る氷の魔術の前には、並大抵の警備など無意味なことをお見せしよう。

 暗がりの中でニヒルな笑みを深めた。


 ……なぜこれだけの技術を持ちながら、この男は下着泥棒などやっているか。その知性をもう少しましなことに使えと、誰でも言いたくなる醜態である。


 鷲明館の敷地は広大であり、全域を網羅する監視網は現実的ではない。必ず重点的に監視している区画と、警戒が希薄な場所が分かれている。

 ARサングラスによって拡張された視界には、監視カメラが放つ能動型赤外線センサーが見えていた。昇降口はまさに蟻の這い出る隙間もないが、校舎の裏手に行くにつれて目に見えて薄くなる。


 校舎の裏手から回り込んだとき、魔術師は唐突に歩みを止めた。前方に現れた中庭が様変わりしていて、先週にはなかった広場が新造されていた。一面に白い砂利が敷き詰められて、ベンチなどもある小さな公園のようだ。

 どこにでもある憩いの場だが、魔術師の嗅覚が全力で警告する。監視カメラの死角を塞ぐように、不自然な配置で新造されているのだ。

 何らかの罠があるのは明白である。

 魔術師は地面に両膝を付くと、広場には入らずに砂利を除去していく。ほどなく砂利の底から現れたのは、絨毯のようになったメッシュのシートである。

「圧力センサーシートか。笑止だな」

 魔術師は傲岸に笑う。

 圧力センサーシートとは、上に載ったものを検知する防犯装置である。歩行パターンと重量分布を、リアルタイムで識別する仕組みだ。野良猫などの小動物には反応せずに、人間の二足歩行だけを正確に抽出する。

 いくらコートの人工筋肉が強力でも、広場を跳び越すのは不可能だ。外から迂回すれば回り込めるが、監視カメラの重点区画を通らなければならない。

 これが凡庸な侵入者であれば、遠すぎる校舎を前に諦めることだろう。あるいは不器用な忍び足で広場を通り、歩調を検知されて無残に拘束される。

 しかし仕組みを熟知する魔術師にとっては、圧力センサーシートなど障害物にはならない。攻略法は中学校の理科の授業で、誰でも習っているはずなのだ。

 すなわち、圧力とは面積に作用する力である。

 センサーが感知するのは点に集中する加重であり、ならば接触面積を広げれば良いだけだ。圧力を分散させれば、システムはそれを人間だと認識できない。

 魔術師は一切の躊躇もなく、冷たい地面の上に仰向けに横たわる。両腕を胸の前で交差させた姿は、棺に横たわる吸血鬼のようだ。あるいは黄金の仮面を戴く、エジプトのファラオのようでもある。

 魔術師は地面を転がる丸太のように、おもむろに回転を開始した。漆黒の外套が砂利を巻き込み、整えた黒髪が土埃にまみれる。

 一定の速度とリズムを維持して、止まることなく広場を横切っていた。薄雲のかかる満月のみが、中学で転がる美青年を見下ろしている。全身を砂で汚しながら進む姿は、まさにシュルレアリスムの極致だ。泣きたくなるほどに滑稽な絵面だが、当の本人はいたって大真面目である。

 砂汚れにかすんだサングラスの奥で、魔術師の瞳は使命感に燃えていた。なぜなら校舎の奥深くには、聖なる布地――女子生徒のパンツが待っているのだから。


 広場を突破した魔術師は、何事もなかったように立ち上がる。漆黒の外套を夜風にたなびかせる姿は、直前までの奇態など微塵も感じさせない。校舎への接近を阻むものはなく、悠然と一階の窓ガラスに顔を寄せた。

「やはりあるか」

 強化された警備状況からして、窓にも仕掛けがあると確信していた。

 透明な窓ガラスの右上に、一センチほどのシールが貼付されている。圧電素子センサーといって、窓の異常振動を検知するものだ。外から配線は見えないが、壁の向こう側では検知器に繋がっている。

 加えて窓ガラスの内側に、高強度ポリカーボネートフィルムが貼られている。粉砕を防止するほど強力ではないが、金属バットで強打しても一発では壊れない。粘りつくフィルムが吸着して、完全に壊そうとしたら数分はかかる代物だ。

 つまり窓ガラスを割るまでの時間を引き延ばして、警備員が急行するための時間稼ぎをする仕組みである。

「児戯だな」

 だが魔術師は唇の両端を吊り上げ、凍てつくような嘲笑を浮かべた。

「振動とは分子の運動である。ならば運動を停止させるだけだ」

 魔術師が着こむフローズンコートの内部には、極低温の冷媒が高圧力で充填されている。芯地には数万条に及ぶ極細管が網目状に編み込まれて、マイクロプロセッサーが流体圧を制御していた。

 黒革のグローブに包まれた右手を、慈しむような所作でガラスに触れる。恋人を撫でるような繊細な接触に、振動センサーが反応することはなかった。

「青ざめた肌のように」

 グローブに仕込まれた極小ノズルから、700倍もの膨張を果たした液体窒素ガスが噴出した。ガラスの表面が一瞬で凍結して、幾何学的な氷の紋様が刻まれる。自己相似的なフラクタルが浸食を広げ、温度をマイナス196度に急低下させた。

 極低温へと引きずり込まれたフィルムは、分子的な粘り強さを消失する。弾性を失ったポリカーボネートなど、乾き切った落ち葉のようなものだ。同時に圧電素子センサーにしても、この温度では電子回路が沈黙する。

 手のひらから放たれる死の冷気が、物質を凍結させて性質を変えていた。冷却という科学プロセスを自在に操り、こうして具体的な現象にまで落とし込む。

 まさに『氷の魔術師』だ。


「我が歩み、阻むことあたわず」

 魔術師の自信を裏付けるように、容易く外周警備は無力化された。校舎の壁面までも白銀に染め上げ、彼のいる一角だけが吹雪に襲われたようだ。

 手のひらの吸着パットをガラスに押し付けると、もう片方の指先を鞭のように振るう。爪のような単分子カッターが、凍てついたガラスの表面を削った。猫の爪でひっかいたように、鍵の近辺だけを円形にくりぬく。

 吸着パットで破片を補足すると、切り出されたガラス片を地面に置いた。解錠して堂々と窓ガラスを開けると、魔術師は鮮やかな手口で校舎への侵入を果たす。

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