Scene 焼ける密林
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「……この回線クソだろ、ラグが酷すぎる」
視界の端に表示された待ち時間を見て、私はため息をついた。ラオスの山奥くんだりまで来たというのに、やっていることはFPSなのが終わっている。
時刻は現地時間で深夜二時。
四月のラオスは一年でもっとも暑い時期で、夜間でも汗ばむほどだ。高温多湿のジャングルは、夜になっても不快な湿気を孕んでいる。無数の虫たちが暗がりでうごめき、蒸れた腐葉土の臭いがまとわりつく。
生身ならば不愉快極まりないだろうが、これらは全てセンサーが拾った外部情報である。現実の私は羊水のような緩衝液の中でまどろみ、意識だけが機械が作った仮想現実の中で遊んでいる。
暗い時間帯に色など見えるはずがないのに、ご丁寧にも周囲の景色は着色されていた。脳内で再構築された電気信号に過ぎないとはいえ、最近のAIは無駄に気が利いている。
意識の中に再構築された三次元マトリクスの中には、湿った闇に沈む高床式住宅が映っていた。反政府ゲリラの隠れ家だそうで、門前には二人の歩哨が所在なげに立っている。自動小銃こそ抱えているが、整備も怪しいのか赤錆が浮いていた。
薄汚れたシャツを着こんだ一人の男は、顎を外さんばかりに大きくあくびをしている。平時なのに指がトリガーにかかっているあたり、兵士としての能力は推して知るべし。ただ言われて武器を持っただけの、まともな訓練もしていない素人だ。
『作戦開始』
視界の端に赤色の文字列が浮かび上がり、作戦が実行段階へと移行したことを無機質に宣告した。オムニシステムが脳波を拾い、連動した外部カメラの焦点が滑らかに絞り込まれていく。
門衛に立っていた男の首が、まったく同時に異様な角度へと捻じ曲がった。悲鳴を上げる暇どころか、自分の死因すら理解できなかっただろう。
崩れ落ちる肉体を、隣にいた『不可視の何か』が受け止める。手近な草むらに音もなく横たえると、わずか五秒で殺戮と隠蔽は完了した。
静かだ。
歩哨がいた場所に目を凝らすと、空間が陽炎のように微かに揺らいでいる。視界の通る昼間ならまだしも、暗闇でこの違和感に気づける人間などいない。
誰もいないはずの空間で、ドアノブが勝手に回って扉が開く。しばし開いたままの状態で時間が経過すると、また音もなくそっと扉が閉じた。安っぽく明滅する裸電球の光だけが、深夜の密林に残されている。
建物に入った透明な何かは、私が『アイスマン』と名付けた自立兵器だ。
私には特にやることもなく、画面を最小化していたゲームを再表示した。
「なんで当たんだよー。私の画面では避けてたでしょー」
エイハブの搭乗中にコントローラーが使えるはずもなく、ゲームの操作は『オムニ』と呼ばれる脳波入力デバイスを使っている。機体の制御なら即時に反応する応答性を誇るが、衛星ネットワークを経由した通信では勝手が異なるらしい。
「ピン400とか舐めてんの? これだから衛星回線は嫌いなんだよ。ランクマで負けたらどうしてくれんだよ」
ゲームで操作しているキャラクターは、あらゆる反応が著しく遅延していた。的確に回避行動を入力しても、画面の中では無防備に被弾判定を受けてしまう。
「ダメじゃん。ゲームにならない」
これ以上のプレイは成績を下げるだけだと見切りをつけて、私はFPSの画面を完全にシャットダウンした。
エイハブの基幹OSを構築した際に、余興として民間のコンソールゲームを組み込んだ。作戦待機中の暇つぶしには最適だと思っていたが、未開の密林からネットワークゲームは技術的に無謀だった。
意欲を削がれて空でも眺めていたら、唐突に暗号化された通信が入った。
『ボス。作戦中ですが、よろしいでしょうか』
「パパ? いま忙しいんだけど」
『クライアントが、どうしても現地のライブ映像を見たいと仰っていまして』
「いい趣味してんじゃん。お金払って人が死ぬとこ見たいとか」
一応、通話の相手は父親である。
もっとも血の繋がりは無いし、私の所有物みたいなものだが。
『彼らは金を払った商品が、正しく機能しているか確認したいのでしょう』
「まあいいか。許可する。シーガルの視界を回してあげて」
脳波を読み取ったオムニシステムが反応し、上空を旋回していた無人偵察機であるシーガルの制御権を一部譲渡する。
私の視界にも表示すると、すでに建物のマッピングが終わっていた。隠れ家の内部構造から人員の配置まで、熱源探知とソナーで丸裸にしたのだ。アイスマンから送信される戦術データを、リアルタイムで統合した結果である。
画面に映る赤色の人型のアイコンは、アジトに潜伏しているゲリラだ。深夜帯という時間が影響してか、大半の人間は寝具らしきものに横たわって動かない。
『ボス、クライアントから質問が』
「なに?」
『これは事実なのかと』
「質問が意味不明。当たり前じゃん」
『効率的すぎると』
「ああ、そういうこと」
隠れ家には百人近い人間が潜伏しているが、戦術マップではその半数が灰色へと変色している。通信越しに言葉を交わしている間にも、おぞましいほどの速度で赤から灰へと変わっていた。
すなわち、赤色が生存している人間を示し、灰色は殺した人間だ。
事務的で、完璧で、退屈な虐殺。
建物に侵入したアイスマンは、警戒すらされずに半数の命を刈り取った。これこそが合理的な殺人機能だけを追求し、死のベルトコンベアとすら形容される最新兵器の性能だ。
『問題はありましたか?』
「ない。あるわけない。相手は訓練も受けていない素人だよ? アイスマンが負ける要素なんかないよ。念のためにフェダラーまで持ってきたのに、これじゃお散歩して帰るだけじゃん」
『作戦中です。せめてもう少し緊張感を……』
「地雷原もないし、即席爆弾の反応もない。ただの雑魚狩り」
私が気の抜けた返事をしたとき、空気を引き裂くような破裂音が響いた。
銃声だ。
「あ、バレた」
潜伏していたゲリラの中にも、生存本能に近い直感を有する者がいたらしい。シーガルからの俯瞰映像に意識を集中させると、裏庭へ数人の男たちが雪崩れ込んでくる様子が捉えられた。
下着同然の格好のままAKを手に取り、闇雲に周囲を警戒している。
『撃て! 撃てぇ!』
『なんだコイツら! 見えねえぞ!』
『銃が効かねえ! 化け物だ、化け物がきやがっ――』
三次元マトリクスを介して、数百メートル先の悲鳴すら鮮明に聞こえた。
光学迷彩を起動したアイスマンは不可視ではあるが、銃弾を乱射すれば偶然当たる可能性はある。明滅するマズルフラッシュが夜闇を焼き、その数発がアイスマンの特殊装甲に接触して火花が散った。
この直後、一人のゲリラの体が、重力を無視して宙に浮き上がる。
抵抗を許さぬ圧倒的な力で、不可視の剛腕によって掴み上げられたのだ。まるで昆虫の脚をむしり取るように、いとも無造作に胴体から頭を引き離す。頸動脈から膨大な鮮血が噴出して、三メートルほどの高さまで吹き上がる。降り注ぐ返り血は雨のように降りしきり、アイスマンの輪郭を生々しく浮き彫りにした。
出現したのは目鼻立ちのない、滑らかな頭部を持つ等身大の人型だ。それは体を鍛えた男性が裸になったような、凹凸のない曲線的な外殻を備えていた。
「あー、また汚したー。あれ洗うの大変なのにー」
『ボス! すみません、情報に不備がありました!』
私が不満を漏らしたとき、焦燥の色を隠せないパパの声が重なった。対話の相手が私であるためか、ハードボイルドの演技が崩れている。
「なに?」
『クライアントが隠していました! どうも事前に話したら、我々が逃げると思っていたようです!』
「だからなにが?」
『敵ゲリラの戦力に、装甲車両が含まれています!』
「おー」
パパの警告が完結するよりも早くに、密林の奥からエンジンの駆動音がした。鬱蒼とした木々を重量で押しつぶし、キャタピラの回る振動が押し寄せる。無骨に姿を現したのは、一目で旧式と分かる戦車だ。
外見から判断するに、T-55かその派生型である。AIで照合すれば一瞬で分かるだろうが、そんなことすら億劫になるほどありふれた機種だ。
私にすれば博物館級の骨董品だが、生身の歩兵にとっては今でも絶望である。
「戦車だ。良く買えたね。民間ゲリラごときが頑張ってるじゃん」
『麻薬の売り上げでしょう』
「ま、何でもいいよ。どうせすぐ終わる」
ラオス政府は契約金を惜しんで、報酬を対歩兵の価格に据え置いたのだ。非合法の私たちが偶然戦車と遭遇して、損耗を強いられても構わない。
実に不誠実なクライアントで、大変に抜け目がなくて好感が持てる。
T-55の砲塔が緩慢に旋回して、裏庭にいたアイスマンへと砲身を向けた。
発砲。
暗闇の森を塗りつぶし、網膜を焼くほど強烈な閃光が走る。心胆を激しく震わせる爆鳴が、密林の静寂を完全に蹂躙した。
不可視のアイスマンに恐慌状態に陥っているのか、ゲリラたちはあろうことか拠点の建物まで巻き込んだ。この無慈悲な一撃で室内の三人が死んだが、結果として手間が省けたと解釈しよう。
どうせ一人も逃がさない。
ラオス政府からの依頼は、この地域一帯の治安の回復である。
つまり皆殺しにするのだ。
直撃を受けたアイスマンは、木の葉のごとく空中に飛散した。いかにアイスマンのゲーサイト装甲が優秀だろうが、戦車砲が放つ運動エネルギーを受け流すのは不可能だ。アイスマンは粉々に消し飛んで、液体バッテリーの痕跡すら残らない。
『ボス、問題は?』
「ない」
『ですよね……』
「いいじゃん! あるじゃん出番! ゲームよりは楽しそう!」
歓喜の声が漏れる。
貴重な週末を費やして、はるばるラオスの辺境まで遠征してきたのだ。自分の出番がないことを危惧していたが、戦車が出てきたのであれば役割がある。
「起動。A-Hub Type-01 "Fedallah" ――拝火教徒」
音声コードを入力すると、フェダラーの状態が切り替わる。心臓機が液体バッテリーを循環させて、休止状態だった基幹システムへ電力を供給した。
それまでフェダラーの機体は、光学迷彩を展開して膝を折っていた。闇夜にまぎれて植生と同化し、微動だにせず密林に潜んでいたのだ。
脚部を構成する人工筋肉が収縮し、沈んでいた上半身を強力に引き上げた。機体は垂直の姿勢に移行しながら、目まぐるしい速度で変色している。それまで透明だった光学迷彩が、頭足類の皮膚のように変化していた。白黒の濃淡にとどまらず、微細な岩肌や模様に至るまでを通過する。
最終的には屈折率を極限まで制御した偏光機能により、夜を拒絶するような純白の輝きへと到達した。
頭上の枝をへし折り、雨のように葉を散らしながら立ち上がる。月光すら届かぬ密林の奥底に、フェダラーの巨体がその全貌を表した。
全高八メートル。総重量二十トンにも及ぶ――。
白い巨人である。
地面に寝かせてあった可変式対戦車大太刀を手に取ると、止まらずに湿った台地を蹴り出す。二十トンもの重量を有しながら、その挙動は不気味なほど人間的だ。流麗な躍動感で突っ切り、視界が開けた場所に躍り出る。
突如出現した巨人が見えていたのか、戦車の砲身がゆっくりと回っていた。射線を向けようとしているのだが、あくびが出るほどに緩慢である。
「弾道がバレバレなんだって」
砲身が向いている方向から、どの射線で飛ぶか事前にわかるのだ。三次元マトリクスがベクトルを予測して、完璧な回避経路を案内してくれる。センサーの有効範囲にいる時点で、大砲など当たりようがない。
私は発射の瞬間を正確に予見すると、着弾の直前に重心を下げた。影がおどむように地面に沈むと同時、前方の戦車がマズルフラッシュを吐き出した。極超音速で飛来する砲弾は、光学的な捕捉を許さぬ次元に達している。
轟音とともに鉄塊が吐き出され、頭上を猛烈な速度で砲弾が抜けていく。可聴域を超えた爆音が、衝撃波となって装甲の表面を撫でる。脆弱な生身ならまだしも、衝撃波などフェダラーには意味がない。
損害は皆無だ。あらゆる物理現象は、事前に予測した演算の範疇である。
「当たれば効くけどさあ、当たれば。でもこれじゃ当たんないよ」
遅い。遅すぎる。
フェダラーが地面を踏むごとに、脚部の人工筋肉が膨張する。足裏のアクティブスパイクが瞬時に形状を変遷させて、泥濘の奥にある岩盤に強固に食い込む。機体の質量を推進力に変換して、足元の台地は巨大な圧力によって爆裂した。
わずか二歩で数十メートルの距離を詰めると、私は手にした可変式対戦車大太刀を振りかぶる。内蔵された駆動機構が瞬時に作動し、太刀の形状から大鎌へとその姿を変貌ささせた。
無造作に振り抜く。
目視など絶対に不可能な速度で、斬っただけで衝撃波が発した。ナノ結晶タングステン・レニウム合金製の大鎌は、死神の武器に相応しい絶対的な死を下す。
袈裟斬り。
駆け抜けざまに振り下ろしたが、斬った手応えなどまるでない。空を打つ素振りと何ら変わらぬ感覚で、T-55は装甲ごと真っ二つになった。
人工筋肉が生み出す莫大な瞬発力により、大鎌の切っ先は音速の三倍もの速度に達している。その運動エネルギーはもはや斬撃ではなく、巨大な徹甲弾による侵徹作用と何も変わらない。装甲の硬度や厚みといった概念は、この次元の暴力の前では無意味である。中央から両断された鉄箱の中で、搭乗員たちは死んだことすら理解できなかったことだろう。
「……終わり?」
瞬きする。
『終わりです。戦車は一台です』
「……つまんない」
一瞬で終わってしまった。
私の感覚としてはただ前に走って、得物を一閃させただけである。実戦というにはあまりにも軽量で、準備運動にすらなっていなかった。
勝利の余韻も何もなく、ただ無味乾燥に戦車の残骸を見下ろす。切断面から粘度の高いオイルを垂れ流し、切れたキャタピラがのたくっていた。
斬撃の軌道から逸れていたのか、座席には胸部から両断されたゲリラの死体が残っている。もし大鎌の質量が直撃していたら、人間などこの世には残らない。真っ赤な霧へと爆散して、血痕すら残さずに消えてしまう。
ところで……。
先ほどからとっくに気づいているが、戦車の裏側に生き残りがいる。随伴していた歩兵だろうが、AKを提げた少年兵が地面を這っていた。
年齢は私と同年代で、おそらくは十二歳ほどである。はっきりと幼いと形容できる顔は、絶望に引きつって私を見上げていた。失禁によって股間を濡らしながら、恐怖で硬直しきって逃げることもしない。
震える瞳が怯えるハムスターのようで、神のような白い巨人を仰ぎ見る。
無造作に踏み潰した。
私には一切迷わずに、ただの作業として少年兵を始末する。足裏のセンサーを介して、新鮮な血袋が潰れる感触がした。自分の行為に特に思うこともなく、後で洗浄を指示しようと考えただけだ。
オムニシステムの触覚フォードバックは、踏み締めた肉の感触を正確に再現していた。システム側で設定を変えれば、この手の感覚は遮断できる。だが私は気にならないので、初期設定のままで使っている。
もはや泥土と判別できない肉塊には目もくれず、私は弾むような声音で尋ねた。
「ねえパパ。ラオス料理ってなにが美味しいの? 知ってる?」
『……は?』
「ラープとか言うやつ? 帰国の前に食べに行こうよ」
いま圧殺した無価値な命など、すでに私の意識からは消えている。生々しく潰れる感触を反芻するよりも、見知らぬ異国料理に焦がれるほうが有意義だろう。




