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第四章

 店に三つしかない座席の最後を埋めてくれたのは、サラリーマンの坂口さんだった。彼は現在四十九歳で、今年息子さんが都内の大学に入学したばかりだそうで、何かと物入りで大変らしい。坂口さんは屋根につけるソーラー発電機を売る会社の営業マンで、いつもその営業の合間に気分転換を兼ねて髪を切りに来てくれるのである。坂口さんは非常に無口な人で、この彼に関する二つのことを訊き出すのに半年はかかっている。それなのに、いつもきっちり彼は一ヵ月ごとに店に現れるのである。

 僕はそんな彼が照れくさそうに、綺麗にアレンジされた花籠を片手に店に現れたときは、本当に涙が出るほど嬉しかった。無口な人の親切ほど身に染みるものはない。だからと言って、真っ先に駆けつけてくれた門脇さんや波多野さんの親切にありがたみがないというわけではないのだけれど。

 坂口さんはクレアで僕と出逢うまで、一度も同じ理髪店や美容室に通ったことがないそうで、どこかの店の常連になるなんて生まれて初めてのことだったのだそうだ。「僕のどこが良かったんですか?」と本当は彼に訊いてみたいのだが、なんだか恥ずかしくてずっと訊けないでいる。たぶん、僕のそういうところが坂口さんと似ていて、彼と波長が合うんだろうなと思う。


 僕は美容師の免許に加えて理髪師の免許も持っている。クレアに初めて坂口さんが来てくれて、店の中のお客さんがたまたま全員女性だったので、まるで場違いなところに来てしまったというような顔をして戸惑っていた彼に、「髭も剃られますか?」と訊ねたとき、「えっ、髭も剃ってくれるの?」とまるで僕のことを穴が開くかと思うくらいじっと見つめていた彼の表情は、今思い出してもおかしくてたまらない。


 いつものように髪を切り、髭を剃る。彼の場合、三、四十分もあれば十分である。たったそれだけなのに、坂口さんは「気持ちが良かった」と言い、「また来るよ」と笑顔で帰って行く。僕はこの笑顔を見る度に、この仕事をやっている理由を再認識させられるのである。僕はお客さんの笑顔がこの世で一番好きなのだ。




 三人座ってしまえば鏡のある席は埋まってしまうが、パーマをしたりカラーリングをしたりする席は二席ほどあって、それと、レジの前に、待って貰うお客さんのための赤い三人掛けソファーが置いてある。そこにもお客さんが座ると後はどうしようもないので、予約を取ってもらうか、「一時間後に来てください」と言って店の外で待っているお客さんたちに帰って貰った。

 開店の前日、お客さんが来てくれるかどうか心配でたまらなかったのが嘘のようだった。本当にその日は、みなさんに感謝の気持ちで一杯になった。


第五章に続く

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