ただいま。
ヤヴァイ。
私は、その光景を見て正直戸惑っていた。
なんというか、これは…ないわー。
轟々と耳元で鳴るその風の音の中で飛んで、帰ってきて窓をあけた。
空は薄暗かったし、時計も無かった。
元々疲れていたから、体内時計も狂ってたし、あれから随分な時間が経っていたんだという事に、私は気付けなかった。
その結果が、これか。
部屋は慌ただしい空気に包まれていた。
変態さんが布団をばふばふと激しく振り回し、おっさんがベッドの下を覗き、ぎょろちゃんがくまなく床を這い、チワ様が大きな花瓶に犬○家になっていた。
しかも、皆一様に真顔だ。
…いや、誰かチワ様を花瓶から抜いてあげようよ。
「わぁ…。」
何をお探しですか。
そういいかけて、一斉にこっちに視線が集まった。
あ、そっか。
本来…というか、現在、この部屋に住んでいるのは私な訳で。
その、居るはずの私が居なければ、飼い主は当然探す訳で。
そうか、私が、探されてるんだ。
そう思うとまもなく、窓があいたのに気づいた大の大人二人と子供一人の団体様が、血相を変えて走ってくる。
その世にも恐ろしい光景の前に、私はつい、奇声をあげて逃げ出す。
「ーーーーー!!!!」
「ー!!?ーー!!」
とたんに始まる逃走劇。
みんな顔怖い!顔怖いよぉぉお!!
ぱたぱたと右に左にバランスを取りながら、鶏の様によたよた走る。
羽が、空気抵抗になって走りにくい。
今まで気にしたことも無かったけれど、私の前足には小さなヒレのような羽がある事に気づいた。
それが、人間の様に走るとぶわ、と空気に広がって、走りにくい事この上ない。
そうこう思っているうちに、私は自分に翼がある事を思い出した。
そうだよ。なんの為の空気抵抗だよ。
空を飛ぶ為にあるんじゃないか。
それならば、天蓋にでも登れば追いつけまい、と勢いのまま羽ばたく。
前足と、後ろ足、それから、尻尾。
それぞれに風を受ける羽があることを意識すると、以前よりもずっと楽に飛び立てた。
今まで、いかに力任せに飛んでいたかを実感した。
私はその勢いのまま、おっさんの右脇下を潜り、這いつくばったぎょろちゃんの上を飛び越え、後少し、と変態さんの上を飛び越えようとする。
行ける!と思ったその瞬間、尾に強烈な痛みを感じた。
尾羽が曲がりせっかく感じた風の流れがおかしくなると、そのまま前足の羽、背の翼が順にもつれて世界が滅茶苦茶に回った。
勢い良く飛び出した筈の私は、その流れに逆らって地に落ち、あっという間にどさり!と音を立てて不時着した。
グラグラとした世界と、羽の痛み、それから言いしれない尾の痛みを感じた時、その尾が何かに強く握られている事に気がついた。
そう言えば、床が嫌に柔らかい、と恐る恐るしたを確認すると…
「ぎゃァ!!」
私は、変態さんを下敷きにしていた。どうやら変態さんの上を飛び越えようとした際に尾を掴まれ、ぱちんと輪ゴムが縮む様に戻されたらしい。
トカゲのように切れなくてよかった、と思う反面、切れていればこんな事には、と凄く焦った。
「わぁぁ!!ごめんなさい!!」
大型犬サイズでもあの勢いでは痛かったろうに!とすごい勢いでホールドされた。
「ぐ!!ぐるじぃぐるじぃ!!!」
あたたた!!!ちょっとやめて鱗がひしゃげるからァァァ!!!
あなた、自分の力強さ、理解していらっしゃる!?ねぇ!?
私がバタバタとしていると、誰かの声が聞こえた。
咎めるような少し低い声音に、腕の力が緩んだ時に私はするんと体をしならせて逃げ出す。
「ー!」
咄嗟に上がった変態さんの声を無視して、しゅるんと布団に潜り込んだ。
それでもなお、変態さんの手は止まらない。
私を掴もうとその魔の手を伸ばしてくるのだ。
私はもう躍起になって、もっと小さい…手のひらサイズのドラゴンにチェンジした。
これならば捕まりまい、と漸く息つくと、真っ暗だった視界が強烈な風とともにひらけた。
変態さんは、あの大きすぎる布団を、あたかも軽い布をめくるかの様に軽々と投げ捨てたのだ。
その怪力ぶりを目の当たりにした私は、鼻息荒い彼が突撃してくるのを尻目に、思わず叫んだ。
「布団が吹っ飛んだァァアア!!!!」
約二名ほどの吹き出した音が聴こえた。
この程度のオヤジギャグで笑うとはこれいかに。
あぁ、そういや君、さっき凄い布団びったんびったんしてたよねぇえ!!
そう思う間も、私は彼の手に収まり、その布団が不気味にニヤニヤしていたギョロちゃんを横殴りに吹き飛ばす。
…大丈夫?ギョロちゃん。
ーーーーーーーーーーーー
彼は大興奮しながら私に頬ずりをしている。
必死だったとはいえ、チェンジを無駄遣いしてしまった。
…正直、身の危険を感じたのだから仕方が無い、と思う反面、小さくなるのではなく、いつもの大きさになっていればこんな事も無かったのではないかと溜息をつかずにはいられない。
そんな後先も立たない後悔をしながら、私はうっとりとした変態さんを見上げた。
それはさながら、オタクが好きなジャンルのグッズコーナーに初めて行った時のような、そんな状態で感じであるとしか言い様がない。
まぁ、わからんでもない。
私だって、手乗りドラゴン欲しい。
ちょっと指先を血が出ない程度にハムハムして欲しい。痛くすぐったい位の強さで甘がみして、その小さなトカゲと鳥の中間くらいのその足と手で指先をきゅっとして欲しい。その上小首を傾げたら最高だ。
………いや!そうだよ、決して自分がなりたいんじゃないのに…!!なんでなんだ…!!
じ、人生はままならぬ…。
ぐ、しかし、こいつ、同じことを期待してやがる!!
さっきから口周りを異様にグリグリしてきやがる!!
くわえねぇよ!?ハムハムなんてしねぇよ!?
私はちょっとウザくなって来たので尻尾でペチペチして、指先をギューッと顔から遠ざて、ギュウ、と可愛くないドラゴンの声で、抗議した。
意外とドラゴンらしい声が出たのは、あのオネェさんとドラゴン語で話をしたからかもしれない。
しかし、変態さんは変態さんなだけあって、その行動ですらデレデレした顔をした。まさに変態。
一瞬その顔にこの尻尾叩き込んでやろうかと思ったけれど、そこは同属性、目糞鼻糞なので広い心で許さねばなるまい。噛むぞゴラ。
そう思って威嚇に軽くカジカジしてやる。
しかも、ちょっと痛すぐったい爪の少しはみ出したところを。
どうだ、これでそんな顔は…ってもっと嬉しそうな顔してやがる!!
こ…こいつマゾかっ…!?
流石にゾワッとしたので、その手を登って、首辺りで落ち着いた。
灯台下暗し。使い方は違うが、首のすぐそばは意外と見えにくいので安全地帯だ。
そして、いつの間にかチワ様が花瓶から抜けていた。
私は彼を見ないようにして、あたかも変態さんに向かって、どうでもいい事を呟くように言った。
「高橋さん、私、グラツィアスのおねぇさんとお話をしてきました。
狐という人物について知りたいので、また時間のある夜にお話をして下さりませんか?勝手ですみません。」
変態さんは私を撫でてくれる。
する、と角と角の間の鬣をなぞって、背中の翼の間をぐりぐりされた。
肩もみみたいで気持ちいい。
ドラゴンの性なのか、思わず体を首に擦りつけた。
そんな中で盗み見たチワ様…事高橋さんは一瞬顔を歪めて、それでも、すぐに何事もなかった様に振る舞い、何かを話しながら、私と目を合わせて頷いた。
きっと、それが返事だろう。
「…ありがとうございます。」
私はドラゴンの声で鳴く代わりに言葉を話す。
きっと伝った。
後で怒られるかも知れないけれど、帰られなくなってからでは、遅いのだ。
私はそう思いながらも、彼の指に頬を擦りつけた。
なんだかやめられない。これぞ、寝起きに枕に顔を擦りつけてしまう気怠い朝の様子だ。
ぎゅぅ、と鳴いた私は視界の端で、何故か、女の子座りをしたギョロちゃんを見つけた。
不気味な顔に白衣を着込んで、なよっと体をしならせて座り、こちらを楽しげに見上げる様は、まるで全てが無理やりで、小さな画用紙に好きな物を全て詰め込んで、若干机に描いた線がはみ出た落書きのような印象を受けた。
似合わないはずの滑稽なそれは、変な基準で逆に様になっていて、思わず噴き出した。
すると、それに気づいた周りが、私を驚いた顔で見遣った。
少しの間。
私と、ギョロちゃんの間を、行ったり来たりするみんなの目線と、ポカンと口を開けた、不気味な顔と、
何とも言えない数秒間が、絶妙なタイミングで笑い声で爆破された。
私も、つい釣られて笑い出す。
久し振りに、声を立てて笑った気がした。
大きな声で笑ったけれど、変態さんは、私を叱ったりはしなかった。
つなぎなので、やまもおちもいみもありません。
すみません。




