133.5 フェルナンド
洋上からしぶきを上げて帆船に組み付いた無数の蛸の脚。
船は傾き、すぐに海中に引き釣り込まれた。
後には波の音だけが残った。
「だから言っただろう、愚か者が」
遠くの島からその様子を見守っていた私に年老いた漁師が毒づく。
「あの潮流に乗るのは自殺行為だ」
「御忠告感謝します。ああ断っておきますが、あの船には誰も乗っていません。私の資産が少し減りましたが」
日焼けした肌に刻まれたしわが、いっそう深くなった。
「もう手を出すなよ? 島に危害が及ぶ」
「あなたも若いころに試した。それで失敗した」
「ああ、何人も死んだ」
「仇を取りたいはずだ」
「生意気を言うな、青二才が!!」
あの蛸の脚は金属だった。
つまり、あれもガーゴイルの変異種。
通常潮風も避けるガーゴイルにはあり得ない潜水能力。
それでもガーゴイルに違いは無い。
「でもこれは試しましたか?」
私は手に持つ金属端末のアンテナを伸ばし、端にあるボタンを親指で押した。
数秒の間をおいて静かだった海が白く高い水柱を立てた。
船に仕掛けた爆弾を取り込んだところで起爆させ、気密性を奪った。
後は水圧で機能を失う。
「ありがとう、これで死んでいった仲間たちも浮かばれる」
私は航路を得るために行動した。
それだけだった。
「世の中助け合いですから」
打ち上げられたそれは大きな収穫だった。
奇態な形状、推進力の構造、そして中身。
「ルイス、リリスを呼んでくれ」
「何かございましたか?」
護衛に同行していたルイスが理由を問う。
「半世紀どころじゃない。このガーゴイルが取り込んだ人間たちは、数千年前の文明人だ」
ガーゴイルの分泌する化合液に浸けられた人間の装飾や衣服は現代より進んでいた。
つまり、あのガーゴイルは古代の変異種だ。
◇洋上
私はウィヴィラで『白銀』を見た時から、あれが他にもある可能性を探っていた。
神話や伝承から、各地の遺跡を調査させたが見つからず。
代わりに、別のものを度々発見した。
古代文明が残した特殊兵装――『神器』だ。
「子守りの次は遺跡調査? 人使いが荒いわねぇ」
「未発掘の遺跡が海底に眠っている可能性がある。君の探査能力が必要なんだ」
海の底を探査する用の船を造った。
漁師たちから得た海底の情報などから場所を特定。
ただ、ギアは持ち込めない。
「あーらロマンチックねぇ」
海底に広がるのは古代の文明の跡。
その中に開けた空間があった。
まだ何らかの装置が生きているのか、空気があった。
明らかに、文明レベルは今のガイナ帝国よりはるか先を行っている。
先に進むとそこには、幾何学的構造物で祀られた球状の物体があった。
「あったね」
「あれは『流体』の神器かしらねぇ」
仮説。
『白銀』に足りなかった武装はどこか別の場所に、分けて保管された。
真に扱える機士でなければ、無用でありリスクでもあるからだ。
あるいは別の用途があった可能性。
ガーゴイルは金属を探知するが、『白銀』は無事だった。
あれだけの機体を吸収した個体がいたならば、人類に勝ち目がないはず。
『白銀』と同列の機体は吸収対策を施してある。
とすれば、それは武装も同じ。
その証拠に、これまで見つけた神器の周辺に強力な古代のガーゴイルが眠っていたが、神器は吸収されていなかった。まるで討伐できないガーゴイルを引き寄せ釘付けにする誘蛾灯のように。
ここも同じだ。見つけたこの神器が仮説を立証している。
見つけた神器、その数だけ『白銀』と同等の機体がどこかにあるはず。
「完璧な球体……それも変幻自在の流動性を秘めている」
彼女の甲高い声が、より一層高くなっている。
「リリス、神器が好きなのかい?」
「人の生み出した物が好きなのよ」
リリスは銀色の物体に釘付けになる。
「ここを調査すれば、ガーゴイル発生の謎も解けるかもしれない」
「そんな必要あるかしらねぇ?」
「……必要性。疑問にも思ったことはなかった」
「ガーゴイルは境界線にいる。そこから先へは進むなという警告だとしたら?」
それには同意できない。
あの醜く歪な怪物を崇拝しろとでも?
「君の本音を聞けてよかった、ありがとう」
「……検討ぐらいしてくれてもいいじゃない?」
「ガーゴイルには知能がある」
リリスは切れ長の目を細めた。
「取り込んだ人間の脳が魔法やスキルの源なら、不思議ではない。問題はガーゴイル同士が信号でつながっていることさ」
「怖いわ。こんな暗くて幽霊でも出そうな場所だっていうのに、やめてよねぇ。それとも脅かして私を誘ってる?」
「信号は人体にも影響する。ガーゴイルは進化するほど形態が人間に近づく。最終的に、人と見分けがつかなくなると、厄介だね」
彼女は肩をすくめ、こちらに近づいてきた。
「それでは、境界線も意味を成さないわね」
「ああ、だからガーゴイルは研究の対象であり続ける」
「大胆な仮説、よね?」
「私は確信したよ、今」
歩みが止まる。
リリスは西の大陸から来た。
こちらの動向を探る密偵の類として。
しかし、私は初めから違うと分かっていた。
「それって人間独特の勘?」
「皇后、私の母の葬儀で祭壇を囲んでいた神祇官の一人に君がいたと思うんだ」
「あっはっは! すごぉい! どうしてわかったの? あのときはこの身体じゃなかったのに!!」
ケタケタと甲高い笑い声が響く。
「私は人の顔だけ見ているわけじゃない」
暇だったから周囲を観察していて、人に化けている何かが紛れ込んでいることに気が付いた。
「だったら、ここに私と二人きりになったのはなぜ? 海底なら信号が届かないと思ったとか?」
「いいや、ここにはさっき一度来たからだよ」
「え?」
遺跡に設置した信号阻害装置が一斉に稼働した。
「あらあら」
「君の本体との接続を切った。情報源になってもらうよ」
「騙すなんてひどいわ」
「本当にすまない」
リリスが面倒を見てくれたおかげで子供たちはすでに信号解析で大きな成果を出している。
リリス人間体への信号を逆探知し、妨害信号を増幅して送りつけている。出力を上げれば本体中身の脳も破壊可能だ。
「さっさとあなたの身体に乗り移っておくべきだったかしらね」
「私の元へやってきたのはそれが理由かな?」
「それは違うわ。合理的な理由なんてありはしない。もっと情動に近い行動よ」
「ガーゴイルに感情が?」
子どもたちと接していた様子を見ていたが、リリスには人間的な部分がある。
子どもを本気で叱って、料理に気を使って、熱湯を庇って浴びたこともあった。
ガーゴイルに感情や性格が……? 長い年月が人間らしさを?
いや……
私の考察とは異なる経緯や過程で、彼女は今の彼女となった、そんな気がする。
「君のような個体は他にもいるのかな?」
「さぁ? 気付いているでしょうけど、人の脳の処理能力には限界があるわ。同列ともなると接続する意味がないしねぇ」
「意味……?」
「人間の未発達な文明との戦いはハンデのあるゲームみたいに退屈なのよ。それを延々続けるのよ。自然と相手は同列との共食いになる。だから事前にそれを避ける。本能的にね……そして、待つ。文明が育つのを」
ガーゴイルの餌は金属。
それも一定の段階まで進化すれば、求めるのは高度な機械、機関へと変わる。
それには文明が要る。
そして、進化した変異個体は群れなくなる。
自己補完のため関心は人間の文明維持へと移るのか。
矛盾はしていない。
「なら君たちが存在する理由は」
「人間と同じ、神の過ちかしらねぇ?」
「なるほど」
「これでも、私は人間贔屓な派閥よ? これまでだって知識や文明を後押ししてきたわ。種の撒き方から教えたりね。あなたたち、そうでもしないとすぐ下らない政治闘争や宗教戦争で後退していくのだもの」
「ああ、だから情動……」
さて、この魔女をどうするべきか……
◇洋上――巨大帆船スライスオブアーク号
海上へ浮上した。
リリスと共に。
「御無事でしたか」
「ああ、問題ないさ」
リリスとはこれまで通り、互いの利益のため協力し合うことにした。
彼女が私の側へ来たのは、私に利用価値があるからだ。
グリム君が私に対抗し、私がグリム君に対抗すれば、それだけ技術が進歩する。
私も彼女の情報はこれからも利用させてもらう。
「ダ・ヴィエル、やっぱり、あなたは運がいいわ」
リリスが船上で、何もない地平線を見つめ、何か強力な魔力を放ったようだ。
一部の感応性の高い金属が激しく共鳴し、鈴のように鳴った。
「何かあったのかい?」
「私をさっき解放していなかったら、詰んでいたわよ」
「というと?」
「あちらは亡霊を味方に付けたみたいねぇ」
魔女の次は亡霊か。
次は天か神を持ち出しかねない。
「比喩はやめて欲しいな。君の想像上の敵までケアできないからね」
リリスが私の額に手を当てた。
すると、映像流れ込んできた。
リリスの見た景色、光景、そして過去……
それは私の想像を絶する世界、情報の渦。
「スキルで『同期』したわ。見えたでしょう」
魔力で私の海馬に直接情報を流し込んだのか?
不快だが、有益な情報は多い。
「私の背後に、ルージュ……いやこれは」
「原始のギア、最初の一人、到達者よ。情報体として普段意識は無いけれど、覚醒しているということは誰か生きている人間と接している」
亡霊の正体は魔力の情報体か。
「こちらの情報が漏れた可能性は?」
「覚醒間際に消滅させた。無数にある意識の断片に過ぎないけれどね。けれど私の存在は知られたかしらねぇ……」
「この事態、君が原因では?」
「きっかけは、あちら側よ。私のことは知らなかったはず。私に気付けるあなたが異常なのよ」
これは面白い。
互いに、手札は揃いつつあるわけだ。
「またグリム君かな」
得た膨大な情報と照らし合わせる。
ギアを一段階高みへと押し上げる儀式。
『原始化』による魔力の本流との対面と、過去の到達者による洗礼。
「強力な個の力か。どれほどのものか見ものだね」
「グリム・フィリオン……まさかもうワールドエンジンにアクセスを……? いえ、未発達な文明の中、独力でできるはずが……」
ぶつぶつと何かつぶやくリリス。
「問題かな?」
「いいえ、皇女ルージュ……あなたが危惧するまでもなく、引退したかもしれないわね」
「失敗したとでも?」
「6666年前、私ですら到達できなかった領域をこの文明レベルで成功させるなんて無理に決まっているわ」
ああ、彼女はそういう経緯でこうなったのか。
かつての英雄が失敗した成れの果て……
「ふふ、負け犬の言うことなど信用できないね」
「なんですって?」
「グリム君なら、成功させているはずさ。姉さんにリスクなんて負わせない。彼に常識は通用しない」
「……あーらそう」
そのつもりで、私は準備する。
まずは砂漠……次の神器を手に入れる。




