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「シュヴァルツ様!」
塔を駆け上って来たクリムとアムルが、シュバルツの姿を発見して足を止めた。
シュヴァルツは静かな表情で窓の外に目を向け、ふっと瞳を閉じる。
「あの。アイツら、窓から」
「わかっている」
「すいません、すぐ追いかけますんで」
クリムがそう言って背を向けようとすると、
「構わん」
意外な言葉が返って来た。
二人は意外そうに彼を振り向く―――シュヴァルツはゆっくりと二人に歩み寄ると、
「それよりお前達に重大な任務を与えよう」
「なんです、重大な任務って」
クリムがやや警戒した表情で訊ねた。
アムルはしかし彼の言葉にとても喜んだようで、喜びを丸出しにした犬のような顔して彼をじっと見つめるのだった。重大任務、なんだかとても素敵な響きである。
「生きることを望まれず実験体にされたゴミと、親の期待に応えられぬ愚かな娘。貴様達はこの計画の要となるべき人材だ」
シュヴァルツは言って、すっと二人に指を向けた。
瞬間。二人はガクっと膝を折り、その場に崩れた。
嫌なものが、心の中にどろりと流れ込んでくる。
悲鳴が聞こえる。
幼い子供の声だ。
白い肌を全身血だらけにして、わけもわからずに泣きじゃくっている。
家族と呼べた者はもういない。いや、目の前に在ってももう此の世にはいない。在るのはただの亡骸とおびただしい血。誰の声も聞こえない。誰ももう、動かない。生きているのは自分だけ。痛むのは胸だけ。体には、傷など一つもない。
そう、何故ならそれは――――
「ああ、やはり。お前は、生かしておくべきではなかった」
誰かの声がする。
強引に手を引かれ、幼い子供はどこかへ連れてゆかれた。
「さあ、来るんだクリム。お前はやはり、生きるべきではなかった」
彼の言っていることは正しい。
間違いなんかじゃない。
誰も否定しないし、幼い子供………クリム自身も否定はしない。
わかっていた。
自分が、生きていい人間などではないことを。
薄暗い部屋の中、覗いたリビングから聞こえる両親の声。
子供のテストを見ては溜息をつき、顔をしかめる。これではだめだと、情けないと、どうしてこんな子供が生まれたのかと。彼らはただそうとばかり話して、首を振る。やがてそれは喧嘩の種となり、彼らはその晩もまた、昨日と同じ喧嘩を繰り返す。
優秀じゃないと、だめ。
成績が良くないと、だめ。
だってパパもママもアカデミーの幹部で、とても頭がいいのだから。
難しい研究なんかして、難しい仕事なんかして、近所の人だって二人を尊敬している。だからその子供である自分だって、同じように頭がよくないといけない。もっともっと頑張って、勉強をしなければならない。だけどでも、もっともっと本当は、誰かと遊びたい。
勉強なんて、大嫌いだ。
けれどそんなことを口にしてしまえばきっと彼らはもう、本当に、私を見捨ててしまうだろう。
だから。
絶対にそんなこと、口になどできるわけもなかった。
「アムルは本当に私達の、いや、私の子供なのか」
「なんてことを言うの、じゃあ誰の子だって言うの」
「お前のことだ、どうせよそで他に男でも作って」
また同じこと。
また同じ喧嘩。
また同じ―――同じことを繰り返して、朝には作り物の笑顔で迎えてくれて、近所の人にも同じ顔で挨拶をするのだ。こんなの、家族じゃない。だけど、彼らは必死に形を崩さぬように支えて、だけどバランスが悪いから、形はヒビだらけ。それでも必死に支えたそれは、静かに、そして確実に、パラパラと音を立てて崩れ始めて――――
「パパ、パパ!」
ある日の晩、彼は、何も言わずに家を出た。
振り返りもしなかった。
まるで未練もないというように。
ただ、このひび割れた家を捨てて、新しい場所を探して姿を消した。
ボロボロの家の中、ただ、彼女は泣いた。
涙が枯れる程、泣いた。
それでもママは、なにも変わらなかった。
「さあ、お勉強の時間よアムル」
なにも。
そう、なにも―――
だから。
彼女が望むように、自分が変わるしかなかった。
悲鳴を上げる二人を、オンブルが少し離れた場所から眺めていた。
その声は懐かしい、人の絶望の悲鳴だ。同じように世界からの逃避を望んだかつての彼が上げた悲鳴と、とてもよく似ている。苦しみと哀しみと、ほんのわずかの期待を含めたその悲鳴。逃避を望みながらも現実にまだほんのわずかな期待をして。けれども、彼は、現実に生きる勇気を失い幻想の世界へと誘われた。
懐かしい。
あれは、始まりの合図だ。
哀しくも美しい幻の始まりの合図だ。
「さあ。これでようやく、全てが揃った」
「始まりの悲鳴が、木霊した」
悲鳴を上げるクリムとアムルを静かに見下ろすシュヴァルツ。
「さあ行きましょう。これでようやく、三つの人柱が揃った」
シュヴァルツは言うと、静かに、窓の外を見やった。
「あの恐ろしい戦から、もう何千年と経ったか。ようやく私の理想郷が現実のものとなるのか」
「オンブル様。世界はやっと、貴方の望む姿へと生まれ変わります。どうかその眼で、この記念すべき瞬間をご覧ください」
シュヴァルツは言うと、静かに瞳を閉じた。




