5
ライトマンとエネルは世戒樹に向かうべく、塔を降りていた。
急がなければシュバルツに追いつかれてしまうと二人は全速力で階段を駆け降りたが、しかし、彼らはすぐに思い出す。下にはクリムとアムルがいることに。恐らく今頃こちらに向かってきているだろう、すぐに鉢合わせしてシュバルツと彼らとに挟みこまれて身動きできなくなるかもしれない。
その不安は、的中してほしくないのに的中した。
足音が近づいてきて、すぐに、ゆるく曲がった壁から二人の姿が見えた。
アムルはすっかり泣きやんで、また強気な顔を見せている。
「よう、今度は逃がさないぜ」
クリムがにやりと笑い、両手に魔操を充填する。
「なら突破するまで、です」
エネルがチェーンソーを構え、ライトマンの前に立つ。
だがすぐに、後ろからもシュバルツの足音が。
「エネル、こっちはワシが」
「説得力も頼りがいもない台詞、です」
「ごめんよワシ、本当、仕事しか才能ないよねぇ」
自分の不甲斐なさに涙し、情けなく背中を丸めるライトマン。
するとエネル、ライトマンの腕を掴み、
「逃げましょう、です」
「ええ? でも逃げ道なんて―――」
あったらしい。
エネルは無表情で、地上何十メートルだか知れないこの場所に在る窓を真っ直ぐに指さした。
「あ、あの世に逃げるのだけは勘弁なんだけど」
「戦っても、三対一では分が悪い、です」
「うん。ワシってやっぱり無力だよね」
本当に情けない。
ライトマンはますます背中を丸め、ちょっとだけ泣くのだった。
「泣いてる場合ではない、です」
「けど飛び降りたところで」
と思ったが何か思い出したのか、ライトマンはぽんと手を打ち、トランクを探り始めた。
そして取り出したのは、例のライトマン人形。さっきの乱暴な着地で擦り切れてはいるが、使えないことはなさそうだ。中身さえ無事なら人形が少々綻びたところで問題はない気もしたが、やはり自分の顔した人形名だけあって痛々しい。
「ああ、なんだかかわいそうなことになっているねえ」
人形の埃を払いながら、ライトマン。
するとエネルはやっぱりいつもの無表情のまま、
「博士らしくていい、です。もっと傷めつけたら更に博士らしいのです」
なんて言ってチェーンソーを振り上げる。
冗談なのか本気なのかいまいち分らない上に視線がとてつもなく冷やかな気がして、思わず人形を抱えて飛びのくのだった。
「冗談なのです」
「だよね、あはははは」
笑ってみるが、冗談かどうか怪しいものだ。
だがまあ、今はそんなことどうでもいいわけで、気を取り直して人形を彼女に差し出した。
「じゃあお願いね。なんとかまだ使えると思うし」
ライトマンはそう言ってエネルに人形を手渡した。
と、前後からいよいよ足音が近づいてきて――――
「急ごう、エネル」
ライトマンは少ない体力を絞り出してエネルを抱き抱えると、半ば強引に窓から身を投げた。
落下しながらエネルは背中の人形に魔操を充填・すると黒い翼が広がり、二人の体が宙に舞い上がった。
「よかった、なんとか使えるみたいだね」
「ではこのまま世戒樹に」
「それがね。完成品じゃないし、さっきの乱暴な着陸で更にまた故障してると思うんだ。だからそんなに飛べないと思うよ」
「博士はダメな人、です」
「ご、ごめんよ」
「では、塔から離れましょう」
そうは言っても、どうせなら世戒樹の近くまで行きたい。
エネルはライトマンにしがみ付き、不安定な動きを見せる人形を操作して半ば強引に空を飛んだ。本当は危険なことだから止めたかったのだが、変な場所に降りても辿り着くまでが面倒だったので、彼も彼女の行動を止めはしなかった。
けれど、やはり試作品は試作品だ。
あと少しで世戒樹、というところで急に安定感を失い、傾いてしまったのだ。
「うわ、うわわわわ! や、やっぱり試作品でこれ以上の飛行は無理だよっ」
「落下します、です」
それでも一応、飛行力が続いている間に安全な場所を目指して着陸を試みた。
だが無事に着陸する前に人形は力尽き、二人は地上数メートルを残して落下してしまうのだった。
ライトマンは必死にエネルを抱き抱えて体を彼女の下になるように持って行き、そのままの状態で落下。硬い地面に叩きつけられたライトマンは彼女を抱えたまま転がり、苦痛に呻いて激しくむせ返った。
「大丈夫ですか、博士」
変わらぬ表情の中に、わずかに不安を滲ませ、倒れ込んだままのライトマンを覗きこむエネル。
「あ、ああ。なんとかね。エネルは大丈夫かい」
痛みをこらえて体を起こす。
「私は平気、です」
「そっか、ならよかった」
「それより、また妙な場所に降りてしまいました」
そこはとても薄暗い場所だった。辺りの建物は廃墟と言うよりも無人の民家という感じで、生活感を残して忽然と人が姿を消してしまったような建物がずっと続いている。
人気はない。
物音もない。
しんと、静まり返っている。
「また奇妙なところだね」
「奇妙、というか」
エネルは不安げに、前方を見据えた。
錆びついた銀色の魔操流動管や貯水塔・動力機や不規則に動く歯車―――何かの工場らしき建物が、無人の民家の先にそびえ立っている。まるで辺り一帯の支配者のような顔をして、ずんと、そこに佇んでいる。古びて、しかし尚も稼働し、そこに在るそれ。何十年と生きて酸いも甘いも知り尽くした老人のような哀愁と無言の威圧感を感じて、二人は立ちつくした。
そして屋上、そこに、あの世界中が根を生やしてそびえていたのだ。
それは塔から見るより遥かに巨大で、無数の苔むした幹が絡まり合い空を目指してぐんと伸びている。
「あれは」
「あれは、生きているみたいだね」
ライトマンはアゴに手を当て、ふむ、と首を傾げる。
「生きている、ですか」
「あれは本物だよ」
ライトマンが歩き出し、それに続いてエネルも歩き出す。
「あの工場は本物」
「何故、わかるのですか」
「ワシは神殻修理工だからね。患者のことは、大体わかるよ」
ライトマンは額に手をやって、工場を見上げた。
「患者、ですか」
「人だってそうだろう、気配ってものがある。神殻達も同じさ、だから彼からは偽物にはない生きた気配を感じるのさ。偽物は所詮、偽物。どれだけ見た目を取り繕っても本物にはなり得ないからね」
「ですが、なぜ、あそこに世戒樹が」
「彼が生きた存在ってとこに鍵があるのかも知れないけど、だとしたらまた危険な場所にワシらは向かってるのかも知れないねぇ」
ライトマンは、とほほと肩を落とした。
「世戒樹をなんとかしない限り、魔操の異常も人々の生活も助かりません、です」
「この仕事が終わったら、本物の長期休暇もらおうか」
ライトマンは疲れたように笑って、
「そうしたら二人で本当の旅行に行きたいねぇ。本物の美味しいものを食べて、珍しいものをみて回って」
「素晴らしい死亡フラグ、です」
「や、やめてよおっかない」
ライトマンはぞっとして、縁起でもないことを口走ってしまった自分の口を押さえた。
「けど。たまには旅行ってのも、悪くないよねぇ」
あはは、とライトマンは笑う。
二人で旅行。そんなの、出逢って二年間一度も行ったことがない。そもそも考えたこともなかった。
遠出をするのは仕事の時くらいで、それは旅行というには少し忙しない。けれど二人でゆっくり旅行ができたら、それはもしかするととても楽しいことかも知れない。なんてエネルは思ったけれど、恥ずかしいから、そんなことは口にしてやらないのだった。
「そういやエレノア様、そろそろ旅行からお戻りになられるんだったかな」
ふと思い出し、何気なく言うライトマン。
別に今、彼女のことを思い出す必要などないはずだ。
なのに思い出したり彼女に作ってもらった人形を大事そうに抱えたりして、それが何故だか気に入らない。別に彼も彼女に対して特別な想いがあるわけではないだろうし、常から彼女のことばかり考えているわけではないのもわかっている。でも今、全く関係のない彼女のことを思い出してしかもそれを口にしたのが何故か腹立たしく思えた。
だからエネルは、むっと彼を睨みつけ
「博士はいやらしい、です」
「え、えええっ? なんで、ワシなにかしたっけ………」
「なんとなく、です」
言って、何故か右足を何か踏みつけるように上下に動かす。
「うう、助手の気まぐれが恐い」
ライトマンはちょっと泣きそうになりながら、そっと呟くのだった。
「博士が悪い、です」
「うーん、年頃の女の子がよくわからないよ」
「私にもわからない、です」
「謎なんだねぇ」
「謎、です」
今度は鋭角にチョップする真似をする。
ライトマンはぞっとして、人形をぎゅうっと抱えて後ずさりする。
それがまた気に入らなかったらしく、エネルは人形を奪い取ってさっさと歩きだしてしまうのだった。
「エネル、どうしたの一人でいったら危ないよっ」
「知りません、です」
「うーん、対年頃の女の子マニュアルが欲しい」
などと本気で考えて、がっくり項垂れるのだった。




