子供の魔法使い
「……いい加減にしろッ!」
アイヴィーの叫びが、湿った空気に響いた。
手元には、書きかけの資材リスト。背後には、次々と舞い込んでくる厄介事の報告書。
『木材切り出し場で木が、沼にハマって動かない。助けてくれ』
『石切り場の巨石が、運搬ルートに詰まった。動かしてくれ』
『狩場にクマの痕跡がある。調査と威圧を頼む』
アイヴィーは、泥を拭う暇もなくペンを叩きつけた。
彼女は、この都市の魔法基盤を支える実務者だ。便利屋ではない。
しかし、大きく成長するこの都市には、フリドとアイヴィーの2人しかまともな魔法使いが居ない。
便利屋のように、全ての要求がたった2人に舞い込んでいた。
「やってられるかー! 私は、あんたたちの召使いじゃないんだよ!」
額に張り付いた髪を乱暴に払い、アイヴィーが椅子に深く沈み込んだその時。
重い足音と共に、ガルムがやってきた。その表情は、いつになく険しい。
「アイヴィー殿、また一つ、厄介な件が発生いたしましたな」
「……また今度は何だよ。石でも掘り起こせって?」
「いえ。市場の自由区画にて、子供が暴れております。それも……」
「そんなもん、あんたら自警団で対処しろよ! なんで私に振るんだ!」
ガルムは言葉を切り、周囲を気にするように声を落とした。
「相手は、魔法使いです」
アイヴィーの背筋に、嫌な寒気が走った。
魔法使いの暴走。それは、単なる騒動では済まない。火災、爆発、あるいは周囲の構造物への損害。
「あれは生活魔法を悪用しており、制御が効かぬのです。……それに、フリド様は今、北の薬草群の調査で不在ですからな」
アイヴィーは絶句した。
畜生、なんで私なんだ!
守るべき「秩序」を乱す魔法使い。そして、その事態を解決できる唯一の「判断力」を持つ主は、不在。
アイヴィーは、毒づきながらも腰の道具袋を掴み、立ち上がった。
───市場、自由区画。
そこは、混乱の極みにあった。
「火だ! 火を消せ!」
「荷物が燃える! 誰か水を!」
露店の荷物から、不自然な火が上がっている。人々は必死に、手桶の水を撒き、あるいは湿った布で覆おうとしていた。
原因は明白だった。一人の子供が、生活魔法の《着火》を、まるで玩具のように連発しているのだ。
アイヴィーは、人混みを割って中央へ踏み込んだ。
「そこまでよ!」
アイヴィーの瞳に、鋭い魔力の光が宿る。
彼女は即座に術式を構成し、編み込んだ。
「《風拘束》――!」
目に見えない塊が、まるで触手のように、火を放っていた子供の足首を絡め取った。
「なっ……!」
「離せっ! 兄ちゃんを……兄ちゃんを放せ!」
子供の傍らに、年端もいかない少年が立ち上がる。彼は、自身の小さな手から魔力を練り上げた。
アイヴィーは、攻撃を想定して身構える。
――しかし。
放たれたのは、凄まじい衝撃波ではなく、ただの、柔らかな風だった。
《送風》――。
「…………はっ、こんな、そよ風で……」
アイヴィーは、あまりの威力不足に、思わず呆れた声を漏らした。
だが、少年は怯まない。
「逃げるんだ、兄ちゃん!」
少年が、地面の砂を魔法で巻き上げた。
《集塵》の応用か。
視界が、瞬時に真っ白な砂埃で覆い尽くされる。
「見えない!」という悲鳴。
アイヴィーが、風の壁を魔法で払い除けようとした時、そこにはもう、子供たちの姿はなかった。
───喧騒の少し外、自由区画の端。
「……大丈夫、兄ちゃん……っ!?」
逃げ込んだ路地の隅で、少年は息を切らしていた。
「……よくやった。よし、このまま追いつかれる前に食べ物を盗んで、逃げ――」
「逃がさないよ」
頭上から、地鳴りのような、しかし透き通った声が降ってきた。
アイヴィーと、少年が同時に見上げる。
そこには、いつの間にか戻ってきていたフリドが、静かに立っていた。
フリドは、指先を軽く動かす。
闇属性補助魔法《重力操作》――。
目に見えない重圧が、逃走を図った兄弟の身体を、逃げ場のない地面へと押し留めた。
二人の体は、まるで宙に浮くかのように、フリドの手によって、そのまま物理的に「持ち上げられた」。
「……説明を。なぜ、このような真似をした」
フリドの問いに、少年は震えながら、絞り出すように答えた。
「……湿地の、外れの村から……。雨季が来て、村が、……捨てられたんだ……。食べ物が、なくて……。盗むしか、な……」
語られたのは、残酷な真実だった。
この過酷な湿地において、増え続ける人口と、管理しきれない水害は、時に「不要な者」を切り捨てる理由となる。
水域の整備で水害は減ったが……未だ、この湿地帯すべてを救えない。
彼らは、飢えを凌ぐために、この繁栄しつつある市場へ流れ着いた、行き場のない子供たちだった。
周囲には、被害を受けた商人たちが集まっていた。
その顔には、怒りと、この時代の「正義」が浮かんでいる。
「盗んで燃やして……こんなこと、許されないだろう!」
「こんな奴らは、手を切り落として、二度と盗めぬようにすべきだ!」
周囲の怒号が、兄弟を追い詰める。
この時代、窃盗の罰は、身体の一部を失うことが通例だ。
フリドは、無言で二人を見下ろした。
……(ただの犯罪者として、切り捨てるか)
……(あるいは、この異常なまでの魔力操作の才能を、利用するか)
フリドの思考は、冷徹なほどに合理的だった。
だが、同時に、彼は理解していた。
彼らを無罪放免にすれば、市場の秩序は崩壊する。
「……処罰は、必要だ」
フリドの声に、周囲が静まり返る。
「だが、切断はしない。……この者たちには、新たな『役割』を与える」
アイヴィーが、フリドの意図を汲み取って、一歩前に出た。
彼女は、懐から古びた、しかし重厚な魔導書の一節を指し示した。
「闇属性補助魔法――《魔法契約》。手を切り落とすのも通例だが、それだけじゃない」
「……こっちも、人手不足なんだ。お前らみたいなのでも、捨てる余裕はねぇ」
アイヴィーの瞳には、冷ややかな、しかし確かな意志があった。
「……選択肢は二つ。手を切り落とされ、一生泥の中で朽ちるか。あるいは、この領と『刑罰契約』を結び、その魔法を、都市の維持のために捧げる労役につくか。……どちらがいい?」
兄弟は、顔を見合わせた。
震える手で、少年が、掠れた声で答えた。
「……働く……。働きます……っ!」
フリドは、短く「分かった」とだけ告げた。
都市を維持するために必要な秩序が、いつから「支配」に変わるのか――。
フリド自身、まだ理解していなかった。
魔法事情がなんとなく伝わればよいなと、追加したお話です。
楽しんでいただければ幸いです。
よろしければ、何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。




