雨季の鼓動
窓の外には、絶え間ない雨が降り注いでいる。
しかし、かつてのような「すべてを飲み込む泥濘」の音ではない。それは、整えられた排水路を流れる規則正しい水の音であり、都市の循環を告げる鼓動のようでもあった。
新しく築かれた領主館の窓辺で、フリドは静かにその光景を眺めていた。
眼下に広がるのは、幾重にも重なる層構造を持つ、秩序ある都市の姿だ。排水路は雨水を制御し、木道は雨を避けて人々を繋ぎ、水路は物資を運ぶ。
(……これで、スローライフ達成かな)
ふと、そんな考えが口を突いて出そうになり、フリドは自嘲気味に微笑んだ。
かつて、ただ泥に足を取られるだけの絶望的な土地だったはずの場所が、今は自分がいなくても自律的に動き始めている。
……もはや、何も手を加えなくても回っていくのかもしれない。
本来、彼が求めていたのは、波風の立たない平穏な隠居生活のはずだった。
だが、現実は彼の予想とは少し違う方向へと加速していた。
「――フリド様! お会いできて光栄です!」
階下から、駆け寄ってくる足音が響く。呼び声の主は、建設に従事する職人の一人だった。
フリドは小さく溜息をつき、外套を羽織って館を出た。
移動を開始すると、都市の「変化」が肌に突き刺さる。
行き交う人々は、以前とは明らかに違う。地元住民の質素な服に混じって、見たこともない色彩の、仕立ての良い服を着た者たちが闊歩している。外部から流れ着いた商人や、新たな商機を求めてやってきた旅人たちだ。
市場付近に差し掛かると、騒乱に近い活気が耳に飛び込んできた。
「そんなものに、その額は出せねえよ!」「もっと安くしろ、こっちは遠路はるばる持ってきてんだ!」
あちこちで値切り交渉の怒号が飛び交っている。かつてのように「魚と塩を交換する」といった単純な物々交換は、目に見えて減っていた。代わりに流通しているのは、外部から持ち込まれた、見たこともない紋章が刻まれた硬貨――外貨だ。
露店は増え、その種類も多様化している。
子供たちが、慣れた手つきで重い荷物を運搬している。
木道の交通量は、もはや歩行だけでは捌ききれないほどに増大していた。重い荷を背負った人々や、行き交う荷車が、細い木道を埋め尽くしている。
混雑の波に揉まれるのは、魔法の使えない人々だけだ。
フリド自身は、風属性の補助魔法《浮遊》を足元に展開し、身体を軽く浮かせて、人の流れの上を滑るように移動する。視界が開けるにつれ、さらに鮮明な光景が目に飛び込めるようになった。
呼び出された先、湿地の外縁部では、数人の職人たちが、地図を広げて熱心に議論していた。
「……それで、フリド様。報告があります」
職人の一人が、興奮を抑えきれない様子で地質調査の記録を提示した。
「低地の、より深い層から新たな資源が見つかりました。沼鉄です。
鉄塊のほか、赤茶色に沈殿した鉄分も大量に確認されています」
フリドは眉をひそめた。
「沼鉄……。あの泥の淀みに、まだそんなものが?」
「ええ。燃料となる沼炭は以前から使っていましたが、これだけの量が見つかれば話は別です。これだけの資源を扱うとなれば、これまでの小規模なものとは桁違いの、大規模な製錬炉が使えるようになります」
職人の視線が、フリドに突き刺さる。
「そこで相談なのですが、第2層(生産・物流層)の、あの水路に近い区画に、大規模な製錬施設を建設できないでしょうか? あそこなら、水による冷却や、完成した製品の出荷にも極めて有利です」
……フリドは、広げられた図面を見つめた。
第2層。倉庫や市場、船着き場が集まる、都市の心臓部の一つだ。そこに、新たな産業の重圧が加わろうとしている。
(これから忙しくなりそうだ……ん?これって、スローライフどころか、全然違う方向へ行っていないか?)
ふと、視線を上げ、市場の喧騒と、複雑に入り組んだ水路を見下ろした。
舟や馬車が荷を運び、荷が人を呼ぶ。
人が増えれば、飯屋ができる。
飯屋ができれば、炭が要る。
炭を運ぶ舟が増えれば、また水路が混む。
誰かが命じたわけでもない。
それでも都市は、勝手に膨らみ続けていた。
フリドは、熱を帯びた市場の喧騒を、逃れられない現実として、けれど確かな手応えを持って感じ取っていた。
自分の手を離れだしたと感じ、スローライフ達成か……
と思いきや、全然そんなことはなかった!
またしてもスケールが上がります!
楽しんでいただければ幸いです。
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