濁る命の脈
夜明け直後の、二次水路は、まだ奇跡のような輝きを放っていた。
湿地の霧が、朝陽に照らされて白く透き通る時間。
かつては泥の塊であったはずの副流の水路には、フリドが施した「沈砂池」の機能によって、淀みのない、澄んだ流れが生まれていた。
几帳面なことで知られる老いた村人、ハンスは、腰に下げた水瓶を手に、慎重に水路の縁を歩いていた。
彼は、この新しい水路の「清らかさ」を、何よりも信頼していた。
「……よし、今日もいい水だ」
水瓶に注がれる、冷たく、濁りのない水。
ハンスは満足げに頷き、その水を一口含んだ。
その瞬間、彼は、この「新しいインフラ」がもたらした平穏が、あまりにも脆いものであることを、まだ知る由もなかった。
――しかし。
太陽が天頂に昇る頃、水路の「上流」では、別の「熱」が渦巻いていた。
狩猟、採取、掘削、運送。
その過酷な作業を終えた村人たちは、泥と汗にまみれていた。
「……おい、この服、もう限界だ。泥がこびりついて、重くて動けねえ」
「水路の端なら、流れが速いから汚れも落ちるはずだ。さっさと洗っちまえ」
建設に携わった労働者たちが、水路の「上流」側、沈砂池の手前の緩やかな流れに、泥まみれの衣服を放り込んでいく。
激しい洗濯の動きによって、剥がれ落ちた泥の粒子、そして作業着に付着していた古い油や、人々の汗が、勢いよく水路へと溶け出していった。
澄んでいたはずの水流に、茶褐色の濁りが混じり始める。
それは、目に見えないほど微細な、しかし確実な「汚染」の始まりだった。
さらに、事態は加速する。
水路の「下流」側――、水路が広がっている開けた場所では、昼下がりの陽光を浴びて、子供たちが集まっていた。
「見て! 水が流れてる! 泳げるよ!」
ブルブルと、水しぶきを上げる子供たち。
彼らにとって、新しく作られた水路は、単なる「排水路」ではなく、最高の「水遊び場」だった。
泥の混じった水の中を、子供たちが無邪気に掻き回し、泥を巻き上げる。
上流から流れてきた洗濯の垢と、子供たちの遊びによって巻き上がった堆積物が混ざり合い、水路の「質」は、急速に、そして無残に低下していった。
そして、夕刻。
村の、ある家から、苦しげな呻き声が漏れ聞こえてきた。
「……熱が、下がらない……」
「……さっきから、腹を下して……ひどい顔だ……」
午後にその水路から水を汲み、あるいはその水辺で遊んだ者たちが、次々と、原因不明の熱と、激しい腹痛に襲われ始めたのだ。
人々は、自分たちが使った「水」が、自分たちを病ませているとは、夢にも思っていなかった。
ただ、この土地の「不運」が、また繰り返されるのだと、ただ嘆いていた。
その時、湿地の境界を、音もなく歩いてくる影があった。
「……汚い。……水が、腐っている……」
エイルだった。
彼女は、水路の端に立ち、指先で濁った水面をなぞる。
彼女の瞳には、単なる「濁り」ではなく、水の中に漂う、不衛生な「死の気配」が、はっきりと映し出されていた。
彼女は、震える手で、領主館へと続く道を駆け出した。
「……フリド……。……水が、人を殺そうとしている……」
その警告は、技術的な「成功」に酔いしれていた、設計者の耳に、鋭い警鐘として響くこととなる。
問題の提示と合わせて、村人達の過ごしぶりを表現しました。
楽しんでいただければ幸いです。
よろしければ、何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。




