四軒目
「せんぱーい。生きてますかー」
眉間をつつかれ、薄く目を開けた。
横たわる俺の傍ら、女がしゃがみ込み、こちらを見ている。
起きた瞬間、人と目が合うのは恐ろしいものだ。なにか本能的な危機感のようなものを感じる。
それが――いくら馴染みのある顔であっても。
女は顔を近づけ、覗き込んでくる。
耳にかけていた髪が、俺の頬に落ちた。
煙草に油――飲み屋店内のような匂いに混じり、トリートメントの甘い匂いが香る。
女はスマホの角で眉間をつついてきた。
「痛い」
「先輩、おはようございます」
俺は大の字から身を起こし、膝を揃えてしゃがむ女――九厘ほつれに向き直った。
紺のジャケットとパンツ。白地のシャツをインし、パンプスを履いている。
かっちりめのビジネススタイル。
「なんか、変な場所に来ちゃってますよ」
軽い口調。それとは裏腹に、大きな目は真っ直ぐこちらを見据えている。
よく手入れされた艶のある黒髪が肩を擦り、揺れた。
「もしもーし。見惚れちゃってます? 私に。ときどきフリーズするそれ、いつも何考えてます? なんか考えてても考えてなくても怖いんで、早く戻ってきてくださーい」
ハの字になったり、寄って間にシワを作ったりとよく動く眉。
そして薄いリップ――ああ、酒を飲んでいたんだ。
そうだ。
仕事終わりにいつものように飲みに出たのだ。
改めて周囲を見回す。
真っ白に柔らかく発光する世界。
上にも横にも白い空間が広がっている。
地面はあるが、薄くこちらの姿を反射するのみ。
「なんていうか、ウユニ塩湖の塩湖抜きですね」
「それだとただのボリビアの街だぞ」
まあ言いたいことはわかる。
文字通り、線にしか見えない地平線をぼんやり眺める。
「先輩。私たち、死んじゃったんですかね」
平坦な口調で、ただつぶやく。
さっきまで我々は二人で飲みに出ていた。
大学からの後輩――ほつれと、3軒目のダイニングバーで。
道路側の窓際の席だった。
ほつれは「中学時代からの親友の新しい彼氏が、あんまりいい人じゃなさそうなんで何とかしたいんですよ。どんなふうに良くないかというとですね」というような話を熱く語っていた。
先程の2軒目でも同じ話をしていたが、要所要所のスケールが大きくなり、節回しも流暢になっている。
熱が入るあまり身振り手振りが大きくなりすぎるので、俺はうんうん頷きながら、背の高いグラスを机の端に避難させたりしていた。
「――で、結局視野なんですよ視野。先輩はどう思います?」
「ゔぅん」
スターターの引きが足りないチェンソーのような音が出た。
――そう、そのあたりだ。
薄暗い店内が昼間のように明るくなった。
窓を割ってスポーツカーが突っ込んできたのだ。
「で、気づいたらこのなーんもない白い空間ですよ。私、人生で初めて女の子座りしてました。さながら人魚姫っすよ。隣にヒトデも居ましたし」
「俺も大の字で目が覚めたのは初めてかも」
「引き潮に置いてかれたようで、大変無様でしたよ」
で、スマホで俺をつついて起こした、と。
スマホを取り出し、時間を見る。午前1時44分。
ほつれも俺のスマホを覗き込んでくる。
「終電。なくなっちゃいましたね」
「終電とかそういう問題ではないだろ」
口調だけはとんでもなく艶っぽく、顔はとんでもなく無表情。どんな技術だ。
「しかし、ダブルキルされた場合、あの世にも同時にリスポーンするんですね」
「死んだ事実の受け入れ早すぎだろ」
「ゲーム脳って言われて育った世代ですからね」
俺は胡座をかいたまま、軽くため息をついた。
ほつれは立ち上がり、反り返って大きく伸びをしている。
後ろにふらつき、後退りながら話す。
「まぁ、死んですぐのリスポーン地点がこんな寂しいとこ固定なら、先輩がいて良かったですよ。一緒に死んでくれてありがとうございました」
「一生で聞くことないセリフだな」
「一生終えたから聞けたんですよ」
まだよく分からんけどな。
何故か二人で呑気に話しているわけだし。
「まぁただ、このあと別々ですかね」
「……別々?」
「今後の話です。ほら、上下に」
「上下?」
「上下というか、天下です」
ほつれは嬉しそうに話す。
「でも大丈夫ですよ! すぐに手引きします。蜘蛛と蓮池探すんで待っててください――糸は独り占めしたらダメですからね?」
人差し指を立ててくねっとする。
テンションが上がると、すぐにこういうオタク臭い仕草をする。微笑ましいので指摘しないが。
「地獄に行くとしたら、ほつれのほうだよ」
死んでもいつも通りだった。
この空間がただの4軒目かのように。
――ヴッ、ヴッヴーン。ヴッ、ヴッヴーン。
俺の尻でスマホが鳴る。
着信だ。
取り出し、ほつれと目を見合わせる。
発信者は
隨ャ荳邂。蛹コ
――こっわ。
普段なら知らない電話番号は取らない。
ただ、あつらえたようなタイミング。
取らない方が危険な気がした。
応答をタップし、スピーカーモードにする。
『――こちらは異世界転生サービスです。サン。ジュービョーごとに。ニジュウ。円かかります。……ナビダイヤルでお繋ぎします。prrrrrrrrrrrrrr……』
「死んでも通話料取られんのかよ」
「先輩、ツッコむとこそこですか」
『転生申請中の方は1を。転生申請に関するお問い合わせの方は2を。手続きに関するお問い合わせ番号をお持ちの方は3を。状況に関する詳細、今後の対応等について説明が必要な方は4を。説明をもう一度聞き直す場合は9を、押してください』
「デジタルトランスフォーメーションですね!」
ほつれは両腕でDとXを作ろうとしている。
テンションが高い。死んでハイなのか、酔いが引き継がれているのか。
『――操作が確認できませんでした。もう一度……』
4をタップした。
『状況の詳細、今後の対応等についての説明、につきましては、便利で簡単、24時間対応のweb版チャットbotがおすすめです。SMSにてURLをお送りしましたのでご活用ください。ブッ。ツーツーツー』
「「……」」
悪しき文化が。
あの世にも、もう導入されている!
というかそっちから掛けて来ておいて、この仕打ちはなんなんだ。
困惑をイライラが上回り始めた。
また通知。SMSが来ている。
差出人:tensei-kakehashi-service@engel.engel
【 重 要 】即時開封願います。転生サービスより。
公式サイト→ FYg3¥578/tzF)¥.engel
「めちゃくちゃ詐欺SMSじゃないか!」
誰が開くか。
ネチケット世代を舐めるな。
「あ、開いちゃいました」
ほつれの指が、俺のスマホの画面に乗っていた。
わりとこういう女である。
見たくはないが、薄目で画面を確認する。
<404 Not Found>
リンク切れ。
どこまでも適当だ。
ふざけてやがる。
◇
その後、状況打破のため、仕方なく先ほどの番号に通話履歴からかけ直し、ナビダイヤルと戦った。
チャットbotのURL付きSMS(リンク切れ)は、優に10件を超えていた。
「よし! そこで3番です、先輩!」
「おう!」
『……オペレーターへおつなぎします。しばらくそのままでお待ちください』
「「うぉぉぉぉ!!」」
思わずハイタッチした。
ただ、どこの誰とつながるのだろう。
聞き慣れた、チープなリラクゼーションBGMが鳴っている。
『大変電話が混み合っております。そのままお待ちいただくか、しばらく待ってお掛け直しください』
ほつれは俺のスマホを片手に、保留BGMで謎のダンスを踊っている。
コンテンポラリー系だ。
やることないし俺も踊るか、と膝を立てたところで、ほつれの持つスマホから声がした。
「あ、もしもーし。転生者の人でしょ? ごめんねー、なかなか繋がんなかったっしょ?」
よく通る若い女性の声。
礼儀正しいとは言えずとも不快感のない口調。
完全にギャル系だ。
「直であたしに繋がんないそれ。ボスが変なコンサルに捕まって導入したやつなんだよねー。客が初手ブチギレスタートするから、ほーんとやめてほしい。――で、お姉さんはもう色々決まってるからすぐ行けるよー。じゃあいってらっしゃい」
言い終わるや否や。
白く発光する地面が、一際輝きを増した。
地面が抵抗をなくし、我々二人は直下に落ちていった。
――いや少し語弊がある。
風も感じない上、基準の座標もないため、落ちたかどうかすら定かでない。
確かなのは、先程まで地面だったものが、体を通り抜け頭上へ抜けていったことと――
かかとと平行だったつま先が、かかとより下にだらりと垂れたことだけだった。




