ホーンラビット討伐
草むらが、低く揺れた。
リックが息を止める。グラムは小箱の紐を肩に掛け直し、右手を剣の柄に添えた。抜くのはまだ早い。音の位置は近いが、相手の姿が見えていない。
「来ます」
「ああ」
返事の直後、白茶色の影が草の間から飛び出した。
普通の兎より一回り大きい。額から短い角が一本伸びている。小さな体を低く沈め、その角をグラムの脛へ向けて突き出していた。
速い。
だが、見えないほどではない。
グラムは半歩だけ横へ動き、ホーンラビットの突進を避ける。そのまま踏み込む。
靴底が湿った土をえぐる。踏み込み過ぎたか。
剣は抜かなかった。鞘のまま柄尻を落とし、ホーンラビットの首の後ろを打つ。
短い音がして、魔獣は地面に転がった。
「……倒しました、よね?」
「動かない」
「角! 角を見てください!」
リックの声で、グラムは地面の魔獣を見下ろした。
角は折れていない。だが、倒れた拍子に石へ当たり、先端に土がこびりついている。首の後ろも潰れ気味だった。
「駄目か」
「角は無事です。でも、危なかったです。あと少し強かったら、頭ごといってました」
「そうか」
グラムはしゃがみ、角に触れようとした。
「待ってください。雑に扱うと欠けます」
「どこを持つ」
「耳の後ろを押さえて、角には触らないでください。角なので、そうそう欠けることなんてないんですけど、グラムさんの場合は気を付けましょう」
「わかった」
グラムは言われた通りにした。力を入れない。布を当て、こすらずに土を落とす。
それだけの作業に、思ったより神経を使った。
リックは小箱を開け、中に詰めた布を整えた。
「一体目、角は使えそうです。場所は、沢の手前の草地。時間は……昼少し前くらいですね」
「覚えるのか」
「報告で聞かれます」
「一体目。沢の手前。昼前」
「そうです」
グラムは短く繰り返した。
前回より言葉は少し増えた。必要だからだ。
二体目は、すぐには出てこなかった。
リックは少し離れた木の陰で薬草袋を抱えている。戦うつもりはないが、目は必死に周囲を追っていた。
「巣穴はあの倒木の奥です。近づきすぎると、何匹か同時に飛び出すことがあります」
「後二体必要だ」
「はい。でも、囲まれるのは困ります」
「一体ずつ出す」
「できるんですか?」
「やる」
グラムは地面の草を見た。
細い足跡が、倒木の右側から左へ抜けている。前足の跡が深い。リックの説明通りだった。
グラムは小石を拾い、倒木の横の茂みに投げた。
ボスッという軽い音。
その直後、別の草むらが揺れた。
「別の場所から!?」
「音を避けた」
飛び出してきた二体目が、低い姿勢でグラムの左脚へ向かう。
今度は踏み込みを抑えた。
グラムは足を引き、角の先だけを空振りさせる。続けて鞘を横から差し込み、首ではなく肩の上を押さえる。動きが止まった一瞬に、小型ナイフを抜いた。
首筋を浅く切る。
ホーンラビットは暴れかけ、すぐに動かなくなった。
角は無傷だった。頭も潰れていない。
リックが木の陰から顔を出す。
「かなり綺麗に倒せましたね」
「さっきは強すぎた」
「それをすぐ変えられるのがすごいんですけど」
「変えないと角が壊れる」
「普通は、角を気にしている間に刺されます」
「そうなのか」
「はい」
グラムは二体目の角を拭き、小箱へ入れた。一体目の横に並べる時、布を少し厚めに挟む。箱の中で角同士がぶつからないようにするためだ。
「二体目」
「倒木の右側です」
「倒木の右側。怪我なし」
「はい。怪我なしです」
リックは嬉しそうに頷いた。
グラムにとっては、報告の項目が一つ減っただけだった。
三体目は、こちらを警戒していた。
草むらの奥で、乾いた葉がかすかに鳴る。見えているのは角の先だけだ。飛び出してこない。
「気づかれています」
「分かる」
「追いますか?」
「巣穴の奥へは行かない」
ミレーヌに言われたことも、リックに言われたことも覚えている。
無理に追う必要はない。三体分の角が必要なだけで、巣を潰す依頼ではない。
グラムは剣から手を離し、腰を落とした。
動かない。
風で草が揺れる音と、遠くの水音だけが残る。
リックが小声で聞いた。
「何をしているんですか」
「待つ」
「待つんですか」
「出てくる」
数息のあと、草むらの奥で角がわずかに動いた。
ホーンラビットはグラムへの攻撃ではなく、リックの方へ走ろうとしていた。安全そうな小さい相手を選んだのだろう。
「リック、下がれ」
「はい!」
リックが後ろへ跳ぶ。
同時に、ホーンラビットが飛び出した。
グラムは、それを読んでいたかのように低い姿勢のままホーンラビットへ向かった。
地面スレスレから首の下に手を伸ばし、腕力のみでホーンラビットの突進を止め、宙に持ち上げた。
暴れる前に、首筋へ短く刃を入れる。
魔獣は静かになった。
「……今の、角を守るために持ち上げたんですか?」
「当たりそうだった」
「よく間に合いましたね」
「分かっていた」
リックは何か言いかけたが、すぐに口を閉じた。代わりに小箱を開ける。
「三体目です。これで依頼達成です」
「巣穴は」
「残っています。でも、今日の依頼は三体討伐です。奥まで行かない方がいいと思います」
「分かった」
グラムは三本目の角を拭き、箱へ収めた。
一体目は危なかった。二体目は抑えた。三体目は、角を地面に当てずに済んだ。
倒すこと自体は難しくない。難しいのは、依頼の形に合わせることだった。
「報告」
「え?」
「三体。沢の手前、倒木の右、巣穴の前。怪我なし。巣穴は残した」
「はい。かなり報告っぽいです」
リックが笑った。
グラムは小箱の蓋を閉じ、紐を固く結ぶ。
小さな箱が、剣よりも気を使う荷物に思えた。
森を出る頃、日は少し傾き始めていた。
リックは薬草袋を抱え、何度も小箱を確認するグラムを見ていた。
「そんなに見なくても大丈夫ですよ。ちゃんと包みました」
「折れたら報酬が減る」
「覚えましたね」
「覚えた」
西門へ続く道が見えたところで、森の外れから甲高い悲鳴が上がった。
リックの顔色が変わる。
「今の、道の方です」
続いて、馬のいななき。木が折れる鈍い音。荷車の車輪が跳ねる音。
グラムは足を止め、音の方を見る。
木々の切れ間に、傾いた荷車が見えた。荷台から袋がこぼれ、商人らしき男が手綱を引いている。その前で、泥をまとった大きな影が地面を蹴っていた。
「リック」
「はい」
「下がって、箱を持て」
グラムは小箱をリックに渡した。
「え、でも」
「角を折るな」
それだけ言って、グラムは悲鳴の方へ走った。
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この作品とは別で「スローライフってそういう事じゃなくって」という作品を書いております!
この奴隷剣闘士よりも情景描写や心理描写に焦点を当てた作品となっております。気になる方はぜひそちらも読んでください!!




