25. 水上の戦と反射する神話
水上都市リヴィエールの巨大な港湾は、分厚い暗雲と荒れ狂う波によって、重苦しい空気に支配されていた。
都市の物流を完全に麻痺させている元凶、Bランク上位の海魔『狂瀾の海蛇』が、沖合で巨大な渦を巻き起こしているのだ。青黒い鱗に覆われたその体躯は、古い帆船の倍以上はあろうかという規格外の大きさだった。
「ひぃぃっ……! また波が来るぞ! 防波堤から離れろ!」
領民たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、港の突端に、『白銀の誓い』の4人が静かに立っていた。
「……セレスティア様、アリア様。これ以上は近づかないでください。あの巨体から放たれる水圧は、石壁をも容易く粉砕します」
ゼノは荒れ狂う潮風を正面から受けながら、サファイアブルーの瞳で海蛇を冷徹に見据えた。
海魔の最大の厄介さは、「海中」という人間にとって圧倒的に不利な地形に潜んでいることだ。純粋な物理の剣士であるゼノにとって、足場のない海上の敵は本来、最も相性の悪い相手である。
「ゼノ、俺の氷結魔法で海面を凍らせて足場を作るか?」
「いえ。あなたの詠唱速度では、海蛇の突進に間に合いません。……僕が、海を蹴って跳びます」
ラキシスの提案をゼノが却下する。
彼の極限まで鍛え抜かれた脚力と神速の踏み込みがあれば、水面を蹴って一瞬だけ空中に足場を作り、海蛇の首を叩き落とすことも不可能ではない。ただし、それは一歩間違えれば海の藻屑となる、極めて危険な綱渡りだった。
「……無茶ですわ、ゼノ様」
背後から、セレスティアの静かな声が響いた。
彼女は優雅に扇子を広げ、荒れ狂う海蛇を、まるで路傍の石ころでも見るかのような冷たい目で見つめていた。
(愛するあなたに、水面を蹴るなどという不安定で危険な真似、させるわけがありません。この私が、あなたの往く道をすべて平坦な絨毯に変えて差し上げます)
セレスの瞳の奥底に、真の勇者としての深淵の魔力が灯る。
彼女は扇子で口元を隠したまま、無詠唱で不可視の神聖魔術を海原へと放った。
『絶対水面硬化』
『水流支配・凪』
『重力拘束』――。
次の瞬間、港を襲っていた荒波が、まるで嘘のようにピタリと止んだ。
ゼノの足元から海蛇のいる沖合まで、幅十メートルほどの海面が、波一つない鏡のように平滑に固められたのだ。さらに、水中で暴れ回ろうとしていた海蛇の巨体が、見えない巨大な鎖に繋がれたように、不自然に海面へと引き摺り出された。
『ギャァァァァァッ!?』
海蛇が、突如として海水を操れなくなったこと、そして自身の体が鉛のように重くなったことに、パニックを起こして咆哮を上げる。
「……波が、止んだ? それに海蛇の動きが極端に鈍っている……まさか、これが伝説の勇者の『威圧』なのか……!?」
領主の代理が、震える声で感嘆を漏らす。
セレスの完璧な裏工作により、戦場の理は完全に書き換えられていた。
「……好機」
ゼノはその不自然な現象に疑問を抱くことすらなく(あるいは、雇い主を守ることに全神経を集中しているがゆえに)、一瞬の隙を見逃さなかった。
彼は地を蹴り、鏡のように硬化した海面の上を、全く沈むことなく凄まじい速度で駆け抜けていく。
「はぁぁっ!!」
ゼノが、腰のミスリル剣を大きく抜き放った。
――その瞬間である。
ピュルルルルル!!
『アァァァ〜〜〜〜♪(※荘厳な混声大合唱)』
ラキシスの最高傑作『闘気光輝変換環・第参形態』が、海上でその真価を限界まで発揮した。
ゼノの背後に現れた巨大な『黄金の後光』と『舞い散る天使の羽根』が、鏡のように平滑な海面に完璧に反射したのだ。
空に浮かぶ黄金の輪。そして海面に映るもう一つの輪。
上下の光が合わさり、水上都市リヴィエールの海に、目を焼くような巨大な『光の十字架』が顕現した。
「おおおぉぉぉっ!!」
「見ろ! 海が……海が黄金に輝いている!!」
「勇者様だ! 本物の、神話の勇者様の降臨だぁぁぁっ!!」
港を埋め尽くす領民たちが、そのあまりにも神々しい(そして過剰すぎる)光景に、次々と膝をつき、祈りを捧げ始めた。
「フハハハハハ!! 完璧だ!! 水面反射の計算式に狂いはなかった!! これぞ、自然と魔法と物理が織りなす究極の芸術!!」
ラキシスが防波堤の上で、腹を抱えて大歓喜の叫びを上げる。
その信じられないほどけたたましい賛美歌と、視界を完全に白く染め上げる光の十字架の中心で、ゼノは「……っ、前が見えません……!」と激しい羞恥と物理的な眩しさにギリッと奥歯を噛み締めながら、ただ己の剣の勘だけを頼りに、剣を振り抜いた。
ズパァァァンッ!!
セレスのデバフによって身動きが取れなくなっていたBランク海魔の巨体は、ゼノの極限の剣圧(と無駄に派手な光の残滓)によって、頭から尻尾の先まで、まるで魚を捌くように綺麗に真っ二つに両断された。
ドサァァァンッ!!
海水を巻き上げて絶命する海蛇。
黄金の光がゆっくりと収束していく中、ゼノは海面の上に静かに着地し、残心をとった。
――静寂。そして。
「うおおおおぉぉぉっ!!!」
「一撃だ! あの恐ろしい海魔を、光の十字架で一刀両断にしたぞ!!」
水上都市が、割れんばかりの歓声と熱狂に包まれた。
(……ええ。素晴らしい太刀筋でしたわ、ゼノ様。あなたの背負う光は、この海のどんな宝石よりも美しく、人々の心に永遠に刻み込まれるでしょう)
セレスティアは扇子の裏で、愛する人の絶対的な勝利と、それを裏で完全に支配し切った自分自身の盤面に、この上ない甘美な喜びを感じていた。
「よし! 決着がついたね!」
アリアが、歓声が鳴り止まぬうちに、パンッと手を叩いて領主の代理に向き直った。
「見事な討伐劇だったでしょう? それでは、事前の契約通り『特例の特別報酬』と、あの巨大な海蛇の『最高級の魔石および固有素材の完全優先買取権』の手続きをお願いしますね。あ、港への被害はゼロだったので、その分のボーナスも期待していますよ」
「は、ははっ! 喜んで! 国庫を限界まで開けてでも、勇者様たちに最大の報奨をお約束いたします!!」
熱狂の中で、有能な聖女の容赦のない集金システムが完璧に作動する。
こうして、水上都市リヴィエールを脅かした海魔は、セレスの裏工作とラキシスの過剰演出により、ゼノの『光の十字架』という新たな伝説を刻み込み、アリアの懐をさらに潤す最高の結末で幕を閉じたのであった。
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