21. 王宮の動揺と完璧なる政治的防波堤
王都の中心にそびえ立つ王宮。
その最奥にある円卓の間は、かつてないほどの重苦しい緊迫感に包まれていた。
「……辺境都市フレリアに『伝説の勇者』が現れたという噂、事実であるか?」
玉座に座る国王が、疲労の滲む声で問いかける。
円卓を囲む大臣たちは、一様に青ざめた顔で頷いた。
「はっ。情報によれば、その勇者は『ゼノ』と名乗るSランク剣士。神々しい光の聖剣を振るい、単機でAランクの災害指定魔獣『狂魔の岩竜』を一刀両断にしたとのこと。……すでにその武勇は、行商人たちの口伝てにより王国全土へ広がりつつあります」
「加えて、由々しき事態が一つ」
情報長官が進み出て、声を潜めた。
「その勇者の隣には、数日前に王宮から忽然と姿を消された『国宝の聖女・アリア様』が付き従っていることが確認されました。さらに……あの卒業式で殿下が婚約破棄を宣言された、ローゼンブルク侯爵家の令嬢セレスティアの姿も」
「なんだと!?」
その報告に、円卓の端に座っていた王太子が激昂して立ち上がった。
「あの性悪女のセレスティアが、勇者と聖女様のパーティーにいるだと!? おのれ、婚約破棄の場から逃げたかと思えば、今度は聖女様をたぶらかし、勇者の威光を利用して復権を企んでいるに違いない! 父上、今すぐ騎士団を派遣し、セレスティアを捕縛して聖女様と勇者を王宮へ保護すべきです!!」
王太子が声を荒らげる。
国が管理すべき聖女と、新たに現れた伝説の勇者。彼らが国の目の届かない辺境で、あろうことか罪人(と王太子が思い込んでいる)の令嬢と行動を共にしているなど、王家の面子に関わる大問題である。
国王が重い腰を上げ、騎士団長へ出兵の命を下そうとした、まさにその時だった。
「――お待ちいただこう」
円卓の間の重厚な扉が開き、地を這うような威厳に満ちた声が響き渡った。
豪奢な礼服に身を包み、一切の隙のない足取りで入室してきたのは、王国筆頭貴族であるローゼンブルク侯爵その人であった。
「ローゼンブルク侯爵……! 貴殿、王の御前であるぞ!」
「失礼つかまつる。しかし、王家が取り返しのつかない愚行に走るのを止めるのも、筆頭貴族たる私の務めゆえ」
侯爵は国王の前に進み出ると、優雅に、しかし圧倒的な威圧感を伴って一礼した。
「侯爵よ。愚行とはどういう意味だ。そなたの娘が、我が国の聖女を拐しているのだぞ!」
王太子が指を突きつけて喚くが、侯爵は冷徹な視線で彼を一瞥しただけで、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
それは、アリアが王宮の自室に残していった置き手紙の写しだった。
「殿下。聖女様が残されたこの『推し活の旅に出ます』というお言葉。まさか、これを単なるご乱心や、娘の誘拐だと解釈しておいでか?」
「なっ……違うというのか! 意味不明な言葉ではないか!」
「嘆かわしい。次期国王ともあろうお方が、神聖なる古の言葉すらご存知ないとは」
侯爵はワザとらしく大きな溜息をつき、朗々と語り始めた。
「推し活……すなわち『推し進める活動』! 女神の啓示により辺境に現れた真の勇者を見出し、その大いなる使命を傍で支え、世界を救うための活動を『推し進める』という、聖女様による極めて崇高な神聖任務の隠語であらせられる!!」
「……っ!?」
「聖女様は誰に拐されたわけでもない! 自らの意思で、神の啓示に従い辺境へ赴かれたのだ! それを『誘拐』などと宣い、無理やり連れ戻そうと騎士団を差し向ければ、王家は女神の意思に反逆したとして、民衆から大きな反発を招くことになりましょうぞ!」
堂々たる詭弁。
ただの限界オタクの家出宣言を、神聖な使命へと完璧にすり替えた侯爵の演説に、円卓の大臣たちは「おおぉ……」と感嘆の声を漏らし、国王すらもハッと息を呑んだ。
「で、では……セレスティアはなぜそこにいるのだ! あの女は聖女様をいじめた罪人だぞ!」
王太子が食い下がるが、侯爵の目は氷のように冷たくなった。
「殿下。我が愛娘セレスティアは、誰よりも清らかで慈悲深い心を持つ令嬢です。聖女様が身一つで過酷な『推し活』の旅に出られると知り、その身を案じて、自らの危険も顧みず護衛として同行を志願したのです」
侯爵は胸を張り、円卓の全員を睥睨した。
「すべては、我がローゼンブルク家の意思! 我が侯爵家は、勇者と聖女様のパーティー『白銀の誓い』を公式に後援し、莫大な資金と情報網を提供しております。……ゆえに、彼らへの不当な干渉は、我がローゼンブルク家への宣戦布告と見なします」
それは、王宮に対する完璧な『チェックメイト』であった。
王国随一の財力と私兵を誇る筆頭貴族が、公式に勇者パーティーのスポンサー(後ろ盾)に回ったのだ。王家が彼らに手出しをすれば、民衆の支持を失うだけでなく、国を二分する内乱になりかねない。
「……相分かった、ローゼンブルク侯爵」
長い沈黙の後、国王が深く頷いた。
「聖女の出奔は、勇者を導くための聖なる旅であったと公式に認めよう。そして、勇者パーティー『白銀の誓い』の活動は、ローゼンブルク侯爵家に一任する。王家からの干渉は控えよう」
「寛大なご判断、痛み入ります、陛下」
侯爵は優雅に一礼した。しかし、彼はまだ下がらなかった。
その鋭く冷徹な視線が、円卓の端で悔しげに唇を噛む王太子へとゆっくりと向けられる。
「さて。王家と我が侯爵家の連携が確認できたところで……陛下、もう一つだけ、この場で明確に清算しておかねばならない『重大な問題』がございます」
「……申してみよ」
「先日、我が愛娘セレスティアに対し、殿下が公衆の面前で一方的に突きつけた『婚約破棄』と『聖女様いじめの罪』についてです」
その言葉に、円卓の空気が再び凍りついた。
「なっ……! なんだと! あの女が聖女様を虐げたのは紛れもない事実ではないか!」
王太子が顔を真っ赤にして立ち上がる。
教科書を破り捨て、泥水を浴びせ、地下室に閉じ込めた。王太子は得意げにセレスの「悪逆非道な罪」を並べ立てた。
だが、侯爵は微塵も動じず、氷のように冷たい声でそれを一刀両断した。
「ならば殿下。現在、辺境の地で起きている『明白な事実』を、殿下はどう論理的に説明なさるおつもりか?」
「……なに?」
「聖女様は、危険な魔物が跋扈する辺境への『神聖なる旅(推し活)』において、たった一人の同行者として、我が娘セレスティアを選ばれました。……もし我が娘が、殿下の仰るような『残酷な虐めを行なった』のであったなら。聖女様は自らの命を預ける過酷な旅の相棒に、自らを虐げた憎き女を選ぶでしょうか?」
「あっ……!」
王太子の喉から、間抜けな音が漏れた。
円卓の大臣たちも、一斉にハッと息を呑む。
侯爵の言う通りだ。
本当にいじめられていたのなら、権力も護衛も届かない辺境への旅に、わざわざ加害者を連れて行くはずがない。むしろ、「国宝級の聖女が、命を預けるほどに深く信頼し、愛している親友」でなければ、この状況は絶対に成立しないのだ。
「真実は火を見るより明らか。殿下は、根も葉もない噂を鵜呑みにし、そして、あろうことか卒業式という神聖な場で、我がローゼンブルク家の令嬢に謂れのない罪を着せ、公衆の面前で名誉を著しく傷つけた」
侯爵の一歩一歩が、王太子を精神的に追い詰めていく。
「加えて、殿下のその軽率な判断が何をもたらしたか。……殿下は自らの手で、国宝の聖女様と、新たに現れた神話の勇者、彼らと最も太い絆を持つ『セレスティア』という王国最大の架け橋を、王家から切り捨てたのです」
「ち、違う! 僕はただ、正しい裁きを……!」
「王太子たる者が、事実の裏付けも取れず、感情のままに筆頭貴族の面子を潰し、国益を損なう。……陛下。我がローゼンブルク家は、王家への忠義ゆえに婚約破棄を受け入れはしましたが、この事実をどう受け止めるべきでしょうか?」
それは、実質的な王太子への弾劾だった。
国王の顔はすでに怒りで土気色に変わっており、震える手で玉座の肘掛けを強く握りしめていた。
「……愚か者めが」
「ち、父上……!?」
「事実確認も怠り、己の慢心で筆頭貴族を侮辱し、あまつさえ勇者と聖女という国の至宝との繋がりを自らドブに捨ておって……! 王の器に非ず! 今よりお前を自室での謹慎処分とする! 王太子としての身位も、白紙に戻して再検討せねばならんな!!」
「そ、そんな……っ!」
王太子は絶望に顔を歪め、そのまま近衛兵に両脇を抱えられ、無様に円卓の間から引きずり出されていった。
「……ローゼンブルク侯爵よ。愚息が、そなたの愛娘に多大な苦痛を与えたこと、王として深く詫びよう。侯爵家への埋め合わせは、必ずさせていただく」
国王が、筆頭貴族に対して頭を下げた。
「もったいないお言葉。我が娘の潔白が証明されただけで、十分でございます」
侯爵は完璧な貴族の礼を執り、悠然と円卓の間を後にした。
重厚な扉が閉まり、王宮の長い廊下に出た瞬間。
侯爵の厳格な顔が、ふにゃりとだらしなく崩れた。
(……おおおっ! やったぞセレスティア! お父様は、お前を傷つけたあの馬鹿な小僧に、完璧な報復を果たしてやったぞ!!)
冷徹な政治家の仮面の下で、過保護な親バカは歓喜の涙を心の中で流していた。
これで愛娘は、邪魔な王太子の影に怯えることも、謂れのない罪に問われることもなく、辺境で堂々と『勇者プロデュース』という名の壮大な冒険を楽しむことができるのだ。
こうして、聖女が仕掛け、過保護な父親の『政治的防波堤と報復』は完了し。
セレスとゼノが世界を騙すための舞台は、誰にも邪魔されることのない強固な地盤を手に入れたのであった。
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