3-1 第二階層スタート
前回のマーキング場所である二階層への扉前まで戻ってきた僕らは、互いに装備品を確認していた。といっても、前回から変わったのは早瀬がチョーカーをつけたことぐらいで、今は早瀬も寒さに震えなくてすんでいるみたいだった。
「では、お話した通りファニーゴーストのダンジョンは、次が最初の関門になります。気をつけていきましょう」
扉に手をかけた鈴木さんが、いつもの糸目で声をかけてくる。ファニーゴーストのダンジョンは、全部で四階層という浅いダンジョンだ。ただし、二階層と三階層には行く手を阻むゴーストがいて、それらを倒さない限り最深部にいるユウジ・キムラに会うことができない。
しかも、厄介なのがそのゴーストたちで、三階層にいるのがジョン・ロベルトとわかっているけど、二階層にいるゴーストはいまいち情報が正確にわからないからどの程度の強さかはわからない。けど、ジョン・ロベルトに関していえば、世界ランク二位という肩書きが強さを証明していた。
「まずは第一関門ね」
心なしか緊張しているように見える神崎が、小さく呟いた。その言葉に軽く頷いていると、早瀬がどこか遠くを見るかのようにぼんやりとしていた。
「早瀬、どうしたんだ?」
珍しくぼんやりとしている早瀬に声をかけると、早瀬は苦笑いを浮かべて神崎の隣に移動していった。
早瀬の動きを変に思いながらも、開いたドアの向こうに足を向ける。無機質なコンクリートの階段を降りていった先には、これまでとは違った空間が広がっていた。
「ヤバ、全部真っ白やん」
広がった空間の感想をもらす早瀬に、神崎も驚きの声をもらした。目の前には真っ白な通路が先の見えない空間まで伸びていて、その両脇には等間隔に部屋があるような感じだった。
「何かの研究施設みたいだ」
誰に言うわけでもなく、僕は一人感想を呟いた。ここは資源開発施設だったから、研究的な施設がおかしくはない。けど、ここまで見事に何もかも真っ白だと、かえって不気味な雰囲気が漂っているように見えた。
「まずは三階層に続く部屋を確認したほうがいいかも。事前情報だと、突き当たりを曲がった先にあるはず」
「そうだね。二階層の探索はその後にしよう」
歩きだした神崎に並んで、僕も歩みを早めた。床は真っ白なコンクリートで、等間隔に天井の蛍光灯が反射している。おかげで視界には困らないけど、色彩も音もない空間には相変わらず不気味さだけが滲み出ていた。
歩くこと数分、最初の十字路が見えてきた。十字路からは、どちらを向いても同じ光景が続いている。変化のない空間だけに、下手に動いたら迷子になってもおかしくはなさそうだった。
そんな味気ない空間を歩き続け、何度も十字路を通り過ぎる。けど、一向に突き当たりにたどり着く気配はなく、次第に誰も口を開くことはなくなっていった。
「ねえ、何か聞こえない?」
僅かに暗い顔をしてキョロキョロと視線をさ迷わせていた早瀬が、恐る恐るといった感じで呟いた。
「聞こえるって、何が?」
早瀬の言葉に妙な寒気を感じた僕は、静けさの空気を払うように声を上げた。
「足音。さっきから、私たち以外の足音が聞こえているんだけど」
早瀬が神崎の腕にしがみつきながら、より一層顔色を青くさせる。この空間は、耳鳴りがしそうなほどの静けさに包まれているから、足音ははっきりと聞くことができる。だから、もし僕ら以外に近くに誰かがいるとしたら、その足音も聞こえてくるはずだった。
けど、そんな足音が聞こえてくることはなかった。神崎に視線で尋ねてみたけど、神崎も首をひねるだけで早瀬の言葉に同調することはなかった。
「ほら、今はっきりと聞こえたよね?」
もう何回目かわからない十字路にさしかかったところで、今度は確信を得たみたいに早瀬が右に曲がった先を指差して声を上げた。
「僕には何も聞こえないんだけど」
早瀬の言葉を否定するように、僕は首を横にふりながら答える。十字路の先には、どの方向を向いても足音はおろか人影すらなかった。
「ふみちゃん、本当に聞こえたの?」
十字路の中央に立った神崎が、明らかに敵意を感じる疑いの眼差しを早瀬に向けた。
「本当ですよ。間違いないです!」
神崎の冷たい視線に、負けじと早瀬も大袈裟なジェスチャーで訴える。せっかく仲良くなったように見えたのに、再び神崎から早瀬に噛みつくことになってしまった。
「わかったから、とりあえず落ち着こう」
いがみ合い始めそうな二人の間に入り、とにかく場を収める。神崎は納得いかない顔で視線をそらし、早瀬はショックを受けたように項垂れた。
――まったく、どうしてこうなるんだ?
冷えきった二人を見つめながら、僕は小さくため息をついた。初めてできたパーティーだから、僕としては春兄のような笑いの絶えないパーティーでいたかった。
けど、そんな僕の想いなどおかまいなしに、二人はすれ違っていく。どうしたらいいのか考えたところで、僕に答えなど出せるわけもなかった。
――春兄みたいにはなれないのかな
自分の素質のなさに両手を握りしめながら、現状を受けとめる。春兄なら、きっとこんな時でも笑いに変えて場を乗り切るだろう。
いや、そもそも春兄のパーティーには、互いにいがみ合うことはなかった。みんながお互いを信頼していて、何かあればその信頼が目に見えるように互いを助け合っていた。
――だめだ、弱気になったら春兄に合わせる顔がない
自分の弱さに落ち込みそうになる気持ちを、無理矢理引き立たせる。春兄のパーティーは最高だったけど、僕は僕なりにみんなと向かい合いたかった。考えてみたら、神崎とバディを組めたこと自体が奇跡だし、後方支援のスキルを持つ早瀬と出会えたのも奇跡だった。
「このままじゃ埒があかないから、部屋も調べてみよう」
二人に気づかれないように小さく気合いを入れ直した僕は、努めて明るく二人に声をかける。二人がいがみ合うのも理由があるはずだから、まずはその点を探ることにした。
「わかった」
素っ気ない返事と共に、神崎が一人で歩きだした。その背中からは明らかに怒りが感じられ、声をかけることは難しそうだった。
早瀬はというと、暗い顔のまま無言で頷いてみんなから距離を置くように離れていった。
――何か変だ
そんな二人を見て感じたのは、神崎も早瀬も何かを抱えていて、そのせいで上手く立ち回れていないということだった。
神崎に関しては、早瀬の言動に噛みついているけど、ただ噛みついているだけではなさそうだった。さっきの敵意をむき出しにした疑いの眼差しを見る限り、神崎は早瀬の何かを信用していないのかもしれない。
その何かはわからないけど、神崎は早瀬に何かの疑いを抱いている。だから、早瀬の言動に厳しくあたっているのだろう。
だとしたら、問題は早瀬にあるのだろうか。何かを疑われるようなことをしているのか、あるいは、何かをしたのか。いずれにしても、その何かがわかれば、二人の間にあるわだかまりも解けるかもしれない。
頭が混乱しそうな感じだけど、僕はこの状況を悲観するのをやめた。神崎は、神崎なりに早瀬と真正面から向かい合っている。何かを疑って陰でこそこそと動いているわけではない。堂々と早瀬の前に立ち、まるでいさめるように早瀬と向き合っている。一見したら面倒くさいように見えるけど、実際は神崎の本当の優しさがそこにあるように見えた。
だから、悪い方向に考えるのはやめることにした。僕に春兄のようなパーティーをまとめる力も素質もないとしても、僕は僕なりにやるしかないと改めて思った。
「早瀬、さっきの足音なんだけど、また聞こえたら遠慮なく僕に教えてよ。その時は、僕も聞こえたことにして神崎に話してみるよ」
落ち込む早瀬に、無理矢理笑顔を作って声をかける。僕の言葉に、俯いた顔を上げた早瀬だったけど、その瞳には切なくなるほどの涙がこぼれ落ちそうになっていた。