欠片の恋(後編)
地獄のお出かけ、当日。
「おー、来た来た、樹! こっちだよー!」
奈津は朝から元気いっぱいだ。隣で悠人が軽く手を挙げた。
「よう」
「ああ、おはよう」
「朝から疲れた顔してんねー……ほら、眉間にしわ寄ってる」
にっこりー、にっこりー、と言いながら、奈津が両手でそこをぐりぐりした。手袋越しでも奈津の手の柔らかさが伝わって、思わず口元が緩む。ちょっと幸せだ。
「じゃあ、樹が元気になったところで、電車にのろっか?」
「いえーい」
「はいそこ棒読み! もっと気合い入れなさーいっ」
奈津に一喝され、悠人が苦笑いしつつ言い直した。
「そんじゃ、れっつらごー、だねっ」
歩き始めるとともに奈津の手は悠人のポケットへ。――ほんとに、二人で行きゃいいのに。
吐息のかかるような距離でおしゃべりをする二人を、樹は黙って見つめ、ついて行った。
ようやくついた遊園地は、まだ10時なのに活気にあふれていた。ジェットコースターに乗る客の悲鳴と、どこからか流れる音楽が、こちらの気分も盛り立てる。
「なんかもう、音と雰囲気だけでわくわくするね!」
「そだな、何から乗る?」
奈津にはそっけなく返した樹も、柄になくうきうきしてきた。昔の、三人ともがただの友達だったころと同じ気分。なんだか、普通に楽しめるような気がしてきた。
「あ、はいはいっ! 俺、ジェットコースター希望!」
「俺もそれでいいよ」
「じゃあ決定で! どれにしよっかな……」
さっそく奈津がガイドマップとにらめっこを始めた。この遊園地には、目玉のジェットコースターが複数ある。
「なんだよ奈津、俺に選ばせてくんないのー?」
「悠人に頼んだら、とんでもないのをやらされちゃうでしょ。ほらほら樹、二人で決めよ」
はいはいと応じ、樹も地図を覗き込んだ。奈津と近距離で目が合う。そっと笑った。なんだかすごく、懐かしかった。
遊園地は楽しかった。もともと気が合う二人だ。あっという間にアトラクションに夢中になり、すごく笑ったし、笑わされた。
「次コーヒーカップ行こうぜ!」
地図にざっと目を通すと、残っているのはそれと、大観覧車のみ。有名でも、大きいわけでもないこの遊園地は、一日かけるとすべてを回れる。
「俺ちょー回すよ?」
「上等じゃん」
悠人の挑発を、樹は余裕をもって受け取る。反対に奈津は、うひゃあ、と嫌そうな顔をする。。
「私はパス! この前みたいなのはこりごりなんで」
「なんだよー、つれねえなぁ。行こうぜ、樹」
二人でコーヒーカップに乗り込み、しばらくすると、動き始まった。
「おっしゃあ、血が騒ぐぜ!」
「おう、せいぜいがんばっ……ちょ、ちょ、ちょ、やめやめやめっ」
「今更後悔しても遅いーッ」
おらおらおらあッ、と、悠人の全筋力をつぎ込まれたコーヒーカップは、さすがに、よく回った。樹の悲鳴をあたりに振り撒いて、回る、回る、回る。
「俺もう、無理……」
先に立ってコーヒーカップを降りる悠人は、先ほどの超回転を何とも思っていないようで、やりきった感満載の余裕の顔で樹の手を引いた。
「お疲れ、樹」
「知ってたんなら止めてくれ……」
「何事も経験だよ」
奈津は澄ました顔でそう言いながらも、飲み物を差し出してくれた。
「こうなるだろうと思って、そこで買って来たの」
「さんきゅー、後で金は払う」
「私は優しいから、別においしいものを買ってほしいとか思ってないよ?」
「ここには悪魔しかいないのか!?」
とはいえ飲み物は非常に助かる。疲労でのどはカラカラだ。
「俺にはねえのー?」
「別に悠人は疲れてないでしょ。ほら樹、飲んで飲んで」
ああうん、と返事はしたが、なんだか怪しい。こんな風に優しい気を回す奈津ではなかったはず。これも悠人と付き合っての変化か、と思うと心が痛いが、樹は直感を信じることにする。
「ほれ悠人、やるよ」
「へ、いいのか?」
きょとん、とした顔の悠人にパスする。爆弾でないなら後で一口もらえばいい。ちらりと奈津をうかがうと、やっぱりつまらなそうな顔をしている。あれは確実に、爆弾。そう判断した樹がさらに開封を促そうとする前に、悠人がプルトップを引いた。
しゅばばばばば、と炭酸の泡が噴き出る。それは悠人の手を濡らし足元を濡らし……どうやら、服は無事だったようだが。
「樹-っ?!」
「文句はお前の彼女に言ってくれ」
「お前らぁああ!」
「なっさけない顔ね、悠人」
「ドSか!」
「彼女の新しい一面を知れて嬉しいでしょ?」
「あほかーっ!!!」
「アッハハハ、お前らマジでコントかよ、あはは、はっ……腹、いたっ!」
樹につられるように悠人が笑い出し、奈津が笑い出し、三人は、しばしその場で、笑い続けた。




