終章‐1
アッシュたちは、この事件の対応を担当していた第一首星防衛師団第一連隊第一大隊の大隊長、及び大隊副官に捕まって、事情聴取と紙一重の詳細な事情説明を強いられる。なにしろ、首都の防衛に本来全く関係のない辺境警備隊の面々が、勝手に動きまわっていたのだ。その強引な扱いも当然のことだった。アッシュの骨折と筋肉断裂の魔法治療も、事情説明をしながら行わされる。彼らは、エリカたちの任地でもあるアッシュの星へ帰還する為の定期便の発進時刻ギリギリまで引き止められて、ようやく解放されることになった。しかし、本来なら、もう一日や二日、事情聴取と事後処理の為に足止めを食らっていてもおかしくないところだ。それどころか、もう一度、査問委員会が開かれかねない大きな事件だった。それが、たったこれだけで解放してもらえたというのは、もしかすると、隊に大きな影響力を行使できる何者かが、裏でなんらかの手を回してくれたのかもしれない。
アッシュたちが、ようやく事情説明から解放され、へとへとになって首星防衛隊の指揮車両を出ると、そこには、指揮車両の扉の脇にもたれ掛かったアマーリア=ウィルナー=クァトロロッソ=ロスロレンツィ少尉が待っていた。アマーリアは、その背を指揮車両から離すと、エリカに向かって問い掛ける。
「辺境へ帰りますの?」
「はい。いろいろとご迷惑を――」
そう言いかけるエリカ=デ・ラ・メア=ブラウスパーダ少尉を、アマーリアは指揮杖を振って遮った。
「堅苦しい挨拶は結構ですわ。あまり時間もないのでしょうし。……辺境警備隊の任期は、確か三年でしたわね。来年には中央に戻ってきますの?」
「いえ。任地は現在の星から転属になるかもしれませんが、引き続き辺境警備隊を希望するつもりです」
エリカの答えに、アマーリアは呆れた、といった豊かな表情を作る。
「まったく、酔狂ですこと。……中央に戻りたくなったら、いつでも声をお掛けなさいな。なんとかして差し上げられると思いますわ」
アマーリアはお得意の、腕を大きな胸の下で組み、指揮杖の先端を形のいい顎に当てるポーズを取って、しかし、心持ち眼を逸らしながらそう言った。エリカは少し驚いたように、金色の瞳を見開く。そして、笑顔になった。
「……ありがとう、アマーリア。今は、お気持ちだけ頂いておきます」
「まぁ、たまには休暇を取って、こちらに戻ってくることですわね。お食事くらい、ご一緒して差し上げてもよろしくてよ」
そんなことを言うアマーリアに、エリカは微笑みを向ける。
「はい。そのときは、ご連絡致します」
「えぇ。……それでは、エリカ、ごきげんよう」
別れの挨拶を口にすると、もう用件は済んだと言わんばかりに、アマーリアは踵を返して立ち去ってしまった。エリカは、その背に向かって頭を下げる。
「はい、アマーリア、またお会いしましょう」
そして、顔を上げると、アッシュたちのほうに向き直った。
「それでは、急いでホテルに戻って荷物を取ってきましょう」
「ああ」
彼らはホテルに戻って、預けていた荷物を受け取ると、定期便が待っている低軌道上のセレスト宇宙港に上がる為に、そこへ通じている『転移門』が設置してあるセレスト中央駅に向かう。もうかなり日が傾きかけており、夕刻に発進するという定期便の出る時刻まで、あまり余裕がない。
「エリカぁ、お腹空いたよぉ」
街中を早足で歩きながら、アリーセ=フィアリス軍曹が、お腹を押さえてそう言った。隣のサーニャ=ストラビニスカヤ伍長もこくこくと頷いて、同意を示す。しかし、先頭を歩くエリカは、無情に首を振った。
「食事をしているような時間の余裕はありませんよ。急がないと、定期便に乗り遅れてしまいます」
アッシュの星のある辺境方面への定期便は、月に一本しか出ていないらしい。決して、乗り遅れるわけにはいかなかった。
「急いでるところ、こんなこと言うのは、ものすごく気が引けるんだけどさ。済まないけど、ペットショップに寄らせてもらえないかな?」
アッシュが申し訳なさそうに切り出す。エリカが時計を見て、少し困り顔で言った。
「買うものが既にお決まりで、素早く買い物が出来るのでしたら、なんとか寄れないことはありませんけれど。なにか買い忘れたものでも?」
「ああ。さっき、チッピィと約束したんだ」
チッピィとの約束を破るわけにはいかない。それを聞いて、エリカが頷いた。
「では、ペットショップに寄って、素早く買い物を済ませましょう」
「ああ、悪いな」
アッシュは頭を下げる。それから、彼らはセレスト中央駅近くのショッピングモールに入って、その中にあるペットショップに寄った。アッシュは、チッピィに選ばせて、彼の言う『ご馳走』――高級ペットフードの缶詰を十個ほど買い込む。勿論、支払いは相変わらず、エリカからの借金だ。
(ご馳走、いっぱい!)
アッシュが抱えた、彼の寝床である籠の中に収まったチッピィが、喜びの声を上げた。アッシュは、くしゃくしゃとその頭を撫でまわしてやる。
そして彼らは大急ぎで、セレスト中央駅を駆け抜け、『転移門』に飛び込むようにしてセレスト宇宙港に上がり、出星手続きをした。その手続きは、幸いなことに入星審査に比べると格段に早く終わる。入るのは難しくとも、出て行くのは簡単らしい。そして、発進の数分前にギリギリで、アッシュの星のある辺境方面への定期便の航宙船に乗り込むことが出来た。定期便の航宙船は、地味なカーキ色をした、流線型で小さな翼の生えた、アッシュの国の電車一両分ほどの大きさの機体だ。アッシュは、少し小さいけど、これなら宇宙船に見えるな、などという感想を抱いた。この星に来るときには自分たちで航宙船を操縦しなければならなかったのだが、帰りはきちんと航宙船の操縦士がいるので、おとなしく客席に座っているだけで済むようだ。
彼らが狭い客室の座席に着くと、すぐに航宙船が発進した。航宙船は、少しの間、恒星セレストラルから離れる方向に通常の宇宙空間を進んでから、光の渦を作り出してそれに突入し、転移航法に入る。小さな丸い窓の外に広がる時空の狭間らしき空間は、往きと同じく、信じられないほど星が密集した、宇宙空間をぎゅっと凝縮したような景色で、相変わらず綺麗だったが、アッシュは往きと同じく、転移による眩暈に悩まされた。お腹が空いたというアリーセとサーニャは、アッシュの持っていたお菓子の残りを食べていたが、彼はとてもそんな気にはなれない。
アッシュは今までバタバタしていたので忘れていたが、自分の服がボロボロだったことを思い出した。シャツの左袖は肩から切り取られてなくなっており、物理的な破壊力を持つ光弾が掠めたのか、あちこち破れている。アッシュは溜め息を吐き、一応、エリカたちからは座席の陰になるところへ移動して、荷物から替えのシャツを取り出して着替えた。脱いだボロボロのシャツの胸ポケットに、なにか入っているのに気付く。取り出してみると、それはセントラルピラーの土産物屋で買ったストラップだった。あの激しい戦闘の中、よく落としも壊れもせずにいたものだ、と感心する。改めてそのストラップを眺めた。この強運さは、幸運のお守りとして使えるかもしれないな、などとばかな考えが浮かび、一人苦笑する。
やがて、小一時間もすると、航宙船は通常の宇宙空間に復帰した。ようやく眩暈が治まり、アッシュは、ほっとして額の冷や汗を拭う。
「貴方の星の恒星系に帰ってきましたよ」
エリカが言うので、窓の外を見てみると、テレビや映画でしか見たことのない、彼の住む青い惑星の全容が目に入った。
(この景色を生で見られたうちの星の住人は、宇宙飛行士とかごく限られた人しかいないんだよな)
そう思うと、感慨深い。今回の旅行で見た一番綺麗なものは、ひょっとしたらこの青い惑星かもしれない。
そうこうしているうちに、航宙船がその青い惑星の大気圏に突入し始めた。どうやら、この航宙船は、大気圏内往還機能を持っているらしい。やがて、航宙船が速度を落とし始め、海上一万メートルほどの高度で停止した。辺りは真っ暗だ。アッシュは、到着は真夜中頃になる、とエリカが言っていたことを思い出した。エリカたちは自分の荷物と、この定期便で届けられるはずだった彼女たち宛ての荷物を持って、座席から立ち上がる。窓の外の暗闇を眺めていたアッシュに、エリカが声を掛けた。
「さぁ、アッシュ、降りますよ」
「は?」
てっきりどこかに着陸するものだと思っていたアッシュは、意表を突かれる。
「……まさかとは思うが、ここから飛び降りるのか?」
「そうですよ」
恐る恐る尋ねたアッシュの疑問に、こともなげにエリカが首肯した。彼女は客席の扉に歩み寄り、それを開け放つ。気圧差で風が渦巻いた。エリカは、風にはためく黄金色の髪を押さえながら振り向く。
「それでは、アッシュ、お先に」
そう言って、扉の外へと身を躍らせた。それを見て、アッシュが少し唖然としていると、アリーセが背を押してくる。
「じゃあ、次はアッシュねぇ」
「マジか!?」
扉の前まで押されてしまう。自分が飛べるとわかっていても、高度一万メートルから飛び降りるのは、多大な勇気が要った。
「ほらぁ、早くぅ。後がつかえてるんだよぉ?」
「うわ! 押すな、押すな!」
アリーセに押されたアッシュは、扉の外へと放り出されてしまう。落とさないように、荷物とチッピィの入った籠をしっかり抱き締めた。
「うぉぉーっ!?」
自然に叫び声が漏れ出る。これは――、怖いけど、ある意味楽しい。
(バンジージャンプって、こんな感じか……)
しかも、紐なしだ。ぐんぐんと真っ暗な海面に向かって落下していく。やがて、彼より下を落下していたエリカが、飛行魔法を起動して水平飛行に移った。それを見て、アッシュも飛行魔法のコマンドを唱える。
「『金鵄の翼』!」
飛行魔法が起動して、落下が止まった。思わず一息ついて、アッシュは、エリカの後を追って飛び始める。後ろには、アリーセとサーニャがついてきていた。やがて、海岸線とその向こうの街の灯りが見えてきて、エリカたちは海上に停止する。エリカが街灯りのほうを指差して言った。
「アッシュ、私たちはあちらの方角ですので、ここで失礼致します」
「おぅ、そうか」
彼女の言葉に応じる。エリカが、今指した方角から右のほうへ指先を動かした。
「アッシュは、あちらへ進むと、以前お送りしたときに目印にした遊園地に行き当たりますので、おそらく、帰り道はおわかりになると思いますよ」
「ああ、サンキュ。じゃあ、また、なんかあったら――、いや、なにもなくてもいいから、念話で連絡してくれ。たまには遊ぼうぜ」
アッシュが言うと、三人は思い思いに頷く。
「はい。それではまた、近いうちに」
エリカが会釈した。
「うん。じゃーねぇ、アッシュぅ。また遊ぼうねぇ。ケーキの約束も忘れないでねぇ」
アリーセが大きく手を振る。
「またお会いしましょう。ケーキも忘れないで下さい」
サーニャが微かに口元に笑みを浮かべて言った。アッシュは二人の言葉に苦笑する。
「ああ、覚えてるよ。それじゃあ、またな」
アッシュも手を振って、三人が飛び去るのを少しの間見送った。その後は、エリカに教えられた通りに海岸沿いに進み、こんな時間でも不夜城のようにライトアップされた遊園地に行き当たると、そこから川に沿って遡る。暫く進むと、『彼女』と魔法の訓練を繰り返した馴染み深い川原に辿り着いたので、人目がないことを確認して、そこで地上に降りた。川原の草むらに着地して一息つくと、右手の『彼女』の魔装具を外し、荷物の中から巾着袋を出してその中に入れ、首から提げてシャツの下に仕舞う。次に、荷物の中から今度は包帯を出すと、とりあえず、シャツの袖から覗いている右手首から先に巻き付けた。そうして『彼女』の右手の擬装を終えると、荷物とチッピィの入った籠を持ち直し、堤防の土手を越えて、自宅のアパートに向かって歩き始める。途中、魔法訓練の後、『彼女』といつも寄っていたコンビニの前を通り掛かって、自分が空腹だったことを思い出した。
「そういや、晩飯、まだだっけ」
なにか買っていこうと、コンビニに入ろうとしたが、うっかり、チッピィの入った籠を抱えたまま入ろうとしてしまう。勿論、この星では、バフスクでも登録証の提示で店への出入りがフリーパスになったりはしない。アッシュは、チッピィの入った籠をコンビニの入り口の脇に置くと、言い聞かせる。
「ちょっと買い物してくるから、ここでおとなしく待ってるんだぞ。知らない人についていったりしたらダメだからな?」
(チッピィ、待つ)
魔装具を外したので自動翻訳アプリは働いていなかったが、彼の言葉はチッピィに伝わったようだ。思い返してみれば、出会った最初のときも、自動翻訳アプリは起動していなかった。チッピィは念話魔法で意思の疎通を行っている。どうやら、念話魔法は、直接、思考を圧縮してやりとりしているらしい。それが頭の中に届いて解凍されると、理解出来る言葉に変換されるようだ。そういえば、あまり興味が湧かなかったので、念話魔法のプログラムは解析もろくにしていなかったが、ひょっとすると自動翻訳アプリと同じような処理を行っているのかもしれない。
そんなことを頭の片隅で考えながら、アッシュはチッピィを残してコンビニに入ると、食料と飲み物を買ってきた。コンビニを出て、再びチッピィの入った籠を抱え直して歩き出す。数分歩いて、四日ぶりの自宅アパートに帰り着いた。その四階建てアパートの三階一番奥の部屋のドアの鍵を開けて、中に入る。アッシュは靴を脱いで狭いワンルームの部屋に入ると、照明を点けて適当に荷物を置いた。チッピィの寝床である、オーガニック素材の大きな籠は、ベッド脇の足元側に置くことにする。
「チッピィ、今日から、ここがおまえの家だぞ」
(チッピィの家! アッシュの家?)
「ああ。俺の家だ」
確か、このアパートはペット禁止だったはずだ。チッピィのことは、隠れて飼わねばならないな、と思う。幸い、バフスクは魔法を使うとき以外は、吠え声を上げない。隠し通すのは、それほど難しくないだろう。
アッシュはチッピィの足を浴室で洗ってやり、自分も冷たい水で手と顔を洗う。それから、ずいぶん遅い時間だが夕食にしようと、チッピィの『ご馳走』の缶詰を開けて皿に入れてやった。
「さぁ、ご馳走だぞ」
(チッピィ、ご馳走、食べる!)
チッピィは夢中で、その高級ペットフードを食べ始める。アッシュも、テーブルの前に座って、買ってきたコンビニ弁当を食べ始めた。
(しかし、よく考えなくても、これ、あいつのほうがいいもの食ってないか?)
思わず、コンビニ弁当を見下ろしてしまう。しかし、四日ぶりのコンビニ弁当は、意外と美味しかった。貧乏舌だな、と苦笑する。それから、一心不乱に『ご馳走』を食べるチッピィに目を向けた。
「まぁ、今日は、おまえ、頑張ったもんな。ご褒美だ」
『彼女』は仕事が上手くいったときにこれを食べさせていたようだが、自分はいつ食べさせようかな、と考える。次にいつ買いにいけるかわからないので、大事に食べさせなければならない。
(まぁ、いいか。なんか祝い事でもあったときに食べさせてやろう)
そんな風に考えて、再び弁当に箸を付けた。『彼女』の右手もずいぶん慣れて、今ではだいぶ上手く箸が使えるようになっている。そうして弁当を食べていると、四日ぶりに湯船に浸かる風呂に入ろうと思い付いたので、箸を置いて立ち上がり、湯船に湯を張る為、浴室に向かった。




