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第六章‐3

 その地響きと振動が発生した後、ほんの少しずつだが、確実に展望台が傾き始めていた。それを感じ取って、アッシュが舌打ちをし、エリカも唇を噛む。アマーリアも悔しそうな顔で、エリカに声を掛けた。

「やはり、圧倒的に時間が足りなかったようですわね。仕方がありませんわ。エリカ、すぐに退避しますわよ!」

「ですが、エレベーターも非常階段も使えない状態では、二百人以上の人質を退避させる手段が――」

「人質のほうは、結界で保護してるから、この展望台が崩れでもしない限り、そのままでも大丈夫だと思う!」

 エリカの懸念にアッシュが応じる。

「それより、こんなものが折れて倒れたら、とんでもない規模の被害が出るぞ! なんとかしないと!」

 セントラルピラーは、下から四分の一ほどのところから折れ、その上部がゆっくりと倒れ始めていた。折れたセントラルピラー上部の全長は、およそ一千五百メートル。それだけの高さの建造物が倒れれば、当然のことながら、テロリストたちが標的としていた連邦議会議事堂だけでなく、そこまでの直線上とその周囲の区域に建っている高層ビル群にも、多大な被害が出るに違いない。

「なにを言っていますの、このおサルさんは!? こうなってしまっては、もはや打つ手などありませんわ!」

 アッシュの叫びに、アマーリアが常識的な言葉を返すが、彼は諦めなかった。

「そう思うんなら、あんたはさっさと逃げろ! 俺は、ギリギリまで被害を抑える手立てを考える!」

「エリカ! 貴女のペットになんとか言って差し上げて!」

「私も彼と同意見です。アマーリアは先に退避して下さい」

 アマーリアはエリカに助けを求めるが、彼女もアッシュに同意してしまう。それを聞いて、アマーリアは右手に握った指揮杖を左掌に打ち付けた。

「あぁ、もう! 私一人、先に逃げるなんて、ロスロレンツィ家の誇りが許すものですか! よろしいでしょう! お付き合いしますわ!」

「いえ、貴女は先に――」

 言いかけるエリカを、アマーリアは指揮杖を振って遮る。

「貴女に背中を見せるわけにはいかなくてよ。それに、まだ魔人兵が残っていますでしょう。私の部下たちを退避させては、貴女たちが危険になりますわ」

「アマーリア……」

「これは、大きな貸しですわよ、首席サマ」

 アマーリアは、腕を大きな胸の下で組み、指揮杖の先端を形のいい顎に当てるお得意のポーズを取って、エリカに言い放った。

 その間にも展望台は徐々に傾いていく。その傾く速度が、非常にゆっくりなのが、かえって不気味だ。

「くそっ! なんとか被害を抑える手立ては――!?」

 アッシュは、アマーリアの部下たちが相手をしているのをいいことに魔人兵を無視して、ほとんど無意識の戦闘機動で攻撃をかわしながら、思考に集中する。そのとき、アッシュとエリカの頭の中にアリーセの念話が響き渡った。

(全力砲撃使用許可申請ぇ!)

 エリカが応じる。

「アリーセ、なにをするつもりです!?」

(せめて、展望台の上のアンテナのところだけでも吹っ飛ばすのぉ!)

「わかりました。全力砲撃使用承認!」

 エリカは即決で、彼女の案を承認した。

「いえす、まぁむ! 砲撃モードぉ!」

 セントラルピラーから一キロほど離れた空中で、アリーセが、そのアンチマテリアルライフル型の魔装銃を長大な砲身を持つ魔装砲へと変形させ、腰溜めの砲撃姿勢を取る。彼女を後ろから抱きかかえるようにして固定した、おかっぱ頭の左右から観測魔法用の一対の青白い魔力のアンテナを生やしたサーニャが、折れたセントラルピラー上部の倒れていく速度や角度を測定して、破壊に最適な砲撃の射線を算出した。

「データリンク。座標転送。重力偏差、コリオリ偏差、修正」

 アリーセの目の前には、魔装砲から分離した照準用のディスプレイが浮かんでいる。そこには、サーニャが測定、算出した、砲撃開始時の照準と、そこからどの方向へ何秒でどれだけ動かせば、目標のセントラルピラーのアンテナ部分を最も効率よく破壊出来るか、という情報が記号と数字で表示されていた。

「データ受領ぉ。魔力増幅ぅ。たーげっと、ろっくおん。これがあたしのぉ、全力全壊ぃ! 『スカーレット・バスター・ランチャー』、れでぃー――」

 四百を超える、並の魔法使いの二倍から四倍以上の魔力値と、魔力特性、『増幅』を併せ持つアリーセの渾身の魔力が、魔装砲に内蔵されている魔力増幅装置(アンプ)を通って増幅される。それは巨大な赤い魔力光となって、その砲口に灯った。アリーセを後ろから抱きかかえたサーニャが、その耳元で発射までのカウントダウンを行う。

「カウントマイナス三、二、一」

「ふぁいあー!!」

 次の瞬間、眩いばかりの赤い閃光が空を大きく薙ぎ払った。そして、空に大輪の光の花がいくつも咲き乱れる。あまりにも破壊力があり過ぎる為、普段は制限されているアリーセの全力砲撃によって、折れたセントラルピラー上部の、展望台とその上の通信施設よりも上のアンテナ部分、およそ三百メートル以上が消し飛んだ。凄まじい破壊の衝撃に、展望台も激しく揺れる。

(魔力増幅……? それは使える……! だが、それで、なにを……?)

 アッシュの思考が加速した。だが、あと一つ、なにかが足りない。

「なんですの、今の衝撃は!?」

「この上のアンテナ部分を、砲撃で吹き飛ばしました。これで、倒れたときに被害が出る区域も少しは小さくなるはずです」

 折れたセントラルピラーが倒れていくことによる傾きと、破壊の衝撃による激しい揺れに、エレベーターの扉に縋りつくようにしてやっと立っているアマーリアの発した疑問に、エリカが答えた。

「……とんでもないことを考えますわね。それでも、セントラルピラーの倒壊自体はもう避けられませんわよ? 次はどうしますの? なにかで受け止めてでもみせますの?」

 揶揄するように言うアマーリア。しかし、その言葉がアッシュの思考のパズルの最後のピースとなった。

「それだ! ナイスだ、高飛車女!」

「高飛車……?」

 アッシュの言葉に、アマーリアがきょとんとした顔をする。

「済まん! 残りの魔人兵は任せた!」

 何事かを思い付いたアッシュは、アマーリアの部下たちにそう言い残して、人質たちを守っている結界に向かって飛んだ。

「チッピィ!」

(……なに、アッシュ?)

「おまえ、俺の送り込んだ魔力を増幅して返すこと、出来るか!?」

(チッピィ、出来る)

「よし! 傷が痛いとこ悪いけど、それ、頼む!」

 アッシュは魔装機の操作端末を開いて、人質たちを包み込んだ結界、『森緑の揺籃』の構造式を改変して穴を開ける。すぐに、飛行魔法を起動したチッピィが飛び出してきた。その右前肢の傷には、子供向けのキャラクターらしき絵柄のハンカチが巻かれている。きっと、彼を預けていたあの女の子がやってくれたのだろう。思わず微笑を浮かべながら、アッシュは結界の穴を塞いだ。

(チッピィ、強い……)

「ああ。これが終わったら、ご馳走いっぱい買ってやるからな!」

 アッシュは激痛を堪えながら千切れかけた左腕を無理やり動かし、チッピィをその腕に抱きかかえると、魔装機の役割をするという首の下の朱い石に、魔装具を着けた『彼女』の右手を押し当てた。彼が思い付いたのは、魔力特性、『増幅』を持つチッピィを、生体魔力増幅装置(アンプ)として使おうという、誰が聞いても無茶だと思える案だったのだ。しかし、この状況では、無茶でもなんでもやらなければならない。しかも、これはまだ彼の無謀なアイデアの第一段階でしかなかった。

「いくぞ!」

 アッシュは慎重に、右手からチッピィへと渾身の魔力を送り込む。加減を間違えれば、チッピィの身体を内部からズタズタに傷付けかねない。

(チッピィ、魔力、増幅、返す)

 チッピィの朱い石から、増幅された魔力が送り返されてきた。アッシュの身体中に、はち切れんばかりの魔力が溢れ始める。

(くぅ……っ!? こいつは、予想外にキツイ……!)

 だが、まだ魔力を放出してしまうわけにはいかなかった。

 展望台の床は、既に四十五度以上にまで傾いている。『森緑の揺籃』の結界に守られている人質たちは問題ないが、そこかしこに転がって昏倒しているテロリストたちの内、拘束魔法で固定されていない者は床の上を滑り落ちていった。手の空いているアマーリアの部下たちが、それを捕まえては拘束魔法を掛けていくことで、なんとか彼らが割れたガラスの穴から展望台の外へと放り出されることは防いでいる。その傍ら、飛行魔法が使えるアマーリアの部下たちは、傾いていく展望台の中で、残存の魔人兵と戦闘を繰り広げていた。残り六体の魔人兵は、まだ片付きそうにない。

「きゃっ!」

 そのとき、エレベーターの扉に掴まって堪えていたアマーリアが、手を滑らせて落下してしまった。彼女は、飛行魔法が使えるほどの魔力を持っていない。

「アマーリア!」

 斜めに傾いた床を滑り落ち、ガラスに開いた穴から外へと転がり落ちようかというとき、エリカが急行してアマーリアを抱き止めた。

「あ……。その……、感謝しますわ」

「……どういたしまして」

 頬を赤らめ、眼を逸らしながら礼を言うアマーリアに、彼女を抱きかかえたエリカは微笑んで応じる。

 セントラルピラーの折れた箇所から展望台までの部分は、今や、ほぼ横倒しになっていた。展望台の下側になったガラスに跪いたアッシュは、ガラス越しに眼下に迫る高層ビル群の屋上を見る。大きく息を吸い込んで、魔装具を着けた『彼女』の右手を足元のガラスに突き、限界を遥かに超えて身体中に溢れている魔力を全て注ぎ込むと、『停滞』と『減衰』の魔法使いである彼が最も得意とする魔法を起動した。これが無謀なアイデアの第二段階。増幅した魔力を最大限に活かす方法だ。

「『魔神の掌』!!」

 アッシュの叫びに呼応して、高層ビル群の上に直径一千メートルもの影色の防御魔法陣(シールド)が展開する。ズシンッと地響きのような音を立てて、防御魔法陣(シールド)は折れたセントラルピラーの展望台までの部分を受け止めていた。その場にいた、魔法を学んだことのある誰もが驚愕する。こんなに巨大な防御魔法陣(シールド)は、戦艦が作るものでも見たことがない。セントラルピラー外部で魔人兵と戦っていた首星防衛隊の隊員たちや、セントラルピラー基部の周りを封鎖して、人々の避難誘導をしていた警官たちも、呆然と、高層ビル群の上に浮かんで折れたセントラルピラーの展望台までの部分を受け止めている、非常識なほど巨大な影色の防御魔法陣(シールド)を見上げた。展望台の外にいる彼らには、いったいなにが起こっているのか見当も付かない。ただ、最悪の大災害が回避されたことだけは理解出来た。

(起動にはなんとか成功したけど……。こいつは……、維持するだけでも辛いぞ……)

 彼に使用可能な最大量の魔力を常に注ぎ込み続けることで、なんとか巨大な『魔神の掌』を維持しながら、アッシュは思う。元々、この防御魔法は、維持するだけならば構築時に比べて遥かに少ない魔力消費で済むように、彼の技術の全てを駆使して組み上げてあった。だが、それでも、これだけの大きさと強度を維持するとなると、その魔力消費はあっさりとアッシュの魔力値の限界に達している。

「確か、北側に広い緑地公園があったよな?」

「え……、あ、はい!」

 アッシュの問いに、呆然としていたエリカが慌てて答えた。

「避難は済んでるはずだろ?」

「……えぇ。完了していますわ」

 今度はアマーリアが、やはり呆然としたまま、ほとんど反射的に答える。アッシュは、限界ギリギリの魔力を放出し続ける苦しさに右目をきつく閉じながら、巨大な『魔神の掌』を維持したまま言った。

「よし。そこに下ろそう」

 アッシュは、巨大な『魔神の掌』を、その上に折れたセントラルピラーの展望台までの部分を載せたまま、ゆっくりと横移動させ、緑地公園の上空に着くと、今度はそれをゆっくりと下ろす。アッシュの脳裏に、なんだかクレーンゲームをやっているみたいだな、などという場違いな感想が浮かんだ。展望台の下側が地面に着くかどうかというところで、とうに魔力の消費が限界を超えていたアッシュは、その巨大な『魔神の掌』を維持しきれなくなる。支えていた防御魔法陣(シールド)が消え、折れたセントラルピラーの展望台までの部分が地面に着いて、ズズンッという大きな地響きを立てた。アッシュは右手を展望台の下側のガラスに突いたまま、ガクリとうなだれて、大きく息を吐く。身体中の魔力を搾り取られたような気分だった。貧血のときのような息苦しさと視野狭窄、眩暈を感じる。アッシュは眼鏡を外し、貧血のような症状で浮かんだ額の冷や汗を拭って、暫く深呼吸し、眩暈が治まるのを待った。それから、眼鏡を掛け直して、折れたセントラルピラーの展望台までの部分を載せた『魔神の掌』を移動させてきた経路を振り返ってみる。いくらかは瓦礫が落下して高層ビル群に被害を与えたようだったが、折れたセントラルピラー上部が倒れることで本来出るはずだった被害に比べれば、驚くほど小さな被害で済んだはずだ。

「……なんですの、今のあり得ない大きさの防御魔法陣(シールド)は? あのおサルさんの魔力は、戦艦の魔力炉並みだとでも言うんですの?」

 ようやく驚きから立ち直ってきたアマーリアが、呟くように疑問を発した。彼女を抱きかかえたままのエリカが、微笑んで首を振る。

「いいえ。確かに、かなり無茶な魔力増幅を行ったようでしたけれど、あの巨大な防御魔法陣(シールド)を構築し、維持することが出来たのは、彼が、極限まで魔力消費を抑えてその防御魔法を組み上げていた為です。そして、その防御魔法陣(シールド)にあれだけの強度を持たせることが出来たのは、彼の生まれ持った魔力特性、『停滞』と『減衰』のおかげでしょう」

 エリカは展望台の下側になったガラスに着地すると、アマーリアの身体を離し、彼女の藍色の瞳を見つめた。

「アマーリア。改めてご紹介しましょう。彼が我が小隊の協力員で、類稀な資質と才能を兼ね備えた現地の魔法使い、アッシュ=クラシマです」

「……そうですの。まぁ、お名前を覚えて差し上げてもいいくらいの価値はあるかもしれませんわね」

 アマーリアが腕を大きな胸の下で組み、指揮杖の先端を形のいい顎に当てるお得意のポーズを取って、アッシュを眺めながら言う。

「はい」

 エリカは微笑んで頷いた。

 残存していた魔人兵は、アマーリアの部下たちと、割れたガラスの穴から突入してきたそれ以外の第一首星防衛師団第一連隊第一大隊の隊員たちが掃討する。それから、展望台内部にいた者たちは、『森緑の揺籃』の結界に守られていた人質たちも含めて全員、いつ崩れるかわからない展望台から、ガラスに開いた穴を通って、外の緑地公園に退避した。気絶しているテロリストたちは、首星防衛隊の隊員たちが片っ端から捕縛する。チッピィを動かない左腕に抱いたままのアッシュがそれを眺めていると、チッピィを預けていたあの女の子が、彼の元にやってきた。そして、彼の黒白半々の髪を見て言う。

「助けてくれてありがとう。『灰かぶり』のお兄ちゃん」

「お嬢ちゃんこそ、チッピィの手当て、ありがとうな」

 アッシュは、その女の子の頭を右手で撫でた。女の子はチッピィの頭を撫でる。母親が何度も頭を下げながら女の子を連れて行った。その母子を見送ってアッシュが振り返ると、いつの間にか、アリーセとサーニャもやってきている。

「アッシュのおっきな防御魔法陣(シールド)、すごかったねぇ」

「いや、おまえの砲撃も、ホントたいしたもんだよ」

 アッシュは、アリーセと笑みを交し合った。そんな二人の様子を見ていたエリカが、ふと気付いたように言う。

「そういえば、アッシュ。貴方、左腕に大怪我をされていたでしょう? サーニャ、すぐに治療を」

「了解」

 しかし、アッシュは、近寄ってくるサーニャにチッピィを差し出した。

「いや、こいつが先だ。頼む」

「了解。『エグザミネイション』。――右前肢に銃弾が残っていますので、これを取り除いて傷口を塞ぎます。『キュア』」

 サーニャがチッピィを受け取って、観測魔法で負傷の具合を診察すると、高度な治療を行う為の治療魔法を掛け始める。それを見届けると、アッシュは、緑地公園の芝生の上に大の字になって寝転がった。

「あぁ、限界まで魔力を使い果たしたぜ。腹減った……」

 それを聞いて、エリカが微笑む。寝転がったアッシュを見下ろして、笑みを浮かべたまま提案した。

「帰りの定期便の時刻まで、まだ少しありますから、夕食を食べてから帰りましょうか」

「わぁい、ご飯ー!」

 アリーセが喜ぶ。しかし、そこに、アマーリアの呆れたような声が掛けられた。

「なにを暢気なことを言っているんですの? エリカ、貴女には、報告してもらわねばならないことも、言っておかねばならないことも、山ほどあるのですわよ? さぁ、私どもの大隊長のところに参りますわよ。ほら、貴女たちも! そこの『灰かぶり』頭のおサルさん――アッシュも!」

 アマーリアはそう言うと、戸惑うエリカの腕を取って、そこかしこで介抱されている人質になっていた観光客たちや、忙しなく歩き回る首星防衛隊の隊員たちの間をすり抜け、強引に連れて行ってしまう。慌ててアリーセが、チッピィの魔法治療を続けているサーニャの背を押して、その後を追い掛けていった。アッシュは、名前を呼ばれたことに少し驚きながら起き上がる。そして、これではきっと食事をする暇などなくなるんだろうな、と思いながら、彼女らの後姿を見失わないように歩き出した。

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