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三年待ってプロポーズされなかったので、別の男と結婚します  作者: 九葉(くずは)


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15/15

最終話

 結婚式から、まもなく一年になる。


 初夏の日差しが、ハルデンベルク伯爵邸のサンルームへ差し込んでいる。

 私は揺り椅子に腰を下ろし、生後三ヶ月になる息子のレオンを抱いていた。父親譲りの黒い髪が、寝汗で額に張りついている。そっと撫でて直したら、小さな手に指を捕まえられた。


「起こしてしまったかしら」


 レオンは眉を寄せたものの、また眠りに戻った。

 起きている時も寝ている時も、見ていて飽きない。そのせいで、傍らの紅茶はずいぶん前に冷めてしまっていた。


 机の上には、領地の倉庫係から届いた報告がある。雨漏りしていた屋根の修繕が終わり、今季は小麦を濡らさずに済みそうだと書かれていた。

 婚約中に領内の帳簿を見せてもらい、保管中の損失が多いと気づいたのが始まりだった。倉庫係と相談し、修繕費を計算して、冬までに工事を済ませた。

 今は出産後で仕事を減らしている。それでも報告の宛名には私の名があり、返事を待ってくれる人がいる。

 読み終えたら、あとでマティアス様にも見せようと思った。


「ただいま、エディス」


 扉の方から声がした。

 顔を上げると、マティアス様が立っていた。上着は家令に預けてきたらしく、白いシャツの袖を折っている。目の下には少し疲れがあったが、私とレオンを見るとすぐ笑った。


「おかえりなさいませ。今日は早いのですね」

「会議が予定より早く終わった。明日の決裁まで片づけてきたぞ」

「それは、お疲れ様でした」


 声を潜めて言うと、彼も足音を忍ばせて近づいてきた。

 椅子の横に膝をつき、レオンの顔を覗き込む。息子は眠ったまま、口を小さく動かした。


「私に似ていると皆は言うが、口元は君だな」

「そうですか? 私は、この眉が貴方にそっくりだと思います」

「そんなに気難しそうな顔をしているか」

「お腹がすいた時だけ」


 笑いをこらえた私を、彼は少し恨めしそうに見た。それから、私の頬へそっと口づける。


「君は、昼食を取れたか?」

「はい。レオンが眠ってくれたので」

「よかった。少し代わろう」


 差し出された腕へレオンを預けた。最初の頃は首の支え方を何度も乳母に確かめていた人が、今では上手に抱き上げる。

 私はようやく自由になった肩を回した。ずっと同じ姿勢でいたので、背中まで固まっていた。


「寝台へ運んでくる。君も少し休むといい」

「でしたら、戻ってきたらお隣に座ってください」


 マティアス様は足を止めた。


「それは、休めるのか?」

「ええ。今日は、そうしたいです」


 彼は満足そうに頷いた。レオンを起こさないよう、笑うのまで我慢している顔がおかしかった。



 子ども部屋で眠った息子を乳母に頼み、マティアス様が戻ってきた。

 私は揺り椅子から長椅子へ移り、隣を空けていた。腰を下ろした彼の肩に頭を預けると、腕がそっと背中へ回る。


「会いたかった」

「今朝も、一緒に朝食をいただきましたわ」

「朝食から、ずいぶん経った」


 もっともらしく言うので、私は笑って彼の胸元に額を押しつけた。


「私もです。帰っていらしたら、話したいことがたくさんあって」


 倉庫の屋根のこと。レオンが乳母の指を離さず、困らせたこと。父からまた、孫に会いに行っていいかという手紙が届いたこと。

 どれから話そうか迷っているうちに、マティアス様が私の左手を取った。結婚指輪に指を滑らせ、そのまま手の甲へ口づける。


「ゆっくり聞こう。今日は夕食まで、ここにいる」


 この一年、仕事で帰りが遅くなった日はあった。急な呼び出しで、一緒に食べるはずだった夕食を取りやめた日もある。

 そのたびに使いが来た。先に食べていてほしい、休んでいてほしいと、短い手紙が届いた。

 私は温かいうちに食事を取り、眠ければ先に眠った。翌朝、彼は昨夜の話を聞いてくれた。

 待てるかどうかを試されることは、もうなかった。


「来週の結婚記念日だが」


 マティアス様が少し姿勢を正した。


「何か欲しいものはないか。去年は支度を急がせたから、今年は君の好きにしてほしい」

「もう十分、好きにさせていただいています」

「それでも、何か贈りたい」


 真剣な顔だった。私は少し考え、繋いだ手を揺らした。


「では、あの栗のお菓子を。二つ買ってきてください」

「二つでいいのか?」

「はい。一つずつ、一緒にいただきたいです」


 彼が黙ったので、見上げた。目を細めたその顔を見たら、まだ付け足したいことがあった。


「でも、お菓子がなくても帰ってきてくださいね。私は、貴方に会いたいので」


 腰を抱く腕に力がこもった。


「エディス。それは、少々困る」

「何がですか?」

「菓子を買う時間まで惜しくなる」


 思わず笑うと、彼も笑った。顔が近づき、唇が触れる。一度離れたところで、今度は私から彼の頬へ手を添えた。


「愛しています、マティアス様」


 彼の表情が、ふっと緩んだ。

 私がこう言うたび、何度でも嬉しそうな顔をしてくれる。その顔を見るのが好きだった。


「私もだ。エディス」


 もう一度口づけを交わすと、廊下で食器の触れ合う音がした。侍女がお茶を運んできたらしい。

 そろそろ離れなくてはと思ったのに、彼の腕は緩まなかった。


「マティアス様、お茶が冷めてしまいます」

「あと少しだけ」


 困った方だと思いながら、私は彼の肩へ頬を寄せた。

 お茶なら、あとで淹れ直せばいい。

 今は私も、この人を離したくなかった。

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― 新着の感想 ―
子供の月齢計算が合わないのでは?結婚して1年たたないうちに生後3か月の赤ちゃん。婚前交渉か?(笑)
面白かったです! あのビッチ女もざまぁされてよかった。 後悔しても遅いよ。
いいロマンスとざまぁでした。 クズ男とクソ女が、しっかり罰を喰らうところまで描かれているのがとても良かったです。
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