第16話:天空の絶対カジノと、イカサマ王子への天文学的(リアル)な請求書
高度三千メートル。
眼下に広がる分厚い雲海を照らす月光よりも遥かに眩く、狂おしいほどのネオンの光を放つ巨大な浮遊島があった。
かつて無能な王族が住んでいたローゼンバーグ王国の王城は、今やその外壁を黄金と白亜の大理石に塗り固められ、世界中の超富裕層だけが足を踏み入れることを許される究極の治外法権リゾート――『A&Lスカイ・サンクチュアリ』へと変貌を遂げていた。
「素晴らしいわ、アリス。今夜だけで、この天空カジノに集まったVIPたちの総資産額は、大陸全土の国家予算の三年分を軽く超えているわよ」
城の最上階、全体を見渡せるガラス張りのVIP専用ラウンジ。
最高級のシャンパンを傾けながら、ルミアは眼下に広がる広大なカジノフロアを見下ろして、妖艶な笑みを浮かべた。
フロアには、煌びやかなドレスやタキシードに身を包んだ他国の王族、大商人、そして裏社会のドンたちがひしめき合っている。
彼らはルーレットやカードゲームに興じているが、そこには「ディーラー」と呼ばれる人間の姿はない。
カードを配り、ルーレットを回しているのは、私が設計した『完全確率演算・特化型ゴーレム』たちだ。彼らには一切の感情も、買収される余地もない。
「ふふん、私の組んだカジノシステムは完璧よ。ゴーレムたちの動力源は、この浮遊島自体が発電する太陽光と風力マナの余剰分。そしてゲームの乱数調整には、大気中のマナの揺らぎ(環境ノイズ)を利用した『絶対ランダム抽出魔法陣』を組み込んであるわ。ディーラーのイカサマも、客側の魔法を使った不正も物理的に不可能な、完全なる『公平』を実現した究極の遊技場よ!」
私が胸を張って解説すると、ルミアはヒマ端末の画面をスワイプしながらクスクスと笑った。
「その『絶対の公平』こそが、ギャンブルにおいて胴元(私たち)が最も確実に儲かる最悪の罠だということに、あの中で熱狂している哀れな羊たちは気づいていないのよ」
「えっ、どういうこと?」
「いい、アリス。カジノのゲームというのは、元々『ほんのわずかに胴元が勝つ確率が高く』設定されているの。つまり、ゲームが公平に長く続けば続くほど、大数の法則によって必ず客の資金は削られていく」
ルミアは冷酷な経営者の目で、フロアの客たちを指差した。
「さらに、このカジノの最大の悪魔的システムは、貴女が導入した『A&Lペイ』による完全キャッシュレス化よ。客の手元には、重い金貨も銀貨もない。あるのはヒマ端末の画面に表示された『数字』だけ」
「あっ……!」
「物理的な重さを持たない数字は、人間の脳から『お金を失う恐怖』を完全に麻痺させるのよ。ワンタップで一億ゴールドが賭けられ、一秒で消える。熱くなった彼らは『A&L魔導銀行』のワンクリック・キャッシング機能で、自分の領地の権利書や鉱山の採掘権を担保に、秒速で借金を重ねていくわ。……あはははは! 最高の気分よ! 今夜だけで小国が三つほど、我が商会のものになったわ!!」
ルミアの背景に、幻覚の黒い羽と尻尾が見えた気がした。
物理的な暴力など一切使わず、完璧なホスピタリティと『公平なゲーム』を提供するだけで、世界の富を根こそぎ吸い上げていく。この女の商才は、間違いなく大陸史上最凶だ。
「――相変わらず、君たちのえげつない集金システムには、魔王すらも舌を巻いて逃げ出すだろうな」
ふいに、ラウンジの重厚な扉が開き、圧倒的な威圧感と色気を纏ったユリウス大公が姿を現した。
今日の彼は、この天空のサンクチュアリの共同代表に相応しい、漆黒のベルベットの夜会服を纏っている。胸元には、私の瞳の色と同じアメジストのタイピンが妖しく輝いていた。
「ユリウス様! お疲れ様です! カジノの警備状況はどうですか?」
「完璧だ。私の直属の特務憲兵たちをウェイターやバニーガールに変装させて、フロアの隅々まで配置してある。どんな不届き者も、一秒で雲海の底へ強制ダイブ(物理)させる手はずが整っている」
バニーガールに変装した帝国最強の暗殺部隊……。客にとっては別の意味でスリル満点すぎるカジノである。
「それよりも、アリス」
ユリウスは長い脚でスタスタと私に歩み寄ると、私の左手を取り、その薬指に輝く『アメジストのマスターリング』にそっと口付けを落とした。
「今日の君も、狂おしいほど美しい。だが……そのドレスは、少し背中の布面積が少なすぎないか? 会場中の男たちの視線が君に向かうと思うと、今すぐこのカジノの客を全員消し炭にしたくなるのだが」
ユリウスが、極寒の殺気を放ちながら私のドレスの背中部分を睨みつける。
今日の私は、ルミアが用意した『天空の女神』をイメージした、純白と深い青のグラデーションドレスを着ていた。確かに背中が大きく開いているデザインだが、そこには当然、私なりの狂った改造が施されている。
「だ、大丈夫ですよユリウス様! この開いた背中の部分には、透明な『光学迷彩&高圧電流・反射結界』が張ってありますから! もし誰かが後ろから私に触れようとしたら、十万ボルトの雷撃が相手の脳天を直撃して即死する仕様です!」
「……即死か。ならば安心だな。できれば、私以外の男が君を見た瞬間に眼球が爆発する機能も追加してほしいところだが」
「ユリウス様、それはもう兵器ですらなくてただの呪いですよっ」
私たちがいつものように(物騒な)イチャイチャを繰り広げていると、ルミアがヒマ端末の画面を見て、ピクリと片眉を上げた。
「……あら? 面白いカモが網にかかったわね」
「ルミア、どうしたの?」
「VIPフロアの一番奥、『レート無制限』のポーカーテーブルよ。西の大陸から来た新興国、バルバドス王国の第一王子、ザイード。彼が今、信じられない連勝を重ねて、我がカジノからすでに百億ゴールドを巻き上げているわ」
「ひゃ、百億!?」
私は驚いて立ち上がった。
「あり得ないわ! 私のゴーレムディーラーと乱数生成器は完璧よ! ポーカーの実力だけで百億も勝てるわけがない!」
「ええ、その通りよ。だからこそ『面白い』のよ」
ルミアは冷たい笑みを浮かべ、モニターの映像を拡大した。
映像には、浅黒い肌に金ジャラジャラの成金趣味な服を着た、傲慢そうな男――ザイード王子が、葉巻をくわえながら高笑いしている姿が映っていた。
その彼の右手の人差し指には、怪しげな黒い石が埋め込まれた指輪が光っている。
「アリス。あれ、貴女の専門分野(魔法)じゃないかしら?」
「……間違いないわ」
私は映像を解析し、忌々しげに舌打ちをした。
「あの指輪、古代遺跡から発掘された『運命操作の呪具』よ! 周囲の他人の幸運を強制的に吸い上げて、自分の手札の確率を捻じ曲げるイカサマの魔道具! 完全にアウトよ!」
「なるほどね。……他人のカジノで魔法のイカサマをして荒稼ぎしようだなんて、いい度胸じゃない」
ルミアは立ち上がり、パラソルを手にした。
「大公閣下。少々、不躾な客の『おもてなし』に行ってまいります。アリスも来なさい。貴女の技術をコケにされたのよ?」
「ええ、もちろんよ! 完膚なきまでに叩き潰してやるわ!」
「……私も行こう。アリスに近づく羽虫は、私が直接叩き落とす」
ユリウスのアメジストの瞳が、剣呑な光を帯びた。
私たちはVIPラウンジを出て、熱狂に包まれるカジノフロアへと向かった。
◆◆◆
「はーっはっはっは!! どうしたどうした! 帝国の誇るカジノと聞いて来てみれば、随分とチョロいじゃないか! これで百五十億ゴールドの勝ちだ!!」
レート無制限のVIPテーブル。
ザイード王子が、A&Lペイの画面に表示された莫大な勝利金額を見て、下品な高笑いを上げていた。
周囲の客たちは、彼の異常な強さに青ざめ、遠巻きに見ていることしかできない。
「さて、次は誰が俺の相手をする? 誰もいないのか? 帝国の金持ち共は皆、臆病者ばかりだな!」
「――あら、随分と威勢がいいのね、西の田舎王子様」
凛とした声がフロアに響き、モーゼの十戒のように客の波が割れた。
その奥から、純白のドレスに身を包んだルミア、その後ろに私、そして圧倒的なプレッシャーを放つユリウス大公が歩み出る。
「なっ……なんだ貴様らは!」
「私? 私はこの『A&Lスカイ・サンクチュアリ』のオーナーの一人、ルミアよ。貴方が退屈しているようだから、私が直接、お相手をしてあげようと思って」
ルミアは優雅にテーブルの向かい側に座り、足を組んだ。
ザイード王子は、ルミアの美貌と私の姿を交互に見て、いやらしい笑みを浮かべた。
「ほう……オーナー自らとはな。しかも、後ろに控えている銀髪の令嬢も、信じられないほどの極上じゃないか。……いいだろう! だが、ただの金賭けじゃつまらん。俺が勝ったら、その百五十億に加えて、そこの銀髪の女を俺の愛妾として西の国に持ち帰らせてもらうぞ!」
その言葉が発せられた瞬間。
カジノフロアの温度が、物理的にマイナス二十度まで急降下した。
「…………ッ!!」
周囲の客たちが、一斉に呼吸を忘れ、恐怖でガタガタと震え始める。
原因は当然、私の背後に立つユリウス大公から放たれた、世界を終わらせるレベルの極寒の『殺気』だ。
「(ゆ、ユリウス様! 落ち着いて! ここで空間断絶魔法を撃ったら、浮遊島ごと真っ二つになっちゃいます!)」
私が慌てて彼の腕にしがみつくと、ユリウスはギリギリのところで殺気を収めたが、その瞳は完全に『死体を見る目』になっていた。
「(……アリスがそう言うなら、一分だけ寿命を延ばしてやろう。だが、あの男の魂は後で私が直々にすり潰す)」
ユリウスの絶対零度の怒りを感じながら、私はルミアに目配せをした。
「いいでしょう。その賭け、乗ってあげるわ」
ルミアは涼しい顔で微笑んだ。
「ただし! 私が勝った場合は、貴方の勝ち分百五十億の全額没収。それに加えて……貴方の祖国、バルバドス王国が所有する『ミスリル鉱山の百年間の独占採掘権』を頂くわ」
「なっ……鉱山の採掘権だと!? それは我が国の国家予算そのものではないか!」
「あら? 自分の手札に絶対の自信があるんでしょう? 逃げるの?」
ルミアの安い挑発に、プライドの高いザイードは顔を真っ赤にしてテーブルを叩いた。
「いいだろう! 受けて立つ! ディーラー、カードを配れ!!」
無機質なゴーレムが、シャッフルされたカードを配り始める。
勝負は一発勝負のポーカー。
ザイードは自分の手札をチラリと確認し、ニヤァと笑った。そして、右手にはめた『運命操作の指輪』を親指でこっそりと擦る。
(……見えたぞ。俺の手札はただのブタだが、この指輪の力で、次に引くカードを強制的に『ロイヤルストレートフラッシュ』に捻じ曲げてやる!)
ザイードがカードを交換しようとした、その瞬間だった。
「――残念だったわね。貴方のその玩具、この島では『圏外』よ」
私がヒマ端末の画面をタップした瞬間。
パリンッ!!
ザイードの右手にはめられていた黒い指輪が、甲高い音を立てて粉々に砕け散った。
「な、なんだとォォォッ!?」
ザイードが悲鳴を上げ、右手を押さえる。
「な、何をした!? 俺の国宝の魔道具が!」
「ただの『ジャミング(電波妨害)』よ」
私は冷たく見下ろした。
「この浮遊島全体に、私の作った『確率変動キャンセラー(完全確率固定結界)』をさっき展開したの。外部からの不正な運命操作や魔力干渉を検知した場合、その魔道具そのものをショートさせて自壊させるアンチ・チート・システムよ」
「ば、馬鹿な……! 古代遺跡の呪具の魔力を、一瞬で上書きしただと……!?」
「さあ、イカサマなしの、完全な実力勝負よ。オープンなさい」
ルミアが優雅に自分のカードを表に返した。
『フルハウス』。
「さあ、貴方の手札は?」
「あ、あああ……っ!!」
ザイードが震える手で裏返したカードは、何の役も揃っていない、完全なる『ブタ(数字のバラバラ)』だった。
イカサマの指輪に頼り切り、ポーカーの技術など欠片も持っていなかった男の、当然の末路である。
「勝負あり、ね。約束通り、百五十億ゴールドと、貴国のミスリル鉱山の権利……我が魔導商会A&Lが合法的に頂戴したわ!」
ルミアが高らかに勝利を宣言し、フロアは割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
「ふ、ふざけるなァァァ!!」
すべてを失ったザイードが、狂乱して立ち上がった。
「こんな女どものペテンに引っかかるか! おい! 護衛の者たちよ! この女どもを殺して、金と権利書を奪い返せ!!」
ザイードの叫びと共に、客に紛れていた西の国の暗殺者数十人が一斉に武器を抜き、私とルミアに向かって飛びかかってきた。
――しかし。
「……私の最愛を賭けの対象にし、あろうことか刃を向けたな」
ドゴォォォォォンッ!!!
ユリウスが指を一鳴らしした瞬間。
空間そのものが圧縮され、数十人の暗殺者たちは、一歩も動くことなく見えない巨大な圧力(重力結界)に押し潰され、全員が白目を剥いて床に沈んだ。
骨の軋む嫌な音が、静まり返ったカジノフロアに響き渡る。
「ひぃっ……!?」
「バルバドスの王子よ。貴様は、誰の女に手を出したのか、理解していなかったようだな」
ユリウスが、ゆっくりとザイードの前に歩み寄る。
彼から放たれる圧倒的な死のプレッシャーに、ザイードは床にへたり込み、無様に失禁した。
「た、大公閣下……! も、申し訳ありませ……!」
「アリス」
ユリウスは命乞いを完全に無視し、振り返って私を見た。
「このゴミを、空から海へ投げ捨ててもいいか? それとも、君の新たな実験材料にするか?」
「えっと……殺すのは後味が悪いので、ルミア社長! いつものアレでお願いします!」
私がルミアに振ると、彼女は最高に邪悪な笑顔で頷いた。
「ええ。我が社は命を奪うような野蛮な真似はしないわ。……ザイード王子、貴方には莫大な負債を返済するため、我が社の『地下魔力自家発電プラント』にて、一生涯の終身雇用を約束してあげる」
「は……? 地下発電、プラント……?」
◆◆◆
「ぜぇ……はぁ……! な、なんだこの地獄はぁぁぁ!!」
数分後。モールの最下層、懲罰房。
すべてを失い、身ぐるみ剥がされたザイード王子は、巨大な鉄の回し車の中で、絶叫しながら全速力で走らされていた。
足を止めれば、床の超高熱プレートで丸焦げになる。
「ひぃぃぃ! 許してくれぇぇ!!」
「おい新入り! ペースを落とすな!! 俺たちの連帯責任で足元が熱くなるだろうが!!」
隣の回し車から、泥だらけでガリガリに痩せ細った男が怒鳴りつけてきた。
かつて私を婚約破棄した、王国のギルバート元王子である。彼は今や、この懲罰房の『ハムスター・リーダー』として、完全にこの労働環境に適応しきっていた。
「な、なんだお前は! 俺は西の国の第一王子だぞ!」
「ここでは王子も平民も関係ない! 回し車を回す『動力源』としての価値がすべてだ! いいか、足を高く上げて、一定のリズムで回すんだ! そうすれば熱板のダメージを最小限に抑えられる! 俺のステップを見ろ!!」
「う、うおおおおっ! ギルバート先輩、ついていきますぅぅぅ!!」
かつての尊大な王子たちが、私の創り出したカジノのネオンサインを輝かせるための「生体バッテリー」として、涙を流しながら巨大な車輪を回し続ける。
彼らの流す汗と絶望は、すべて魔導商会A&Lの輝かしい利益へと変換されていくのであった。
◆◆◆
騒動が片付き、再び優雅な音楽が流れ始めた天空のサンクチュアリ。
私はユリウスにエスコートされ、誰もいない最上階の星空バルコニーへと出ていた。
「はぁ……。ルミアのえげつない商売のおかげで、また一つ他国の鉱山が手に入っちゃいましたね」
「ああ。あの女の強欲さは、もはや一種の才能だ。だが、私の興味は他国の鉱石などにはない」
ユリウスは夜風に吹かれる私の銀髪を優しく梳き、そのまま私の腰を抱き寄せて、夜空の星よりも輝くアメジストの瞳で私を見つめた。
「私の世界の中心は、この腕の中にいる君だけだ。……アリス、今夜の君は、私をどれだけ狂わせれば気が済むんだ?」
彼の手が、私の開いた背中のドレスのラインをそっと撫でる。
私が仕込んだはずの高圧電流の結界は、彼の圧倒的な魔力コントロールによって完全に中和され、一切作動していなかった。
「ゆ、ユリウス様……っ。結界、破られちゃいましたね……」
「言っただろう。君のすべては、私の完全なコントロール下にあると」
彼は甘く低い声で囁き、そのまま私の唇を深く塞いだ。
雲海の上に浮かぶ、世界中から富を吸い上げる絶対の治外法権リゾート。
その頂点で、私は最強の魔王の甘すぎる呪縛から、一生逃れられないことを悟るのであった。
魔導とビジネス、そして狂おしい愛が支配する私たちの快進撃は、今日も天文学的な利益を叩き出していくのだった。
(第16話 終わり)




