番外編32 幼き日の誓い3(ラザロス編⑨)
「イザベラ様!」
「来ないで!」
外に出てすぐ、ラザロスの目はイザベラの背中を捉えていた。
拒絶されたことに傷付きながら、それでもその背中を追うことはやめない。
彼が本気で走ればイザベラに追いつくことなど造作もなかったが、どこかを目指している様子の彼女をラザロスはすぐに捕まえることをしなかった。
そうして二人が辿り着いたのは、屋敷の裏にある丘だった。
茜色の夕日が丘の向こう側に見えた。
「……はあっ、はあっ……」
足を止めたイザベラは、肩で息をしていた。
令嬢育ちで生まれてこの方、ほとんど走ったことなどないのだから彼女が息を乱すのも無理はない。
ラザロスは何も言わず、イザベラを待っていた。
息が整うのを待っていたのか、彼女が自分から話し始めるのを待っていたのかはラザロス自身にもよくわからなかったが、それでも彼はイザベラを黙して待ち続ける。
やがで、イザベラは彼に背を見せたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……私ね、お父様のお話を聞いた時、これが私の運命だから受け入れようと思っていたの。私がそうするのが、お父様とお母様のためになる。この領地の、この国みんなのためになるんだからって。だって、私一人が我慢すれば、みんなが安心して暮らせるのよ? そんなの、行くしかないじゃない……」
そんな事はないと、ラザロスは言いたかった。
こんな小さな女の子に自己犠牲を強いるだなんて間違っている。
そう思うのに、舌が喉に張り付いたように動かなくて、何も言えなかった。
「これは私にしかできないことだから。公女の務めだから、仕方ないの。そう、思ってた」
力を持つ者の義務。
それは貴族として大切な心構えで、ラザロス自身にも馴染みのある思想だった。
誰かの為でなく、貴族として誇り高くあるために。
憧れの父に教わり、大事に胸に抱いていたその言葉が彼の胸をギリギリと荊のように締め付け、苦しめた。
「……でもね、考えれば考えるほどによくわからなくなっていったの。ここが私の家で、大事な人たちはみんなここにいて。それなのに私だけ、ここを離れて暮らさなきゃいけなくて、もう二度と、この家に戻ることはできないんだって考えたら、急に胸が苦しくなって……。だって、ここは私の家なのに……」
太陽はあんなにも輝いているというのに、イザベラの声は次第に湿り気を帯びていく。
一生、家に帰ってはならないなんてそんなことがあっていいはずがないと、ラザロスは必死に首を振ったが、どんなに懸命に首を振っても背を向けた彼女には伝わらない。
「……私、本当は行きたくない! ここにいたい! みんなと一緒にいたい! どうして私なのかな……? どうしても、私が行かなくちゃダメなのかな……?」
それは公女としてではなく、ただの七歳の少女としてのイザベラの声で。
ラザロスの足が強く地面を蹴る。
「……っ!?」
やっと追いついた彼女の背中を包み込むようにラザロスが抱きしめると、イザベラは小さく息を洩らして身体を震わせた。
彼女が抵抗してこないのを確認すると、ラザロスは絹糸のような髪に頬を寄せる。
イザベラの胸元に回した彼の腕に、ぱたりぱたりと温かい雫が落ちていた。
「……申し訳ございません」
ラザロスの喉の奥から絞り出すようにして出てきたのは、気の利いた慰めの言葉などではなく、謝罪だった。
イザベラが自分から話してくれるまで待っていたのは、ラザロス自身もイザベラという存在を失うことが恐ろしかったからだ。
けれどそうして逃げた結果、全てを彼女に言わせてしまった自分がラザロスは不甲斐なかった。
ずっと家に居ていいと言ってやれない自分が情けなかった。
彼女を笑顔にできない自分がたまらなく嫌だった。
故に、彼は嗚咽するイザベラの耳元で何度も謝罪をした。
しばらくして、イザベラの身体の震えが収まるとラザロスは腕を解いた。
「イザベラ様、少しだけここで待っていて下さい」
途端に喪失感がラザロスを襲ったが、彼は心の中で自分を叱咤し、イザベラに待っていてほしいと伝える。
声は無いながらも、彼女がこくんと一つ頷いたのを確認すると、ラザロスは足早にその場を離れ、正面玄関からではなく屋敷の裏口から自分の部屋に向かった。
そして目的のものを手にすると、さっと踵を返す。
イザベラの元に戻った彼の手には、一帖の盾があった。
夕日を横目に、ラザロスは片膝をついてその場に跪き、盾をイザベラの方に向けて掲げる。
「イザベラ・ヴィンス・リリアーヌ様。私、ラザロス・ミカ・オベールが貴女の騎士となることをお許しください。そして、今、この瞬間から、いつ如何なる時も貴女の傍に仕え、盾として貴女をお守りすることをここに誓います」
「それはいったい……?」
「貴女を一人にはしません。私も、貴女と共に魔塔に行きます」
紫檀色の瞳を見開いて問うイザベラに、ラザロスは決意を口にした。




