26.飼い主様の多難な事情(2)
荷物を抱えて橇に乗り、三人で待ち合わせ場所であるギルドの門に行くと。
橇にもたれてぐったりするグリフィンと、アズセナを口説いているフィオーリという謎の光景に出くわした。
「おはよ~」
「おはようって時間でもないけど、なにやってるの?」
「ん。朝の挨拶?」
黒茶の縞のある四肢に、背にゆくにつれて濃くなる赤褐色の体躯。雄よりも小さい巻角を持つ雌魔羚羊は、首筋を撫でられながら「君は最高だ」と囁かれ、満更でもない顔で琥珀色の目を細めている。
「口説き文句が挨拶?」
「女性への挨拶は口説き文句って決まってるでしょ?」
片目を瞑って微笑むフィオーリは、冒険者どころか、筋金入りの女たらしにしか見えない。指先で色気たっぷりにアズセナの頬を撫で、私のところにやってくると、左手を取った。
手袋の先に口づけ、上目遣いで笑う。
「お嬢。今日もかわいいね」
「ありがと。フィオも相変わらずイイ男だよ」
癖のある茶色の髪を無造作に整え、明るい青の瞳。爽やかな笑顔は、童顔のせいか年齢不詳で、人の目を奪う魅力に溢れている。
笑い皺の増えた、だが昔より翳りの減った笑顔が憎らしくて、手袋を嵌めた指で目の前の頬を抓った。
「なに?」
「なんか腹立った」
「酷いなあ」
厭味じゃないのは分かっている。花街で生まれ育ったフィオーリは、そのせいか絶対に女性を悪く言わない。もちろんダメ出しや諫めたりすることはあるが、基本すべての女性に等しく優しいのだ。赤ちゃんから老婆まで――標語ができそうだ。
その教育の賜物か、ウォルターやグリフィンを初めとしたギルドの若い冒険者が漏れなくフェミニストの皮を被ったオールオッケーな女たらしと化したのは、喜んだらいいのか嘆いたらいいのか迷うところである。
とにかく。
温泉に行くため、ほぼすっぴんの顔をニット帽とマフラーで半分以上隠した私をかわいいと褒めるこの色男の軽さがイラっとくるのだ。
「でも本当、お嬢は綺麗になったよ? 都会の男に磨かれたのかな?」
「はいはい」
「……ひょっとして、疲れてる?」
指先でニットの縁を持ち上げるようにして覗き込む男に、はっと両手で帽子を押さえた。
マズい。この男は色事だけじゃなく、いろいろ聡いんだった。
「ちょっとお弁当作りを張り切りすぎただけだって」
「なに、バカ兄貴は温泉行きを振るだけ振って、準備は妹に丸投げしたわけ?」
「そう!」
「ちげーよ」
私の肯定とウォルターの否定が重なった。
「だってウォルがしたのって、アズセナとドナーの手配だけじゃん」
「おまえが手伝わなくていいっつったんだろ」
「大きい体で台所をうろうろされるのが邪魔なの!」
「はいはい分かった。ぼっちゃんは手伝ってくれなかったのか?」
「……エマの鬼気迫る様子に、ほとんど手伝えなかったんだ」
「鬼気迫る?」
問い返したフィオーリが、思わず目を逸らした私を見、愚兄に視線を移した。
ウォルターが皮肉に笑う。
「覚悟しとけよ、フィオ。弁当はなんと重箱二つ分だぜ?」
「は?! 重箱って、あのごっつい陶器のやつ?!」
「そうそれ」
「……お嬢、それ張り切りすぎだって」
「だってフィオも来るっていうし、大人八人分って思って作りはじめたら、多めになっちゃったんだもん」
「なんで八人分なの。作るにしても、ウォルとジェドと自分の三人分でしょ? あとは各自で持って来るように言えばいい。俺は持って来たよ?」
「え、嘘」
「嘘じゃないよ。酒とつまみは自分で持ってこいって言ったの、お嬢でしょ?」
「そうだけど……」
忘れてた。へらへらした態度に誤魔化されがちだけど、この男は十五以上も年上のれっきとした大人で、最低限の常識は持ち合わせてる人だった。
詰めに詰めまくったお弁当が夕飯に回される未来に、血の気が引いていく。
「……明日の朝までお弁当が残ったらどうしよう」
「気になるのはそこ? 俺のはアイテムボックスに入れてるから腐ることはないし、せっかくお嬢が作ってくれたんなら、喜んでお弁当いただくけど」
「ごめん、フィオ」
「謝る必要はないでしょ。なんでそこまで張り切ったの?」
「だってグリフとヴィシュは騎獣出してくれるし、ピアとリーザはわたしが声をかけたから、お昼くらい準備しようかなって……どうせ三人分作るし、ついでに」
「で、俺も加わって、ついでが加速したわけね」
ため息をつき、フィオーリは「まったく困った暴走娘だ」と私の帽子を整えた。おもむろにウォルターに指を突きつける。
「ウォル、有罪」
「なんでだよ?!」
「おまえの段取りが悪すぎるからだ」
ぺち、とウォルターの額を叩いて、フィオーリが支度を促す。そのやりとりに、ぴんときた。
……なにか絡んでるな。
突然愚兄が温泉行きを言い出したから、おかしいとは思ったんだ。温泉好きなのはウォルターじゃなく、私だから。
とはいえ、今ここで二人を追及するのも憚られる。きっかけは何であれ、久々の温泉が嬉しいのは本当なので、もやっとした気持ちを抱えたまま橇がアズセナの馬具と繋がれていくのを見守った。
気を紛らわそうと、放置されているもうひとつの橇に向かえば、荷物に紛れてピアニーが寝ていた。
「ヴィシュとドナーは?」
「……リーザの迎え」
青空の広がる良い天気だというのに、ぐったりと橇に背を預けたままのグリフィンが、死にそうな声で答えた。
身だしなみは小奇麗だが、全身から酒気独特の臭いが漂う。
「なに、二日酔いなの?」
「フィオにしこたま呑まされたんだよ。あいつ化け物か」
「相変わらずお酒弱いねぇ」
からかったら、ぐいと腕を引っ張られた。
酒臭い腕の中に倒れ込む私を、不機嫌なヘイゼルの瞳が睨む。
「なんか怒ってる?」
「……怒ってねえよ」
「や、怒ってるでしょ? わたしなにかした?」
「…………おまえ、フィオに喋ったろ?」
「なにを?」
「俺らが付き合った話」
「いつの話よ……」
ジェドのお守りで学院に行く前だから、もう四年も前だ。あの頃は私もいろいろ荒れてて、ぶっちゃけ結婚して家を出て行ってやろうと、異性と付き合ったこともないのに無謀にも婚活に励んでみたのだ。
当然どれも空回り。グリフィンとお試しで付き合うという流れになったのは、迷走する私を見かねてのことで、恋愛というより本当に友人として心配してくれたのだと思う。
深夜、酔い潰れるまで我儘に付き合ってくれたグリフィンを家まで送り届けて、さすがに私も頭を冷やした。自分がどれだけ周りに守られているか実感して、反省したのだ。
なので、グリフィンには感謝こそすれ、からかいのネタにしたことはない。
「べつに変な話はしてないはずだけど?」
「なんで話すんだよ」
「あのね、わたしがフィオの追及から逃れられると思う? 言っとくけど、あの二日後には拉致られて吐かされたからね」
拉致といっても、隠れ家的な美味しいレストランに連れて行ってくれるというので、ほいほいついて行ったら完全貸切だったってだけだけどね!
めっちゃ笑顔で尋問されたよ。食事もお酒も最高だったし、全部フィオーリの奢りだったからいいけど。十六歳の小娘なんて、Sクラス冒険者の手にかかればチョロいもんだと思い知った。
ついでに彼は、十以上年下のAクラス冒険者を手玉に取るのも、お手のものらしい。
四年間も泳がされていたという事実に、グリフィンの声がひっくり返る。
「は? 二日後って、ほぼずっと知ってたってことじゃねーか!」
「そうだよ。だいたい、なんで今頃になってそんな話が出たの? なにかフィオの逆鱗に触れることでもした?」
「……」
心当たりがあるらしいグリフィンが黙り込む。酒臭い息が長々と漏れた。
ため息をつきたいのはこっちだ、ばかたれ。
腕輪の魔石を操作し、ベルトポーチのアイテムボックスを開ける。取り出した小瓶を、有無を言わさず男の手に押し付けた。
「二日酔いの薬あげるから、わたしを男同士のごたごたに巻き込まないで」
「巻き込んだわけじゃねーんだけど……」
ぼそぼそと呟き、グリフィンは「悪ぃ。やっぱ、八つ当たりだな。すまん」と私を腕から解放した。
「大丈夫? アズセナの運転代わろうか?」
「大丈夫だ。薬、ありがとな」
「わたしが作ったやつだから、効き目は母さんのほどじゃないけど、不味くはないから」
「助かる」
話をしているうちに、ヴィルトシュヴァインとリーザを乗せた巨大な魔箆鹿が雪を蹴散らしながら帰ってきて、ようやく出発のメンバーが揃った。
*
橇は、ドナーとアズセナの馬力差を考慮して、男女別になった。もちろん御者は、それぞれの騎獣の主人が執る。正直ドナーだけでも大人八人を牽くには充分なのだけど、あいにく大人数を乗せる橇がないのだ。
どちらもきちんとした椅子付の橇ではなく運搬用なので、毛布を敷いて座る。バランスをとるため、席順は体重の重いものが一番後ろになるように、片方はウォルター、片方はリーザ。残りの二人が向かい合わせとなる。隙間に荷物を置いて準備完了だ。
約束通りフィオーリが、御者席の前の風除けに嵌め込まれた [守護結界]の魔道具を起動させ、それに[浮遊]を重ね掛けした。
掛け声とともに手綱が打たれ、最初にドナー、続いてアズセナが走り出す。
白魔のときと違って飛行しないものの、Sクラス冒険者の手によって作り出された絶妙な空気の層が地面から伝わる衝撃を見事に吸収して、二台の橇は軽快な速度で滑っていく。
リーザが、ひしっと両手で橇の縁を握り締めた。
「ちょ、橇、速くない?」
「大丈夫、吹き飛ばされることはないから」
どれくらい大丈夫かというと、このまま橇が馬具から外れて転がっても全員無傷でいられるくらいには、頑丈な[守護結界]がかけられている。
というのは、さすがに口に出さない。私もそれくらいのデリカシーはあるのだ。
……だけど、この体の不安定感なんとかならないかなー。
向かい風はまったくないが、乗り物が前方に引っ張られるため、慣性で体が後ろに残ったり、遅れてつんのめったりする。不快とまではいわないものの、リーザが不安がるとおり、時折浮き上がる感覚もあって、ゆっくり落ち着いて乗っていられる雰囲気ではない。体重の軽いピアニーは飛び跳ねる勢いだ。
橇を包む魔法陣を眺め、うーむと唸る。フィオーリの陣は簡潔すぎるほど無駄がなく、描き直しようがない。最低限だけ指示して、あとは精霊に丸投げというのが彼のやり方だ。
後ろを視れば、風属性の魔力が渦を巻いて長い尾を作り、左右のぶれを補正しながら空へと消えていて、とても綺麗だ。これを崩すのは忍びない。
「よし、諦めた」
「は?」
「リーザ、ちょっとごめんね」
先に謝って、橇の壁に指先を当てた。
「蔓と化せ」
魔力を籠め、精霊に意思を伝える。ぽわりと緑の光が舞い、三人それぞれの両脇の木の壁が一部変化して、ロープサイズの蔓が生えた。
リーザが奇妙な視線を向ける。
「なに、これ?」
「固定用ベルトのつもり。結界弄るの難しそうだから、物理的に安定させようかと思って」
一本で拘束してもいいんだけど、魔術慣れしていないリーザが引くので止めた。
蔓は片方を輪っかにしたので、その中にもう片方を通して引っ張り、余った先を根元の捻れの中に差し込めば固定されるというベルト仕立てだ。
樹の精霊に『固定よろしく』と伝えれば完璧である。
恐る恐る簡易ベルトを締め、リーザがほっと息を吐く。
「こんな魔術の使い方ってあるのね。初めて見たわ……」
「うん、わたしも初めて」
「は?!」
リーザが薄青の瞳を見開く。
咄嗟に手のひらをぶんぶん振って否定した。
「や、この蔓を出すのはやったことあるよ?! こんなふうに橇に固定するのが初めてってだけで」
「……」
「ほんとだってば。上手くいったでしょ?」
疑わしそうな目を向けるリーザに必死に言い訳する。
[蔓縄]の魔術があるのは本当だ。主に捕縛とか、変化させて檻にするとかなので、先端だけ形状を変えてベルトにしたのは初めてだ。
なので詠唱と呼べる呪文もない。
強いて言えば、精霊に呼びかけた言葉の裏で、
『樹の精霊、ちょっとこの橇の板を一部、蔓のロープにして欲しいんでよろしく。場所は、この橇にいる人間の腰の高さで、三人それぞれ左右から一本ずつ生やしてね。太さはわたしの指二本分、長さはわたしの肘から指の先まで。片方の先の四分の一を輪っかにしてね。あと、橇から体が浮かない強さで固定よろしく』
という感じの意思を伝えただけだ。
……うん、長いよね。カイルとフィオーリには、いつも『情報量を減らせ。魔法陣を使え』と怒られる。
だけど精霊って曖昧な表現が苦手で、こっちの希望をきちんと伝えようとすると、つい長くなっちゃうんだよね。
魔力での会話は心話とも呼ばれ、通常の会話ほど時間をとらないので、魔力的にもそれほど負担にもならない。もうちょっと言うと、私は精霊との会話以外で魔術の発動に魔力を消費することが皆無なので、効率化に消極的なのだ――魔道具に関することを除いて。
だいたい、なぜ魔力の塊である精霊に、こちらのしょぼい魔力を譲渡する必要があるのか。平民で大規模魔術を使うことがないとはいえ、貴族仕様の魔術は不思議がいっぱいだ。
おかげで三年間の学院メイド生活で一番上達したのは、魔術をそれっぽく使っているように見せる術だったりする。ちょっとしょっぱい。
過去に記憶を飛ばしていた私を、向かい側に座るピアニーがじっと見つめる。そしてリーザに、真剣な面持ちで頷きかけた。
「エマは特別。気にしない」
「やっぱりね」
「リーザ?! ってか、ピアがそれ言う?!」
先祖返りにおかしな人扱いされるとは微妙だ。
「普通は、もうちょっときちんと陣を構築する。あんな雑なことしない」
「雑……」
リーザが、くくっと肩を揺らして笑った。
雑かなあ。丁寧に頼んだつもりなんだけどなあ。納得いかないなー。
「がんばったのに」
「頑張るのと丁寧さは違うでしょ。……ね。あんた今日、みんなのお弁当作ってきたんだって?」
「まさかリーザも持って来た?」
「ヴィシュがウォルから聞いて教えてくれたから、家に置いてきたわよ」
どうやら御者を頼まれたヴィルトシュヴァインが、昼前に出ると聞いて『昼飯はどうするんだ?』とウォルターに伝話鳥で訊いたところ、『エマが大量に弁当を作った』と返事があったらしい。
さらに御者二人は、昨日の夜遊びがたたって朝練をさぼったため、フィオーリとピアニーとリーザの参加を知らず、お互いの連絡だけで終わったという。
急に決めたこととはいえ、計画がぐだぐだすぎる。うん、全部ウォルターのせいだ。
「うわ、二人ともごめん」
「問題ない」
「あたしも別にいいけどさ。けど、あんたが雑に見えるのって、そこなんだと思うのよ。お弁当のことだって、温泉誘う手紙に一言書けばいい話でしょ? 手紙を届けるのも、わざわざフクロウ呼ばなくても、訓練ついでにウォルかジェド様に頼めばいいじゃない。なんでその手間を惜しむの?」
「二人に頼むっていう発想がなかった……」
「自分で全部やろうとするからよ。だから抱えきれなくて、細かいところが疎かになるんでしょ?」
いたた、リーザからのダメ出しが痛い。
なんで温泉行くのに、こんなに怒られなきゃいけないのか。やっぱりアレのせいかな。
そろ、と上目遣いに、夜勤明けにも関わらず、綺麗にナチュラルメイクを施した年上の友人を窺う。
「リーザ、フクロウのこと怒ってる……?」
「怒ってないわよ。死ぬほど驚いたけど」
「うう、本当ごめんね」
「別にいいわよ。久々の温泉で浮かれてるんだなーって思ったし」
「次はもうちょっと地味な子に頼むね」
「お願いだから人間にして」
動物便かわいいのに。
そう思えば、リーザの指が、むにっと私の左頬を摘まんだ。
「どうしたのよ? もうちょっと温泉で浮かれてるかと思ったのに、なんか元気なくない? お弁当作りで使い果たした?」
「ほぉるとひおにひくまれた」
「ん?」
リーザが指を離したので、もう一度繰り返す。
「ウォルとフィオに仕組まれたの、この温泉行き」
「あー……ごめん。たぶんそれ、あたしも絡んでるやつだわ」
「は?!」
まさかの裏切りに目が点になる。リーザが気まずい顔で肩を竦めた。
「だってあんた、ここ最近ずっと忙しそうだったからさ。ウォルが店に来たとき、つい『お休みあげて』って言っちゃったのよ。そこから話が進んだんだと思う」
「それいつ」
「……昨日の夜」
あの鳥頭! 考えなしにもほどがある。
リーザが「ごめんって」と顔の前で両手を合わせた。
「悪気はなかったのよ? そろそろギルド長さんたちが帰って来るって聞いたし……あんたとお父さんの仲は微妙だし、お休みもらって気分転換すればいいかなって思ったの。まさか昨日の今日で話が進むなんて、完全に予想外だったんだってば」
「大丈夫。ウォルが馬鹿なのは知ってる」
「まあね。あんたへの休暇のつもりが、休ませる本人に一番働かせてたっていう今の状況は、確かにどうかと思うけどさ。一応もともとは気を遣ってやったことのはずだから、ちょっとだけ大目に見てあげて?」
「……ほんのちょっとくらいなら」
釈然としないが、しぶしぶ同意する。
「温泉って言い出したのは、フィオ?」
「たぶんね。休暇か、あんたが喜ぶことって言ったら、ウォルはノープランぽかったから」
「休暇なら休暇って言ってくれれば、がっつりお休みモードに入ったのに」
「だけど、あんた最近休みでも用事入れてるじゃない。ジェド様のことで手一杯っていうより……なんか、気を抜くのが下手になったって感じ?」
鋭い友人の言葉に、内心どきりとしながら苦笑して誤魔化した。
「前は休みの日に十二時間とか寝てたんだけどなー」
「さすがに寝すぎじゃない?」
「起きたら休みが終わってて、なんかがっくりしちゃうんだよねー」
「……夜から夜に飛ぶ」
「ピアもなの?!」
「睡眠大事」
そう、睡眠は大事だ。
悪夢は相変わらず観る。リラックスできる香りやマッサージなどを一通り試して、とうとう睡眠薬に手を出したら、体質に合わなかったのか変な時間に眠気がやってきて、すぐに止めた。
今のところ、魔道具の陣の改良とか他の考え事で頭を一杯にして、かつ体力も使い果たしたところで寝るとあまり夢を観ないと分かり、一月ほど続けている。
が、確かにこれもいろいろ限界だ――こうやって周りに気を遣われてしまう程度には。
自分への情けなさに小さくため息をついて、傍らのリュックに頭をもたれる。
「決めた。今日はもうなにもしない。これ以上、変な気を遣われると嫌だもん」
「それって、気を遣われないように気を遣うって聞こえるけど?」
「あの馬鹿兄が余計な気を回せば回すほど、わたしの被害が拡大するに決まってるもん。絶対」
「あんたも難儀な子ねぇ」
リーザが苦笑して、私の頭をよしよしと撫でた。
「今度あんたのことで誰かに話を振るときは、もうちょっと人選に気をつけるわ」
「マジでお願い」
頭をやさしく撫でられ、抱えていたもやもやが薄れるのを感じる。
本当に私は周りの人に恵まれている。家族が残念すぎるから、余計にそう思うのかもしれないけど。
気づかないだけで、実は人生のプラスとマイナスって、釣り合うようにできているのかもしれないと、ふと思った。
*
[迷宮の森]手前の道を西へ進み、森の外れ近くの川にぶつかったところで北上。この川が温泉と水源を同じくするもので、川すじに導かれるように山へと分け入っていく。
道はあってなきようなものだが、二頭の魔獣は慣れたものだ。
途中、雪像にしか見えない巨猿に襲われたり、雪狼の群れに出くわしたりしたものの、先頭を行くAクラス冒険者たちが難なくいなし、橇はほとんど速度を落とすことなく温泉まで辿り着いた。
雪深い原生林の中に突如現われる、丸太造りの横長の建物が一棟。ここが温泉の脱衣所だ。
突如というのには理由があって、この温泉場一帯は、土地の持ち主によって結界が張られているのだ。どうやらこの温泉は元々、地脈に近いことが作用してか、傷を癒す聖域であったらしい。聖域は邪なものを自然と忌避する性質があり、それを基礎として結界としたため、ここは傷ついたものや温泉による効能を必要とするすべてのものを受け入れる仕様になっている。
なので、見たこともない獣や魔物と遭遇することも、しばしばだ。中での争いは厳禁――少しでも争おうものなら双方とも結界外に弾き出される――なので、冒険者と魔物が一緒に温泉でまったりという摩訶不思議な光景が出来上がることになる。
ウォルターは一度、脱衣所で出産直後の雌鹿(もちろん仔鹿つき)と出くわしたそうだ。かわいすぎて邪魔をするのも忍びなく、そのまま帰って来たらしいが、それでも鹿肉をもりもり食べるのだから、どうにも残念な男である。
それはさておき。
土地を持っているというか治めている、とある方のへそくりで建てられた脱衣所は、小屋というには頑丈な平屋建てで、出入り口がひとつ。男湯と女湯は屋内で分かれるという造りになっている。
その前で橇を止めて皆で降り、玄関ポーチの柱にドナーとアズセナを繋いだ。
建物の中はわりと綺麗に見えたが、念のため[清浄]と[復元]を掛けてから荷物を入れ、ロビーの暖炉の火を熾す。
男女の脱衣所の中間点となるロビーには、暖炉だけでなくテーブルや椅子も置いてある。一番大きなテーブルを囲むように椅子をかき集め、重箱を広げた。夏であれば外で景色を見ながら食べるのも乙だが、冬の今は暖かさと安全が優先だ。
ほどよくお腹も減り、心配していた大量のお弁当は、瞬く間に皆の胃袋に消えていく。
ウォルターとヴィルトシュヴァインが大食いなのは知れたことだが、同じくらいの速度で食べるジェドに、まだ本調子じゃないらしいグリフィンが呆れた眼差しを向けた。
「よく食うな、おまえ」
「ん……お弁当美味しいし、外で皆で食べるって新鮮だから、余計に美味しい」
一生懸命、口の中のものをもぐもぐと飲み下してジェドが答える。かわいいが、君、美味しいしか言ってないからね? 食事に気を取られて言語能力が行方不明になってるんだな、きっと。
その隣ではピアニーが、取られないようにか、小皿に料理を積み上げている。山積みというより、目の高さくらいまであるタワーが揺れていた。非常に危ない。
いつものようにサラダから食べはじめていたリーザが、出汁巻き卵を取ろうとして、重箱の中の減り具合に目を瞠った。
「なくなるの早っ。余ったら夕飯用に貰おうと思ってたのに」
「先に確保しとけば? 小皿多めに持ってきてるし、[保存]かけてあげるよ」
「ほんと?」
リーザが目を輝かせた。傍らからそっと手を出すピアニーにも追加の小皿を渡せば、二人は少しずつ数種類のおかずを盛っていく。
ピアニーの分は、積み上げる形状が縦から横に変化しただけで胃袋直行のようだったが、リーザの分にはフードカバーをイメージして半球状の[保存]をかけ、きれいな布巾で包んであげれば、おみやの出来上がりである。
手羽先の甘辛煮も、食べにくいと敬遠されるかと心配したが、美味しいと好評のようで安堵した。
予想外だったのは、フィオーリが、いつものようにアイテムボックスから麦酒の瓶を取り出したものの。
「ヴィシュ、飲んでいいよ。帰りの運転、俺が代わるから」
と言い出したことである。マジか。
左端の席で、器用に手羽先の骨を外して食べる男の横に、そそっと近づく。
「フィオ、ひょっとして気を遣ってる?」
「なんで?」
「だってフィオのアイディアでしょ? 温泉」
そう問えば、フィオーリは意味深に微笑んだ。
「なんでそう思うの?」
「リーザから聞いた」
「――ネタバレはやっ」
きっとリーザを睨み、フィオーリが手にした骨を振りかざす。
「リーザ! 店の中の話を外に漏らしちゃダメじゃないか!」
「あたしが言う前にバレてたの」
「ウォルが急に温泉なんて言い出すんだもん」
私が言えば、フィオーリが「慣れないことするから」と肩を落とした。無作法にテーブルに頬杖をつき、私を見る。
「で、なに? お嬢は仕組まれて文句を言いに来たわけ?」
「軽くイラッときたけど、文句を言いたいわけじゃないよ? 感謝はしてる」
「……だけど?」
「下手に気を遣われると落ち着かないから、普通にしてくれると嬉しい」
「普通だよ? 俺は昨日呑みすぎたから、控えてるだけ」
東国特産のお茶を木製のカップで飲み、フィオーリがにっこり笑った。
今日淹れたお茶は、緑茶ではなく庶民用の安い茶葉を焙煎したもので、甘くまろやかな風味が和風の昼食に素晴らしくよく合う。だからといって、この不良中年に似合うかどうかは、別の話だ。
私は「ふうん」と応じ、厚めに切った豚ハムをちまちま食べる。本当は薄切りにしてトマトと合わせたかったが、何分冬で野菜不足のため、胡瓜が精いっぱいだ。
「フィオなら絶対『雪見酒~』って言うと思ったのになー」
「お嬢の中で、俺はどれくらい酒好きなの」
「かなり。だから、それを見越して味付け少し濃いめにしたのに」
呟けば、一番奥の席にいるヴィルトシュヴァインが「お嬢、味付けイイ感じだぞ!」と、麦酒を片手にご機嫌な声をあげた。結構出来上がってるな。
その右手前で白ワインを飲んでいたウォルターが、慌てたように立ち上がる。
「やっべ、もうちょっとで飲みきるとこだった。先行くぞ」
「なんだ?」
「雪見酒だよ。外の景色見ながら温泉入りながら、酒を呑む!」
「いいな! 行くか!」
「行くぞ!」
酒瓶とグラスを手に脱衣所に駆け出す男二人の背中に、「掛け湯してから入りなさいよー」と声を掛けたが返事はない。代わりに上半身裸になったウォルターが戻ってきて、空いたお重の一段にひょいひょいとおかずを詰め直して持ち去った。
この自由人め!
真ん中の席のジェドが、手羽先を持ったまま建物左翼の扉を振り返る。
「酒を飲みながら温泉に入るのって、悪酔いしないのか?」
「普通は危険なので、オススメしませんけどね」
「あいつらが、そんな柔なわけないだろ」
斜め向かいのグリフィンが肩を竦めた。顔色は良くなったが、いつもより口数も食欲も少ない。
「グリフは行かないのか?」
「今日は休肝日。おまえは?」
「私も遠慮する。のぼせそうだし、それより御飯が食べたい」
「風呂に入るんだから、腹八分目に抑えろよ?」
焙じ茶を飲みながら、男二人がほのぼの言い合う。私はウォルターの持ってきたロゼワインをグラスに注いで、一口飲んだ。
私もゆっくり温泉を楽しみたいので、お酒は控えめ派だ。淡いオレンジ色のロゼは甘くも渋くもなく、ほどよい飲みやすさで水のように飲めてしまう。ちょっと危険だ。
「今日は天気がいいから、外が気持ち良さそうだね」
「周り雪で真っ白なだけじゃない?」
「その中で温泉に浸かってぬくぬくっていうのがイイの」
「確かに」
向かいの端に座るリーザと喋りながら、隣のカップが空いたところへロゼワインを注ぐ。それをそっと押しやれば、胡乱な光を宿した青の瞳が見下ろしてきた。
「……お嬢はなにがしたいの?」
「健康的なのもいいけど、楽しむところでは楽しまないと」
「それはお嬢も一緒でしょ?」
「わたしは楽しんでるよ? ほら」
半分ほど減ったグラスとワインボトルを目で示す。フィオーリがロゼのボトルを手に取り、ラベルを見て舌打ちした。
「ウォルのくせに結構いいのを持ってきたな」と呟きが洩れたので、イイ感じに揺れているらしい。ダメ押しに、取り置きしておいたハムとチーズを盛った皿を差し出す。
「折角このために、とっておきのプラトリーナ産の豚ハムとフレッシュチーズ持ってきたんだけどなー?」
「……」
「ワインによく合うよ?」
「…………御者」
「ジェドがしてくれる。――ですよね? ジェド」
もきゅもきゅ食事を続けていたジェドは、それでも聞き耳は立てていたらしく、「する! ドナーの操縦してみたかったんだ」と元気に応じた。いい子だ。
にこにこと笑顔でさらに押せば、はあとひとつため息を吐いたフィオーリが、乱暴にカップを掴んだ。
それを口に運びかけた瞬間、折しも奥から、歓声と水飛沫のあがる音が響いてくる。続いて『飯に湯がかかったー!』という叫びと馬鹿笑い。
「楽しんでるね」
「……まったく。当初の目的、完全に忘れてるな。ま、最初から行方不明だったとも言えなくはないけど」
フィオーリがそう洩らせば、ジェドが首を傾げた。
「目的?」
「エマの慰労のつもりだったんだよ、今日は。ぐだぐだになっちゃったけどね」
「なるほど」
だいたい察していたのか、ジェドは、したり顔で頷いた。その会話の合間にも、笑い声と水音と雄叫びがコンボで乱入してくる。
「あー、もう俺も止めた! ジェド、帰りはよろしく」
「ん」
叫ぶと、フィオーリは呷るようにカップの中身を飲み干した。やっぱり気を遣ってたのか、と突っ込む隙もなく、酒好きの兄貴分は手酌でどぼどぼとワインを注ぎ足す。こいつが飲むと、本当にワインが水に見えるな。
「ちょ、フィオ。もうボトルなくなるじゃん!」
「お嬢が飲めって言ったのー」
「そうだけど、わたしまだ一杯しか飲んでないのに!」
「もー。しょうがないなー」
フィオーリがベルトに提げた魔石を操作し、ズボンの後ろポケットから追加の酒瓶を取り出した。いつ見ても、下ネタにしかならないところにアイテムボックス仕込んでるな。
アイテムボックス内は時間の進み方がゆっくりなため、酒の熟成には向かないらしいが、彼のポケットの中には常に夥しい数の酒瓶が収まっている。
空間の精霊がお酒に酔わないか心配だ。いや、むしろソムリエに進化している可能性もある。
くだらないことを考えながらボトルを見れば、プラトリーナ産の白のスパークリングワインだった。非常にイイと思います、御馳走様です。
帰りの御者二人はお茶のまま、六人で再度乾杯した。
やっぱり一人特別扱いされるより、みんなと楽しんだほうが何倍もテンションが上がる。
残りの重箱の中身をほとんどジェドとピアニーが食べ尽くし、余った分をグリフィンのおみや(残り物の処分ともいう)にすれば、あれほど底無しに見えた陶製の箱たちは、綺麗に空になった。
「ふう、食べきった」
「満腹」
「二人とも、これから温泉入るのに大丈夫なの?」
「たぶん……?」
「問題ない」
不安そうにお腹を撫でるジェドに対して、ピアニーがきっぱりと言い切る。専属冒険者の中では一番小柄で華奢にも関わらず、彼女の胃袋は底無しと評判なのだ。フィオーリ曰く、先祖返りの影響だという。
皆でひとしきり笑い、それぞれ脱衣所へと分かれた。




