家族
ヂチチ
ベランダの巣に今年もツバメがやってきた。
私はというと独り身には広すぎる家の中でポツンと今日も支度をしている。
色褪せた日常風景の中、唯一鮮やかに見えるツバメの営みをみると幾分か心が穏やかになる。
さて、行こう。
心の中でそう呟き、仕事場へ向かう。
色褪せた日常。ただ養育費を払うためだけに生きている日々。
娘には会わせてもらえない。棚の上に置いてある写真立て、小学校入学記念に撮った写真を眺める。
ちゃんと向き合えていなかったのは確かかもしれない、けれど不義理を働いたのは向こうのはずだ。
なのに、どうして、すべて、奪われるんだ。
いや、よそう。娘の成長を支えられるんだ。それでいいじゃないか。
重い足を引きずりながら今日も長い一日が過ぎていく。
空気に希釈されていくような感覚の中何かの音がした。着信音、元嫁からだ。
「もしもし?ヒナ新しく塾に行くことになったから仕送り増額お願いね。」
「いや待って——」
もう、切れていた。昔からそうだ。あいつは自分の要望だけ言ってさっさと立ち去る。
出会った頃はこんなじゃなかったのに。あの頃は、幸せだった。
あの時もう少し寄り添っていれば…。
…増額、か…
正直今の生活は苦しいわけじゃない。かといって増やせるほどの余裕もない。
でも、娘のためだ。
遠くでツバメが飛び去った。
次の日から残業を増やした。
日付が変わるころに帰宅する日々が続いた。
それでも足りず、収入のほとんどを捧げるようになった。
物価高、税金、保険料、目の前のコストは上がっていく。
増額、娘の、ため。増額…。あと、5年。
気が付けばまた今年もツバメがやってきた。
お前たちは相変わらずだな。少し頬が緩むのを感じる。娘には相変わらず会えない。
でも、いつかは報われるはずだ。いつか、いつか会える。それはいつだろう、結婚報告の時だろうか、成人式の時だろうか…ふふ、その時は祝福してやろう。
次の日の朝、ベランダに雛の残骸が転がっていた。
チチチチ
聞き馴染みのない鳴き声
彼らの巣を見上げるとスズメが鎮座していた。我が物顔で、まるで当然かのように。
今頃ヒナは高校生か。そうか、一目でいいから見たかった。
写真立てをそっと倒し、今日が始まった。
今夜は静かだ。
次の日、もうベランダの巣を見ることはなかった。
そして私も目を覚ますことはなかった。




