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ギミックエンド  作者: 國枝あきら
5/10

第5話 どっちがおかしい

ようやくお話が進みます。

 昼下がり。三号館の屋上テラス。

 じりじりと焼き付けるような日の熱さに、翡翠は苛立ちを増幅させていた。


 「ありえない!今回は完ぺきだったはずなのに!ああ、もう。なんで上手くいかないの」


 おもむろに立ち上がる翡翠をなだめるように、細身の男が垂れ目をくいと動かし『まあまあ』と声をかけていた。

 翡翠はその男のなだめ方もどうやら気に入らなかったようで、睨んでからドスっと席に腰かけた。


 「ネガティブなところを自覚させても、意味なかった!」

 「どんまーい、だね。まあ、僕は絶対ダメだと思ってたけど」

 「黙ってください!」


 男の名は枯旗三影(かれはたみかげ)。ゾンビのような雰囲気なのに、大食漢。

 と、実に怪しげな雰囲気でサンドウィッチを二個同時に頬張る男は、翡翠の友達のようだ。


 「ま、次の作戦を考えようよ。彼の意識を自分の感情に向かせてもダメだったわけだ」

 「もう、手は尽くしましたよ…………」

 「まだまだ」


 翡翠は心底呆れていた。

 どうでもいい男のことを、一日中考えていたのでは心労が計られる。

 そう。朝露翡翠は、()()()()()


 あの男の名も。

 あの男が鬱陶しいほどにネガティブなことも。

 あの男が、自分のことだけ記憶から消してしまうことも――。


 「つい言っちゃいました。ほんと、めんどくさいってね」

 「あらら。あくまで自然体を装って彼の感情を刺激する作戦だったのに」

 「無理!私暗い男が大嫌いなの。もう最初から耐え切れなくて」

 「あはは。でも、これで何回目?」

 「…………二十三回目」


 明らかに怒っていた。しかし、怒りの対象は当の本人のことを忘れている。

 その状況に、更に腹が立って仕方なかった。

 

 実に二十三回。

 翡翠が彼に出会ってから、記憶を失くされた回数。

 だから、会って話した回数は倍だ。半分は、自己紹介と記憶喪失を確認するのみの会話。

 何も変わらない。春先から数えて、翡翠は試行回数だけをただひたすらに重ねている。

 

 初めて会話を交わしたのは四月の頭。

 ミステリー研究会所属の翡翠は、サークルの新歓活動の一環としてチラシを配っていた。

 校門で見た彼の姿は実に奇妙で視線も散らかっており、いかにもミステリーが好きそうだと踏んだ。

 そして声を掛けたのだった。


 『ねーね!ミステリー研究会、興味ない?』

 『へ…………ミ、ミステリー?ごめんなさい、ごめんなさい』

 『…………?なんで謝るんですか。興味ないです?』

 『は、いや、少しだけ』

 『興味あります!?』

 『ああ、いや、えっと、あ、明日』

 『明日?』

 『明日、また来ます…………』

 『分かりました!八号館の三階で待ってますね』


 これが、初日の会話。翡翠はこの日のことを忘れなどしなかった。

 確かに問答はおどおどしているし態度は最悪だしで人間としての関心は抱かなかったが、サークルには少しだけ興味があるというのだから。

 この魚を、釣らない手はない。


 ――この日から、翡翠の戦いは始まった。


 『あ!昨日の人』

 『へ』

 『あれ、覚えてないですか?ミステリー研究会です。ほら、今日サークルに顔出してくれるって』

 『な、なんのことでしょう。すみません、急いでるので』


 断られた、やんわりと。昨日の言葉は嘘だったのか。決まり文句のような約束事を取り付ける男に、翡翠は少し苛立っていた。

 残る新歓期間は二日間だった。この間、校門をくぐる彼に対して翡翠は声を掛け続けた。

 何かがおかしいと気付いたのは、この四日目だった。


 『…………あのー』

 『は、はい?』

 『あなた、この四日間ずっとこの西門を使っていますよね。何故ですか?』

 『何故って』

 『だって、あなたがこの門を通って毎回向かうのは三号館か四号館。それなら北門を通った方が絶対に近い。あからさまな遠回りじゃないの』

 『よ、よく見てますね。初めてお会いしたのに』

 『……………は?』

 『え、え。な、何かおかしいことを言いましたか』


 確信した。翡翠は毎日話しかけていたこの男に、忘れられている。

 三日目には名前も伝えた。朝露翡翠です、と二回。その名前も、全部この男は忘れている。

 会話の内容も、顔も名前も。ミステリー研究会のことだって。

 自分に関する記憶が、この男にはない。

 それに気付いた翡翠は、この日から確信を深めていく作業に突入した。


 男の名は小峰(こみね)秋吉(あきよし)。しつこく聞いたら聞き出せた。

 西門をわざわざ使っているのは人通りが少ないから。遅刻しそうな人たちがこぞって北門を走り潜っているのを見るのが嫌だそうで。

 好きな食べ物はシュークリーム。嫌いな食べ物はゴーヤ。

 趣味は映画鑑賞。B級映画――特に国内の作品が好きだという。

 一人暮らしをしているが、少し訳ありなようで。その事情までは語らなかった。

 今は三年生で、大学には友達がいない。いつも昼には菓子パンを頬張っている。

 そして何より、見立て通りのネガティブ屋だった。何を話しかけても、どんな話題でも基本的に拒否反応を示す。

 映画の趣味だって十二回目にようやく知ったこと。それまでは簡単な意思疎通さえ攻略に手間取った。


 あと、ミステリーにはさほど興味がないらしい――。


 「…………全部、覚えてるのに」


 私はこんなにも覚えている。嫌いな男のことを、これほどに覚えているのだ。

 なのに、奴は毎回のようにとぼけている。偽りのない瞳で、おどけている。

 今日に至っては、非礼を詫びた。純粋に性格が嫌いであること、また自分のことを認識してくれないことで彼を想定外に罵ってしまい、流石にまずいと頭を下げた。

 それでも、秋吉(かれ)は――。


 「…………はぁーあ」

 

 ガラス張りの机に突っ伏した翡翠を嘲るように、三影はくすすと声を漏らした。


 「僕が思うに、君は意外とこの状況を楽しんでいるよね」

 「…………はぁ?そんなわけないです」

 「だって、諦めないじゃないか。嫌いだ嫌いだと言いつつも、ずっと真相を探している。でも分かるよ、これ以上のミステリーはないもんね。中々巡り会えない」

 「別に、ただの記憶喪失だと思ってますけど。でもなんか、悔しいんです」

 「うーん!記憶喪失は確かに実在する病気だが、これは違う。だって――」


 三影はスマートフォンの画面を翡翠の眼前に差し出した。

 そこには、クマのマスコットキャラクターが丸いアイコンにすっぽり収まっているのが見えた。

 少しだけ牙を剥いている。しかも八重歯…………。


 「分かってますって」


 そのアイコンは、秋吉のSNSのものだった。

 そう、三影は秋吉と知り合っている。十五回目に、翡翠が落ち込む姿を見かねて。

 そうしたところ、案外すんなりと仲良くなった。確かにコミュニケーションに難があったものの、B級映画の話題になったところで、やっとこさ連絡先の交換に成功したのだ。

 しかし、ここからが問題で。


 「――君は、この連絡先を登録できないんだろう」


 そう。三影が連絡先の転送機能を使えば、翡翠の携帯電話からでも秋吉に連絡先交換のリクエストを送れる…………はずなのだ。しかし、


 「…………本当に送ってます?」

 「送ってるとも。ほら、僕の画面では送っていることになってる」


 届かないのだ。その転送メッセージだけ、翡翠のもとには。

 三影からの他のメッセージはいくらでも届く。スタンプ機能も、画像も、動画だって。

 秋吉の連絡先だけが、到達できない。翡翠のところに、一向に。


 秋吉はメモ帳を持っている。そのメモ帳に自分の名前――朝露翡翠、と書かせたこともあった。

 しかし、次の日に合ったときにはそのメモ帳から名前どころか筆跡も消えていた。

 翡翠は秋吉との接触自体が、許されないのである。


 「こんなこと、ありえるんですか」

 「はっは!ありえないね。ありえないからミステリーなんじゃないか」

 「…………意味分かんない」

 「…………やっぱり、楽しんでる」


 眉をひそめながら記憶を一つ一つ掘り起こしている翡翠と、骨の浮き出た両手を組んでニタニタと不敵な笑みを浮かべる三影。

 風の便りは、少しずつ夕闇に溶け込んでいきそうだった。

 

 「昨日は一日中雨だったのに、今日は随分穏やかな天気ですね」

 「そうだね。昨日の雨はひどかったなあ」

 「…………部長。最後にアイツと会ったのいつですか」

 「一週間前かな。僕のことはやはり覚えていた。会うのは三回目だけど」

 「…………腹立つ」

 「ふふん。でもね、彼は会うたびに『自分には友達がいない』と言うんだよ」

 「…………友達と思われてないんじゃないですか」

 「面白いねえ、実にミステリーだ」


 ◇ ◇ ◇


 ――翡翠は歩幅を緩めながら、大学の最寄りのバス停へと歩みを進めていた。

 夕日も暮れそうで、それでも考えていることはずっと同じで。


 「思い出してよ、ねえ」


 呟いた先には誰もいない。そんなこと分かっていたのに。

 彼女の感情は、言葉として漏れるまでにあふれていて。

 いつの間にか、本当の目的を見失いそうになっていた。


 そう。彼女が秋吉のことをここまで執拗に追いかけるには理由があった。

 それでも、その理由を話したらどうなるか、彼女にはいくつかの算段が浮かんでいた。

 そのどれもが、彼女を追い詰めるもので。脆い翡翠を、壊してしまうもので。

 どうにも言葉にすることを、恐れずにはいられないのだった。

どっちもおかしい。

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