57 最強の妻
「いっ、てててて……」
戦の間はまるで気にならないのだが、翌日に感じる傷の痛みはいつになっても慣れる気配が無い。いつの間にか指の先にある斬り傷をゲンナリ眺めつつ、呂布は宿を出た。吐く息の白い初冬の朝、太陽の光も薄くぼやけている。
晋陽に入った呂布軍は、捕虜にした張燕に指示させて黒山賊の兵を解散させた。我を取り戻した張燕の言葉の影響力はやはり絶大で、黒山賊の連中は案外素直に解散を受け入れた。元を辿れば、横暴な役人官軍に反抗するための民衆の集団である。賊を辞めることにそれほど抵抗は無いのだろう。ただ、中には少数ながら兵士崩れや元来の野盗などもおり、それが少々困ったことになっていた。
「抜けられない奴らもいるだろう。だがお前ら!黒山の黒は!この『飛将軍』、呂布殿が引き受けてくれる!」
解散演説での張燕のこのいらん一言のせいで、何千もの歩兵を引き取らざるを得なくなったのだ。あれだけ心が折れていたクセにさすがは黒山賊の首領、イイ根性してやがる。なぁーにが『飛将軍』だ。
飛将軍、というのは、前漢の時代に対匈奴で活躍した勇将・李広の異名である。『飛燕』と呼ばれた張燕が、文字通り戦場を飛ぶ呂布にこそ『飛』の名は相応しい、として勝手に呼び始めたこの通り名は、賊を辞め民となって各地に散っていく元黒山賊たちによってそれなりに広まっていくこととなる。それと同時にあの夜の呂布と赤兎の禍々しい姿も伝わり、もう一つ、新たな呼び名を生んだ。
「人中の呂布、馬中の赤兎」と。
人中さんは思考中であった。視線を落とし、歩きながら頭を回す。
黒山賊は消え、袁紹軍の側面を突く脅威は無くなる。それはいい。ここ晋陽以外の拠点にも解散の使者を送らせるとして、黒山賊から民に戻る人数、兵のまま残る人数は全部でどのくらいになるだろうか?
山間で平地も少なく、賊や戦のため商売もできないこの街には仕事が少ない。が、南の平陽や高都に行けば、張楊が立て直しているところだし人手は歓迎されるだろう。兵はどうだ?北は劉虞の領地のはずだが公孫瓉に押されているらしいし、ここにはある程度の兵力が必要だろう。兵糧や武具はどのくらいあるのか?元賊の連中はちゃんと働くだろうか?というか指揮する将は?オレか?いやそんなつもりはないぞ?誰かしら袁紹殿の部下が来るまでくらいならまあ、面倒見てやらんでもないが……
「……めんどくせ」
心の声が外に漏れた。兵の面倒を見るのが、ではなく、こういったことを考えるのが、である。集中して頭を巡らせたところで、呂布に解ったのは自分がいかに頭脳労働が苦手か、ということだけだった。
顔を上げると、小屋をいくつも横に繋げた長屋のような建物が何列も並んでいる。簡易宿舎?どこだココ?あの丁原の館はどこ行った?
「……あ」
一時間後。
「遅いぞ呂布!」
「いや悪ぃ悪ぃ!自分で燃やしたことをすっかり忘れてた!」
「?」
どうにか辿り着いた見慣れない領主の館、その中の会議室に入るなり張遼に怒鳴られた呂布は、悪びれもせず中央の大机へ歩み寄った。
「飛将軍!お待ちしてました!」
勢い良く礼を取り頭を下げたのは、張燕である。先の戦闘での圧倒的な敗北は、賢明な張燕に復讐心ではなく畏敬の念を芽生えさせていた。その悪人面はまだ少々青白くやつれ気味だが声には張りがあり、回復を感じさせる。
「そうだ張燕殿、他の村とか、拠点に降伏を…」
「その使者は出した後だ」
答えたのは張遼だった。怒気が鼻から漏れている。
「貴様がいない間に今後のことは既に粗方話し合ってある。一度しか言わんから黙 っ て し っ か り 聞 け」
「へーい」
張遼は簡潔に説明を始めた。
各拠点への使者は既に出ており、兵は全てこの晋陽に集結させる。軍の再編は監視も兼ねて張遼達が行う。高都の張楊にも使者を出し、民に戻る者の受け入れを依頼してある。このあたりは呂布も考えていたことだが、既に実行しているあたりさすがの張遼様である。が。
「…鄴への報告の使者と同時に呂布、貴様らも帰路に就き、晋陽は張燕殿に任せる」
「お任せを!」
「え!」
つい出た声に張遼のジト目が突き刺さる。黙って聞け、と。
「……スンマセン」
「袁紹軍の将が派遣されるとして、ここまで来るのに何日、元黒山賊の連中を従えるのに何日かかる?兵も連れて来ることになるだろう。いち早くこの晋陽を対公孫瓉の戦力にするには、張燕殿の指揮の元でそのまま袁紹傘下に加わるのが最良だ」
手早い解説が入る。
「張燕殿は朝廷より将軍位も授けられており、賊から領主になるのに不都合も無い。無論、叛乱の心配も、無い」
ほんの一瞬、目線だけで黒い殺気を見せる張遼。硬直する降将には悪いが、徐栄の兄さんっぽい雰囲気が笑える。そして堪える。
「ちなみに、新参の上に内政能力の無い我々がこのまま占領するなどというのは、論外だ。袁紹軍中に更なる不和を生み兼ねん」
もののついでで浅はかな自分の考えにダメ出しを受けた。笑いを堪えたのがバレたか?しかし、もっともだ。初対面での田豊の剣幕が思い出される。あの爺さんなら、オレ達が晋陽を占拠したと聞いたら即、謀反扱いだろう。
「…以上だ。異論はあるか?」
「何にもねーよ。んじゃまあ、早いところ鄴に戻るとするか」
「使者はすぐにも出すが、出発は夕刻とする」
「何で?まだ昼前だぞ?オレ達だけならもうちょっと早く」
「……貴様、師匠への挨拶は済んだのか」
「!」
さすがの、張遼様である。
張遼の配慮のおかげで時間のできた呂布が、師のことを想いながら良い墓の場所を探して歩き回っている頃、もう一人の弟子はというと。
「呂布には黒山賊と内通の疑いがかかっている!邸内をあらためる!そこをどけ!」
「……」
鄴に貸し与えられた呂布軍の屋敷の門前で、兵を引き連れた文醜に怒鳴られていた。
「晋陽を占領しない」という張遼の配慮は、方向性は正しかったが既に手遅れだったのである。
呂布は黒山賊である、と判断した文醜・許攸両名は即座に早馬を走らせ、公孫瓉との戦の指揮を執る袁紹に報告すると同時に街道を封鎖、近隣の拠点に警戒を促した。文醜は呂布軍追撃を希望したが、相手はその先の黒山賊になる。一度破れている文醜の出撃を許攸は許可しなかった。そして、防衛体制が整い後は主君からの返答を待つのみ、となったところで、許攸は呂布の屋敷に残っている者達を拘束し、人質とするよう文醜に命じたのである。文醜はその卑怯な手段に渋面を見せたが、さりとて上からの命令に逆らう訳にもいかず、こうして呂布の屋敷まで来たのであった。
薄汚れた格好にボロ布を頭に巻き、剣だけを形ばかりに腰に指した目の前の男は、静かに立っているだけだが怒声に怯む様子も無く、なかなか肝が据わっている。だがこちらは袁紹軍の将、門番か使用人か知らんが、身の程をわきまえさせねばなるまい。
「どけ、と言っている」
文醜は背負っていた愛用の超長剣を外すと、ゆっくりと鞘から引き抜いた。
高順は目の前の青装束の将軍にも聞こえない程、小さく息を吐いた。
聞いたとおりの姿と長剣、この男が文醜か。面倒な相手だ。反論は火に油かと黙っていたが、剣を抜いた以上退く気はないのだろう。それでも極力、揉め事は避けたい。
「……我らは、袁紹様に認められてここにおります。その我らを疑うということは、袁紹様を疑うということ。それで、よろしいのですか?」
「ぬ!」
諭すような高順の言葉に一歩後ずさり、考え込む文醜。随分素直な反応である。駄目で元々、屁理屈も言ってみるものだ。これで退いてくれれば……
「……いや!たとえ不興を買おうとも、主君に迫る危機を防ぐは臣下の勤め!」
そう上手くはいかないようだ。
「改めて言うぞ、そこをどけ!どかねば、斬り捨てる!」
白刃が閃き、切先が眼前でぴたりと止まる。
むしろ意を固めてしまったか。放っておいたら本当に斬りかかって来そうな勢いである。真面目で結構だが、面倒な男だ。もう一度息を吐いた。
屋敷には貂蝉がいて、それを護るために残っているのだ。どけるわけがない。だがもちろん斬られるわけにもいかない。受けに徹して誤魔化せるか?相手は12人、文醜以外に特別腕の立ちそうな者はいない。その細い目の隙間から、高順は文醜の呼吸を計り始める。
「……いいんだな?」
ゆっくりと長剣を引き、突きの構えを取る文醜。少々軽いがいい空気を纏っている。派手な大振りではなく突きを選ぶのも感心だ。しかし、呂布邸の門番相手とはいえこうも簡単に斬ろうとするのか。
「……ヤクザと変わらんな」
「今さら何を言っても遅い!」
高順の独り言を叫びでかき消し文醜は踏み込んだ。勢いもいい、後に流して扉にでも刺さってもらうか。高順も腰を落とし右手を柄に伸ばす。そして動作に入ったところで
「!」
背後で扉が開く気配がした。なぜ!?咄嗟に後ろに流すはずの突きを抜いた剣で跳ね上げるも、残った力が腕に響き無理な体勢の隙が広がる。踏み止まった文醜は剣を引いた。2段目、後ろを確認する余裕は無い。前で捌いて相手を止める!長剣の敵将の動きに集中し、予想以上に鋭い2段目を小さく左に流すと勢いを増した3段目を踏み込みながら右に大きく打ち払った。得物が長い分まだ遠い。だが!さらに強引に踏み込む。
「お、お待ち下さい!」
冬の街に流れ始めた戦いの空気を止めたのは、場に不似合いな、暖かな女の声だった。
晋陽の街を見下ろす丘の上で、呂布は目を閉じ、礼を取って頭を垂れていた。
町の北西側のこの位置からだと、街の奥へと視線を伸ばせば先にはそのまま中原が広がっている。丁度、いい景色だ。
(まだまだ未熟だが、見ててくれ、師匠)
未だ師匠に勝てる気がしないのは昔と同じだが、変わったことも多い。強者に出会い、戦い、大戦も負け戦も経験し、陰謀や罠にも巻き込まれた。器の大小、匈奴や美女、為政者の必要性、民衆の苦しみを改めて知ったのは最近のことだ。成長、できているだろうか?思い返せばなんだか悲しいことがヤケに多い気もするが、いいこともあった。
(そうそう、なんと嫁さんもできたんだぜ。ビックリだろ?いい加減なオレにはもったいないくらいの、可愛らしい働き者だ。今度、連れて来るよ)
微笑みながら、目を開く。
それはもう、あの師匠なら目一杯驚くに違いない。しかも貂蝉はともすれば子供に見える。散々にからかわれるだろう。そして、きっと目一杯祝福してくれるのだ。
(こ、子供!?)
女の声に目を向けた文醜が見たのは、地味な薄桃色の平服を着た、若い、というか幼い見た目の女の姿だった。
本気の突きを門番ごときに捌かれたことにも驚いたが、その向こうで開いた門から現れたのが女子とは。呂布は確か『絶世の美女』を連れているのではなかったか?ならばこれは下女か何かか?その気弱そうな女子は、はたから見ても判るほどに頑張って言った。
「ほ、奉先(呂布の字)様は、賊などではありません!お疑いでしたら、どうぞお入りになって、ご自由にお調べ下さい!」
驚いた顔でそれを見る門番は、一歩下がって剣を納めた。文醜も構えを解く。子供がいるなどとは聞いていない。
「女、この文醜に対等な口を利いているが、お前は一体何者か。よもや下女ではあるまいな?」
この言葉に反応し、門番の男が改めてこちらを睨む。眼光がさっきより鋭い。その門番の陰から一歩前に出て、女はもう一度気合を入れた。が、
「わ、私は…貂蝉、と申します。奉先様の……その、つ、つ……妻、です」
尻すぼみに消え入りそうな声のせいもあってか、文醜の頭はその言葉をすぐには理解できなかった。
「……………何ぃ!?」
その後、文醜は呂布の屋敷を捜索、門番と貂蝉の他にいるのは下女2名、下男2名のみということだけを確認すると、そのまま撤収した。
(女子供を人質になど、取れるものか!)
呂布の妻、というのが本当なら人質としては申し分ないが、しかし文醜は己の正義、信念を優先したのである。
去って行く文醜の姿が見えなくなると同時に、貂蝉は膝から崩れ落ちた。息も荒い。こっそり高順の袖を掴むその手からは、ずっと震えが伝わってきていた。元々人見知りの、おとなしい娘である。相当無理をしていたのだ。高順は貂蝉を見た。小柄な、強さとは無縁なその姿。しかし、自らの判断で門を開け、独りで出てきたその勇気、機転。強くなっているのだ。
「?」
泣きそうな顔で首をかしげる貂蝉に、高順の顔が緩む。
袁紹と敵対することなく文醜を追い返すことができたのは、間違いなく貂蝉のおかげである。高順では、戦って倒す以外にあの場を切り抜ける術は無かった。
「ありがとうございます、奥方様」
「!……え!?ええ!?」
多分に可愛らしい最強の妻の横で、副官は笑った。自分も、まだまだである。




