58 四分五裂
「…なーんでオレ達がこんな目に遭わなきゃならねーんだ?」
「さ、さあ、何ででしょうね……?」
愛想笑いを引きつらせ、改めて周りを見る曹性。こちらは30騎、それを取り囲む袁紹軍の数は、1000を越えてるんじゃないだろうか?。
悠々進んでいた鄴への帰還の道中、袁紹軍の前線拠点である渉の町で、呂布達は待ち構えられていた。「大げさな出迎えだな」と笑う能天気な呂布に警戒心は無く、居並ぶ『袁』の旗に堂々と近付き、取り囲まれてしまったのである。
「歓迎が手厚すぎるだろ…」
呟きながら独り前に出た呂布は、周囲を確認する。正面に立ち塞がる兵列の向こう、町の入口にある簡単な陣には『袁』の旗しかない。守将はいないのか?なら。呂布は大きく息を吸った。
「オレ達は、黒山賊を破り、その報告に帰るところだ!この出迎えは、何の真似だ!」
響いた声に返答はない。少しの空白の後、隊長格と思しき男が近付いてきた。
「鄴からの命により、ここは封鎖しております。賊を警戒・守りを固めよ、と」
「だから黒山賊は倒して来たって言ってるだろう。褒美や食糧の援助が出てもいいところだと思うが?」
「申し訳ありませんが、呂布殿。我らの受けた命令では、呂布殿も“賊”となっております」
「………何い!?」
「あ、若。どうでした?」
心配そうに迎える曹性に、とぼとぼ戻った呂布は渋面のままで説明を始めた。
呂布達は黒山賊の一味とされており、捕縛命令まで出ているらしい。ただ、少数で敵意も無く近付いて来たため、現場の判断でひとまず取り囲んでおいて、上からの指示を待っているのだという。
「えええええ!何ですかそれ!?一大事じゃないですか!?」
大声を上げる曹性を横目に、呂布は腕を組んで考え込んだ。
こんな疑いがかかる理由は何だ?やはり文醜から食糧を奪った件か?確かにアレは悪かったかもしれないが、しかし黒山賊を解散させた事実は、調べればすぐに判るハズだ。にもかかわらず既に捕縛の命令が出ている、というのはどうにも胡散臭い。鄴からの命、ということは、袁紹殿は知らない可能性もある。おとなしくしておくべきか?
「今の敵さんの数なら抜くのは簡単だと思いやすけど、どうしやす?」
今回、張遼の代理としてこちらに同行している候成が、いつもの調子で尋ねてくる。確かに、すぐに突破した方がいいのかもしれない。しかし。
呂布は溜息をついた。ケンカを売るのは簡単だが、ここは静観だろう。誰の命令かを確かめてからにしなければ、迎え入れてくれた袁紹殿の顔に泥を塗ることになりかねない。鄴に残している貂蝉が気がかりではあるが、高順もいることだし、晋陽には張遼がいる。
「ま、なんとかなるんじゃねーかな?」
どうにもならない怒りに拳を震わせ、文醜は言葉を搾り出す。
「……ふざけたことを……!」
封鎖した街道で捕らえた晋陽からの使者は、信じ難い報告を携えていた。
『黒山賊を撃破、晋陽の開城に成功した』
1万5000の賊軍を、僅か100騎で破り、晋陽を落としたというのだ。
「はっはっは、どうする文醜?呂布め、本当に勝ってしまいよったぞ?」
許攸の嫌らしい顔を睨みつける。
「勝てるはずがあるか!これは罠だ!黒山賊めが、我らを油断させおびき寄せるための策に違いない!」
顔を真っ赤にして怒鳴る文醜に対し、許攸はその顔をさらに歪めて笑った。
「解っておるわそんなことは。だがな文醜よ、この報せが真実である可能性、考えぬ訳にはいかんぞ」
「何!?何を考えることがある!」
「落ち着け、愚か者」
さもつまらなさげに鼻で笑い、一呼吸置く。対する文醜の鼻息は荒い。
「…良いか?もし晋陽が本当に陥落しているならば、并州は我が軍のものだ。殿は公孫瓉征伐に全力を注ぐことができ、その撃破も容易になろう。ところが貴殿は、呂布が黒山賊だと、并州黒山賊が動き出したのだと断じたのだ。これがどういうことか、解るな?」
「!……私が、殿の邪魔をしていると言うのか!?」
現状、この鄴の責任者は上官である許攸であり、文醜の『呂布は黒山賊である』という意見を受けて袁紹に使いを出したのもまた、許攸の判断である。しかしこの狡猾な軍師は己の責任を包み隠し、単純な武官を絡めとっていく。
「形の上では、だ。だが勝機を逃すことの重大さ、解らぬ貴殿でもなかろう?まして并・幽、両州を手中に収め華北の統一もならんという楔の戦。勘違い、では済まされぬぞ?」
「ぬ…!し、しかし、呂布は……」
言葉を詰まらせる文醜。卑劣な軍師は構わず続ける。
「呂布が賊であるかどうか、早急に確かめねばなるまい。何、簡単な方法がある。早馬を出し、呂布のみをこちらに呼び寄せればよいのだ。断るなら賊、兵を率いて来ても賊」
「……単身で、現れたら?」
「それこそどうとでもできるではないか。捕らえて、吐かせれば良いのだ」
「?し、しかし、真実、賊ではなかったなら……」
「また異なことを申すな。貴殿は確信しておるのだろう?」
見下して笑う許攸の口角はいよいよ釣り上がる。
「それとも、実は自身がないのか?華北統一を止めたのは、やはり貴殿の勘違いか?」
「そ、そんなことは無い!断じて!奴は黒山賊よ!」
そしてその黒い瞳を輝かせ、仕上げの一言を口にした。
「丁度良いではないか。そもそもあのような親殺しの狂犬、いずれ我が軍に害を為す。災禍の芽を摘み、貴殿の正義を見せてみよ」
「おう!」
文醜の腹は決まった。その実、許攸にあるはずの責任を転嫁され、さらにはその後始末に利用されているだけなのだが、気付く頭は彼には無い。
そして、確認の使者を出す必要も無かった。程なくして辿り着いた渉の町からの急使が、彼らに告げたのだ。
『郊外で、呂布以下30騎を取り囲んでいる。指示を求む』
「あちらから現れるとは、なんたる間抜けよ!」
高らかに笑う許攸を残し、文醜は直属の兵3000を率いて勢い良く鄴を出た。
同じ頃、張遼も晋陽を出発していた。
活かしておいた元黒山賊の巡回の網が、渉の郊外での呂布の現状を報告してきたのである。
理由はわからないが、袁紹軍がこちらを警戒、もしくは敵視している。であるならば、北の守りに残す予定だった晋陽の元黒山兵6000を、袁紹軍にくれてやる理由は無い。張遼は、5000を張燕に任せて南の平陽へと移動させ、自身は1000騎を率いて渉へと向かう。
騎馬隊を従え山道を駆ける張遼は、先頭で大きな溜息を吐いた。見所のある者を選んだとはいえ大量の素人を引き連れ速度を上げることもできず、駆けて行ってやることといえば、あの呂布達の救出(?)である。呂布が1000の兵に囲まれ、高順と貂蝉は鄴に残ったまま、か。
(あの化け物どもに、助けが必要か?)
まるで気が乗らない。溜息と共に首を振る張遼は、しかしその脚を緩めることは無く、その頭は北の袁紹本軍の動きを計算し始めていた。
「もういい!これより、全軍で鄴に戻る!」
袁紹の一喝が、場の空気を震わせる。議論の終結宣言に、幕内に居並ぶ諸将は思い思いの息を吐いた。
鄴から北進し、公孫瓉軍を順調に撃破していた袁紹軍の元に届けられた「呂布が黒山賊である」という報せは、その進軍を止めさせた。そしてその直後から、袁紹軍の名物とも言える喧々諤々の協議が始まった。
……
「だからあのような外道を我らが冀州に入れるべきでは無かったのだ!」
「過ぎたことはよい。すぐにでも晋陽に向かい、賊諸共に討ち取ればよいだけのこと!」
「馬鹿か貴殿は!この好機を逃していつ北方を攻め取れよう!直ちに全軍で公孫瓉めを討ち滅ぼし、返す刃で晋陽も踏み潰すのが最良!」
「愚かな!仮に上手くいくとして何日かかるのだ!?あの狂犬がそれまでおとなしく待っていると思うのか!」
「呂布も公孫瓉も恐るるに足らず!二手に分かれて双方討つべし!」
「兵の分散などそれこそ下策よ!兵法の初歩も知らぬなら黙っておれ!」
……
最終的に。
『公孫瓉がその主力を劉虞に向けている今を逃すは下策。軍を分け、鄴の防衛に向かいつつも攻勢は継続する』
『本拠の鄴の防衛は最優先。公孫瓉戦が優勢な今、全軍で引き返し、呂布共々黒山賊を全力で討伐する』
大きくこの2つに分かれた意見は収拾の気配も無く、1日が無駄に過ぎようとしたところで、先の君主の一喝が響いたのである。
先の反董卓連合解散以降、こうなった袁紹はもはや誰の意見も聞かない。配下達は一様に黙し、各々の陣に戻る。必要最低限の守兵を残して、袁紹軍は速やかに撤退を開始した。
(何故こうなる前にまとまらんのだ……)
袁紹は独り、深い溜息をついた。
ひょこ、と進んで、止まる。ひょこ、と進んで、止まる。一定の間隔で繰り返されるその動作を見るとは無しに目に映しながら、高順は息を吐いた。中庭の空気は冷たく、息は白い。
どうやら、違ったようだ。
一度文醜が捜索に来て以降、この屋敷は常に見張られるようになっていた。根拠のない『黒山賊疑惑』はやがて晴れるだろう、と思って静観していたが、つい先程、その文醜が兵を率いて出撃したという。標的は、呂布。
(動くなら、今か)
この屋敷に残っている下男2人、下女2人は、全員素人ではない。男は高順配下の諜報兵、女は馬騰が貂蝉につけてくれた護衛の女兵士である。腕も確かで、脱出の足手まといになることはない。袁紹不在、というのを若は気にするだろうが…
タン!
と小気味良い音がして、高順は貂蝉を見た。ひょこ、と前に出たときの姿勢のままで、小さい奥方はゆっくりと顔をこちらに向ける。見開いた目を輝かせ、驚きながらも喜びに満ちた表情。足の運びと腕の振りが、上手く繋がったのだろう。高順は無言で小さく手を叩き、その努力を称えた。
彼女の安全のためにも、すぐに出た方が良い。そう決断した高順は、最後に少しその細い目を閉じ、改めて息を吐いた。
最大勢力、袁紹軍。器ではなかった。
煌びやかな街の片隅で、白く浮かんだ小さな呼気は、すぐにも霞んで消えていった。




