53 張遼と関羽
夏の晴天に不自然な霹靂が轟く。
若干金属質なその響きに、張遼の視線も引き寄せられた。即座に遠い真相に思い当たる。こんな剣戟を鳴らす馬鹿は1人しかいない。相手が死んでいないことを祈ってやろう。
鄴の街中、周囲の全員が同じ方向―音源である街の南側―に顔を向けて動きを止めたその一瞬の静寂の中で、張遼は視線を戻した。洛陽・長安と比べれば規模は小さいが、建物の造りは立派で大きく、広い往来には豪華に飾られた露天が立ち並び、行き交う人は数多い。これから発展していこうという気配、その活気は、遷都直後の長安の盛り上がりに似ていた。
先んじて歩き出した張遼の目は、視界の中心に大男を捉えていた。一様に南を向いて足を止めていた人々がざわめき出し、賑やかな時間が戻り始めた通りの奥。頭一つどころか肩も見える程周りから飛び出したその巨体に濃い緑の上着を羽織り、街中にも関わらず巨大な長物を立てている。町の入口で見かけた際に確認できた限りでは、黒い布が巻かれたその得物は、巨大な刀に長柄を付けたような、特異な形をしていた。そして、その持ち主の顔には。
(あの髭、おそらく間違いあるまい)
華雄の叔父貴を討ったヒゲ長の男、関羽。名前と特徴を知っているだけで見たことはなかったが、呂布に匹敵する巨体に、長すぎる髭、両方が一致する人間が2人いるとは思えなかった。確か、平原の劉備とかいう義勇軍の男に仕えていると聞いている。平原からここまでは平地の街道を一週間程度、さほど苦労も無い。この鄴に来たのはたまたまか、何か目的があるのか。
張遼はひとまず様子を見て、人気の無い場所に出たところで名乗らせ、叩き斬ってやるつもりだった。大男が左に曲がって路地に消えたので、少しだけ歩を速める。あの巨体だ、見失うことはなかろう。
気付かれない程度の距離を保ちつつ追跡を続けていると、おあつらえ向きの街外れに辿り着いていた。街全体の派手な趣向もここまでは届いていないらしく、人通りも少なく建物もみすぼらしい。漂う剣呑な雰囲気も、これはこれで長安の外周部を思い出させた。
(大都市ならでは、か)
最近都から流れて来た者も多いと聞く。貧しい者やガラの悪い連中が集まれば、どうしてもこういう地域はできるものだ。そんな中をあの大男、目立つのを気にする様子もなく堂々と進んで行ったが…
「…あれか」
不揃いに並ぶみすぼらしい小屋の一つに、腰を折って入っていくのが見えた。劉備は、袁紹と敵対している公孫瓉の属将だったはず。これはまさか、間者との連絡か?あの目立つヒゲの大男が?馬鹿な。
張遼は小屋に歩み寄った。案外、目立ちすぎる外見はかえって盲点になっているのかもしれない。周辺に人影が無いことを確かめ、近付く。
「か、関羽様!」
中から若い男の声が聞こえた。やはり、関羽。殺気の出ない程度に力を込めて右手の槍を握り直し、さらに一歩。息を止め、耳に集中する。
「…私のような落伍者、関羽様に何度も足を運んで頂く価値など…」
「何を言うか!」
大声が薄い壁を突き抜けて来た。道中もそうだったが、身を隠すつもりは無いらしい。
「お主がその右足を捨てたあの場で、何人が命を救われたと思っている?それがどれだけ尊いことか」
「しかし!元より一兵卒の私は、片足となった今では平凡以下の穀潰しにございます。このような大恩、重さに潰れてしまいます」
「ふふ、何を言おうと事実は動かぬ。どこへ行こうと何年経とうと、我が記憶からこの感謝の念が消えることは無い!耐えられぬと言うのなら、この肩を貸してやろう!」
「関羽様…うぅ…」
(…なんだこれは…)
お前の恩が重いと言ってるのにお前が肩を貸すのか?可能なのか、それは?いや、それよりも。
片足を犠牲に仲間を救った兵を、わざわざ訪ねて来たのか。しかも「何度も」と言っていた。一度や二度ではないのだ。こんなところまで来て引退した兵を幾度も訪ねることに、何の得がある?
…損得でやることではない。奴の言に、嘘や打算は無い。
近くの壁に背を預け、腕を組み、顎に手を当てる張遼。いつしか小屋からの声は消え、そして崩れそうな扉が開いた。赤く焼けた顔を出したヒゲ長は、最初からこちらを見ていた。
「…何者か?」
問われた張遼はゆっくりと壁から背を離し、
「関羽、貴様に用がある者だ」
不敵に笑う。
「問答無用で叩き斬ってやるつもりだったんだがな…」
予定は、変更だ。
袁紹の豪邸から一旦自陣へと戻った呂布は、不思議なものを見た。不思議な者を見た。
ひょこ、と半歩ほど前に進み、止まる。またひょこ、と進み、止まる。どうも、合わせて腕も小さく振っているようだ。
ひょこりと動く貂蝉の様子を、馬車の陰からしばらく見ていると、
「若、戻られましたか」
背後から高順の声がした。
「おお高順、アレは一体何やってるんだ?」
「…さて、わかりません」
「んー、誰かに踊りでも教わったのか…?」
「…さて、どうでしょう」
「……何か、おかしくないか?」
「…さて?」
「あっれ~?おっかしいなあ…」
尻尾を振りつつ周りを見ても、巨漢の義弟は見当たらない。
「見失うワケないんだけどなぁ」
劉備は眉を曲げて腕を組んだ。確かに、遅れたのは俺だ。ちょっと面白そうだったから、あの“強くなりたい”お嬢ちゃんに簡単な技を1つ教えていたら、思いの外時間がかかってしまった。悪いのはこっちなんだが、しかし。
「ちょっとくらい待っててもいいんじゃないか?」
素行不良の張飛ならともかく、礼儀にうるさい関羽である。怒っていなくなる、というのは考えにくい。だが待ち合わせ場所である鄴の街・東門付近には、あの目立つ義弟の気配はなかった。
(どっかで喧嘩でもしてんのかな?)
信念が強すぎる上に融通が効かない関羽は、荒くれ張飛に負けず劣らず喧嘩が多い。酒場か、路地裏か。街へと歩き出した劉備の足取りは、楽しげだった。
「かぁん羽!この卑怯者がぁ!」
「ふんっ!戦場に卑怯もへちまもあるかあ!隙を見せる方が悪いのだ!」
「ぬぁんだとぉ!」
掴みかからんばかりに身を乗り出す張遼。それを真っ向から睨み返す関羽。両者の距離はわずかに刃一枚分。少し向こうで、最後の客が席を立った。
街の中心から少し外れた大衆酒場、古いが広いその店内で、2人は険悪な空気を垂れ流していた。隅では店主が小さくなっている。
『呑み比べ勝負』として座った酒の席だった。華雄の仇とはいえ、人物に感じ入って斬り捨てる事を保留した張遼も、最初は遠慮していた。しかし、張遼である。その口の悪さが発揮されるまでに、酒瓶一つも空ければ十分だった。乱戦に紛れて華雄を討ったことに因縁を付け始めたのである。
「隙を見せる方が、悪いぃ?」
下から舐めるように睨み上げる。
「……そのとぉぉりだ!かぁん!雲長!」
しかし、張遼である。酔っていようが険悪だろうが、通った筋は認めずにはいられない。これこそが『良い奴』の所以である。
「隙を見せれば殺られる!至極当然!叔父貴殿も同じことを言うだろう!声が聞こえるわ!」
怒っているのか笑っているのか、天を仰いで一気に酒をあおる張遼。
「……ふん」
対抗するように関羽も杯を空ける。杯の底が、同時に机を鳴らした。
「…一合だ。交えたのはただの一合、だがそれだけで相手の技量は伝わった。なればこそ」
言いながら瓶を手に取り、ゆっくりと空の杯を満たすと、
「あの業物を使っておるのだ。強者への、敬意だ。礼儀だ」
壁に立てかけてある自身の大薙刀―刃の部分は華雄の大刀そのままである―を目で示し、さらに一杯飲み干した。張遼は黙って瓶に手を伸ばすと、軽くなったそれを持ち上げ開けた口に直接流し込む。そのまま瓶を空にすると、大きな息を吐いた。
「フン!生意気な、しかし粋な男よ、関雲長!貴様、気に入ったぞ!」
その頃、『豪華絢爛』という言葉が霞んで消える袁家の大広間では、
「…あの呂布殿がこれほど酒に弱いとは!これは天下の豪傑の思わぬ弱点を知ってしまったかな?」
ほろ酔い笑顔の袁紹が、自ら客人の杯に酒をなみなみと注いでいた。呂布は倒れ、張遼は行方不明、高順(と貂蝉)は留守番。この状況でその銘酒の酌を受けるのは
「は、はいっ!そ、そう、ですね、ハハハ…」
愛想笑いもカラカラな曹性だった。
「しかし曹性殿、貴殿もお若いのにあの呂布殿の腹心とは、さぞ腕が立つのだろう?」
「!いやいや、僕なんてそんな!たまたまですよ、たまたま!」
「またご謙遜を!たまたまでその位置には来れまいよ」
「さぁすが袁紹様だ。その曹性の兄さんはね、こう見えて弓にかけちゃあウチの殿すら負かす凄腕ですぜ」
「ちょ!」
(なんてこと言うんだ候成さん!このワシ鼻!)
「おお、やはり!それは是非、見せて頂きたいものだ!」
「お、お見せするほどのものでは!」
慌てた笑顔の裏で、涙が流れる。
(これ、僕の役目じゃないですよぉ…)
しかし、曹性である。目端の効く彼は、気を回さずにはいられない。
「…でですがもちろん!機会がありましたら、喜んでご披露させて頂きます、よ?ハハ、ハハハ…」
そんな歓迎の宴が終わって数日の後。
袁紹は、幽州への進軍を決定した。すでに北部の皇族・劉虞との戦端を開いていた公孫瓉の後方を突き、華北の平定を目指す。客将・呂布を迎え入れたことに加え、
「晋陽はオレにとっては一応郷里、黒山賊は、我らに任せて頂きたい」
この呂布の申し出が、決断を後押しした。
豪奢な北の都から、戦の気配が華北へと広がる。秋の風が、吹き始めていた。




