52 対 顔良
「おおおお!」
「それをそう受けるか!」
「なんとっ!」
(…気が散るなあ)
ほぼ絶え間なく聞こえてくる袁紹の声に、呂布は苦笑いを浮かべた。やはり悪いヤツではない。
力試しのために始まった顔良との手合わせは、既に30合を越えていた。異例に広い袁家の評議の間は戦うに十分な広さではあるが、端にどかした机・椅子などの豪華な調度品に、その近くで身を乗り出して見ている高貴な観客のこともあって、双方極力足を使わずの打ち合いである。
(しかしこういうのも面白いもんだ)
剣戟と共に弾ける両者の刃。直後、顔のすぐ左横に突き出された刃を体を沈めてかわし引いた右手の借り物の剣で斬り上げると、激突の手応えと共に軌道を変えられたその一撃は顔良の隣を跳ね上がった。視線が交わる。気負いも無ければ油断も無い、落ち着いた表情。さすがに本物だ。呂布は宙に昇った剣をその顔に叩き下ろした。左右の手に持った短槍を×の字に交差させて受け止める顔良。
「おぉっ!さすがだ!」(※袁紹)
剣の倍ほどの長さの短槍を両手で自在に操るその武術は見た目の珍しさに反して質実剛健、力強く素早い2本の槍は真っ正直に隙を作らず油断を逃がさない。攻守緩急入り乱れる高順の2刀とはまるで違う。
(そして腕力も一流、と)
相当に力を入れて押し込んでいる剣が、微動だにしない。笑みを顔中に広げた呂布はさらに力を込めた。受ける顔良は眉一つ動かさない。これはいよいよすげえ。そんな押し合いの中、ふいに顔良の視線が左に逸れた。罠?というガラじゃないか。追って左に目を向けると、田豊とかいうあの賑やかなご老体が静かに椅子に座っていた。今は袁紹が賑やかなせいで全然気にしてなかったが、なんでそんな部屋の隅でもない中途半端なところに?視線を正面に戻すと、顔良はこっちを見ていた。それは当たり前だが、空気が違う、何かの意図を感じる。何だ?うるさい老人を見た意味は?いや、まさか。押し合う相手の力が増す。
「返したっ!」(※袁紹)
短い金属音と共に剣が打ち上げられた。短槍と共に両腕を広げた顔良はその左手でこちらの右胴を薙ぐ。動作が小さく鋭い。棒立ちでは間に合わん!呂布は左に1歩踏み出しながら剣を引き戻し身体の直前で刃を受け止めた。顔良はその間に右手の槍をわざわざ左側で振りかぶっている。まじか?続いて剣に響く衝撃。今までとは別次元の力に身体が押し飛ばされる。腰を落として踏み止まったその目の前には、豪華な金細工の椅子の背もたれ。そして顔良はというと、右から真っ直ぐ追って来るのではなくわざわざ椅子の向こう側に回り込んでいた。ヤツは本気だ。まあ、確かに失礼な爺さんだった。多少のお仕置きはありかもしれん。
(な、なんじゃ!?)
田豊の頭の中は怒りと恐怖と後悔が混じって溢れ、開いた口からは何の言葉も出なかった。背後には呂布、正面に顔良。猛然と迫るその目にはこちらが映っていない。逃げようにも既に鼻先である。背筋に冷たいものが走る。なんということじゃ!『強さ』を糾弾した手前逃げ隠れするのは意地が許さず、堂々と椅子に座って見ていたのが仇となったか!考える間に槍が振り下ろされる。耳も破れんばかりの轟音と衝撃が顔のすぐ横で弾けた。身が竦み、歯を食いしばる。
(こ、これしきのこと!)
「それでも行くか!」(※袁紹)
耐える田豊に一切構わず、次々と剣戟が弾け衝撃が肌に響く。思わずきつく目を閉じた。暗闇の中、さらに無数の金属音が身体を襲い、衣服を巻き上げ椅子を揺らす。恐怖に汗をにじませ固まる田豊は強く思った。
(顔良!呂布!無能な武官共が!覚えておれよ!)
「よし!双方そこまで!武器を納めよ!」
満足げな袁紹の大声が響いたのは、それからさらに10合ほど打ち合った後だった。豪華な椅子の背もたれは外側がボロボロになっている。丁度田豊の頭の真上で、得物を交えた形で動きを止めた呂布と顔良は、改めて目を合わせた。
(ちょっと調子に乗りすぎたかな?)
椅子を挟んでからは勝負というか『いかにギリギリで打ち合うか』を競う練習と言うか遊びと言うか、戦いとは遠いものになってしまっていたが、しかしそれなりに本気で打ち合ったのは間違いない。顔良が力・技共に一流であることは良く判ったし、なかなか面白かった。軽く歯を見せて笑う呂布に、顔良は僅かに口の端を上げて応えた。
「いや、2人とも実に見事であった!」
それぞれ武器を納めたところに、笑顔も輝かしく金色の総大将が歩み寄る。真顔で拝礼する顔良に、それを見てから合わせる呂布。椅子の向こうのご老体は無反応だ。少々静かになり過ぎである。…大丈夫かな?
「まさに天下の武勇!さすがは呂布殿!そしてその武に後れを取らぬ顔良!我が陣営にお前のような勇将がいてくれて鼻が高いぞ!いや実に!実に良いものを見た!爽快よな!」
君主が気にせず喜んでるから、いいか。ご老体は態度もデカかったし、案外それも込みで“爽快”なのかも知れない。
「ハッハッハ!本当にいーい気分だ!誰が何と言おうと俺は呂布殿を歓迎するぞ!今宵は宴席を用意させよう!呂布殿、お連れの方々も連れて参られるが良い!当面、不自由はさせんぞ!」
音もなく走る剣閃を上体を大きく下げてかわし、劉備は不自然に縮んだその体勢から勢いよく左の蹴りを放つ。左手の刀の柄尻でその足先を迎え撃つと同時に右手の剣を直線に滑らせ、屈んだ劉備の首を狙う高順。鋭過ぎる刺突を交差させた両腕で上に流しその動作の勢いで体勢を起こした劉備を、
「ハッ!」
縦横の斬撃が襲った。鉄の擦れる音と共に大気が舞い上がる。
「…あっぶね~」
人2人分程離れた位置に着地した劉備は、笑顔で驚いていた。
「さっすが高順さん、やっぱ強いな!」
満面の笑みの劉備を眺める高順の目は冷たい。相変わらず無茶な動きをする男だ。あの状態から瞬時にあそこまで下がれるとは。この速さが相手ならば確かに先の連撃では不足である。だが、高順にはいくばくかの余裕があった。以前は防戦一方だったが、今は五分に打ち合えている。
身体・環境全てを利用するかのような馬騰の戦闘術や、その後の呂布との稽古を経て、高順の武術の幅は広がっていた。刀身が全てではない。柄でも、鍔でもいい。完全とは行かずとも、腕で流して刃に返すこともできよう。無意識に受け主体の思考になってはいたが、この進化した対応力の有効性は、唐突に訪れた誰よりも手の速い客人によって証明されたのである。
そして。
五分であれば、狙える隙は無数に増える。高順は左手前に2刀を構え、腰を落とした。
「お、いいね~そのやる気!んじゃあこっちも気合入れて…」
言った劉備の目から笑みが消える。
「行っくぞ!」
声を残して劉備は直進した。矢弾の如き踏み込みに対し、高順は先手を打つ。迎撃に走らせた左の刀は劉備の右裏拳に打ち返され、次いで放った右の剣の斬り上げは眼前に迫った左拳とかち合って互いに弾ける。時には既に右の拳が胴に向かっていた。刀の柄尻でその側面を打ち狙いを逸らすが、足りずに右の脇腹を掠めた拳は瞬時に跳ね上がって顔面を襲う。右腕を引き戻して防ぐと同時に左の刀を走らせるが劉備の姿は視界から消えた。下からの衝撃に腕が弾かれる。さらに吹き上げる突風。
(これもよけるか!)
2段蹴り上げの勢いで後方に宙返りした劉備は、着地の反動で猛然と踏み出した。強引に蹴りをかわした高順の体勢は戻り切っていない。目に霞む速度で懐深くに踏み込み勢いを乗せた肘を脇腹に突き刺すも寸前で腕に阻まれた。が、芯に届いた手応えアリ。落ちる刀が視界の隅に映る。追撃の左掌底、は右腕に振り払われた。しかし高順の体勢は後方に崩れている。これで守りは傷めた左腕のみ!引いた右拳に集中する、つもりが相手の剣は鋭く弧を描くと地を滑り返って来た。じゃあコレで!勢い良く上体を捻り高順に背を向ける形で跳び上がって足元に迫る剣を避け、
(どうだ!)
捻りの連動と跳躍の勢いを乗せた後ろ回し蹴りを放つ。その旋風の如きトドメの一撃の最中、劉備の目は標的を確認した。下段で空を斬った高順の剣、それを持つ右腕は流れるように円を描き、胸の前へ、頭上へと引き上げられていく。その動作と共に大きく奥に引かれた右足。捻られていく身体。
「げ!」
コレはやばい!だが空中である。力を抜いてももはや止めようが無い。己の放った強烈な蹴りが、弧を描く高順の腕に届く。衝撃は無い。軽く吸い込まれるような手応え。やっちまった!捉え切れない速度で白刃が閃く。
旋風を纏った高順は地面の上を滑るように旋回し、止まった。右手の剣先は胸元に引かれている。その背後には
「負~けた~!」
大の字に寝転がった劉備の姿があった。いつしか集まっていた周囲の観客達がその声に反応し、ざわめく。
どっからだろう?無理に反撃してきたのは誘いだった。その前、体勢を崩したのもそうか。いや、その前の腰を落とした構え。あの重心を安定させた構えが、こっちに『崩そう』と思わせる一手だったか?
「…ったくぅ」
ひょい、と身体を起こす劉備の背中には、浅く長い斬り傷が走っていた。
「強くなり過ぎじゃないか、高順さん?おっそろしいなあ」
「…」
答えずに立ち上がった高順は左腕を一振りした。芯が軋むような痛みが走る。折れているか?まあ、それはいい。
「…ここで負けるわけには、いかんのでな」
恐ろしいのはお前だ。劉備は本気ではなかった。そのはずだ。この男の本分、流儀は、単純な打ち合いだけではない。知らず目を潰すような、そういう技を持っているのだ。幅を広げ、一時の不利も利用してようやく力比べに勝ち、これで五分。視線を地面に落とし、刀を探す。馬車の近くに転がっていた。だが、この2刀、こちらにもまだ技はある。
相手は謎の男だが、高順が勝ったことにより周囲の人だかりは解散していった。
「素手であそこまでやるとは」
「ああ、只者じゃねえな」
「しかし高順さんに挑むとは馬鹿なヤツ…」
そんなままある空気の中、高順が馬車の荷台のすぐ傍へ来たところで、声が上がった。
「ぁあの!」
荷台の上、荷物の影から顔を出した可愛らしいその声の主は、強者達の驚きの視線にたじろぎながらも、どうにかその思いを口に出す。
「わ、……わたしも、強くなりたい、です…」
「「!?」」
2人の驚きの色は、より濃くなった。
「いやー悪いな顔良殿。見送りまでして頂いて」
「なに、礼にござる」
答える顔良の顔は明るい。2人は馬を並べ、方向を同じくする呂布の陣・鄴の兵舎へと歩を進めていた。
袁家の生粋の武人は、すっかり呂布に心を許していた。世に流れる噂と違い、人物に嫌味はなく、その武芸は正に本物、そしてなにより先の打ち合いである。尊大なる新参の老軍師に一泡吹かせたあの戦い、何の打ち合わせも無くただ気配のみで通じた意識、共有した感覚、互角の力量とその呼吸。十分信用に値した。
そんな顔良に、呂布も軽く笑う。
「アレに対して礼、ってのはよっぽどだなあ。ま、確かに厄介そうな爺さんだったけど」
知恵者は欲しいが、アレは勘弁だな。
「…田豊殿だけ、ではござらん」
「?」
顔良の落ち着いた声が、一段調子を落とした。
「我が殿、袁紹様は『良き君主』を目指しておられる。それ故、皆の話を聞かれるのでござる。すれば自然、口の立つ文官・軍師の意見は強くなり申す。戦わぬ者らはそこが戦場、止むを得んのかもしれぬが、我ら武官を眼の敵とする者が大半にござる」
「うわ、そりゃ大変だ……けど、それこそ袁紹殿に止められないのか?」
「殿は元来、武官寄りでござる。だからこそ、あえて軍師の意見を最大限聞いておられるのだ。それが奴等の増長を呼んでいるのは事実なれど、余程の時でなければ口出しなさらぬ」
「そうかぁ」
さすが最大手の君主、なかなか大変そうである。ただその考えや姿勢には好感が持てた。天下を取る人間はそれぐらいでいい、気がする。
「…それはそれとして、顔良殿」
呼びかけながら腕を頭の後ろに組み、ゆっくりと伸びをする呂布。その右手には黒い戟剣が光っていた。さすがに屋敷には持って入らなかったが今は野外、振るうのに憂いは無い。巨躯の戦闘バカはにやりと笑った。
「ちょっと、付き合わないか?」
「一合でいい。全力で頼む」
四角い顔を引き締め、頷く顔良。
踏み固められた街道を少し外れた、何もない草原。通る人間がいれば当然気付くような日常の風景の中で、2人の武人は再び向かい合った。呂布は槍として得物を構え、顔良は背に刺した2本の短槍を引き抜くと腰を落とし両手を広げる。
呂布の目は楽しさで輝いていた。ご老体を挟む前の押し合い。本気で押して、ピクリともしなかった2本の槍。あの力は、どこまでのものか。確かめたい。いや、単純に、勝負したい。あの手応えは、今までの誰より重く、硬かった。
夕刻の温かい風が吹く中、呂布はゆっくりと呼吸をし、力を巡らせた。草木は揺れ、大気が肌を撫でる感覚と共に血流が駆ける。風は止み、揺れは次第に小さくなり、やがて止まった。
「いくぞ!」
「おう!」
大地を削り呂布が動く。刃を右に残して踏み込むことで溜めをつくり、前に出した右足が地を噛むのと同時に解き放つ。身体を右脚に引き付け、さらに前へ。大地を蹴る力、前進の勢い、薙ぎ払う腕力。それらを繋いで乗せた一撃は大気をえぐり、食い破る。唸りを残して駆ける鉄塊の向かう先には、真っ正直に両の短槍を大きく掲げた顔良。風を巻き込み振り下ろされる両腕。
落雷の爆音が鄴の郊外に轟いた。激しい振動と衝撃が弾ける。
呂布は奥歯を噛み締め跳ね返った力を全身で押さえ込んだ。支えた足が大地に沈む。この手応え!乱暴な笑みが浮かんだ。その視界に映る顔良の姿。
膝を突くほど重心を下げた前傾姿勢で、短槍を前にした朱い鎧の猛将はそこに立っていた。半歩分、後にズレた顔良の足は大地にめり込み、その顔には汗が滲んでいる。
だが、それだけだ。
歪んだ口から崩れた息がこぼれた。雷鳴の残響は薄れゆき、風が優しく頬を撫でる。
完全に止められた。守りを考えず放った一撃を、助走も無しで。これは。
堪え切れず、呂布は声を上げて笑った。これは、すげえ!
「見事な一撃でござった」
律儀に真面目な顔良の声も、面白く聞こえた。この尋常ならざる力の持ち主が、何だその普通さ!
我慢を諦め、自然に収まるまでひとしきり笑った後で
「…いや、すまん、あまりに楽しくってつい」
呂布は涙目で謝った。向き合う顔良も笑っている。
「どうやら某は、ご期待に応えられたようでござるな?」
「応えた?それどころじゃない!オレの負けだ、顔良殿!アンタは凄い!」
「いやいや呂布殿こそ。地面にねじ込まれるなど、生まれて初めてのことにござる」
呂布の顔に再度楽しさが満ちる。気持ちの良い笑みを浮かべた武人の顔に、嘘や世辞の気配は微塵も無い。なんだこのいい人、素晴らしい男は。
「顔良殿!」
「?」
「これから、よろしく頼む!」
これだけの武人がいるのだ。しばらくは、この名門・袁家に世話になるとしよう!




