38 狂気の奔流
張遼・高順を先頭に、牛輔軍の包囲を強行突破した徐栄騎馬隊。僅か30騎からさらに半数以上が脱落、10騎少々となった彼らが函谷関に着いた頃には、追手の気配はなくなっていた。
函谷関には敵の手は回っていなかった。しかし、『徐』の旗を見て門を開いたこの関の守兵は、100に満たない。徐栄を討った牛輔の兵は、少なく見積もっても万を越える。いくら守るに有利な堅固な城関と言っても、これでは話にならない。怒りを全身に纏う張遼に代わって高順は手短に指示を出し、無人と悟られぬよう篝火・旗を城壁に揃えさせると門を締め切り守兵を解散、再び長安へと駆け出した。
朝に向かう闇の中、傷だらけの騎兵達の呼吸は荒く、言葉は無い。脚を緩めぬ愛馬の上で、高順は思考を走らせる。
この凶行、いつからの計画だ?この数日見た限り、そんな様子はどこにもなかった。徐栄の来訪自体、直前まで知らされていなかったはずだ。だが毒を盛った上での闇討ち、というのは突発的にできることではない。目的は何だ?董卓の次女の夫である牛輔が、義父の右腕を狙った、その理由は。単純に反乱、なのか?長安にいた頃ならともかく、洛陽方面を任され自由に暴れている現状、不満は無かったはずだ。徐栄と折り合いが悪い、などという話も聞いたことはない。そもそも牛輔という男には、覇者の席を狙うような野心も器も賢さも、見受けられなかった。違和感が残る。
「で」
拍を刻む蹄音に紛れるように、不機嫌な声がかけられた。意識を戻すと、高順の右斜め前、先頭を行く張遼がこちらに顔を向けていた。速度を落とし、隣に並ぶ。
「…高順、貴様は何故あそこにいた?」
その視線は厳しい。状況が状況である。わからないものは、疑う。当然のことだ。平然と受け止め、高順は口を開いた。
呂布の怪我が治って以降、高順は独自に行動していた。その主たる目的は、呂布の暗殺を計った者の追究である。
しばらく続けた王允への潜入調査では、結局暗殺に繋がるようなものは見つからなかった。ただ、王允は以前賈詡に教わったとおり敵勢力などに頻繁に密書を送っており、それを追って高順は洛陽に入ったのである。隠密の技術を武器とするための修練も兼ねた、“高順配下の一諜報員”としての行動であった。
廃墟の洛陽に長居すると不必要に目立つため、高順は周辺各国と洛陽を行き来しながら情報を収集していた。牛輔達に自領を荒らされている袁術が和睦を求めて金品を貢いでいることや、連合解散以降動向を聞かなくなった曹操が東の青州で黄巾の残党を相手にしていることなど、興味を引かれる情報もいくつかあったが、やはり遠く長安にいる呂布を狙うような余裕はどの勢力にも無い。そう結論付け、ならば洛陽の面々か、と探りを入れ始めた矢先の、今回の反乱であった。
「周辺からの密書はどれも略奪行為に対する非難かそれを止めるための懇願で、策を巡らすような内容のものはひとつとして無かった。…これは、間違いない」
言って、口を結ぶ。調査をしていて、この夜襲に気付けなかったのだ。気付いたのは、牛輔軍の一兵卒として潜りこんだところに夜襲の命令が下ったからである。だからこそ真っ先に駆けつけられたが、結果がこれでは。高順は己の不明を悔いていた。
「フン、貴様が自ら調べて解らなかったのならどうしようもあるまい。だいたい、調べた時には夜襲のことなど決まっていなかったのかもしれんではないか」
怒りを燻らせた男の、意外な慰めの言葉。近くで聞いていた曹性は目を丸くしている。だがそれよりも、高順はその内容に刮目した。
『決まっていなかった』
確かにそうだ。直前に、急に決まったのだとしたら。それが牛輔本人の計画ではなく、別の知恵者が考え、実行させたのであれば、当然準備の気配は無い。他勢力からの手紙・密書は、全て調べた。直前に届いたものは無かったはずだ。ただ、本当に直前に届けられた報せが一つだけある。徐栄の来訪を一足先に伝えた使者の書簡。それは長安からの使者であり、つまり味方からの連絡である。味方の報せは調べていない。内容も単純で、気にする部分が無かった。
しかし。
あの使者は、なぜ、直前に着いた?長安を出た早馬を、徐栄の隊が駆けて追って来たとでもいうのか?そんなわけはない。しかも、ただ「徐栄が到着する」それのみを伝えるのに、書簡が必要か?
王允にも、他勢力にも、怪しい部分は無かった。
夜襲を実行した牛輔達洛陽組にも、不審な点や準備の様子は無かった。ただ直前に、長安からの、不自然な使者が来ている。
ついでに言えば、呂布は長安の自宅で狙われていたのだ。
(想像以上に、まずいことになっているのか)
「急ごう」
高順は加速し、前に出る。張遼は一瞬遅れて続いた。
「おい!?何だ、どういうことだ?」
「…長安が、危ないかもしれん」
おそらく攻め上がって来るであろう背後の牛輔軍よりも、帰る先の長安を不安が覆う。夜明けの光が射す中、満身創痍の10数騎は駆け続けた。
「解りますか!?攻め取るでも、和を持つでもなく、ただ戦乱を放置し、傍観し続ける!あなたのような人間は、もう必要ないのですよ!お義父上様!」
呂布邸の中庭中央で、董卓は胡坐をかいていた。10数本の槍が周囲から突きつけられ、30数本の弓矢で前後左右から狙われている中、静かに李儒を見返している。周りには引きちぎった綱が散乱していた。
「そんなことだから、あの呂布を、養息子になど!愚かな、なんと愚かな!」
目に映るほどに溢れ出す狂気に飲まれ、大きな身振りと共に叫ぶ李儒。その隣には、両腕を一つに縛られた董卓夫人が梁から吊り下げられていた。
「後継者が2人!まさに愚の骨頂!自ら破滅を引き寄せるとは!」
叫びと共に、脈絡も無く夫人の顔を平手で打つ。瞬間、中庭の空気が重くなった。
「……それが理由か?」
静かな一言にもかかわらず、その怒気をはらんだ太い声は聞いたものの耳に重く残り、緊張を強要する。独り、李儒だけが笑っていた。
「ええ、そうですよ?いや違う、そうでもある、かな?」
目を細め、楽しげに喉を鳴らす。
「呂布、奉先、魅力的な男です。力もある。名声も。私には、勝ち目が無い。だがそれでも、二分されるのです!そこには、私の意志など関係ない!敵が、味方が、全てが!そう進む!そう流れるのですよ!」
叫んだかと思うと、再び落ち着いた口調に戻る。普段の理知的な空気は、どこにも残っていない。
「…これを看過するわけにはいきません。一家の長ですので、ね。私も、家族を守りたい。妻を、娘を。そのためには、手段は選びません。そうでしょう?そう、これはあなたから、あなたから教わったことなんですよ?」
正に、そのとおりだ。
董卓は、心の中で納得していた。自分が今まで、そうして来たのだ。先をどう考えているかは知らんが、筋は通っている。結果、たまたま、こうなった。それだけのことだ。
「さすが、ワシの義息子よ」
陽を跳ね返す無数の穂先に囲まれながら、董卓は笑みを浮かべていた。それを見た李儒の表情が、悲しげに歪む。
「…腹立たしい、のでしょうか?」
泣きそうな顔で大きく息を吐いた青い肌の狂人は、
「呂布殿さえ殺せば、良いと思っていましたが……やはり、駄目なようですね」
意志の見えない、漆黒の目で言った。
「計画、変更です」
「ありがとう奉先殿!今度はぜひ、武術を教えてくれ!」
赤兎の暴れる背の上を、嫌な顔一つ見せずに楽しんだ少年皇帝のことを思い出し、呂布は笑っていた。せっかく元気があるのだ、自分は手加減に自身が無いが、高順あたりに鍛えさせたら面白いかもしれん。
「帝が強い、ってのはいいなあ、カッコいいぞ」
無責任なことを考えながら、自宅へ向かう。道中、兵の姿がやけに目に付いた。真新しい鎧を着けた5、6人組が、そこかしこを歩いている。街の皆も少し不安そうだ。
(まあ、敵がいるわけじゃないしなあ)
気にはなったが、李儒の治める平和な長安のこと、口出しはするまい。そう思って、呂布は赤兎を歩かせて行った。
しかし、呂布が通り過ぎ、姿が見えなくなった通りでは。
散らばっていた兵が集まり、道を封鎖し、先へと進む。さらに進んだ先で合流し、規模を拡大しながら、囲むように、退路を塞ぐようにして、ゆっくり呂布邸へと迫っていた。
(…これはさすがにつっこまざるを得ないな…)
自宅に近付くに連れてその割合が増えていった鎧の兵達は、どういうわけか自宅の中にまで入り込んでいた。
厩のある裏口ではなく、己の家の前で赤兎から降りた呂布は、小さい門をくぐって家の中を見た。入ってすぐ、左右にひとりずつ兵が立っている。口を開く前にじっくりと観察してやるが、どちらも目を合わせてこなかった。
足元に目をやり、軽く息を整えるため、一呼吸する。血の匂いがした。
「人の家に、無断で、土足で上がりこむとはどういう了見だ?」
返事は無い。どころか、相変わらず目も会わせない。呂布は戟剣を持つ右手に力を入れ始める。
「答えなければ、斬るぞ?いいのか?」
言い終わると同時に背後に気配を感じ、呂布は大きく前に跳んだ。同時に左右の兵をひと薙ぎにしつつ反転し、剣として得物を構えて着地する。正面に2人、剣を構えている。間髪いれずに二段突きを双方の顔に叩き込んだ。
一瞬で玄関が血みどろになってしまった。
呂布は思わず顔をしかめたが、すぐに感覚を引き締める。何だかわからんが襲われている。オレならいいが、留守のウチをだ。思わず、声が出た。
「貂蝉!無事か!?」
「ようやく、帰ってきたようですよ?ご自慢の養息子殿が」
そう話しかける李儒に、応える声は無い。中庭に降り、座してもたれ合っている義理の父母に近付くと顔を寄せ、囁いた。
「お待たせしました」
そして振り向いた李儒は、笑顔で命じる。
「呂布殿をこちらへ!」
その李儒の上を兵の身体が飛んでいった。壁に激突し、共に崩れる。
「…『こちらへ』じゃねえよ。ここはオレの家だ」
中庭に面した縁側――いつも李儒が座ってお茶を飲んでいた辺り――に現れた呂布は、血を払うように得物を右に一振りすると李儒を睨みつけた。
「これは、どういうことだ?」
同じ視界に、全身に無数の矢が突き刺さった董卓夫妻が映っている。しかし頭が追いついていないのか、現実感が無かった。2人の座り込む地面には大きな血溜まりができており、その匂いが、認識を確かにさせていく。
「これは何だ!李儒!」
「うるさいですねえ。驚いて彼らの手が滑ったら、どうするんです?」
困った顔で肩をすくめた李儒は、動かない董卓夫妻の首元に槍を当てている兵の後に隠れるように移動すると、
「これでも一応、生きてるんですよ?だからホラ」
血の気の無い顔で呂布を見て、笑った。
「どういうことか、おわかりでしょう?」
一気に全身に血が巡り、呂布の身体が固まる。
何をどう狂ったのかサッパリわからないが、コイツは親父殿夫婦を人質に、オレを殺す気らしい。どうする?得物を捨てるしかないか?しかし、それでは結局全員が死ぬだけではないのか?貂蝉は、アイツは姿が見えないが、アイツだけでも守ってやらなければ、他ならぬ親父殿母上殿に怒られるのではないか?
「何を考えても、無駄ですよ?」
狂気の笑みを湛えた李儒は、無造作に夫人の胸に刺さった矢を引き抜いた。
「ここはもう包囲してあります。それに呂布殿、あなたのことは今まさに『義父・董卓を襲った反逆者』として触れ回らせていますから。いやあ、『父殺し』も2度目となると、簡単に信じてもらえるものですねえ」
赤黒く染まった矢じりを見つめながらそう言うと、さもつまらなさそうに投げ捨てる。それを合図に、無数の槍と弓矢が、呂布に向けて構えられた。呂布は、まだ戟剣を手放さない。目を見開いて、李儒を凝視している。
「さあ、ここは諦めて、おとなしく」
死んでください。私達のために。




