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37 廃都の罠

 正面至近距離から振り下ろされる刃を右手の剣で受け止めながら左手の刀を相手の胴に突き入れ、間髪入れず剣を下ろすと右側から突き出された槍の穂先を後ろに逸らす。同時に刀に刺さった敵の身体を左足で押すように蹴り飛ばして正面に隙を作り、抜いた刀はその勢いのまま体を捻って槍の持ち主の首に走らせた。派手な血飛沫が上がり、槍を手放しふらつく敵兵。

 ようやく一拍の間ができた。しかし、倒れゆく兵の向こうには敵の姿がひしめく。

 相当まずい。

 高順は両手の刀と剣を構え直すと、意識だけを背後に向けた。そこには張遼と徐栄じょえいがいる、のだが。


「徐栄の兄貴!兄貴ともあろう者が、こんなつまらんところで倒れる気か!しっかりしろ!」

 すぐ横で叫ぶ張遼の声も、地に膝を突いた徐栄の耳には遠く聞こえていた。



 時は戻って、呂布邸占拠の数日前、洛陽。

 長安から派遣された徐栄の隊が到着し、出迎えに来た牛輔ぎゅうほ以下諸将によって歓迎の宴が開かれた、その夜のことである。

 洛陽の街に設営されていた簡素な陣屋(廃屋を利用・拡張した、将兵の宿泊施設)に入って休んでいた徐栄の騎馬隊5000は、夜襲を受けた。董卓軍の勢力下であり、敵対勢力など当然いない地域である。警戒などしていなかった。反応できた者は少なく、乱入してきた多勢の敵によって瞬く間にその殆どが討たれていた。張遼・曹性そうせいが20名ほどの直属の部下と共に徐栄の部屋に辿り着いた時には、副官の2名は倒れ、徐栄本人も壁にもたれかかっていた。松明は室内に一つしかなく敵の姿も定かでない中、雪崩れ込まんとする敵兵の群れを、2刀流の男がたった1人で迎え撃っていた。

「兄貴!?」

「こ、高順殿!?」

 ふたりの声が重なる。張遼は徐栄の元に駆け寄り、曹性は部下と共に高順の隣に並んだ。増援の出現に、敵の勢いが一瞬止まる。

「…話は後に。退路の確保を」

「わっかりました!…お前達はこのまま高順殿の脇を固めろ!残り!こっちだ!」

 返事から途切れることなく指示を出し、後に向かう曹性。随分、頼もしくなった。高順の顔に微かな笑みが浮かぶ。が、無数の刃が襲い来るこの状況、そんな感想は瞬時に消し飛び、高順は目の前の戦いに全身を集中させて両手の刀剣を振るう。

 一方。

「…張遼、お前は…無事…か…」

 その渋い顔は血色が悪く、多量の汗が顔中に浮かんでいたが、それでも徐栄は笑みを浮かべて言った。

「俺のことは良い!兄貴、何だこのザマは!?何があった!」

「牛輔、ども、だ…あの野郎…一服、盛りやがった…」

「今日の宴席か!…クズが!」

 張遼は、牛輔達西涼の荒い古株連中とは折り合いが悪く、宴に参加していない。新参な上に呂布の部下である曹性も、不参加だった。

 徐栄の手が張遼の肩に置かれる。それを頼りに壁から背を離した徐栄は、しかしすぐに崩れ落ちて地に膝を突いた。

「徐栄の兄貴!兄貴ともあろう者が、こんなつまらんところで倒れる気か!しっかりしろ!」

 耳元で大声を上げたが反応は無い。しかしそのままの姿勢でゆっくりと右手を制するように挙げた徐栄は、左手で腰の剣を抜くとその刃を自らの左耳に当て、

「っ!」

剣を引き斬った。さすがの張遼も言葉を失う。

「痛えな…だが、これで多少は、目が覚めた」

 いつも通りの、深い低音。青い顔で、耳があった位置から血を垂れ流していてもなお、その男の凄みと魅力は揺らがない。引き締まった表情を取り戻し、徐栄は続けた。

「ここは俺に任せろ。下の不始末は、上の責任だ」

「!?馬鹿な!何を…」

「黙れ、暇が無い」

 反論を遮り立ち上がった徐栄は、ゆっくりと歩き、前に出る。足元に転がる長刃のを右手で掴んで肩に担ぎ上げると、顔を横に向けて張遼を見た。

「…この上お前達に死なれては、呂布の奴に顔向けできんからな」

 その赤く染まった横顔には、いつもの、渋い笑みが見えた。


 張遼に背を向け、高順の、敵の方を向いた徐栄は、左手の剣を一度小さく振り、堂々と立つ。戈を担ぎ、剣を下げたその姿は、野蛮でありながら勇壮で、闇の中、どこか神性さえ滲み出すような、戦に生きた男に相応しいものであった。


「高順、どけ」

 聞こえるやいなや左に跳び退く高順。入れ替わりに前に出た徐栄は右手の長大な戈を強引にひと薙ぎし、前列の敵兵を斬り裂いた。敵の身体ごと壁に突き刺さった戈を離すと、剣を両手で握って真正面に構え直す。徐栄を前に、敵兵の動きは止まった。

「何してる、早く行け」

 そう声をかけられると、高順は即座に一礼し、踵を返した。そして数歩進んで、

「徐栄殿」

床に転がっていたもう一本の戈を、振り向くわけにはいかない徐栄の足元に投げて渡す。

「…さすが、気が利くな」

 ゆっくりとそれを拾い上げ再び構え直すが、眼前の敵に動く気配は無かった。徐栄はひとりひとりの顔を見回すと、

「ここまで来ておいて、俺の顔に臆するとは。お前達、それでも西涼の兵か?」

その顔に呆れた嘲笑を浮かべる。それでも、動かない。こうする間にも、血は流れ、毒は回る。覚ました目が、身体が、重くなってきていた。ため息が漏れる。

「裏切り者に、そんな気概は無いか。では、こちらから行くぞ」

 静かに、疾く。牙を構えた黒蛇の頭は、敵の群れの中へと躍り出た。




 別の手を考える余裕も時間も無い。手負いの徐栄が残り、他は逃げる。それしかない。しかし。

「高順、貴様ぁ!兄貴を置いて行くつもりか!」

 徐栄の背を守るように戦っていた張遼は激昂していた。眼前に並ぶ敵兵を瞬時に突き倒し、去ろうとする高順に詰め寄る。

「…他に道はない」

「貴様と!俺がいるのだ!守りながら退くこともできよう!」

 それは高順も考えた。置いて逃げたからといって確実なわけではない。なら連れて逃げるのも同じではないか?しかし、後を任せる理由はそれだけではなかった。考えながらも高順の剣は迫る敵兵の首を捉え、張遼は槍で腹を穿つ。

「…無理だ」

「何が無理なものか!やりもせずにわかるものか!」

 そう叫び、張遼は徐栄の方へ身体を向けた。その首元に高順の手が伸び、顔を目の前に引き戻す。

「…徐栄殿は、もう間に合わんのだ。死に場所を奪う気か!」

 毒の影響が、大きいのだろう。だからこそ、耳を削いでまで殿に立ってくれたのだ。自らの最期に、毒などではなく、戦を選んだのだ。

 静かな、しかし怒気をはらんだその声。細い目を見開いて睨みつける高順に、張遼は喉を詰まらせる。

「張遼文遠!」

 そこへ徐栄のよく通る声が聞こえ、張遼は振り返り、高順は手を離した。

「おう!」

「忘れておったわ!我が騎馬隊、貴様に預けるぞ!」

 楽しげに聞こえるその声に、張遼の顔が歪む。それを見た高順は、曹性が部下と共に押さえている方へと駆け出した。

「…確かに、承ったあ!」

 闇に響くほどに左掌を右拳で打ち礼を取ると、張遼は歯を食いしばり高順の後を追った。



 高順は陣屋の中を強行突破し、5000の騎馬を繋いだ裏口を目指した。ここに攻め入った牛輔の騎馬隊は大軍である。こちらも馬が無くては、それも相手よりも良い馬でなければ話にならない。張遼・高順の愛馬はもちろん、徐栄隊の騎馬はどれも名馬揃い、これらが手付かずで残っていれば、まだ目はある。刀を納めて剣一本で先頭を走る高順は、その速度を一切緩めることなく向かう敵兵を斬り進む。

 徐栄が敵を引きつけているおかげか、徐栄隊の騎馬達は未だその場に繋がれていた。身を低くして近付くと綱を切り、各々がその背に飛び乗る。闇夜の中で明かりも持っておらず、しかも5000頭の騎馬の群れの中央付近である。外を遠巻きに囲む敵兵からも相当見えにくいのだろう。気付かれた気配は無い。高順は曹性に指示し、できる限り多くの馬の綱を切らせていった。部下の一人が不用意に振り上げた剣が、月明かりに一瞬きらめく。

「誰だ!おい、あそこに誰かいるぞ!」

 鋭い声が上がり、周囲の闇から地を揺らす気配が伝わってきた。しかし、矢を射掛けてはこない。そこは腐っても西涼の騎兵、名馬を射殺すのは惜しいとみえる。

(100程度、これでいけるか?)

 だが、この隙しかない。解き放った100頭を走らせ、それに紛れて包囲を突破する。

 高順は剣の腹で隣に立つ騎馬の尻を叩いた。が、動かない。もう一度、と振りかぶったところに、

「フン!そんなことではこいつらは動かん!俺が先頭に立つ!」

己の黒馬に跨った張遼が前に出た。高順が叩いていた騎馬の首に手を伸ばすと、ひと撫でして、手を戻す。

「よし!ついて来い!」

 言って張遼が駆け出すと、無人の騎馬達は当然の如くそれに従い、駆け出した。一呼吸遅れて高順も動き出す。

「ここは一本取られましたね」

 隣に並んだ曹性が、疲れた顔でそれでも笑う。確かに、凄い。しかし、無人の騎馬隊で待ち構える敵軍を突破できるわけではない。裸馬を先行させ、混乱を起こすべきだ。突出を止めようと、高順は先頭の張遼に目を向けた。

「……」

 一瞬、思考を失った。群れの先頭を行く影が、巨大な旗を掲げていたのだ。いつの間に手にしていたのか、朧月夜に『徐』の血文字が微かに浮かぶ。

(馬鹿な…)

 大軍の隙を突いて逃げようというときに、何をやっているのだあの男は?

 即座に脚を速めた高順の耳に、風を切る布の音が届く。ひとつではなく無数に、至近距離からも聞こえたその音に周囲を確認すると、そこかしこに夜より黒い柱の影が立ち上っていた。その先に淡く翻る、赤き一文字。30にも満たない部下の、半数以上が旗を立てている。はためく音と共に風に揺れるその文字は、堂々としていながら、儚げに見えた。

 高順は小さくため息を吐き、先頭に並ぶべく群れの中を駆け上がる。自分以外、ここにいる者は皆、かの最強騎馬隊の証である黒い鎧を身に付けている。僅か30騎足らずでも、それは、そういうことなのだろう。まして、本人の命令とはいえ大将を置き去りにしているのだ。そしてあの男は、それを任されたのだ。

 言葉は無い。

 高順は、冷たい空気を大きく吸い、ゆっくり吐いた。

 その誇りに、全力で付き合おう。

 張遼の横に届くその直前、背後から喚声が聞こえた。叫びが混ざり合って言葉は聞き取れないが、敵が喚声を上げる理由は一つしかない。張遼の気配が、熱く揺らいだ。


 その後、敵軍を突破し、追手の気配が消えるまで、高順は隣の猛将の方を向かなかった。


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