34 乱世への渦紋
西涼の無法者に専横された都・長安が、その実それなりに穏やかな日々を送る、その裏で。
世を乱す梟雄・董卓打倒を旗と掲げ、一時とはいえ手を組んだ者達の、その同じ手によって、新たな戦乱の波が引き起こされていた。
やがて全土を覆う渦となるその波に、最大の影響力を持つ者は―
「袁紹様、王允様より使者が参っております。書簡は、こちらに」
またか…」
袁紹は顔をしかめざるを得なかった。
長安に攻め入り、天子を救え。何度目かは忘れたが、その内容はいつも同じである。果たして、今回も同様だった。
長安で董卓に仕える者が、白昼堂々送る内容ではない。確かにここ南皮(袁紹軍の本拠地。燃えた洛陽の北西に位置する冀州、の中でも北部にある中規模都市)は長安からは遠いが、油断が過ぎるだろう。
「返事はいらん。丁重にお迎えし、速やかに帰ってもらえ」
礼をして退出する部下を見送る袁紹に、横から声がかかる。
「司徒殿(王允のこと)は、朝廷内のことはできても外のことは不慣れなようですな」
あきれ笑いの許攸の声には、少し馬鹿にしたような響きが混じっていた。
許攸、字は子遠。袁紹軍の軍師である彼は、袁紹とは少年時代からの付き合いで、同時期に曹操とも親交があった。高い身分を気にしない友人達のせいもあってか、彼は相手の身分に関わらず少々偉そうに接する傾向があったが、君主の友人ということもあって不問にされていた。軍師らしく頭の回転は速く、特に困難な局面に対してその智は発揮された。
「不慣れ、で済めばいいが」
袁紹はため息をついた。同格の名門として良く知っている年上の友人が、心配なのだ。腐敗の蔓延した旧朝廷内を清く(見えるように)渡り切ったその手腕は見事だが、軍事などに関してはまるで素人である。ここへの使者以外にも、余計な事をしているのではないだろうか。
実際、王允が手当たり次第に打った対外策は、ほぼ全て董卓軍筆頭軍師である賈詡が全土に張り巡らせた諜報の網にかかっていた。賈詡はそこで得た情報から、長安での董卓暗殺計画を未然に防いだり、情報に手を加えて各勢力の対立を煽ったりといいように利用していたが、元となっている王允の派手な動きが目くらましとなり、その暗躍は気付かれていない。
「袁紹様、韓馥殿の元より使者が戻られました」
「おお!郭図が戻ったか!で、どうだった?」
次の報告に、袁紹は身を乗り出した。韓馥のいる鄴の街は、冀州最大の大都市である。経済的にも人口的にも、勢力拡大を目指す袁紹には是が非でも手に入れたい拠点であった。
「…ヒヒッ、殿、首尾は上々ですぞ?」
使者の後から現れた狐目の男は、郭図、字は公則という。元々は韓馥が招いた知恵者だったが、韓馥の元に向かう道中で隣接勢力である名門・袁紹に誘われ、鞍替えしていた。妙に高い声で短く奇妙に笑う癖のある彼は第一印象に難があるが、そのいやらしい性格は高圧的な交渉に向いていた。
許攸の発案による今回の策は、『韓馥への降伏勧告』である。
反董卓連合軍解散後、諸侯の消極さに絶望し、同時に激怒していた袁紹は、独力で董卓に対抗すべく自軍の力を増強することを第一の目標に掲げた。名門・袁家の大看板があるとは言え、都の財と人を根こそぎ奪っていった董卓に比べると袁紹の地盤は田舎で、規模が小さい。勢力拡大の手始めとして同じ冀州にある大都市・鄴を狙うのは、必然であった。
正義の人・袁紹は正々堂々の戦争を望んだが、それを制止したのが今回の許攸の献策である。曰く、「臆病者の韓馥など、袁家の名で圧をかければたちどころに折れる」。実際、韓馥軍の将には郭図のように声をかければすぐにこちらに付く者も多く、ならば、と袁紹もこの策を採用した。
鄴は以前より北方の公孫瓉にも狙われており、韓馥軍の内部には、頼りない主君を見限ろうとする動きがそもそもあった。ただ、連合軍に不参加の公孫瓉は、連合解散前の隙を付いて攻勢に出ており、この卑怯な相手に降るのを良しとする者は少なかった。そこへ来ての、名門からの勧告である。許攸の策は正に、機を得ていた。
ちなみに、王允を利用して公孫瓉に官爵を与え、その野心を煽ったのは賈詡の遠謀なのだが、当事者達は知る由もない。
郭図の後ろには、さらに強面の鎧武者が続いていた。袁紹は初めて見る顔である。韓馥軍の将軍であろう。
「こちら、張郃将軍でございます。ささ、将軍、どうぞどうぞ。…ヒヒッ」
張郃と呼ばれた男は、降将にもかかわらず堂々と胸を張り、濃い眉の下の大きな目で真っ直ぐに袁紹を見ながら、口を開いた。
「不肖張郃、一将軍の身ながら、主君に代わり、我が軍一同、袁紹様への帰順を謹んでお受け致す旨、ご報告に参りました」
気負うでも、気遅れるでもない、真っ直ぐな声。それを聞く袁紹の顔が緩む。言い終えて頭を下げた張郃に、袁紹は満面の笑顔で声をかけた。
「張郃将軍!貴殿のような勇者を我が陣営に加えられること、嬉しく思うぞ!今回は見せ場もなく不服もあるだろうが、必ず活躍の場は用意する、約束しよう!……で、韓馥殿はどうした?」
「かの者は、帰順に際し首を求められるのでは、と鄴の館でで縮こまっておりまする」
張郃は、これも堂々と答えた。
「仮にも元の主君にその言いよう、器が知れるぞ?張郃とやら」
「許攸!」
軍師の棘のある発言に、袁紹は声を荒げた。
「元の主君とは言え、今この瞬間我が軍に入った以上は同格、いや、その才を考えれば格下だろう。まして張郃は武人、その程度の勢いはあって当然、何の問題も無い!」
「…殿が良いなら、構いませぬが」
「うむ!お前も、今回の献策、見事であった!兵の血を流さずにあの鄴を、さらに韓馥軍と、優秀な人材までも手に入れるなど、俺の頭では到底無理であった!共に鄴へ、韓馥殿を迎えに行くぞ!」
許攸は無言で礼を取った。袁紹軍の大広間には、総大将の朗らかな笑い声が響いていた。
「袁紹め……我らが兵を動かしていることを知りながら!」
韓馥降伏の報せに怒り心頭なのは公孫瓉である。彼は軍を率い、まさに韓馥を攻めようと陣を敷いていた。
己の才に頼りがちなところのある公孫瓉は、名門であり、領土の隣接した袁紹との折り合いが元々悪かった。袁紹が盟主となる反董卓連合にも参加していない。連合解散後は袁紹を警戒し、もう一方の大派閥である袁術と縁を結ぶため従兄弟に一軍を率いさせて袁術軍に派遣していたのだが、この従兄弟が袁術と袁紹の部下との戦いの中で戦死しており、その関係はいよいよ悪化していた。
(そういう時代になってしまったか…)
その傍らで、怒る首領を趙雲は冷静に見ていた。
黄巾の乱や、反董卓のような、“悪”がいるわけではない。各々が、自身の野望のために隙を窺い、策を用い、戦を始めている。
(腕を試すには、いいのかもしれないが)
とは言え、戦乱を歓迎するほど愚かではないつもりだ。乱れると言うなら、さっさと収束させれば良い。改めて、目の前の公孫瓉を見定める。
他勢力に先んじて董卓に一撃食らわせ、不毛な連合軍には不参加。そのあたりまでは良かったのだが、この白い鎧の北の勇将、どうも一度躓くとボロが出始めたように思える。
「どう、されますか?」
「……フン、奴が鄴に本拠を移すのならば、その機を狙うまでだ。ここは退こう」
優雅に振舞う余裕は失っても、判断力まで失ってはいないようだ。
「御意。……全軍、撤収する!」
今しばらく、ここに世話になるか。任された軍に号令を出しながら、趙雲は考えた。状況はともかく、公孫瓉に仕えた最大の理由とも言うべき『袁紹軍の猛将、顔良・文醜』と戦う機会がすぐそこに来ている。逃す手はない。
(世話になった恩は、それで返すとしよう)
そして、その後は。
趙雲の脳裏に、緩い笑顔の男が浮かぶ。あの尻尾を揺らした自由な師範代は、果たして本当に立ち上がるつもりなのだろうか?その時は、何を置いても駆けつける、そういう約束ではあるのだが…。
趙雲は、先の見えない世を示すかのような曇天を見上げた。考えとは裏腹に、その顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。
袁紹傘下の軍勢が南の豫州で袁術・孫堅と戦い、北では袁紹本軍と公孫瓉が戦端を開いた。袁紹は南方のてこ入れに荊州の劉表にも協力を要請しており、戦火はさらに拡大するだろう。公孫瓉も、幽州内では名士と名高い劉虞と反目、北方の異民族を交えての緊張関係が続いており、戦線拡大の可能性を抱えている。さらに東、海に面する青州には黄巾軍の残党が終結しており、袁紹、公孫瓉、共にこの兵力を狙っていたが、互いが開戦したため手が付けられず、逆にこの賊軍に側面を晒している。そしてあの曹操が、これを狙って動いている気配があるらしい…
自身の部屋で独り、賈詡は情報を整理していた。
予想通り、戦乱は広がっている。『董卓』の名を忘れたかのように。
ただ一点。
廃墟と化した洛陽からほど近い中牟県で、黄巾討伐軍の一翼を担った将である朱儁が兵を挙げ、董卓打倒を叫んでいた。これだけは、予想の外である。そんな少数で、そんな近距離で、そんな愚かなことをする者がいるとは思わなかったのだ。
(とはいえ、芽は早く摘むに越した事はない)
前の連合に参加していない勢力も多い。これに便乗し、長安を狙う者が現れないとも限らない。
愚者には、派手に、できるだけ凄惨に散ってもらうとするか。丁度、適役が揃っている。長安から西は馬騰・韓遂という同業の兄弟分が守っており現状磐石、不安は無い。
賈詡の脳内では既に洛陽討伐隊が編成され、進軍を開始していた。その野蛮な軍勢が産む惨禍は、董卓の名を恐怖と共に改めて刻み付ける。
(これで十全。…しかし、相手のおらぬこの不自然、長くは続くまい)
己の周囲の全てを制するこの軍師は、さも楽しげにさらなる思索にふける。
(なんということじゃ!)
宮中の、立派で柔らかな椅子に座っていても、王允の心中は穏やかではなかった。
四方八方に手を尽くし、ようやく動いた唯一の反董卓勢力である朱儁に対し、董卓軍は迅速に鎮圧軍を派遣した。それも、李儒と同じく董卓の娘婿でありながらその粗暴さゆえに跡目候補に挙がりもしない牛輔を筆頭に、李傕、郭汜、張済といった、軍中でも突出して野蛮な部隊のみで構成された大軍勢である。おそらく5千に満たないであろう朱儁の軍に、勝ち目などあるはずも無い。しかも、
「王允殿!よくぞあのような良い娘を奉先に紹介してくれた!」
「ほんとよお!さっすが王允さまよね~」
(な、なんということじゃ!?)
急に董卓に呼び出されたと思えば、あの狡賢い張済からはした金で買った娘、一族と偽って呂布へ贈ったあの下女について、感謝を述べられているではないか。何か裏があってのことか、例えば偽物と露見したのかと思ったが、そんな様子は微塵も無い。どう見ても、本心からの感謝である。
もとより、「下衆には下女が似合いだ」とあてがった娘である。それが受け入れられたのだから、王允の思惑通りに事が進んだわけなのだが。
「良く働くし大人しいしかわいいし、あんなイイ子そうはいないわよねえ」
「うむ!まさに奉先に似合いの、素晴らしい娘だ!王允殿、本当に、ありがとう!」
こうも喜ばれてしまったのでは、何のために下衆な取引までしたのやら、もはや後悔しか浮かばない。
「ほっほっほ、それほどまでにお気に召して頂けましたか。これは私としましても王家としましても、鼻が高うございますなあ」
心情を隠すなど造作も無いこと、だがこう何もかもが上手くいかないとさすがに疲れた。満面の笑みの王允は、嬉々とした董卓夫妻の雰囲気に包まれて、心の中で三度、呟く。
「奉先にはね、貂蝉ちゃんみたいな~、傍にいてくれる優しい家族をあげたかったのよぉ。ね~仲ちゃん?」
「そうだ、これであの2人がくっつけば!そうなれば奉先の奴、一層強さに磨きがかかりおるぞ!」
(なんということじゃ……)
「なんだコイツらぁ!?弱すぎるぞ!」
洛陽方面に派遣された牛輔の軍勢は、いとも容易く朱儁を破った。ただ破ったのではなく、虐殺である。討ち取られた朱儁の兵は裸にされ、首を刎ねられ、廃都・洛陽の通りにに並べられた。反董卓の火は、燃え上がることなく消し止められたのである。
焼け落ちた洛陽の宮殿跡で、地面に並べた敵兵の首を蹴飛ばし、牛輔は吠える。
「つまらねぇなぁオイ!こんなモンで、帰れるかよ!」
暴れ足りない牛輔軍は奪う物の無い洛陽を越えてさらに東へ進軍、行く先々で好き勝手に略奪、殺戮、誘拐など、暴虐の限りを尽くした。監視の目のなくなった彼らは自由に振舞えるこの状況を気に入り、もはや窮屈な長安に戻る気などなくなっていた。
董卓軍10万と言うが、その半数は洛陽で吸収した役人の弱兵である。残る半数のうち、朱儁討伐のために派遣された荒くれ共が、およそ3分の2。長安に残っている精鋭は、2万程度である。
隙はできた。だが、まだ十分ではない。




