30 連合軍解散
「呂布さんアンタ、ホントにホントに凄いな!」
嫌味か。こっちはボロボロだっての。
胸部の痛みに呂布の顔が歪む。しかし構えを解き、目を輝かせている尻尾の男の表情には、一点の曇りも見えなかった。
劉備が目に何かを仕掛けてくるのは、高順の様子で判っていた。あの高順が食らうのだからおそらく単純な攻撃ではない、と思ってはいたが、実際には攻撃の様子すら無かった。唐突に目にヒリつくような痛みが走り、反射的に目が閉じたのだ。
そして、1撃目。覚悟していた分身体は反応していたが、後に跳ぶ前に打撃を食らった。その速さと、馬に蹴られたかと思うほどの衝撃。内臓にまで響く激痛。さしたる助走もなしで、信じ難い威力だった。
さらに恐ろしいのは2撃目、足を止めてからの、素早いが小振りの突き。その一見普通の打撃が、今度は1撃目の威力を一点に集めて打ち抜いたような、とてつもない重さの拳だったのだ。あまりの衝撃に一瞬動けなくなった。1撃目をもらった際に「あの身体でこの威力の打撃を生み出すにはおそらく相当に正確な『全身を繋ぐ動作』が必要なはず」と考えて、駄目で元々、2撃目を突いてくる左腕を加速させるように掴んだのだが、威力がありすぎてそれが正解だったのかどうかもわからない。
ただ、2撃目の後、劉備の方も動きを止めていた。放った後に隙ができてしまう代わりに、まともに入れば必殺必倒、という技なのかもしれない。それならば、壮絶に痛かったがオレはまだ動けた。実際、首元まで刃は迫ったのだ。
(ま、それもヒゲに防がれちまったワケだが)
無傷の関羽は大刀を構えたままだ。対してこっちは、左右両胸から腕どころか指の先まで響く灼熱の鈍痛に、構えを取っているのがやっとである。さすがに、コレはマズい。
そのヒゲの方はと言うと、外見は平静を保っていたが、内心では相当に驚いていた。
あの打撃は、とても人間が耐えられるものではない。一度食らったことのある関羽には、倒れるどころか反撃してきた呂布が信じられなかった。壁を背にして破城槌を受けるような、尋常ならざる威力なのだ。寸前に掴んで止まるような、ぬるい技ではない。実際、関羽はそれで劉備に敗れた。
(この異常な男、今この機に斬らねば危険だ。しかし)
横目で劉備を見る。構えも取らず目を輝かせている兄には、戦う意志は見られなかった。
劉備は、今も構えを取る呂布に素直に感動していた。アレで倒せない人間がいた!
打撃が当たる瞬間に力を集約する事で爆発的な威力を得る、『勁』と呼ばれる奥義である。自身の身体だけでなく大地の力も借りるその威力は、文字通り必殺とされていた。止めて止まるものでも、防いで耐えられるものでもない。
しかし呂布は、当たる寸前で劉備の腕を掴むと、自ら引いて加速させたのだ。完全に決まるはずの勁が、ほんの僅かにズレた。瞬間に生じる技だからこそ、その僅かなズレで威力は落ちる。およそ7、8分といったところだろう。だからといって堪えられるものではないし、突きより速く掴んで引いたその動き、そしてなによりその判断。尋常ではない。そもそも完全に不意を突いたはずの1撃目に対しても、呂布は反応して後ろに跳ぼうとしていた。さらに拳を当てた時のその手応え。鎧を重ねて着ているのかと思う程の硬さと重さ。
もうどこをとっても、とても人間とは思えない。
「いやもう、凄いとしか言いようがない!」
もう一度、笑顔で繰り返した。
完全に決めてそれでも生きていた関羽にも驚いたが、これはそれ以上の化け物だ。もっと、この恐るべき男ともっと戦いたい!
「…褒めてくれるのは結構だが、どうするんだ?やらないのか?」
そんなことを言われるとやりたくなってしまう!
が、無傷のこちらに対し、呂布も高順も手負いである。さすがに結果は見えているし、面白くないし、もったいない。劉備は関羽に手を振り、構えを解かせた。
「正直、さっきのは呂布さん、アンタの勝ちだ。このまま続けたら俺たちは勝てるだろうけど、負けといてそれってのはホラ、主義に反するって言うか、まあそういうやつなんで……とりあえずここは『引き分け』ってことにしないかい?」
ニッと笑う劉備の言葉の後から、馬の駆ける音が聞こえ始める。撤退先である函谷関の方から向かって来ているようだ。バラけているようだが、単騎の蹄音ではない。曹操軍が戻って来るのか?
「こっちも正直言うと、そうしてくれると助かる」
呂布は構えを解いて、笑った。劉備とは違い、完全な苦笑いである。
続けるも何も、こっちはせいぜい関羽の一振りを受け止めるのが精一杯。高順はまだ2対1で戦えるかもしれないが、相手がアレでは勝算は低い。ただひとつ心残りなのは。
「関羽って言ったな」
敵から名を呼ばれた関羽は、改めて呂布を睨んだ。
「叔父貴の大刀、今は預けといてやる。次会うときには返してもらうぞ」
せいぜい奪われないよう鍛えておけ。と心の中で付け加える。今言って暴れられたら困る。スマン叔父貴。
関羽はフン、と鼻を鳴らしただけで答えなかった。
「ん~、あの感じだと追撃は失敗だな?」
手を額にかざして騎馬の気配の方を眺めていた劉備は、そう言って振り返った。
「よし、んじゃここは引き分けで!ホントは董卓軍のこととか聞きたかったんだけど、時間が無さそうだ。関羽、張飛を頼むわ」
呂布は高順の様子を横目で確認した。歩き方が少しぎこちないが、大丈夫そうだ。
「董卓軍の何を聞きたいんだ?」
「いやなに、聞いてたような悪党集団じゃなさそうだな、って思ってね」
そう言われて、呂布は少し考えた。蹄音が大きくなっていく。
「まあ、そうだな、金持ち連中にとっては大悪党かもしれんが、街の皆とはうまくやってたぞ」
自分も、中に入るまでは董卓軍に偏見があったことを思い出す。あの悪すぎる噂は、敵対する誰かが意図的に流しているのかもしれない。
いよいよ近くなって来た騎馬の方を見ると、先頭の騎兵は必死の形相である。よほど酷い目に遭ったのだろうか。
「そっか、じゃあ、またな呂布さん!高順さんも!」
そう叫んで手を振ると、笑顔の劉備は関羽が曳いてきた馬の方、広い街道の逆の端へと走っていった。呂布もつい、手を挙げていた。
両者の間を、騎馬隊が駆け抜けていく。
隊列も組まず、こちらを気に留めることもなく、声も無く走る無数の騎兵の中に、呂布は曹操の姿を見た。視線が合った。と次の瞬間には、集団に紛れて駆け抜けていった。そして全ての騎兵が、来たときの半数以下になっていた集団が走り去った後には、劉備たち兄弟の姿も無くなっていた。
どちらとも無く、呂布と高順はため息をついた。顔を見合わせ、笑う。
とんでもないのが、野にいるもんだ。
2人とも、地面に腰を下ろした。胸から全身に激痛が響く。高順も、おそらく似たようなものだろう。張飛、関羽ともに並みの猛者ではなかったが、やはり恐ろしいのは、あの尻尾の劉備だ。
「あの目潰し、何だと思う?」
「おそらく、ですが、大気に何かを撒いたのではないかと」
「何かって?」
「見えない、『何か』です」
「『何か』かぁ」
判るわけがない。
知らない武術の、知らない技。孫堅もそうだった。半年前、華雄を重傷に追い込んだその強さ。出会っていない強者が、まだまだ世には数多くいるのである。
あの趙雲のように、強者を求めて各地を巡りたい。そして、より強くなるのだ。そんな、いつか想い描いたことのある願望が、呂布の胸の奥から湧き上がる。
すっかり明けた朝の空は、天に抜けるような明青色で清澄な空気を包み込んでいた。
「若~生きてますか~」
緊張感の無い曹性の声が、遠くから聞こえる。
曹性の姿は途中で見えなくなっていたが、逆に呂布は安心していた。先行する徐栄に追撃を知らせに行ったのだ、と。
曹操が逃げるように引き返し、その後から現れたということは、おそらく読み通りなのだろう。曹操軍のあの必死の撤退からして、相当な返り討ちにあったに違いない。少数で追い討ちをかけられるほど、徐栄の騎馬隊は甘くない。
「ここだ~この卑怯も~ん」
迷わず逃げやがってあの野郎、どう褒めてやろうか。
痛みを堪えて座ったまま手を振る呂布の隣で、高順が立ち上がる。曹性の向こうには、張遼も見えた。その奥、函谷関には徐栄の兄貴が、さらにその先には董卓の親父殿が待っている。
(ここは、そう悪いところではないぞ、劉備)
龍の尻尾のように伸びる薄い雲に、そう声をかけた。
洛陽を鎮火、占領したところで、反董卓連合軍は解散を決めた。
本来の目的は董卓を討ち、皇帝を取り戻す事だったはずだが、連合の内実を考えれば到底不可能である。「洛陽奪還」これを区切りとし、成果を挙げた形での解散としたのであった。
戦功第一は、華雄を討ち、洛陽に一番乗りを果たした孫堅。『江東の虎』の名と武勇は全土に広まり、協力関係にあった名門袁家の一翼、袁術の取り成しで孫堅は豫州の刺史となった(黄巾の乱以降、国の力が激減してほぼ機能していなかったため、各地の有力者が領土・役職をある程度自由に分配していた)。
同時に、実際に華雄を討ち取った関羽の武名も各地に広まっていた。そしてその関羽と、同様の偉丈夫である張飛、この2名を従える劉備も、有力者の間ではそれなりに知られるようになっていた。
各々、自身の本拠に帰った諸勢力の面々。彼らの全てが、自身の土地を守り育てる、というのであれば、この時点で相応の平和が訪れたのかもしれない。
だが、消し切ることのできなかった戦乱の火種、各地に散った諸勢力がそれぞれの元に持ち帰った小さな灯火は、すぐにも各地で新たな火の手をあげ、瞬く間にさらなる炎の渦を巻き起こすこととなるのである。
――そして。
火の粉を払った董卓軍には、それとはまた違った種類の、暗い炎が燻り始めていた。




