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29 対 劉備

 何だコイツは。

 呂布は突如として目の前に現れた尻尾男を警戒する、と同時に、後悔した。

 自分の技に集中し過ぎた。視認も後回しの動きだったとはいえ、この距離まで全く気付かないとは。こんなザマではまだまだ、師匠の背中は遠い。

 尻尾は構えも取らず小奇麗な顔で笑っている。呂布は右足を大きく引き、身体を横にして構え直すと周囲を確認した。張飛は、右手側の5、6歩離れた位置に倒れている。背後の関羽は先の一連の流れを警戒してか、一歩退いてこちらから距離を取っていた。

 手応えは無し、刃にも跡はないので、張飛はオレの一撃ではない。さっきの尻尾の男の姿勢からして、背中での体当たりだろう。吹き飛ばすことでこの刃から救った、ということか。関羽の時といいあの山賊、よほど運がいいらしい。

 背中での体当たり、趙雲が『こう』と呼んでいた技に似ている。武器も持っていないし、同門の武術と見た。ただ、趙雲から喰らった時は身体が浮かされた程度だったが、あの大男を吹き飛ばした、となると。

 呂布は気を張り直した。ともかく、強敵だ。背後の関羽も無傷、2対1に変わりはない。眼前のゆるい空気の男を落ち着いて見据える。



 呂布と対峙し、それでもニコニコ余裕を崩さない尻尾の男・劉備。

 元々田舎の村で筵を売り、つつましく暮らしていた彼は、その実は末端ではあるが漢の皇族であった。長い歴史の中で広がりすぎた漢の皇室・劉家の血は、末の者にとっては謀略の対象にされるばかりで、命の危険はあるが利益は無い。そこで劉備の先祖は身分を伏せ、野に下ったのである。

 この一族には、ある武術が伝わっていた。

 武器を持ち込めない宮中で皇帝を護るための“無手の武術”。

 それが正統なのか、亜流なのか、あるいは盗んだものか、定かではない。しかしその性質から広く伝えられることもなく、漢王朝の長い歴史と腐敗の中で本来あるべき宮中から姿を消したその技は、今では野に下ったこの一族が細々と伝えるのみとなっていた。

 劉備の父は夭逝しており、師であった祖父も既にない。劉備玄徳こそが、この武術を極めた唯一の人物であった。

 ちなみに、あらゆる武術を極めようとする趙雲はどこからかこの武術の事を知り、存命中の劉備の祖父に師事している。趙雲から見れば劉備は兄弟子であり、師範代であった。


 貧しいながらも日々楽しく、たくましく暮らす人々と、その一員としての平和な生活を、劉備は気に入っていた。「皇帝のため」と秘密にされていた使い道の無い武術以外は、生まれたときから農民である。不当に高い税や偉そうな役人には腹も立ったが、それについて皆で文句を言いながら酒を飲むのも、それはそれで楽しいものだった。

 変わったのは、黄巾の乱からである。

 横暴な官吏どころではない、賊の理不尽な暴力。人は襲われ、物は奪われ、家は焼かれた。全土を覆ったその災いは田舎の小さな村にも例外なく襲いかかり、必然的に劉備は己の村を護るためにその武術を使うことになった。黄巾賊として暴れていた張飛、黄巾討伐の自衛部隊を組織していた関羽と出会い、義兄弟となったのもこの時である。

 その後、少数の民兵を率いて黄巾賊討伐に参加した劉備は、義弟と共にその突出した武術でもって、行く先々で要所を打ち破る活躍を見せた。しかし正規軍でない彼らには給料はなく、国の軍である官軍からの扱いも酷いものだった。乱の終結時までに得られたものは、ただ劉備独り分の、僅かな褒賞金のみという有様であった。

 もともと稼ぐために参加したわけではない。報酬について、不満を口にする者もいなかった。だが、参加してくれた民兵の仲間達は、自分の仕事を放置し、家族を残し村を離れて命がけで戦ったのである。それに報いる事のできない国が、自分が、劉備には許せなかった。

 黄巾の乱終了後、劉備は多数を率いる事をやめた。見える範囲で、届く距離で、自らの判断で、村の皆のような民衆のためだけに、弱気を助け正しきを成す。自らの武術の使い道をそう定めると、一蓮托生の兄弟と共にいわゆる“世直しの旅”に出たのである。


 以来ここ数年で劉備達は、小悪党相手の喧嘩にはじまり悪徳商人の捕縛や横暴な官吏の成敗まで、様々な世直しをやってきた。少数だが、共に戦う者も、援助してくれる仲間もできた。そしてその結果、根本的な解決のためには国をより良くしなければならない、という結論に至りつつあった。


 ならば、と、今この国を牛耳っているとされる悪逆非道の董卓軍、これを狙うことにしたのが、ついこの間の話である。やる気の見えない反董卓連合がようやく動き出したので、劉備・張飛は曹操軍、関羽は孫堅軍という両先鋒に一義勇兵として参加し、両軍の実態と状況の確認がてら、機会があれば敵将を討ち取り戦力を削ぐのが、今回の目的であった。

 連合の大半はお役人が形だけ出兵した軍勢であり、戦意は無い。さっさと解散すべきだ。一方董卓軍に関しては、世間の噂以上の情報は無かった。洛陽の封鎖はそれほどに完全だったのだろう。ただ、今まさに燃えている洛陽の街は、噂の裏づけとしては十分である。

 そしてつい先程、孫堅軍の関羽が敵の名将・華雄を討ったと聞いたので、それならこちらも、と呂布を追ったのだが。  



(いやぁコレは本当にとんでもないのが出てきたぞ)

 張飛を力で圧倒し、関羽が加わったところでなお、その上を行ったのである。正直言って、この2人を同時に相手にできる人間がいるとは思っていなかった。信じられないを通り越えて、もはや面白い。劉備はわくわくしながら呂布を観ていた。

 大柄ながら相当に引き締まった体躯に、精悍な顔つき、そして強い意志を持つ、活きた双眸。悪逆非道、にはとても見えない。2対1になっても文句も言わず、その戦い方に狡さは欠片も無かった。

 どうしようか?悪いヤツでは、ないのかもしれない。

「…若!」

 背後から上がった声に、劉備はまた驚かされた。手加減した覚えは無いんだけど、もう起きちゃったよ、あの人。



「高順!生きてたか」

 尻尾の向こう側からした耳慣れた声に、呂布は大声を返した。驚いた様子で振り向いた劉備の奥に、姿が見える。高順は少し遠い位置で、片膝を突いていた。何やら、顔を押さえているようだが。

「若、そいつは普通ではありません」

こちらを向いて言った高順が押さえているのは、どうやら目だ。

「…だろうな」

 高順と戦っていたのは、この尻尾らしい。途中から余裕が無かったため背後での戦いがどうなったか判っていなかったが、コイツは高順を倒してこっちに、張飛を助けに来たのだ。高順を倒せる時点で普通ではないと思うが、目を狙うとはなかなかえげつない。

「同じ無手でも趙雲とは違う、か」

 卑怯、などという気は無いが、正々堂々とした武術家と比べてしまって言葉が漏れた。

「趙雲を知ってるのか!?」

 その言葉に目の前の尻尾が派手に喰いついた。目を輝かせている。

「あのバカ強い相手に目が無いからな~。戦ったんだろう?アイツ、元気だったか?」

 真正面から拳を打ち込まれた衝撃を思い出すと、自然と身体が引き締まった。やはり趙雲と同門、それも、上の人間。

「…ああ、元気だったな。で、そういうお前は誰だ」

「おおっとゴメンゴメン。名乗るとか、そういうお偉いさんの文化がオレら平民には無くってさ。悪いね」

 そういうと、尻尾は姿勢を正し、右拳を左掌で包んで礼を取った。


「オレの名は、劉備、玄徳!民衆の代表として、天下の悪を叩く者だ!」


 (……なんだそりゃ?)

 董卓軍は全体的に民衆とは仲が良いと思うが……世間に流れる『血も涙も無い恐ろしいヤクザ』という噂を真に受けているのだろうか。

「オレは呂布、奉先。こっちは華雄の仇のそこのヒゲ長が討てればいいんだが、劉備、お前お仲間なんだよな?」

「おう!そこのヒゲ長だけじゃなく、あっちに転がってるのも、両方ともオレの義弟おとうとだ」

「……おとうと?」

 兄ではなく?

 振り返って関羽を見、そして向こうに倒れている張飛を眺め、改めて劉備に目を戻す。体格的にも顔的にも、それは無理があるだろう。どう見ても歳下、じゃ、ない?のか?

 その呂布の表情を読み、劉備はニヤリと笑みを浮かべた。

「へへへ、歳もそうだけど、オレは関羽に勝って義兄あにになったんだぜ」

 歳もそうだけど?は置いておいて、その体躯でヒゲ長より強いのか。呂布も笑う。

「じゃあその強い兄が代わりに戦うのか?それとも、また2人がかりが良いか?」

 笑みを浮かべたままの劉備は首で関羽に下がるよう合図を送ると、

「他の董卓軍はともかく、アンタは悪いやつじゃなさそうだ。けど」

礼の手を左拳と右掌に組み直してから、ゆっくり構えを取った。

「そういうのは抜きにして、呂布さん、アンタとはサシで戦いたいねえ」



 片膝を立てたものの、高順はそこから立ち上がれずにいた。ヒリつくように痛む目は閉じたまま、その闇の中でも激しい頭の揺れがまるで収まらない。腹にも、重い痛みが打ち込まれている。歯を食いしばっていなければ、意識を繋いでおくのも難しい。

 あの時、何をされたか。顎を横殴りにされて意識が飛び、直後に腹にも一撃食らって、倒れた。見事な打撃だが、要点はそこではない。それを食らう前、戦いの最中。不意に目に何かが染みる感覚があって、一瞬目を閉じたのだ。その隙を突かれ、流れを持っていかれた。一瞬の隙に対してあの動き。狙っていたのだろう。目を突かれたのでも、何かをぶつけらたのでもないが、何かを仕込んでいたに違いない。

 口に余裕は無いが、痛みの引いてきた目をどうにか片方開けて、状況を確認する。滲む視界の中で、呂布と劉備が戦っていた。思いの外近い。


 呂布の横薙ぎを小さく跳びながら前転してかわした劉備が右足の踵をそのまま叩き付ける。呂布は左腕を上げてそれを逸らすが間に合わず肩にその一撃が入った。ほんの少し体勢が沈んだ呂布に対し空中で拳を引いた劉備は頭を狙う。後に倒れるようにしてそれをかわした呂布はそのまま地の上を転がって立ち上がり、構え直す。


 今の動き、呂布を押しているのはさすがだが、次に似た流れになれば劉備は空中で突き刺されるだろう。一撃必殺でない分、手数や流れで押されるのは経験上やむを得ない。あの若の打たれ強さは自分の比ではないのだ。少々の打撃は無視できる。互角、と見ていい。となると、やはり。

 目をやられる何かについて、口を開くための気合を溜めたところで、劉備が動いた。呂布の反応が、一拍遅れている。しまった!


 その一瞬で劉備が懐に入った、次の瞬間。呂布は弾けるように後ろに吹き飛んだ。そして劉備はそれに追いつく勢いで突進している。5、6歩程も飛ばされた呂布は体勢を崩しながらも両足で着地し、向かい来る劉備に合わせて右手の戟剣を振り下ろす。劉備はその刃を左腕で受けながら右拳を叩きつけて左に逸らす。突進の勢いは消えた。呂布は右手で戟剣を引く。対して劉備は、先の動作で引いた左拳で突きを打ち込んだ。動作も小さく、踏み込みも無い。しかし。


 大地を槌で打ち付けたような重い音と衝撃が、高順にまで響いた。

 劉備も、呂布も、動きを止めた。


 と、引かれていた呂布の右腕がその刃を動かした。劉備は、動かない。

 劉備の首元まで迫ったその刃は、しかし甲高い金属音と共に跳ね上げられた。



「……ま た か よ」

 おまえら、助け合いの精神が強すぎだろ。

 割って入って大刀を振り抜いた関羽に対し、苦しげな声で恨み言を言うのが精一杯だった。弾かれた己の戟剣に引っ張られる様にして、呂布はふらついた。色々痛くて踏ん張る力も出ない。劉備の左腕を思い切り掴んでいた左手を手放すと、一歩離れて形だけでも構えを取った。

 大刀を構えてこちらを睨む関羽に対し、劉備は掴まれていた左腕をしげしげと、心底驚いた顔で眺めている。攻撃が当たっていないのだから当然だが、元気そうだ。

 一度長く大きくため息を吐き、吸うと同時に嘘でもいいから気合を入れてみていると、顔を上げた劉備と目が合った。瞳が、怖いくらいに輝いている。


 その劉備は、心の底から湧き上がる物を限界まで溜めてようやく吐き出すかのような表情で、大声を上げた。

「呂布さん!アンタ、ホントにホントに凄いな!」


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