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22 大戦前

「……とまあ、孫堅との一騎討ちはこんな具合だ」

「なるほどなー。さすがは『江東の虎』ってところか」

 目をつぶって華雄の話を聞いていた呂布は、腕組みをしたままそう言うとまぶたを上げた。隣の高順は顎に手をやり、何か考え込んでいる。おそらくは頭の中で孫堅と戦っているのだろう。華雄の顔に笑みが浮かぶ。

(頼もしい奴らだ)


 一騎討ちで無様に引き分け、そこから隙を突かれて大敗を喫した華雄は、己のせいで下がった士気を少しでも取り戻すため、怪我を押して前線の呂布の陣に来ていた。あれから2日しか経っておらず、当然、とても満足に戦える身体ではない。衣服の下は包帯まみれだが、それでも一人で馬を駆って華雄が現れると、兵達はそれなりの盛り上がりを見せた。

(それだけ、悲惨な姿だったということか)

 そして平静を装って下馬し、呂布の天幕に向かったところ、中に入るなり一騎討ちの詳細を聞かれたのだった。


 こちらの怪我の心配をするでもなく、一切迷わず孫堅との戦いに目を向けている呂布と高順に、華雄は半ば呆れ、半ば感心していた。無駄な気負いも無ければ、無用な怖れも無い。あるのは、いつも通りの“強者への興味”だけのようだ。と、思っていると、

「で、満身創痍の華雄の叔父貴は、わざわざ士気高揚のためだけに来てくれたのか?無理しなくてもいいんだぜ?」

 にやにやした呂布に嫌な気の遣い方をされた。にやりと笑い返す。

「そんな口を利いていいのか?お前さんにいいモノを持って来てやったというのに」

「?」

 訝しげな顔の呂布を横目に、天幕の外に待たせた部下に声をかける。出した声が傷に響いたが、楽しみの方が勝った。アレが想像通り呂布の手に合えば、面白いことになる。試し斬りされるのは、誰の軍だ?


 緒戦を勝ったにもかかわらず、連合軍の動きは鈍かった。

 先の戦闘の後、少し退いて陣を構えていた孫堅は、何故かそこからさらに南へと陣を下げていた。

 代わりに酸棗の連合軍本部から前線に出て陣を敷いたのは河内かだいの太守・王匡おうきょうである。しかしその陣は最初に孫堅が張った陣よりも奥にあり、攻撃の気配は無かった。

 この連合軍を集めた張本人である曹操も、連合の中では一小勢力にすぎないためか、今のところ前に出てくる様子は無い。

 間諜の報告によれば、酸棗さんそうでは兵に酒が振舞われているという。舐められているのか、挑発か。


「おおっ!?な、何だこの槍!?」

 聞こえた大声で意識を目の前に戻す。そこには、部下が二人がかりで運び入れた大きな得物を前に、目を輝かせている呂布の姿があった。

「いつもの槍では役不足のようだったんでなあ。どうだ、なかなか面白いだろう?」

 呂布から返事はなかった。


 ゆっくり右手を伸ばすと、その得物を握る。両側で支えていた華雄の部下達が離れ、重さが腕に伝わってきた。手応えは、いつも使っている大槍と同等。

 見事な朱に彩られた胴は僅かに細く、長さも7、8割といったところか。

 特徴的なのは、その刃だ。

 分厚く、豪壮というにふさわしい穂は、それだけで並の剣ほどの長さがあり、その刀身は漆黒に輝いている。そしてその直下からは、胴に沿うように第二の刃が張り出していた。、その刃も通常の月牙(三日月状の刃)とは異なり、大きく、長い。全身の8分目まで伸びるその漆黒の長刀は、先端、中央、末端の3箇所で胴に脚を伸ばして頑強に固定され、一切装飾の無いその無骨な姿からは、ある種洗練された、力強い美しさが感じられた。

「こ、これを貰っていいのか?」

 そう問いながらも、この特異な戟から目が離せない。

「ああ、なんせコイツはお前さんのためにあつらえた特注品だ。ちょっと前に洛陽の商人から質のいい“黒い鋼”てのが手に入ったんで、本当は」

 華雄は左手に下げた愛刀を少しだけ持ち上げた。視界の隅に映るその動作が痛々しい。

「こっちを新調するつもりだったんだが、なァに、まあ、アレだ。祝いだ祝い。『董家へようこそ!』ってな」

 歯を見せて笑った華雄に、背中を叩かれる。視界が派手に揺れた。…なんだ、元気じゃねーか。しかしおかげで少し我に返った。半目で華雄を見る。

「こんな良い物を渡されても、返す物も、払う金すらオレにはないぞ?」

「誰が金払えなんて言うか。お前さんはそいつを持って、存分に暴れてくれればいい。儂の分までな。いやあ最近身体があちこち痛くてなあ、丁度休みが欲しかったのよ」

 軽口を聞く分にも、十分元気そうだ。呂布は小さく笑い返すと、

「それじゃあ……」

握った右手に力を込めた。心地よい熱が腕に伝わり、肩へ、胸へと響いたままに、一気に天へと振り放つ。

 「もう出番は来ねーかもな!」

 天へと振り上げられたその一撃で天幕は見事に吹き飛び、頭上に現れた果てしなく広がる青空が、呂布、高順、華雄の3名を包むかのように出迎え

 「自分で建て直して下さい」

 「……すまん、つい勢いで…」

 「自分で、建て直して下さい」

 「……へーい」

 高順の声には晴天を貫く冷たさがあった。

 そしてその後からは華雄の豪快な笑い声が、呂布の陣内に響いていった。




 実際、なかなか出番は来なかった。

 それは華雄だけではなく、呂布も、高順も同様であった。


 驚くべきことに、20万余の大兵力を擁する反董卓連合軍は、それから半年もの間、一度も攻撃らしい攻撃を行わなかったのである。起こった戦闘といえば、あまりに動かない連合軍に対し、曹操への怒りを持て余した徐栄じょえいが出陣、連合軍前衛の王匡軍を散々に撃破した、その一度きりであった。

 袁紹から降伏勧告が届けられた際には、その侮辱に激怒した董卓が洛陽に残っていた袁家の縁者(高位の官僚と、その家族)を皆殺しにしてしまったが、それでも連合軍は動かなかった。

 途中、孫堅は自軍を率いて洛陽南部のりょう県に移り、それを援護するように袁術軍がさらに南方の魯陽ろように移動していた。そのため、現在は東と南の両面作戦の形になっている。まるで攻める意思のない酸棗の連合本部を好戦派の孫堅が見限ったのだろう、というのが董卓軍の見解であった。

 南方は山道であり、守る側が兵を伏せるのに適しているためそうそう攻め上がれるものではなかったが、汜水関前の陣を引き払い、兵力の半数以上を洛陽に戻していた董卓軍には余裕があったため、その山に簡素ながらも関を築いていた。相手が孫堅である以上、そこを守るのは当然、華雄である。

 一方呂布は、孫堅との対戦は怪我の回復した華雄に譲らざるを得なかったため、交代制で汜水関しすいかんを守る役に参加していた。退屈な役目ではあったが、この間を利用して、呂布と高順は西涼せいりょう流の馬術を学んでいた。単純な技術ではなく、共に駆け、共に戦う、といった馬との密接な関係に基くその業は一朝一夕に会得できるものではなかったが、自分達の并州へいしゅう流の馬術に取り入れられる部分を見極め、融和させていくのには、丁度いい期間となっていたのである。

 教師役は、小勢の呂布軍に増援として3000の騎兵と共に帯同している董卓の部下で、名を張遼ちょうりょうという若い武将であった。


 張遼、字は文遠ぶんえん。呂布、華雄ほどではないが、大柄で均整の取れた身体には常に武人の気を纏い、それでいて強い意志を感じさせる顔には知性が表れていた。

 并州の北の端の小役人の家の生まれで、彼の父は、民衆の不満や丁原などのヤクザ連中、さらに北方の異民族の間を必死で駆け回り、俸給も少ない中、並々ならぬ苦労をしながら張遼を一人前に育ててくれた。その恩に応え、両親の暮らしを楽にするため、彼は現在最も条件の良い仕官先である董卓軍を選んだのである。張遼はその並外れた武術と、兼ね備えた知性・仁義を武官のまとめ役である徐栄に気に入られ、瞬く間に一軍を率いる立場になっていた。新参ながら、西涼の乗馬技術は徐栄から直接叩き込まれている。


 并州流で基礎を身に付け、西涼流を後から加えた、という共通点もあり、呂布軍の馬術教師としては申し分ないのだが、


「早い!早すぎる!操るのではなく、共に動く!」

「息を合わせようとするな!対話を持て!」

「手綱は忘れろ!離せ!」


彼は呂布への当たりが非常に強かった。言葉遣いも、完全に上からである。

(聞こえててもできねーもんはしょーがねえだろ!)

 仁義忠孝を重く考える張遼にとって、義理の父を殺した呂布は受け入れ難く、それが態度に出ていたのである。并州で父を苦しめた丁原ていげんへの恨みも加わっていたかも知れない。


「早いと言ってるだろうが!聞こえんのか!」

(終わったら絶対ボコってやる…)

 どうにか指示のとおりに赤兎を駆けさせながら、その背で呂布は誓っていた。


 後に呂布の副官として高順と肩を並べることとなる張遼だが、出会いはこの有様であった。





 そのまま年が明け、2月。

 徐栄と共に汜水関にいた呂布たちの元に、報告が届いた。


 ついに、連合軍が動いたのである。




 視線の奥に汜水関を捉えたまま、曹操は長い長い無駄を振り返っていた。


 独力で勝てるわけのない董卓軍を相手にするため連合を呼びかけ、大軍を集めることに成功した。

 盟主に袁紹を推したのは、少年の頃から知っている奴の過剰な正義感に期待したからだ。そして知己である自分が軍師として補佐すれば、十分に勝てる計算があった。

 しかし、袁紹は動かなかった。袁紹自身は何かにつけて出陣しようとしていたようだが、袁家の名と華に惹かれて集まっていた連中は質が悪く、「己が危険に身を晒したくない」というのを「手を汚さずに勝つのが最上」という言葉に置き換え、単純な袁紹を操ることに腐心していたのだ。思えば、この時点で既に失敗していた訳だ。ほどなくして、集まった諸侯の半数以上がその流れに同調した。

 負傷しつつも緒戦を勝利した孫堅は、誰も後に続かない事に腹を立て酸棗には戻らなかった。曹操は攻撃を主張していたが袁紹以下否戦派の諸侯はまるで聞く耳を持たず、彼らだけで連日不毛な会議を開いていた。軍師として扱われなければ自分など太守の肩書きも持たぬただの雑軍の将、発言力など無い。

 やがて袁紹達否戦派は“戦わずして勝つ”ための策として「董卓に独断で擁立された洛陽の帝を認めず、別に正当な皇帝を擁立する」などと言い出した。皇帝を戦の策に使おうというその暴挙に、反対する者は強く反発、連合は完全に二つに割れた。さらに不毛な論戦が起こり、最終的には曹操が「逆賊と同じことをする気か」と袁紹本人を一喝してどうにか思い留まらせたが、互いの溝はいよいよ深まっていた。


 連合に見切りをつけたのは、ここに至ってからだ。我ながら、判断が遅い。


 その後否戦派の連中は、愚かにもあの董卓に降伏勧告を送り、自らの血族を見せしめに殺されるなどという信じ難い下策に出ていたが、それも無視した。

 好戦派だけで戦う事を決意した曹操は、考えを同じくする張邈ちょうばく鮑信ほうしん・袁術と話し合い、孫堅と連絡を取って南と東の二面から同時に攻める策を立てたのである。孫堅の援助をしていた袁術はその背後に移動し、残りの3軍は出陣の準備に取りかかった。兵糧を袁紹の軍に一括で押さえられていたため、改めて用意するのに時間がかかってしまったが、それも先日各軍に届いたところである。同時に、攻城兵器も少数ながら用意できた。


(小さくなった、か)

 遠く視線の先にいるであろう、呂布が思い出される。

 大軍を擁したものの他人に主権を預け、結局操る事もできずあたふたと駆け回った自分は、間違いなく小さかった。また笑われるのだろう。

 緒戦に惨敗したはずの董卓軍は、結局身じろぎ一つせず、悠然と構えている。その泰然自若は、董卓本人を映し出しているようだ。

 曹操は己の手のひらを見た。

 結局、実質の兵力は互角以下。しかもその先頭に立つのだ。無謀に違いない。

 少しは、ましになったか?

 曹操は笑っていた。

 己が指揮を取り、自身の軍と、信頼できる同盟軍を用いる。勝ち目の濃さや計算などの理屈ではない。全力を持って、あの董卓軍に挑む。そのことが、身体を震わせるほど楽しみなのだ。

 開いていた手を、握り締める。


 目を閉じて下を向き、大きく一度呼吸すると、曹操は一気に顔を上げ目を見開いた。同時に手を開き腕を振り、命令を叫ぶ。

「孫堅殿に攻撃開始を伝えよ!こちらは先手、ただ今より、出陣する!」

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