20 華雄 対 孫堅
「連合軍が動きやした!先手は孫堅軍、2万!」
「…やっとか」
董卓軍本隊の天幕に早馬がもたらした報告に対する董卓のつぶやきは、全員の気持ちを代弁していた。
「地の利のある華雄将軍の2万に対し同数をぶつけるとは、何か策があるのやもしれません。待たされ過ぎて血気に逸っていては、その隙を突かれます」
そんな中、軍師である賈詡は冷静な意見を述べる。それを受けて呂布は想像した。待ち侘びた戦場に喜び勇んで向かう華雄。正面からぶつかったら大変だ。ただ。
(一騎討ちに持ち込むには、絶好の機会だなあ)
「む。華雄には出過ぎるなと伝えろ。それと奉先」
何故か華雄と一騎討ちをする想像をしていると、字を呼ばれた。義理の親子になって以降、董卓は呂布を字で呼ぶようになっている。
「華雄の奴は援軍を嫌がるだろうが、崩れちまえば行かざるを得ん。いつでも出れるようにしておけ」
「おう!」
気合を込めて答えると、呂布は一礼して天幕を出た。
前線次第ではあるが、ようやく董卓軍での初戦である。ほど良い緊張感と共に気分が高揚し、体温が上がってきた。華雄の叔父貴には悪いが、こうなってくると是非とも出番が欲しい。
「高順、隊列を組ませろ!前進するぞ!」
無言で礼を返す副官の向こう、大街道の奥には薄く土煙が見える。呂布は戦場を睨みつけた。
華雄は強い。『江東の虎』、その大層な異名は飾りか、それとも。
「おおおおぉらぁっ!」
駆け抜けざまに突き出された槍を、華雄は大刀で打ち払った。振り返ると、離れた位置で孫堅もこちらに向き直っている。互いの兵が、それを見守っていた。
左右に翼を広げた形に陣を組んでいた華雄は、前に出る気は無かった。部下は総じて血の気が多いが、華雄を無視して暴走するような連中ではない。崖側の右翼を古参の将である胡軫に、河側の左翼は李粛に任せ、互いを援護し合うことで十分に守ることができると考えていた。中央に陣取る自分の騎馬隊は、随時遊撃に出る程度で良いはずであった。
ところが、である。3000程の騎兵を率いた孫堅は、残りの歩兵を翼の前に留め、左右の翼を無視して一直線に中央の華雄の元に突っ込んで来たのだ。そのあまりの無謀さを警戒し、ひとまず両翼は動かさずに自ら迎撃に出て、相対したところで一騎討ちを申し込まれたのである。
再び駆けざまに突きを放ち、距離を取る。容易く防げるこの戦法を何度と無く繰り返す孫堅に、華雄は苛立っていた。
「なんの真似だコレは?江東では突きの練習を『一騎討ち』と呼ぶのか?」
怒りを抑えて言った華雄の言葉に、孫堅は不敵な笑みを浮かべた。
「そう怒んなや。こっちは馬も槍も苦手でな。お前みたいなんと脚止めて打ち合え言われてもようやらんわ」
その小馬鹿にしたような物言いに、華雄の苛立ちは加速する。
「何 し に 来 た ん だ キサマはぁ!」
しかし孫堅はまるで動じず、一度後ろの部下達を確認すると、ゆっくり振り返った。その笑みが、野蛮な気配を纏う。
「そらもちろん…」
右手に槍を構え、再び駆け出す孫堅。その姿に、華雄の怒りはいよいよ頂点へ向かった。大刀を握る腕に、力が漲る。真っ二つにしてくれる!突進してくる孫堅の姿勢が、さっきまでより幾分低い。だが構わん。馬もろとも叩き斬る!左側に大刀を引き、突きを待つ。孫堅が迫る。その顔は、まさに。
「オマエを殺すためじゃぁ!」
獣の咆哮と共に孫堅は突っ込んだ。穂先が迫る。速い!今までとまるで違う。斬るために構えていた大刀を思い切り振るい、横から槍を打つ。迫った穂先は打たれるがままに吹き飛んだ。軽すぎる。と思ったときには眼前で獣が口を開いていた。何だ!?咄嗟に左腕で顔をかばう。直後、凄まじい衝撃を受け、華雄は落馬した。
突きと同時に馬の背を蹴り跳びかかった孫堅は、狙い通りに華雄に激突した。顎の前で交差させた腕を開くと同時に拳の甲で華雄を押し殴り、そのまま素早く腰の後ろに手を回して短刀を握る。完全に体勢を崩し、背中から落下している華雄の右手が動いた。孫堅は腰を丸めて足を身体の前に持ってくると華雄の身体を下に踏むように蹴り飛ばし、その反動で後ろに跳ねて着地した。空中でさらに勢いをつけられた華雄は無様に地面に叩きつけられる。しかし右手の大刀はしっかり握ったままだ。
(あの状態で斬りに来るか)
野蛮な笑みを浮かべたまま、孫堅は感心していた。名が知られているだけのことはある。地に寝ている今も、あのでかい刀を振り上げる用意はできている。獲物を待っているのだ。勘がそう告げていた。
「…やってくれるな」
華雄はゆっくりと起き上がった。その全身から、重い気配が滲み出す。空気を動かす程の殺気。
「これで条件は対等や」
その殺気を食ったように、孫堅は獣の顔で笑った。右手の短刀を順手に、左手の短刀を逆手に構え、体勢を低くすると
「やっぱり勝負言うんは、地に足つけてやらんとなあ!」
大地を蹴って突進した。
華雄と孫堅が一騎討ちをしている――
汜水関を出て華雄の陣へと進んでいた呂布隊にこの報せが届くと、呂布は目を輝かせた。
「これはもう、行くしかないだろ!なぁ高順!」
問われた高順も無言で頷く。
「え~?二人とも行っちゃうんですかぁ?」
曹性は目一杯渋い顔で、非難の声を上げた。当然である。しかし、それが無駄だということも知っていた。返事を聞く前に溜息が出る。
「なーに簡単だって。前進して、合流するだけだ。前で何かあったら走ればいい。な?んじゃ任せた!」
早口にそれだけ言うと、呂布は駆け出して行った。
「…華雄将軍が負ければ、陣は崩れる。そのつもりで、警戒を」
気を引き締める助言を残し、高順も呂布を追って駆け出す。
二人を見送る曹性は、今度は苦笑いで溜息をついた。
背をかがめて猛然と突進する孫堅に対し、全身傷だらけの華雄は右下段から左上へと大刀を斬り上げる。風を起こすほどのその斬撃の一瞬先を、さらに加速した孫堅は一跳びにかわすと反転して華雄の左後ろに着地した。短刀有利の間合い。間髪いれずに地を蹴り、華雄に襲い掛かる。両手から間断なく繰り出される斬撃・刺突を防ぎきるには華雄の大刀は大き過ぎ、致命傷は凌いでいるものの見る間に斬り傷が増えていった。地に立ってからというもの、ずっとこの一方的な展開である。浅いとはいえ無数の傷とそこから流れる出血に、華雄の動きは徐々に悪くなっていた。
このままではいずれ捕まる。華雄は僅かな隙に、大刀を小さく引き絞った。右太腿に衝撃があり、鈍痛と激痛が弾けた。左手の短刀が、深く突き立てられている。
「捉えたで」
こちらを見上げるその凶暴な笑みに、構わず大刀を叩き付ける。
「あっぶねー……惜しかったなぁ華雄殿」
肉を切らせて放った一撃は、皮にも届かず軽装鎧の布のみを斬り裂いた。食いしばった歯から息が漏れる。何という無茶な脚力だ。あの状態からかすりもしないとは、まさに野の獣のごとき俊敏さである。睨んだ先の孫堅は、息を整え、再び姿勢を低く構えている。
「降参はせんやろう。最期に言っとくことは無いか?」
「……調子に乗って吠えるな、野犬が」
見下して言い放つ。一瞬、孫堅の顔に怒りが走った。華雄は右手だけで大刀を後ろに引き、構える。足は動かせない。正面から来てくれるか?
「ええ根性やぁっ!」
一直線に突っ込んでくる孫堅。大刀は、引いたままでいい。そのまま突きに来た。相手の右の突きを左腕で払うも逸らしきれず、左肩が裂かれる。2撃目も同様にして、右に捌く。当然捌ききれず、今までより深い傷が残った。だが、致命傷ではない。3撃目、急所ではなく、左の脇腹に突きが向かう。片手で捌くには間に合わない位置。ここが勝負だ。残りの力を一気に使い、華雄は右腕の大刀を振りかぶった。脇腹に突きが刺さる。刺して一瞬止まった孫堅の右腕を左手で掴む。これで逃げられんぞ!大刀を首筋に叩き下ろす。
一騎討ちを囲む兵を割って、呂布と赤兎が姿を見せた。気付いた兵達がどよめく中、呂布はその中心を凝視する。
孫堅は華雄の身体を蹴って後方に跳ぶと、着地と同時に膝を突いた。その左腕は力なく垂れ下がっている。肩口の大きな傷から流れる血が、腕を伝って地面を濡らしていた。
一方の華雄は、両足を踏ん張り、左手で脇腹を押さえ右手で大刀を振り下ろした姿勢のまま、微動だにしなかった。
呂布が到着したのは、まさにこの一騎討ちが引き分けた瞬間であった。
必殺の気合と共に振り下ろされた華雄の大刀は、咄嗟に受けた孫堅の逆手の短刀を折るとそのまま左腕と鎖骨を砕いて肩を深く斬り裂き、しかしそこで止まったのだった。孫堅は腕だけでなく、体勢と膝もうまく使って勢いを逃がしていた。
「……華雄、流石や。ナメてかかったことは謝ろう」
「……キサマこそ、まさに『虎』よ」
呂布は赤兎の背から降り、華雄の元に近付いた。
「見事にボロボロだな。動けるか?華雄の叔父貴」
その言葉に、華雄は苦しげに鼻で笑う。
「悔しいが、動けんわ」
「じゃあ、ここまでだな」
言って、孫堅と思しき男の方を見る。あちらの横にも、副官らしき将が来ていた。目が合い、互いに目礼する。呂布は、両者の間に踏み出した。
「双方、聞け!今回の一騎討ちは、引き分けとする!両者の武勇を称え、兵を引けい!」
華雄は担架で天幕まで運ばれ、呂布も、遅れて来た高順もそれに付き添った。孫堅は、どうやら自力で馬に乗って帰ったようだ。
「……無様な姿を晒してしまったな」
「アンタがここまでやられるとは、相当なモンだな『江東の虎』は」
「…腕力や、技とはまた違った種類の……ぐ」
華雄は全身至るところ傷だらけで、どこからどう見ても重傷である。呂布は苦笑いして首を振った。
「まあゆっくり養生してくれ。話はまた聞かせてもらうよ」
そう言って天幕を出た呂布。あの華雄を追い詰めた男、孫堅。是非、自分も戦ってみたい。まだ見ぬ勝負を想像し、楽しみで顔がにやける。
しかし、正面を向いたその目には、信じがたいものが映っていた。
右手の崖から、崖下の陣に矢が降り注いでいる。耳にも、剣戟の、戦の音が聞こえる。
(何だ?これは?)
そこへ一騎の早馬が駆け込んで来た。
「そ、孫堅軍の奇襲です!右翼に、直ちに援軍を!」
「何ぃ!?」




