19 開戦
酸棗に集まった反董卓連合軍は、まとまりを欠いていた。
それぞれ隣り合って陣を並べ大軍勢を構成してはいたものの、主だった勢力が全て太守・刺史といった同格の地位だったため、互いに遠慮と牽制をし合い、団結できていなかったのである。董卓軍に対する諜報も、各軍がそれぞれ個別に行っているような状態であった。
そんな中に遅れて到着した孫堅を最初に出迎えたのは、袁術だった。袁術は宦官誅殺の後、袁家の主流である兄・袁紹に対抗する派閥の首領に担ぎ上げられ、一大勢力を率いる立場になっていた。
「孫堅殿、遠路ご苦労でしたな」
「ああ、アンタが袁術殿か。兵糧の件、快く受けてくれて助かったわ」
顔を合わせるのはこれが初めてだったが、彼らは直前にある取引をして知り合っていた。
孫堅は、兵糧不足に悩まされていた。酸棗までは持つが、その後の戦のことを考えると心許ない。また、南陽の太守を殺したものの、ここは孫堅の本拠地から遠く、自領として維持するのは不可能である。しかし太守不在のまま捨てて行き、南陽の民をいらぬ混乱にさらすのは甚だ不本意であった。
一方袁術は、部下と共に董卓支配下の洛陽を抜け出していたものの、気の合わない兄の元には行かず、拠点となる街を求めてさまよっていた。袁家の名声のおかげか、金や兵糧は方々から集まってきたが、積極性に欠ける袁術には誰かの土地を制圧・占拠するのは難しかった。
その袁術が丁度南陽付近にいたため、名門・袁家に期待した孫堅が兵糧の援助を依頼したことで双方の利害の一致が発覚、取引が成立したのである。
こうして袁術は南陽に入って太守を名乗り(本来は任命されるものだが、実力で奪い取る事は多々あり、ある程度黙認されていた)、憂いの消えた孫堅は兵糧の援助を得た。両者とも連合軍に参加するため、わざわざ兵糧を分けて別々に運ぶのではなく、酸棗までは袁術軍がそのまま大量の兵糧を運び込み、孫堅軍はそこから必要な分を自由に使う、という話にまとまっていた。
孫堅が袁術より遅れたのは、兵の慰労のために酒宴を開いていたからである。2度の戦闘があったものの、兵糧に余裕が無かったため何の労いもできていなかったのを、援助が得られたのでまとめて盛大な宴を開いたのだ。
「兵達は、元気になりましたかな?」
それを知っている袁術は、青白い顔に薄い笑いを貼り付けて尋ねた。孫堅を援助するもう一つの狙いは、戦に自信の無い自分の代わりに戦わせる事にあるのだ。酔いつぶれて戦えないようでは困る。『江東の虎』と呼ばれる目の前の男は日に焼けた引き締まった身体をしていていかにも強そうだが、果たして。
「おかげさんで腹いっぱい食えたしな、いつでも行けんで」
片や孫堅には、名門・袁家の下に付くことで、家柄や出自の悪い自分に対する「田舎者」等といった面倒な批判をかわす狙いがあった。初対面の袁術は覇気が無いどころか生気も薄い顔をしているが、それでも袁家の一翼である。取引の際のやりとりでも、袁術は名家の者らしく終始丁寧で、孫堅はそれなりに好感を抱いていた。援助の恩は、戦果で返すつもりであった。
呂布は呼吸を整え、華雄の動きに集中した。目線、気配、筋肉の動き、息遣いまで、その全てを認識し、動き出しを捉える。余裕の笑みを浮かべたままで、華雄の肩が僅かに上がった。気配に力が伝わる。姿勢が、前に傾き始める。来る!体の右側に引いて構えた長剣を両手で握り、呂布は合わせるように前に出た。華雄はその大刀を振りかぶっているが、まだ軌道は読めない。だが、どう来ても、左に払って流す!大刀は上段、真正面から振り下ろされた。異様な迫力を伴って迫る刃に振り上げた長剣をぶつける。肩にまで響く衝撃。構わず剣を立て、大刀を滑らせる。軌道が逸れていく。が、剣を立て切る前に大刀が眼前に迫った。やむなく両腕に全力を込め、長剣の根元で一気に横に押し返す。耳障りな金属音がした。
「…で、何か得るものはあったか?」
余裕の笑みはそのままに、大刀を肩に担ぎながら華雄が尋ねる。根元から折れた長剣を苦い顔で見つめながら、呂布は首を振った。
「これだと思うんだけどなあ…」
相手の攻撃に応じるのではなく、自分の決めた方法で相手の攻撃を流す。それが師匠の見せた、予め先を知っているかのような動きの正体、その一端ではないか。呂布はそう考えていた。これが可能なら、相手の攻撃とほぼ同時に受けに入ることで、あたかも攻撃を読み切っていたかのような動きになる。流した後の状況も、受け手側が選べるのだ。一度でもできれば相当有利になる。
しかしいかんせん、呂布は受け流しが得意ではなかった。もちろんある程度身に付いてはいるが、生来の怪力のため必要な場面も少なく、また手本となる師匠は剣術の達人であったため、槍を主とする呂布は自分自身でその技を応用する必要があったのだ。
かくして今回は、自分の身の丈に合わせた長剣を用意して、剛力の華雄に挑んだわけだが。
「ま、お前さんは剣には向いとらんな。いつもの得物はどうした?」
「いや、槍じゃあ多分無理だ」
あの師匠が“奥の手”的に見せた動きである。槍に置き換えて真似をするのは厳しい。
難しい顔の呂布を見ていた華雄の笑みに、呆れた色が混ざる。
「何を狙っとるのか知らんが、まずは得物を探すところからにしたらどうだ?見たところ、あの大槍もさほど手に合っているわけではなかろう」
言われた呂布は、華雄の顔を見た。そうなんだろうか?何の疑問も持たず、ただ普通の武器は軽すぎて使い難いためあの大槍を使ってきたが、確かに特にこだわってはいなかった。長さと重さを指定していただけだ。
さらに難しい顔で何やら考え出した呂布に、華雄は溜息をついた。よく解らんが真面目なヤツだ。何か、良い武器でも用意してやるか。
「よし、今日は終いだ。悩むのは自分の陣に帰ってからにしてくれ」
そう声をかけ、華雄は自分の天幕へと向かった。呂布との稽古に付き合っている間に、斥候が一騎帰って来ていたのだ。わざわざここまで直接駆けて来たということは、緊急ではないにせよ、重要な報告があるはずである。
(ようやく来るか)
華雄がこの汜水関の東に陣を張って20日余り、ついに連合軍が動き出したのであった。
孫堅が合流し、檄に応じた全ての軍が集まったところでようやく、連合軍では全勢力統一会議が行われた。その結果、主たる13の勢力はそのまま13の軍団とし、率いる兵数と家柄により総大将は袁紹に、檄を飛ばした発起人である曹操は参謀ということになった。
南陽の太守・袁術。
冀州の刺史・韓馥。
豫州の刺史・孔伷。
兗州の刺史・劉岱。
河内の太守・王匡。
陳留の太守・張邈。
東郡の太守・喬瑁。
山陽の太守・袁遺。
済北の相・鮑信(相は太守と同等で、県知事と府知事のようなもの)。
広陵の太守・張超。
長沙の太守・孫堅(袁術に言われ、後付で自称した)。
総大将である、渤海の太守・袁紹。
これに曹操を加えて13の軍団である。
総大将に選ばれた袁紹は、宦官誅殺の頃から変わらず、正義感の強い熱血漢であった。ただ、「君主たる者、部下の言を良く聴かねばならない」と考えており、いち早く洛陽を抜け出したのも、いままで大人しく自軍を鍛えていたのも、全て部下の助言に従っての事だった。本人の気持ちとしては、一人でも董卓邸に乗り込みたかったのである。それゆえ総大将となった袁紹は「今こそ!」と自ら先頭に立つ事を望んだが、総大将が先陣を切るのは誤りである、という部下の諫言を受けて、ここもしぶしぶ引き下がった。
最初に自軍だけが損害を被るのを嫌がる勢力が多い中、代わりに先鋒を申し出たのは、孫堅であった。袁紹や曹操、鮑信らが中軍となり、残る袁術らは後軍となった。
孫堅は、黄河を眺めていた。岸から見下ろす流れは低く、足元は絶壁のようになっている。船で進んでも陸から火矢を撃ち下ろされるのでは意味が無い。かといって、身体一つでこの大河に降り、流れに逆らい、敵陣の側面や背後まで進んで上陸する、というのは、常人では不可能だろう。
汜水関の方向を確認する。街道の彼方に、左右に大きく広がったような陣を構えているのは、西涼の猛将、華雄という。猛者を相手に守備的な陣に正面からぶつかるというのは、面白くない。孫堅は配下の武将を呼んだ。
「まあ見れば判ると思うが、あの陣に正面から突っ込んだらエラい目に遭う」
「そら当たり前や」
集まった部下4人の内、最も体格の良い男が相槌を打つ。孫堅はその上半身裸の浅黒い刈上げ男を横目で見ると、
「よし黄蓋、その当たり前を壊すんはお前に任せる。泳ぎと体力に自信がある奴を100人集めろ。半端な奴はアカンぞ」
「泳ぎて、下行かせる気か?ホンマエラいこと言うで」
そうぼやきながらも、黄蓋と呼ばれた筋骨隆々の男はさっそく自陣に向けて歩き出した。
孫堅同様江南出身の黄蓋は、最も長い付き合いの部下である。見た目どおりに豪快な性格で命知らずな彼は、こういう特攻的な役目が多かった。
「韓当」
「はっ」
「あのアホだけでは不安や。手伝ったってくれ。もう100人集めていい」
「御意」
一礼し、背は低いがきびきびとした動作の男は、黄蓋の後を追う。
色褪せた薄青の服をきっちり身に着けている韓当は、北方の出身であった。小兵ながら体力や武術に優れ、黄蓋と違って落ち着いた判断力もあったため、2人は組むことが多かった。その身長ゆえに若く見られることが多い彼は、対策として髭を揃えてはいたが、余り効果は無かった。
「それでは私は山登りですかな?」
長身の部下の声に、孫堅はにやりと笑った。
「正解や。崖登りと、あと弓が上手い奴をできるだけ多く集めといてくれ」
「はっ」
日に焼けた茶色い髪を首の後ろで束ねたこの長身の男の名は、程普という。黄巾討伐時に配下に加わった程普は、智勇兼備の優秀な将であり、参謀としても信頼されていた。先程の発言も、街道の左手側の崖に孫堅が兵を伏せようとするのを察してのものであった。珍しい武具を用いる事を好む彼は、鉄脊蛇矛という刀身の曲がりくねった矛を愛用していた。
程普も立ち去り、後に残った祖茂は、孫堅に尋ねた。
「では、我々は?」
「俺らは馬と、兵糧や」
祖茂は無言で礼をする。副官である祖茂は、時に無謀な行動に出る孫堅を諌め、また護衛するため、常に傍に付いていた。孫堅も、それを認めている。
孫堅は、改めて遠くの敵陣を眺めた。
勝ち筋は見えた。ウチの連中は優秀や。確実に守れると思っとったら、エラい目見るんはお前らの方やで。
それから5日後。
ゆっくりと前進を続けた孫堅軍は、ついに華雄の陣と向かい合う距離にまで近付いていた。その間、袁紹からは「さっさと開戦しろ」という催促が幾度と無く届いている。
「アホな大将はともかく、そろそろ行くか」
「ですね」
騎乗した二人は、騎馬隊の先頭へ向かう。
華雄が陣を張ってひと月程経っている。猛将であればこそ、戦いが待ちきれずにウズウズしているだろう。悪いがそれも、利用する。
孫堅の顔が不敵に歪む。
先頭に着いた孫堅は、居並ぶ部下の方を向いて槍を上げた。
「相手は西涼の名将、華雄や!相手にとって不足は無い!存分に暴れたれや!」
沸き起こる喊声。槍を上げたまま反転すると、隣の祖茂が、巨大な、見事な藍色の大将旗を掲げた。喊声が轟音となって響き、地を揺らす。
孫堅は大きく息を吸うと
「っしゃ行くぞ!」
槍を振り下ろすと同時に駆け出した。




