18 江東の虎
広大な黄河の雄大な流れが、視界を埋め尽くす。
推し量る事もできないその莫大な水の道行きは、全てを飲み込む力を持ちながらも悠然と構えており、人の矮小さを諭しているようだった。
赤兎に跨った呂布は、その首を撫でてやる。並外れて大きい、などといっても所詮は人と馬。眼前の大河にすれば、差など無いようなものだ。
視線を右に振れば、長い年月をかけて踏み固められた大街道が、遠く広がる中原の奥まで伸びている。
その先では、諸勢力が軍備を整え、兵を進めているのだ。最終的にここに集まる兵力は、隣の大河の如く視界を埋め尽くすかもしれない。目を閉じ、想像する。
呂布の顔には、笑みが浮かんでいた。
個の力では太刀打ちできない程の大きな流れ。それに立ち向かうのが、楽しみで仕方なかった。
準備が必要だ。呂布は目を開くと、赤兎を反転させた。目の前にそびえる城塞のような巨大な関所は、今はまだ門を開いている。
赤兎とともに門をくぐり、洛陽へと駆ける。ここ汜水関までは、歩兵の行軍でおよそ丸1日、馬で半日弱という。来る時は急がずに来たが、帰りは全力で駆けてみるか。今は夕方前、晩飯に間に合えば、曹性が通っているという食堂にでも連れて行ってもらおう。
「赤兎、お前にもいい草を用意してやるぞ!」
洛陽の東、街道が黄河と山に挟まれる防衛の要所、汜水関。ここが近々戦場になるのは間違いなかった。
董卓暗殺に失敗し、洛陽から脱出した曹操。捜索を逃れ、からくも本拠である兗州・陳留の街に戻った曹操は、即座に行動を起こした。董卓から離れ、それぞれの領地に戻っていた各勢力に、檄文を送ったのだ。
「天子の詔(帝の勅命)により、逆賊董卓を共に誅滅し、天下万民を救うべし!」
もちろん、曹操は勅命など受けていない。むしろ董卓好きの帝が、このような命を下す訳がない。勅命を騙るのは重罪である。だが、曹操には勝算があった。
現在各地に散っているどの勢力も、洛陽を占拠し、朝廷を支配している目障りなヤクザを排除したいのである。洛陽を離れた者のほとんどが、自領で兵を鍛え、機を窺っていた。董卓軍自身の過激な行動から、世間の評も董卓=極悪人となっている。大儀はこちらにある。ただ、きっかけが欲しかったのだ。曹操の檄文は、まさに機を捉えていた。
勅命としたのも、それが偽物と気付いたところで指摘することが誰の利にもならず、ただ董卓打倒の機会を失うだけのため、どこからも非難されない確信があったからである。また、帝を擁する勢力に兵を向けることはそれ自体が反逆行為に当たるため、頭の固い連中は勅命としなければ動かないおそれがあった。さらに言えば、万が一失敗に終わった際に「偽の勅命に騙されてやむを得ず参加した」という言い訳を曹操があらかじめ用意してやることで、参加の敷居を下げる狙いもあった。
果たして曹操の狙い通り、多くの勢力が、檄文を直接送っていない中小勢力までもが、これを機会とばかりに兵を挙げたのである。袁紹軍3万を筆頭に、万を越える大勢力だけでも10を数え、合計20万にもなる大兵団が、同時に洛陽奪還を目指し進軍を始めた。
『反董卓連合軍』の始動である。
当然、董卓軍でもこの動きは把握していた。
「曹操が軍を動かした」との報せを受けると、洛陽~長安間の輸送を監督していた華雄が呼び戻され、永らく軍務から離されていた鬱憤を晴らすべく最前線を任された。洛陽内の警護をしていた李粛の隊を含めて軍を再編し、今日明日中に汜水関に向けて出発することになっている。2番手には董卓本人が率いる本隊が続くのだが、兵数の少ない呂布隊はその補佐としてここに組み込まれた。
出発予定日まで数日。この数日で、呂布は自分の部隊を赤兎の脚に合わせて鍛え直すと同時に、師が亡くなってから一度も行っていなかった稽古を再開した。
夜。
董卓軍の練兵場に剣戟の音が響く。
呂布が突き、高順が受ける。流して返す刃を、呂布は知っていたかのように槍を立てて受け止めた。直後、予想外の衝撃が槍を撃ち、呂布は咄嗟に跳び退く。見れば、高順は右手の刀に加え、左手にも剣を握っていた。
これまで表には出さなかったが、師を失って二人の意気は沈んでいた。稽古をつけてもらうことも、欠点の指摘を受けることもできなくなり、稽古の意義も見失った。董卓軍に入って以降も起伏の無い日々を過ごすだけで、己を鍛えることから離れていた。
しかし今、戦の気配が肌で感じられるようになると、自然と心が起き上がってきたのである。同時に、師の願いを思い出す。
より、強く。
師が命を懸けて残した道である。進まなければならない。
漫然と過ごしてきた中でも、頭では考えていたのだ。あの師匠に、どうすれば勝てるか。未熟ゆえに、工夫の余地は多い。
呂布は、師の動きを盗もうとしていた。2対1で圧倒された、先を見通しているかのようなあの動き。もはや真相は失われたが自分なりに解釈し、あの動きを目指す。閃くものはあった。たった今高順を相手に試して、それなりに手応えもある。足りないものも見えてきた。
同じように試行錯誤して、高順は2刀流に行き着いたのだろう。受け流しにおいては既に達人の域である高順が、空いている手に剣を持っているだけで十二分に厄介である。左手の技量は利き手ほどではないにせよ、攻防における選択肢の幅は飛躍的に広がっている。正直、こっちから手を出したくないくらいだ。
「流石だ高順。これは、一歩先に行かれたな」
「何、ただ、一歩です」
互いに笑みを浮かべた。
俺達は強くなる。
確信を胸に、呂布は地面を蹴った。遅れた一歩の分、先手は頂く。こちらはまだ形になっていないのだ、遠慮なく試させてもらうぞ!
「………で、……らしいですよ。って、聞いてます?ちょっと若、若!」
「……聞いてねー」
かくして汜水関に向かう当日。呂布は完全に寝不足だった。師匠の物真似のような口調の曹性の声は微かに聞こえていたが、内容はまるで聞き取れていない。
「もう、高順さんを見習ってくださいよ。一緒に特訓してたんでしょう?」
だらしなく赤兎の首にもたれかかってそっぽを向いている呂布に対し、隣の高順は背筋を伸ばし、正面を向いている。
「……いや、高順はそれで、寝てるから」
「え」
曹性が見ると、確かに目を閉じている。しかし高順はそのまま首を横に振って否定の意を表した。一応、起きてはいるようだ。
「…器用なヤツ」
いつのまにか顔をこちらに向けていた呂布はそう言うと身体を起こし、大きく伸びをした。深呼吸をし、頭を振る。
「…で、なんだって?」
腰を伸ばしながら聞く呂布に対し、曹性は改めて言った。
「敵の連合軍は直接汜水関に来るのではなく、一度酸棗(汜水関のさらに東、歩兵で4、5日の位置にある街)付近に集合、陣を張るようです。でね、着いてるのはまだ2、3勢といったところらしいんですが、向かってる連中の中にとんでもないのがいるらしいんですよ」
「ふーん。誰だそれ」
曹性は得意げに胸を張って言った。
「江東の虎、孫堅!」
「…」
「…」
「…何とか言って下さいよ」
虎、と言われて思い浮かぶのはどこかの叔父貴しかいない。
「…虎は一匹でいい…」
呂布は再び赤兎の首にもたれかかった。
その夜、洛陽の南方、荊州・南陽郡、太守(市長のようなもの)の屋敷。
「アホが。小物が調子に乗るからや」
自ら斬り殺した太守の屍を見下ろしそう吐き捨てると、凶暴な獣の空気を纏ったその男は頭に巻いた真紅の布を乱暴に取った。肩まで伸びた癖のある毛をかき上げる。
周囲は既に静かになっていた。雑魚の方も片が付いたのだろう。
「親分、終わりやしたぜ」
背後からの腹心の報告に、ゆっくりと振り返る。
「おう、ご苦労。これでここの食料、馬、金、全部俺らのモンやな。…運び出せ」
ドスの効いた声でそれだけ言うと、男は屋敷を出た。月明かりに照らされた男の顔には、怒りが燻っていた。
「孫堅様、気が済みませんか」
気付けば隣に立っている副官に、答える。
「『田舎者の海賊くずれに出す援助などない』?カスが。身の程わきまえろや」
孫堅、字は文台。遠く呂布にまでその名が届く、『江東の虎』その人である。
17才の頃に海賊討伐で名を上げた剛の者である孫堅は、その武勇を買われ、黄巾討伐や各地の反乱鎮圧に数多く参加していた。悪に容赦なく、民に優しい孫堅は行く先々で力を発揮し、有能な部下を加えていったが、しかし出身が江南(長江の南側=中原から遠い)であることと、その粗暴な性格に言葉の訛りもあって、権力者からは田舎者扱いされることが多かった。そして、命のやり取りのみの海賊の世界で育った孫堅には、力の無いものに口先だけで馬鹿にされるのは耐え難い屈辱だった。舐められたら、終わりなのだ。
そんな孫堅が今回、反董卓連合軍に加わるために北上するにあたり、同様に反董卓の意を表明していた荊州の刺史・王叡に、長距離移動のための兵糧の援助を申し込んだところ、「田舎者が出過ぎるな」などと罵倒され、断られたのである。孫堅自身は荒い性格で口も悪いが、礼儀を知らないわけではない。この時も作法を知った部下を派遣し、下手から頼んで、この対応をされたのだ。怒りを爆発させた孫堅は一気に兵を向けると王叡を攻め立て瞬く間に殲滅、王叡を自害に追い込んだ。
このことが、「兵糧を借りる申し出を断られ、腹を立てて皆殺しにした」「江東の虎はとんでもない」と洛陽にまで伝わったのである。
そしてこのとんでもない男は、数日後の今、同じ理由で南陽の太守も殺したのであった。
「わきまえなかったゆえに、この有様です」
副官の祖茂は笑顔で肩をすくめる。
数年前の黄巾討伐の際に配下に加わった祖茂は、丁度この南陽の出身のため訛りが無い。その落ち着いた口調と性格は、熱くなった孫堅を冷やす役目を果たしていた。
祖茂の仕草を見て、孫堅は鼻で笑った。
「…そうやな。地獄で後悔してるか」
怒気の消えた虎の横顔には、どこか少年のような無邪気さが浮かんでいた。
軍をまとめ北上を再開した孫堅軍が、連合軍の集合地点である酸棗に着いたのは、それから10日後、連合最後の一軍としての参陣であった。