表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/65

11 黄栄の最期

(何を無茶な!)

 師匠は俺達を止めると言った。

 もちろん師匠は強い。それは身に染みて知っている。だが二人がかりを相手にできる程、力の差があるのか?俺も黄青も、稽古では何本か取れているのだ。その二人を同時に相手にして「かかってこい」などという余裕があるとは、いくらなんでも思えない。

 しかし声には出せなかった。呂布の眼前の達人は、厳然たる武術の師の顔ではない。戦に臨む、武人の顔。


 右手にいる黄青がゆっくりと剣を抜いた。一層重くなる空気の中、視線を目の奥まで突き刺される。

(っ!)

 呂布は左足を半歩下げ、その甲で背後に転がっていた槍の柄尻を拾い蹴り上げると、左手で掴んだ。一度槍を立て、右を穂先に両手で持ち、構える。

 迷ったまま構えを取らされたが、それによって多少冷静になった。二人がかりでもなんでも、ここで師匠を止めればいいのだ。そして晋陽へ向かう。あの養親父がどこまで本気か知らんが、それは行ってみてからでいい。まず、今だ。

 そう考えると、形はともかく真に本気の師と戦えることへの期待や喜びが湧き出す。それは熱を持って身体を巡り、力を増していく。落ち着かせるため一度大きく息を吸い。


 鋭く吐いた。

 同時に黄青が動く。

 師に対し左側に立つ黄青は水平に剣を振り背面から首筋を狙う。ほとんど同時に動き出した黄栄は右足を前に進めながら左腰の剣を右手で真上に抜き、呂布はその開いた右脇腹に突きを放つ。抜剣の動作で首への斬撃を受けた黄栄の剣は加速し、滑り落ちるように大槍の穂に叩きつけられた。衝撃で呂布の動きが止まる。対して黄栄は反動と共に反転しながら後方に跳ねて再び背後から振り下ろされた刃をかわすと、薙いだ剣で刃の主を斬った。背中から脇腹にかけて切り裂かれた黄青はそれでも崩れずに踏みとどまったが呂布の正面である。呂布は黄青をかばうように前に出、その右後ろで黄青が構え直す。一旦流れが止まった。


 今のは、何だ?

 呂布も黄青も、同じ疑問を感じていた。

 ただ防ぎ、返されたのではない。攻撃を見て、感じて防ぐのではなく、予め判っているかのような動きだった。一瞬とも言える短い時間で刃が合ったのは僅かに一度ずつだが、それだけで黄青は背を斬られている。背後から斬りかかったのは黄青だというのに、だ。読みが鋭い、というだけでは足りない違和感があった。

 加えて、呂布を止めるほどの斬撃。常日頃の修練とはまるで違う重さと鋭さ。受けた剣勢をほとんど殺さず己の剣に乗せているのだ。それも後ろから前に、別の相手に返したのである。黄家武術の真髄、その一端を見た。

 強い。

 無論、まだ一度斬り交えただけであり、偶然黄栄に都合の良い流れになっただけかもしれない。

 しかし無茶などではなかった。

 この達人は、二対一でも戦えるのだ。事実黄青は斬られており、戦闘不能ではないにせよ既にこちらは後手に回っている。傷の程度はわからないが、時間はかけられない。呂布は呼吸を整え感覚を研ぎ澄ます。加減などしていては次の一瞬で負ける。鮮明になっていく視界の中心に師を捉え、動く。


 無駄な力を省き、無駄な動作を省き、最小の動きで。最速の突きを、教わった師に向けて放つ。当然のように受け流されるが即座に引き戻し二段目、三段目と繋ぐ。この槍の間合いで、踏み込む隙も利用する隙も与えなければ。集中力が増す。突き、ときに払い、一歩、また一歩と押していく。黄栄の背後に壁が近付く。詰められれば、こちらにはもう一人いるのだ。黄青は師の右横に回り込み機を窺っている。勝負はそこだ。最後の一歩を詰め切るためにさらに精度の高い突きを放つ。趙雲もかくやと思える高速の突きをも受け流した師の剣は、瞬時に回転して引き戻される槍を地に叩きつけた。身体は既に呂布に向かっており、地を打って返した剣先が矢のように呂布に向かう。一手先を取られた。反応した黄青が踏み込んで斬りつける。左脇を裂いた。だが浅い。真っ直ぐ呂布の眉間に飛ぶ剣。槍を戻す暇はない。呂布は右手を離すとその甲を迫る刃に向かわせた。のけぞり、顔を逸らす。手甲の鉄板に押された刃は右頬を掠めた。崩れた体勢を起こす間もなく右肩を蹴られる。転ぶわけにはいかない。奥歯を噛み締め思い切り脚を開いて堪え、上体を戻すと共に跳ね上げた槍を両手で構え直した。師匠の背は一歩奥、黄青の方か。鋭い金属音。師は舞うように旋回し、斬り上げた姿勢の黄青の背中に剣を叩き付けた。こちらに吹き飛ばされる黄青。受け止めるため、反射的に右手が槍から離れた。視界が埋まる。まずい!緊張が集中の限界を引き上げ、時が遅くなる。左右、いや、正面!直感を頼りに、迫る黄青の奥を見据える。途端、黄青の身体が沈んだ。僅かに足が見え、上に消える。上!?意表を突くにも程がある。しかし既に師は視界の外だ。間違いなく剣も振るわれている。それでも左腕一本で大槍を振り上げた。頭を、衝撃が貫く。


 

 片膝を立てた体勢から立ち上がると、黄栄は右手の剣を鞘に納めた。振り返り、横たわる弟子達を左目で眺める。

 本当に、強くなった。全てを教える時間は無かったが、ここまで来ていれば後は各々自身の道が見えるだろう。それがどのような道で、いかなる強者になるのか、そして何を成すのか。できるなら見届けたかった。

 しかし、自分にはその彼らの道の為にすべきることがある。

 目を閉じ、部屋を出る。最後にもう一度振り返ると、斬られた右目で黄青を見、砕かれた左腕で呂布に手を振った。

 

 

 

 呂布は目を覚ました。布団に寝かされている。外が見える。空が暗い。周りの、部屋の様子が違う。この広さは、領主の屋敷だ。いつもの民家ではない。あそこでは、師匠と戦った。

身体を起こす。頭の芯に痛みが溜まっているようで、それが全身に響く。しかし構わず立ち上がった。広い部屋には誰もおらず、ただ布団の横に自身の大槍が置かれている。いちいち動作に伴う痛みを堪えてそれを拾い、部屋を出た。

 廊下に出ると、目の前に中庭がある。やはり夜になっていた。あれから、どのくらい時間が経った?知らぬ間に場所を移動させられているが服はそのままであり、痛みもはっきり残っている。一日以上寝ていた、ということはなさそうだ。急げば間に合うかもしれない。

「呂布殿!目を覚まされましたか!」

 声に振り向くと、隣の部屋から見知った顔の若い兵が出てきた。

 あの後何が?師匠は?黄青は?今は、俺はどのくらい寝ていた?聞くことがまとまらない。察してか、若者が口を開いた。

「黄青殿はこちらです。未だ意識は戻りませんが、命には関わらぬようで。あと、先生からこれを預かっています」

そう言って手紙を差し出す。

 黄青は背を斬られていた。受け取りながら現実を思い出し、頭の中の整理が始まる。

「すまん、運んでくれて助かった。で、師匠は?」

「先生はその手紙を渡された後、すぐに晋陽へ向かわれました」

「それはどのくらい前だ?」

「真昼ごろでしたから、およそ半日ほどです」

 晋陽まで二日ほどかかるとして、半日の遅れは厳しい。だが、万が一があり得る範囲でもある。今すぐにでも出なければ。

「馬を…」

「馬なら用意してあります。先生が、呂布殿のために良い馬を用意しておくように、と言われましたので」

 何だその余裕は。一瞬状況を忘れ、苦笑してしまう。

「追って欲しくはないが、どうせ止めても無駄だろう、ともおっしゃってましたよ?その代わり、手紙は絶対先に読むように、と」

 ほんの僅かな間、いつもの呂布隊の空気になった。これも、師の存在が成したことだ。手紙を開く呂布の前で、若い兵が続ける。

「お三方の間に何があって、先生がなぜ直属を斬って行ったのかはわかりませんし、聞きません。ですが我らは呂布殿の隊、必要とあらば総勢で晋陽に向かいます。水臭い遠慮だけは、無しにして下さいよ?」

 苦笑いばかりさせられる。

「ああ、ありがとう」

 答えつつ見た手紙の内容は、非常に簡単なものだった。

 

 ――丁原の死後は、軍をまとめて董卓につくよう。


 それだけである。

 ただ、手紙の中にもう一通別の手紙が入っていた。そちらは先のものと違って理知的な長文で、呂布とその隊に対して董卓につく利を説く内容であった。兵卒の一人でも受け入れる、とまで書かれたその文末の署名は2つあり、ひとつは李儒りじゅ、そしてもうひとつは、董卓本人のものである。

 李儒というのが誰かは知らないし、これがいつ来たものかも判らないが、おそらくは丁原の目に触れないように師匠が握っていたのだろう。確かにこの内容なら董卓の元に向かうことに障害はなさそうである。ひとまず、後の憂いは消えた。音を立てて手紙を閉じる。場に緊張が戻る。

「よし、この手紙は黄青が起きたら渡してくれ。後の判断は全部アイツに任せる。俺は今すぐ晋陽に向かう!」

「は!馬はこちらです!」

 

 館の前には篝火に照らされた鹿毛の馬が一頭と、門番の兵が2名。呂布に気付くと無言で礼をとった。

「呂布殿、これを」

 即座に跨る呂布に、先導してきた若い兵が剣を投げた。空中で受け取り、腰に差す。

「ご不要でしたか?」

「すまん、借りて行く」

「御武運を!」

 手も挙げずに、呂布は闇夜の通りへと駆け出した。




 二日とされる道程を昼夜無く駆け、二度目の昼前、およそ一日半で晋陽に着いたが、途中で師に追いつくことはなかった。

 疲労や空腹感を置き去りに、駆けたまま晋陽の門を抜ける。番兵は呂布を止めはしなかったが、顔色はおかしかった。離反の疑惑がかかっているのだ。当然と言うか、むしろ止められない方がおかしい。だが実際には、何か良からぬモノを見たような、怯えた表情で見送られた。師匠に討たれたことになっているのかもしれない。とすると、やはり間に合わなかったのか。さすがに潰れそうな名馬を祈るように駆けさせる。


 丁度その頃、黄栄は丁原の部屋の前に来ていた。右脇には、首を包んだ布を抱えている。高都に向かった際の見張り役の首だ。丁原に気に入られたのが運の尽きだったのだろうが、かわいそうなことをした。

 晋陽の中央部、丁原の屋敷を囲む兵営に着いた時、寄って来る兵は多かった。丁原の膝元であるこの晋陽では、呂布は兵達にも嫌われている。その呂布を(連れ戻すと言う名目ではあったが)討ちに行き、戻ったのだから興味が沸くのは当然である。粗暴な連中ながらも歓迎の雰囲気はあった。だが、一人きりで、右目を斬られ、左腕が力なく垂れ下がった武術師範の無残な姿と、その周囲も凍るような殺気を前にすると、誰も近くまでは踏み込めず、距離を置いて見送るのみであった。進む前に道は開き、先導も続く者もいないまま丁原の屋敷に入り、ここまで来たのだ。

 周囲に誰もいないことを確認し、息をつく。正直なところ助かった。もちろん、不必要な殺気は首を改められないための虚勢である。最後に弟子達につけられた傷と、あれ以来着たままのくたびれた衣服も一役買っているのだろう。手当てもせずに来たため痛みは増すばかり、3日ほど寝てもおらず、体力も気力も限界をとうに超えている。それでもここまで持ったのは、意志の力に他ならない。己の死に場所と定めた事に向かう、最期の意志。それは黄栄には楽しく思えた。ふらふらと、丁原の部屋に入る。


「おう黄栄。良く戻ったな」

 部屋の奥、椅子に腰掛けた丁原が声をかけてくる。その手前には低い机があり、その両横の壁際に一人ずつ、直属の兵が立っていた。黄栄の様子を見て近付こうとするのを、目で制する。そして一歩、一歩、丁原の元へと進む。

 久しぶりに丁原を真っ直ぐ見ていると、これまでのことが頭に浮かんでは消えていった。


 流派を、身内を護るだけの黄家武術のあり方を嫌って里を飛び出した。その自分には妻一人さえ護れず、生きる屍のようになったことがあった。息子を救ってくれたのが丁原だった。無気力な自分に、復讐という目標と、その機会も与えてくれた。所詮捨てた命、拾ってくれた男のために使うつもりだった。


 しかし、知らぬ間に、大切なものが再び手の中にあったのだ。

「何だぁ?何を笑ってやがる?」

 それを得る機会も、この丁原に与えられたものだ。

「愛弟子の首をはねて、頭がイっちまったか?」

 丁原も笑っている。最期というのは、笑っている方がいい。

 机の前に着いたところで、片膝を突く。首包みを、右手で机の上に載せた。丁原が身を乗り出す。右手だけで、ゆっくりと、大げさな動きで包みを解く。その動作の中で、右手が左側に寄る、最も腰の剣の柄に近付いた、その瞬間。

 残る力を振り絞り、立ち上がると同時に丁原の喉へと剣を抜き払う。今度こそは、護る。

 

 しかし剣に受けられたその斬撃は、あらぬ方へと受け流されてしまった。黄栄の剣が宙を泳ぐその前で、流した勢いをもって丁原は剣を振りかぶる。

 「残念だったなあ黄栄よぉ!」

 自分が教えた黄家の剣。その基本の動作のひとつである。受け流した勢いを使うことで、相手が守りに戻るより先に斬る。少々荒いが、こう見えて基礎をしっかり習得しているあたり、この男にも武術の面では見所はあったのだ。剣が、振り下ろされる。遅い。あの頼もしい弟子達と比べれば、子供の遊び程度だ。泳ぐ剣を立て直し、そのまま丁原の首を突く。相討ちで良いのだ。そして相打ち狙いの黄栄を相手にするには、丁原の腕は未熟だった。

 黄家剣術皆伝者が最期に放ったその突きは、どこから湧いたものか、力の乗った、良い突きであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ