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10 師弟の絆

 丁原が理不尽な命令を出すのはさして珍しいことではない。

 誰かの失態、自身の不機嫌はもとより、ときには部下の手柄に対してすら腹を立て、制裁を加えようとすることがあった。それを、時間を使って冷却し、代案を立て、別の利をもって忘れさせ、さまざまな方法で直接の実行を回避するよう上手く変容させていたのが、黄栄と張楊である。特に張楊に関して言えば、丁原に気に入られた度胸は部下にも認められており、加えてその性格、雰囲気が、荒くれ達からの不満を自然と融かしていた。黄栄は武術師範として一目置かれてはいたものの、立場上武術以外の話に絡むことは少なく、どちらかと言えばやはり張楊が『要』だったのた。


 

 日に照らされ、明るさに包まれた高都の街には、重い空気が流れていた。

 呂布の洛陽襲撃に対する反撃はなかったとはいえ、丁原軍の最前線である。戦の備えはされており、街中にも兵の姿が多い。そしてその兵達が、一様に澱んだ気配を出していた。

 裏切られた。

 切り捨てられた。

 攻められれば終わりだ。

 俺達も寝返るか?

 枷はなくなった。

 今なら何をやっても自由だ。

 これらの澱みはギリギリのところで表に漏れず、踏みとどまっている。その理由は、おそらく。

「こ、黄先生!ご苦労様です!」

 街の中心にある大きな屋敷。その門には番兵がおり、黄栄に気付くと大声で声をかけてきた。街中で見た兵士達とはあきらかに空気が違う。黄栄は笑顔を返して馬を下りた。

「ハイご苦労様です。若はここですか?」

「いえ!呂布殿は隣の、あちらの屋敷におられます!」

 揃えた指が示した先には屋敷と言うには少々小さい、立派な民家があった。あの弟子はまた妙な意地を張っているようだ。好都合と言うか何と言うか。

「なんでもご自身が高都を任されたわけではく、臨時の代理だから、と言っておられました!」

「若らしいですねえ。では、この屋敷では何を?」

「はっ!我ら呂布殿の隊は、この屋敷を中心に市中の巡回を命じられております!」

 やはり、これが街の澱みを抑えているのだ。同じ丁原軍に属し、副官を引き抜かれた事実に変わりはないはずなのに、彼らはその影響を感じさせない。そしてその彼らが、街を巡っている。どこまで考えてやらせているのかわからないが、結果的にそれが混乱を防いでいるのである。黄栄は心の中で優秀な弟子を大いに褒めた。そして、ひとつ確認する。

「それは全員、ですか?」

「はっ!呂布殿、黄青殿に護衛は不要、とのことです!」

 呂布の隊ではよくあることである。 

「いつもどおりで何より。ありがとう、あなたは勤めに戻って下さい」

「はっ!」

 良い兵だ。日差しの中を持ち場に戻る姿を見て、そう思った。ただの武術一辺倒な部分だけではなく、呂布の人間的な魅力が部下に伝わっているのだろう。本人にこんなことを言ったら、相当怒るだろうが。最後に一度微笑み、黄栄は背を向けた。


 隣の民家に向かいながら、後に続く10名に指示を出す。大屋敷なら裏口を固めるところだが、多少広いだけの民家である。囲んでしまえば死角はない。8名が散らばり、2名は残った。監視役ということだろう。中には一人で入りたかったが、止むを得ない。無人の門をくぐり、開け放しの屋内へ入った。


「若~、お邪魔しますよ~?」

「し、師匠?こないだ帰ったとこなのにまた来たのか?」

「いや~また来ちゃいましたね」

 先日、黄栄が董卓の使者を追って高都に来たのが6日前である。あの時、呂布が洛陽襲撃に向かうのと同時に黄栄は晋陽に戻った。高都~晋陽の往復のことを考えると、黄栄は晋陽に数日しか留まっていない計算になる。

「忙しいこって」

言って呂布は立ち上がり、師に対し礼をする。その横では黄青が既に頭を下げていた。

 そこは広間のような板の間で、入口から一歩入った黄栄に対し、正面に呂布、左手側に黄青。背後の左右に1名ずつ、丁原の部下が立っている。奥には廊下があり、その向こうは寝室と台所だろう。黄青はきっちり剣を帯びているが呂布は持っておらず、その後ろの足元に大槍が無造作に転がっていた。それを見た黄栄の頬は緩み、小さくため息が漏れた。

「…さて、どう切り出せばいいですかねえ」

 視線だけを黄青に向ける。頭を上げた息子と目が合った。

 息を吸う。

 左腰に差した剣を抜きざまに身を翻し、右後方の男の首筋を斬り付ける。丁原直属に選ばれる程度には腕の立つ男はその動きに反応し、とっさに一歩下がろうとした。が、それを見越したかのような剣閃に鮮やかに首を切り裂かれる。同様の反応をみせた左側の男は、剣を抜く途中で動きを止めた。黄青の剣が、その喉を刺し貫いていた。

「…人の仮住まいでなんてことするんだ…」


 音もなく斬った二人の監視役を部屋の隅に片付けると、3人は部屋の中央に座った。

「さ、そういうわけで若、黄青。并州を出てくれませんか?いや出て下さい」

 頭を下げる黄栄。

「いや、先にそういうワケの方を説明してくれないか?何しに来たのか、なんでアイツらを斬ったのか、何もわからないんだが?」

 呂布の横で、一人斬った黄青も頷く。

「まあ、そうですよねえ。仕方ない、説明しましょう」

 黄栄は諦めた表情で話し始めた。


「一応、事実確認をさせて下さい。まず若が洛陽を攻撃した後、陣に華雄将軍が単騎で訪れた。間違いないですか?」

「ああ、間違いない」

「で、その後若と張楊殿と3人での酒宴になり、華雄将軍は張楊殿を伴って洛陽へ帰った、と」

「その通りだ。…あの養親父おやじ、マジで俺に間者をつけてるのか」

 呂布が報告の使者を出したのは一昨日である。今日晋陽に着く使者の報告内容を、今日高都に着いた黄栄が既に知っている理由は、それぐらいしかない。

「何度止めろと言っても聞く耳持たずでね」

 黄栄は苦笑いを浮かべ、続けた。

「張楊殿が陣を出る、その時若は何を?」

「…」

「…」

 視線を逸らす呂布。じっと見つめる黄栄。

「酔いつぶれていたわけですね?」

 そして頷く黄青。

「くっ!さ、酒は苦手だ!」

「そっちももうちょっと鍛えないといけませんねえ。…そして翌日、陣を引き払った」

「あの洛陽を攻めるにはまるで兵力不足だったからな」

「前日の洛陽では相当暴れまわったと聞きましたよ?2万の兵を討ったとか」

「ンなわけあるか!陣は大量に壊してやったが、中身の兵は逃げるばかりで討った数も全然だったぞ」

「そうなんですか?洛陽での若の大暴れはおそらく各地の勢力に伝わってますよ。これは大変な過大広告になりましたねえ」

「うう、『全国区』か…」

 張楊の楽しげな声が聞こえ、呂布は顔をしかめた。実の無い噂は遠慮したい。

「とりあえず私が聞いているのはこんなところです。そして、これを聞いた殿は、私に若を連れ帰るよう命令を下しました」

「?なんだ、それだったらいくらでも帰って」

 手で呂布を制し、首を横に振る黄栄。

「敵将と酒盛りをして張楊殿が出て行ったこと。同席していてそれを止めるでもなく、洛陽を再攻撃するでもなく、ただ引き揚げたこと。これをもって、殿は若も裏切ったと考えています。口では連れ帰れと言ってましたが晋陽に帰れば、間違いなく殺されるでしょう」

「!あ、あのクソ養親父…」

 口から怒りが漏れた。状況を考えればその判断は解らないでもない。しかし、曲がりなりにも息子なのだ。今まで数多の戦場で丁原のために敵を葬ってきた。もちろん反抗的だったし自覚もあるが、叛意など見せたことも考えたこともない。それを話も聞かずに裏切りを決めてかかられるとは。

「張楊殿に見限られたのが余程堪えたのでしょうね。実際、私が受けた命令では、若の生死は問われていません」

 それを聞いた黄青の周囲の空気が一気に張り詰める。主を守る、武人の反応。

(強くなりましたねえ)

 黄栄は心の中だけで喜びを噛み締めた。

 少し考えるような間があって、呂布が口を開く。

「で、もし俺たちが并州を出たら、師匠はどうするつもりだ?」

「私ですか?私は、まあ、どうとでもしますよ」

「師匠は養親父に大恩があるんだろう?でなきゃあんな奴にずっと仕えてる理由がねえ。てことは、晋陽に帰るつもりじゃないのか?」

 自らの嫌な推測が呂布の体温を上げる。

「手ぶらで、あの男の前に帰ってどうなる?みすみす弟子を逃がした、同罪だ、って殺されちまうぞ!?そりゃ師匠なら勝てる、勝てるに決まってるが、戦う気はないんだろう?」

 黄栄は呂布を見た。武術以外の面でも、本当に良くできた弟子である。笑みが浮かんでしまった。

「…いや、ご明察。その通りかもしれませんね」

「なら并州を出るわけにはいかねえな。俺が晋陽に戻る」

 勢い良く呂布は立ち上がった。黄栄はため息をつく。

「私の、わがままなんですかね。若に死なれては、困るんですよ」

「俺だって師匠に死なれては困る!」

「私はね、若。殿に命を拾ってもらったんです。もらった命ですから、その命のために筋を違えるようなことは、できないんですよ」

 ゆっくりと立ち上がる黄栄。合わせるように、黄青も立ち上がる。

「なら俺が死ぬ!俺だって、奴に、師匠に拾われた命で生きている!」

「ですから、私のわがまま、なんでしょうね。目的もないまま拾われた命で、ただ、若と青だけが、生きる意味、喜びなんです。あなた達を失っては、拾われた命が、無駄に、後悔になりそうで」

 呂布を、黄青を見る。二人とも、立派になった。武術の面では未だ全てを教えられたわけではないが、己を捨てても師である自分を守ろうとしてくれる、その成長振りは、黄栄の視界をにじませた。今この瞬間も、二人は晋陽に乗り込み、丁原を討つ方法を考えているのだろう。若はその武をもって正攻法で行きたいだろうが、一軍勢相手にそれはさすがに不可能である。その点、青はどういうわけか、気配を殺し、死角を突くことにかけては相当のものを持っている。二人でならば、殿の首を取ることができるかもしれない。しかし、そこまでである。生きて晋陽を出ることはできない。

 きつく目をつぶる。呂布の声が響く。

「それでも、それなら俺は、俺のわがままで!」

「…どうしても、行きますか?」

「俺は、師匠を死なせはしない!」

 どこまでも嬉しいことを言ってくれる。その喜びを奥に、底にまで押し込み、目を開いた。

 場の空気が、止まる。


「では、ここであなた達を止めます。かかってきなさい」

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